紅蓮の獣

仁蕾

文字の大きさ
上 下
73 / 84
紫雲の章

17

しおりを挟む

 そして、その双眸が。
「ベル…その、目…」
 龍馬が力無く呟いた。
 ヴェルジネの赤と緑のオッドアイが、今は美しい山吹色に輝いている。
 瞠目して呆然としているその表情は、動かない。
 その眼差しがゆるりと動き、康平の血に濡れた体を一瞥すると、龍馬と望へ視線を投げ掛けた。
 目元が綻び、頬が緩んだ。少しだけ不敵に笑う様は、康平に酷似していた。
「なん、で…」
 愕然と呟く龍馬の横をすり抜け、ヒガディアル、ククルカン、アザゼルがヴェルジネと康平に駆け寄った。
 アザゼルがヴェルジネの体を抱き留めた瞬間、ヴェルジネは意識を失い、淡い輝きと共に少女の姿へと戻った。
 ヒガディアルとククルカンは康平の傍に膝を付く。ヒガディアルは康平の胸の短剣を慎重に真っ直ぐに抜き取ると、ククルカンがその体を素早く仰向けにし、こぽりと血をあふれさせる傷口を手で圧迫する。血に塗れたヒガディアルの指先が頚動脈で脈を診る。その表情が難色を示すのを見て、龍馬と望の心の内に絶望が広がった。
 弥兎は表情を変えず、瞼を閉じて少し俯いただけであったが、何とも言えない感情が胸の内を廻っていた。
《ふふふふ…あーっはっはっは!仲間内で殺し合いとは!なんと面白き余興か!》
 高らかと笑い声を上げたカーリー。
《しかし、妾を前に余所見とは、余裕じゃの!》
 カーリーの姿がその場から消え、一瞬の内に龍馬と望の背後に移動した。二人は身じろぐ事すらしない。
 手の爪が長く伸び、凶器へと姿を変える。
《王の首は妾のモノじゃ!》
 一閃。
 獲ったと思ったのも束の間。斬ったのは残像。
 虚しく揺らめく影に気を取られていると、背中に激しい衝撃を受け、結界の壁際まで吹っ飛んだ。壁に激突し、空気と共に血を吐き出す。
「へぇ…アンタにも血は流れてるんだ…?」
 感情の篭らぬ、冷え切った龍馬の声。
 徐々に膨らむ精霊力と、身も凍るほどの殺意。
(妾は守護神…神じゃ…!妾に勝てる者なぞ、人の世に居る筈は無い。…じゃが、この気…人の域では無い…!)
 カーリーは、初めてその身に恐怖を感じていた。
「仲間内で殺し合い…?はん、よく言いやがる…」
 常より幾分低い望の声。口調すら変わっている。
「アンタ…覚悟はイイよね?」
「カミサマだからって、容赦しねーのが俺達の流儀でね!」
 言葉と共に飛び出す望。間断なく襲い来る赤華扇と足技の連撃に、カーリーは防ぐ事しか出来なず、攻撃に転じる機会が見当たらない。
 なれば。
《時よ!》
 叫んだ瞬間、隠れていた額の宝玉が姿を現し、強く輝いた。同時に、周りの全てがピタリと止まる。
 肩で息をし、安堵の息を吐いたのも束の間。
《切羽詰ってるね、カーリー》
 小さな笑いを含んだ声がやけに響いた。
 カーリーの体に、一気に緊張が走る。
 視線を移せば、確実な怒りを持った弥兎が微笑んでいた。
 背筋を悪寒が撫でるのを感じながら、カーリーは不恰好な笑みを浮かべた。
《そうか…汝には効かなんだな…時の拘束は…》
 無様にも声が震えていたが、それを気にしている余裕は無い。
《龍馬が正式に帝王に着任してなくて良かったね。もし、王座に就いていたら、あの子にも時の拘束は関係ないもの》
 片や恐怖に頬を引き攣らせ、片や穏かな笑みを浮かべる。
 何とも異質な光景だ。
《では、汝が妾の相手をするのかえ?》
《ははっ、まさか!俺がやる事に何の意味があるのさ》
 かつての王が、無邪気に笑う。
《じゃが、汝以外、動ける者も居らぬであろう?》
《そうだね。でも、だからこそ…》
 そう言いながら、人差し指と中指を揃えてカーリーに指先を向けると、ゆっくりと笑みを深めた。
《だからこそ、封じるんだよ。『封印スィジッーラ』》
 指先を中心に、手のひら大の複雑な小さな陣が現れる。カーリーがハッと息を呑んだが、時既に遅し。
 宝玉に同じ陣が焼き付き、その輝きが失われた。数拍遅れて、周囲の気配が動き出すのを感じ、背後に風を感じた。
「女だからって、容赦しねーからな!」
《ぐっ!》
 脇腹に強烈な蹴りが減り込む。
 静かに着地した望が、フン!と鼻息荒く腕を組みながら、吹き飛んでいくカーリーの姿を見送った。
「本当に容赦ないねー…」
 先ほど、自分がその女の背中を思い切り蹴飛ばしたのを棚に上げ、龍馬は望の制裁に頬を掻いていた。それをあえて口にするでもなく、同意した弥兎はやはり龍馬の親なのだと、康平を介抱していたククルカンは口を閉ざした。
 立ち上がったカーリーの表情は、恐ろしいまでの憤怒に歪んでいた。
《よくも…よくも妾を、二度も足蹴に…!許さぬっ!》
 カーリーが叫んだ瞬間、彼女の周りに霧が集まり、霧が晴れたその姿が、先程のドレス姿ではなく、戦うに適した戦闘服に変わっていた。
「おお…やる気満々…」
《龍馬、此処は俺と望に任せて、康平とベルの所へお行き》
 弥兎の言葉に頷き、望の背に声を掛ける。
「望さん、すぐに戻るから」
 返事の変わりに手を振り返され、龍馬は康平とヴェルジネのもとへ駆け出した。
「ヒガ様、どうですか?」
 龍馬はククルカンの正面側、ヒガディアルの隣に膝を付き、青褪めた康平の顔を見下ろした。
 双眸を閉ざす康平の表情は、予想に反して穏かなものだった。痛みを感じなかったのか、仲間を傷付けずに済んだ故の安堵の表情なのか。それが逆に龍馬の胸を締め付けた。
「…いい状態とは言えん」
 血が止まらず、脈もどんどん間隔があいて来ているらしい。
「そう…琥珀…」
 ククルカンの苦々しい声に龍馬は頷くと、戦闘の余波を防ぐ壁になっている琥珀に声を掛ければ、了承したように琥珀が一声上げ、尾を振った。
 一枚の鱗が康平の胸の上に現れ、その姿を崩した。崩れた鱗が傷口に入り込み、その傷をゆっくりと塞いで行く。
「あとは、リタ姐さんと焔花…けんこう鉉煌の体力次第って所かな…」
「私が補助をしよう。お前は地の宝玉を…」
 ヒガディアルの言葉に、龍馬は力強く頷いた。
「ケセド」
《はい》
 龍馬の左腕から青い炎が解き放たれ、青い狼が姿を現した。
「地神族帝王のトコまでお遣い宜しく」
《はい》
 大地を蹴った次の瞬間には、その姿はその場から消え去っていた。
 カーリーは憎悪の表情を望むに向けていた。対し、望は冷え冷えとした目を向け鼻で笑う。
《汝には、生き地獄を見せてやろうぞ…!》
「そっくりそのまま、返しましょう?」
 赤華扇を構え、宙に舞う。横に凪げば、手のひら大の炎球が五つ現れ、見上げるカーリーへと翔けた。カーリーはそれらを寸前まで引き寄せ、地面を蹴って回避する。炎の塊は大地に触れた瞬間、大きな爆音を立てて地面を抉り取った。
 カーリーが胸の前で両手を交差させれば、片手に四本ずつの飛刀が握られており、時間差で片側ずつ望に向かって飛ばした。その恐ろしいまでのスピードに、避けるのがやっとだ。
 一本の飛刀が望の頬を掠め、一筋の傷を作り出す。痛みよりも、熱いといった感覚が望を襲う。血が伝う感触に、望は小さく舌打ちをした。
 瞬きの刹那に、眼前に迫った切っ先。
(早すぎだろっ!)
 狂乱に悦を見出し傲笑を浮かべるカーリーの剣技に、若干苛立ちながらも左足を跳ね上げ、カーリーの脇腹を狙う。が、剣と扇が鍔迫り合う場所を支点に、カーリーは腕力だけで望の上空へと移動した。望の足は虚しく空を切る。
「クソが!」
《まだまだじゃの、小僧》
 飛び上がった勢いそのままに、カーリーは姿勢を崩した望に思い切り踵を落とした。咄嗟の反応で、脳天への直撃は免れたが避け切れず、い踵落としが右肩を襲った。
 上空から地面へ、容赦なく叩き落される。
 轟音とも取れる衝突音と土煙に、見守っていた龍馬は手を上に翳した。
「神槍」
 呼応して現れた雄々しくも美しい騎槍。それは、初めて呼び出したときよりは小さく、十m程の大きさしかなかった。
 ボールを投げるように勢い良く腕を振れば、騎槍は刹那の瞬間にカーリーの心臓の正面へ走った。が、カーリーの胸の前で静止し、バチバチと音を立てながらもそれ以上進む気配が無い。
「くっ」
 騎槍を後押しするように翳している龍馬の腕が、小刻みに震え始める。
 確かに感じる、何かに遮られている感覚。何もない筈なのに。
 どれだけ力を込めても、精霊力を注ぎ込んでも微動だにしない。
《汝が力…それほどのものか…?》
 カーリーの細い指が、騎槍の切っ先に触れようとした瞬間、龍馬は何かを感じ拳を握った。同時に、騎槍が光の粒子へと化す。
《ふふ…正しい選択じゃ》
 妖艶に微笑むカーリー。
 龍馬は一瞬で感じ取った。あのままカーリーが触れていたら、風神族の宝玉は無残に砕け散ってしまうところだった、と。
《龍馬、お前は無闇に手出しをするな》
 アザゼルの静かな声が、龍馬の耳に入り込む。
 父が何故、そう言うのかは解る。
 宝玉の破壊。それは、宝玉を体の一部とした龍馬自身の崩壊を示しているからだ。最終手段でもあった宝玉での手出しが出来ぬ以上、望の足手まといになるのは必定。
 しかし、明らかな望の劣勢に龍馬は舌を打つ。
「…どうすれば…」
「…ククルカン、地の宝玉で今の彼女を封印しきるのか?」
 ヒガディアルの問いに、ククルカンは我が妻を見つめ、ふんと鼻で笑った。
《それでどうにも出来なきゃ、この世界はお終いだな》
《ククルカン…》
 アザゼルの声音は、ククルカンを責める様に苦い色を見せる。
 だが、ククルカンもどうにかしたいのは山々である。自分の小さな友人達が、自分の妻のせいで傷を負い、死に掛けているのだ。
《はあ…仕方ない…俺が行こう》
 ククルカンが立ち上がり、強力な結界内へと入り込んだ。
 不意の侵入者に、カーリーは望の脇腹に足をめり込ませ、その体を吹き飛ばした。地を滑る体が砂煙を作り出し、視界を歪ませる。
 カーリーの顔が、愉悦に満ちた。
《ようやっと、重き腰を持ち上げたか、ククルカンよ》
《ちっとばかしオイタが過ぎるぜ、カーリー。乙女神パールヴァティーはどうした》
 ククルカンの問いに、カーリーの口角が歪に吊り上がる。
《お前の乙女は、妾の奥底に封じ込めておるわ》
 甲高い笑い声が空間に響き渡る。
 対面するククルカンとカーリーを背に、龍馬は望へと駆け寄った。
「望さん!」
 うまく力が入らないのか、望は震える腕で体をゆっくりを起こす。龍馬はその傍に膝をつき、望の体を支えながら怪我の度合いを確認する。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

すべてはあなたを守るため

高菜あやめ
BL
【天然超絶美形な王太子×妾のフリした護衛】 Y国の次期国王セレスタン王太子殿下の妾になるため、はるばるX国からやってきたロキ。だが妾とは表向きの姿で、その正体はY国政府の依頼で派遣された『雇われ』護衛だ。戴冠式を一か月後に控え、殿下をあらゆる刺客から守りぬかなくてはならない。しかしこの任務、殿下に素性を知られないことが条件で、そのため武器も取り上げられ、丸腰で護衛をするとか無茶な注文をされる。ロキははたして殿下を守りぬけるのか……愛情深い王太子殿下とポンコツ護衛のほのぼの切ないラブコメディです

悩める文官のひとりごと

きりか
BL
幼い頃から憧れていた騎士団に入りたくても、小柄でひ弱なリュカ・アルマンは、学校を卒業と同時に、文官として騎士団に入団する。方向音痴なリュカは、マルーン副団長の部屋と間違え、イザーク団長の部屋に入り込む。 そこでは、惚れ薬を口にした団長がいて…。 エチシーンが書けなくて、朝チュンとなりました。 ムーンライト様にも掲載しております。 

オメガなパパとぼくの話

キサラギムツキ
BL
タイトルのままオメガなパパと息子の日常話。

幽閉王子は最強皇子に包まれる

皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。 表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。

光る穴に落ちたら、そこは異世界でした。

みぃ
BL
自宅マンションへ帰る途中の道に淡い光を見つけ、なに? と確かめるために近づいてみると気付けば落ちていて、ぽん、と異世界に放り出された大学生が、年下の騎士に拾われる話。 生活脳力のある主人公が、生活能力のない年下騎士の抜けてるとこや、美しく格好いいのにかわいいってなんだ!? とギャップにもだえながら、ゆるく仲良く暮らしていきます。 何もかも、ふわふわゆるゆる。ですが、描写はなくても主人公は受け、騎士は攻めです。

【完結】運命さんこんにちは、さようなら

ハリネズミ
BL
Ωである神楽 咲(かぐら さき)は『運命』と出会ったが、知らない間に番になっていたのは別の人物、影山 燐(かげやま りん)だった。 とある誤解から思うように優しくできない燐と、番=家族だと考え、家族が欲しかったことから簡単に受け入れてしまったマイペースな咲とのちぐはぐでピュアなラブストーリー。 ========== 完結しました。ありがとうございました。

モラトリアムは物書きライフを満喫します。

星坂 蓮夜
BL
本来のゲームでは冒頭で死亡する予定の大賢者✕元39歳コンビニアルバイトの美少年悪役令息 就職に失敗。 アルバイトしながら文字書きしていたら、気づいたら39歳だった。 自他共に認めるデブのキモオタ男の俺が目を覚ますと、鏡には美少年が映っていた。 あ、そういやトラックに跳ねられた気がする。 30年前のドット絵ゲームの固有グラなしのモブ敵、悪役貴族の息子ヴァニタス・アッシュフィールドに転生した俺。 しかし……待てよ。 悪役令息ということは、倒されるまでのモラトリアムの間は貧困とか経済的な問題とか考えずに思う存分文字書きライフを送れるのでは!? ☆ ※この作品は一度中断・削除した作品ですが、再投稿して再び連載を開始します。 ※この作品は小説家になろう、エブリスタ、Fujossyでも公開しています。

幼馴染は僕を選ばない。

佳乃
BL
ずっと続くと思っていた〈腐れ縁〉は〈腐った縁〉だった。 僕は好きだったのに、ずっと一緒にいられると思っていたのに。 僕がいた場所は僕じゃ無い誰かの場所となり、繋がっていると思っていた縁は腐り果てて切れてしまった。 好きだった。 好きだった。 好きだった。 離れることで断ち切った縁。 気付いた時に断ち切られていた縁。 辛いのは、苦しいのは彼なのか、僕なのか…。

処理中です...