純血の獅子と神の光

仁蕾

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 ―リィーン…チリィーン…
 ―チリリリリィ…ン……リリィーン…
 風に揺れる幾つもの装飾品が、涼やかな音色を奏で続けている。
 ジアーに宛がわれた離宮へ渡る廊下の出入口正面。庭と廊下を隔てる腰高の塀に人影が見えた。
「…王が我が部屋に何ぞ用が…?」
 低く問い掛ければ、人影がゆるりとした動作でジアーに視線を向け、その場に立ちあがった。腰に刷いた剣が微かに音を立てた。
「冷たい花嫁だ。今宵は婚礼の夜であろう」
「ふ…慣例通り、契りの儀でも行うと仰るか?」
 ジアーの碧眼が眇められ、その口元は嘲笑の色を乗せる。が、アサドは気にも留めずに表情を動かす事無くジアーを見続ける。
「何故、お前は一人なのだ」
 部屋仕えはどうした。紅の双眸が明らかな敵意を剥き出しに、ジアーの事を鋭く睨みつける。
 相手は誰もが畏怖する剣聖の眼差しにもかかわらず、ジアーは恐れもなく逆に艶やかに微笑んで見せた。
「アル・マリク、貴方の狗はとても賢い。賢いが故に愚かでもある」
 ジアーはひたひたと再び歩き出し、あと一歩というところまでアサドに近付いた。
 その場に誰かが居れば驚きに言葉を無くしただろう。アサドは伽の夜にしか自身の間合いに人を近寄らせない。どれだけの腹心であろうともだ。それなのに、ジアーは悠々とその間合いに入り込み、アサドは僅かに殺気を発しただけで自慢の剣を振る事はなかった。
「…神官のくせに度胸だけは据わっている」
 忌々しそうに吐き捨てられた言葉を、ジアーは鼻で笑って一蹴する。
「残念ながら、私は一度たりとも神官であった事は御座いません。神殿で生まれ、育っただけ…」
 それより。ジアーは右腕をゆるりと上げ、人差し指でアサドの心臓の真上の地肌に触れた。その指先は冷たい。
「飼い狗に噛まれぬよう、お気を付けを」
 ―《四枚花印ライハーネフ》をその身に刻む王よ。
 触れ合った箇所が淡い熱を帯びたかと思えば、ジアーの指を中心に花の痣が浮かび上がり、ひとつの呼吸の間に肌に溶け込んだ。
「では、失礼…」
 一歩下がり、恭しげに一礼するとジアーは後宮へ続く扉の向こうへと消え、アサドはその背を見送った。

   ***

 ジアーは苦々しい顔で、自身に宛がわれた離宮の入口前で佇んでいた。
 後宮は王の居住区と変わらぬ大きな宮殿である。宮殿には多くの側室の他に輿入れの際に伴った側仕えや、後宮入りの際に宛がわれる部屋仕えなどが暮らしており、新たに嫁いだ者はその宮殿に入り、後宮での習慣や作法などを学んでいく。
 その他の宮は二つしかない。正室の離宮『バシュ・カドゥン』と第一側室の離宮『ハセキ』。
 ジアーに宛がわれたのは、その内のひとつである『ハセキ』だった。王族側にどのような意図があるのかは定かでないが、何とも不本意である。
 『バシュ・カドゥン』も『ハセキ』も今まで空室であった。多くの側室たちがそのどちらかを狙っていたのだが、新参者にその一つが宛がわれたのだ。争いの火種になるのは目に見えている。
「ラハーヌ」
 名と共にパチンと指を鳴らせば、ジアーの背後に恭しく頭を垂れる男が現れた。彼はジアーが『アル・バーリゥ』の力で造り出した人ならざる存在である。
 『アル・バーリゥ』は創造主を意味し、森羅万象の四大元素たる火、水、風、地を操る異能の持ち主の事である。《四枚花印》に現れる事が多いが、稀に《四枚花印》ではない『アル・バーリゥ』もいる。また、その逆も然り。《四枚花印》だからと言って『アル・バーリゥ』だとは限らない。
 ちなみに、ラハーヌは火と水の相反する二つの元素で構築されている。
「お呼びでしょうか…『マリアム』」
「…そう呼ぶな。私は『聖母マリアム』ではない」
 苦々しく呟けば、ラハーヌは「申し訳ございません」と静かに謝罪した。
「さて、ラハーヌ。この衣装を剥ぎ取るのを手伝っておくれ」
 早く脱ぎたいと抗議をすれば、ラハーヌは苦笑を浮かべながらも主を広間へと先導した。
「…まさか男に嫁ぐとは思わなんだ」
 シュルリと面紗ヴェールを取り去り、沢山のクッションが敷き詰められた籐編みのロングチェアに放り投げた。
 飾りも婚礼衣装も全て取り払い、腰布一枚になった時。不意に第三者の気配を感じ、ジアーは入口の扉へと視線を向けた。
「…何か他に御用ですか?」
 腕を組み、壁に寄り掛かる男を軽く睨みながら息をつく。
「その男は?」
 侵入者でもあるアサドの視線は、ジアーの半歩前に立つラハーヌへと向けられている。ラハーヌは素知らぬ顔で淡い笑みを浮かべており、それが余計アサドの癪に障った。
「私の従僕にございますが、何か問題でも…?」
「王の許可なく、男を招き入れたか」
 薄く浮かべられた笑みに感情は伴っていない。
「所詮は淫売の子だな」
 嘲り、蔑み。濃い負の感情を乗せられた言葉に、ジアーの腹の奥が熱を持った。
「淫売、とは…?」
 微かに震えたジアーの声に、アサドは気にも留める事無く続けた。
「神殿は女戦士が守っていようと、所詮は女だ。男に勝てるわけもない。ましてや、自身が仕える者の命に背ける訳も無かろう」
「王は、我が母…ラナス・エナフ・サッタールが男と通じ、私を産み落としたと言うか…?」
 僅かに低くなった声に、ラハーヌがこれは危ないと表情を引き攣らせた。が、王は「そうだ」と鼻で笑った。
 その瞬間。
「母を愚弄するは、いかなる存在であろうと私は許さぬ」
 ざわりと空気が騒いだ。どこからともなく風が吹き抜け、ジアーの金の髪を弄ぶ。
「ジアー様、お静まりを」
 ラハーヌが静かに声を掛けるが、ジアーはそれを手で制して黙らせた。ジアーを中心に風がゆっくりと渦巻き、その範囲は徐々に大きくなり始める。
 アサドは驚く事もせず、壁から離れそっと胸に手を当てた。淡い光を伴って《四枚花印》が浮かびあがり、周りに火の花弁が舞い始める。
「王に刃を向けるか?一介の印持ちが」
「刃ではない、怒りだ」
 一触即発のその瞬間。
「ジアー様、お遊びはそこまでです」
 ラハーヌが呆れた声と共にパチンと指を鳴らせば、荒ぶり始めた風と火の花がまたたきの間に姿を消した。
「ラハーヌ…」
 怒りも露わに苦言を呈すジアーをよそに、ラハーヌはアサドに向かって浅く頭を垂れた。
「王よ、今宵は我が主の機嫌が優れぬ様子。後日改めてご挨拶に向かいますので、本日はどうか…」
 ラハーヌの言葉にアサドはちらりとジアーに視線を向けた。
 すでに興味は失せたと背を向けるジアー。薄らと浮き上がる筋肉の陰影が動く度に、艶めかしく見えるのは気のせいではないだろう。男にしては細い腰とそれに連なる引き締まった臀部。
 存在感は自分と同じくらいに大きなものにもかかわらず、触れれば儚く掻き消えてしまいそうに見える。
 ぞろり、と自分の中の何かが身じろいだ気がした。が、気づかないふりをしてその背中から視線を外した。
「構わん。お前の主に忠誠心など求めておらんからな」
「王、そのような事は…」
 ない、とラハーヌが言葉を紡ごうとした時、ジアーはふふっと吐息だけで笑う。
この国王族が求めておられるのは、《神の光アル・ヌール》の名だけですからね…」
 肩越しにアサドへ一瞥をくれながら、ジアーは腰布を脱ぎ去り奥部屋へと歩み去ってしまった。
「ふん…」
 小さく鼻で笑い、アサドは今度こそ自室へと戻るために踵を返した。
 久方ぶりに《四枚花印》を使った為、気分は高揚していたが今は誰を抱く気にもならない。しかし、心なしか気分はいい。が、それを表情に出すようなことはせず、いつも通りの颯爽とした歩調で廊下を歩き去っていった。
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