紅蓮の獣

仁蕾

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青藍の章

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 その頃、アイリーンとソニアも、瓦礫の上にて呆然と見上げていた。
 ―グルルルル……
 腹の底に響くように唸るのは、銀色の竜。
「兄さん…精霊術が何も使えない!薙刀…『繚乱』も反応がないわ…っ」
「こっちも『朧雪』が出ねー…」
 アイリーンは紫紺の髪をかき上げながら銀龍を睨み付けるが、人間の一睨みなどに怯むようなら竜ではない。
 しかし、視線が交錯した瞬間、アイリーンの体中の血が強く脈打った。アイリーンに流れる竜の血が、上位の同胞の出現により解放を望んで暴れ狂っているのである。アイリーンは息を詰めながら妹へと視線を流すが、人の血が強いソニアには影響はないようだ。
 額に汗を滲ませながら、この超絶不利な状況をどう足掻いて好転させたものかと悩む。術もない、得物もない状況では、どう足掻いても命はない。
「兄さん!」
 声と共に投げて寄越されたのは、槍。ソニアの手にも剣が握られている。
「ああ!?何処にあった!?」
「もしもの時の為に、上級訓練施設から拝借してたの」
 と、ニッコリ笑顔。
(そうか、パクったのか…)
 思えども口にする事はない。今の状況では何もないよりかは幾分マシだ。
「上級のヤツだから、少しなら誰かの精霊力が吹き込まれてるかも」
「出来れば、トラ野郎のだといいな!!」
 その声を合図に、二人は怯む事無く銀竜へと駆け出した。

「さーてよー…どうすんべ、ノン様」
「どうしたもんかね」
 会話を聞いてれば暢気なものだが、その実、二人は襲い来る金竜の牙や爪、口から放たれる炎や尾の追撃を避けながら会話をしているのだ。何とも器用である。
「恐らく、アイリーンとソニアの方にも何かしらの被害が及んでる筈。康平、何か武器になる物とかないの?」
「んーとねー…」
 ―ゴソゴソゴソゴソ…
「あ、あった。ほい」
 ぽいっ、と望に投げたのは、何処から取り出したのか分からない日本刀。
「…どゆこと?」
「まあ、深く考えんなよ」
 カラリと笑う康平の手には薙刀。もう望ですら理解不能である。
 気にするべきではないと判断した望は、大きく伸びをして肩の力を抜くと、康平から受け取った刀を二度三度と翻し、金竜に向かって静かに構えた。
「ほんじゃま、いっちょ派手に…」
「イッちゃいますか!」
 二人は嬉々として、派手に跳躍をした。

   ***

 さわさわと揺れる空気に、頬を擽られる。龍馬はそれに促されるように目を開いた。
 視界いっぱいに大きな木の枝が大きく広がっている。枝には繁る葉は無く、紅い大きな実が四つ成っているだけ。複雑に絡み合う枝は美しい。
 微かな水の音。
 龍馬は自身が太い根っこに腰掛け、逞しい幹を背凭れにしているらしい。 
《お目覚めになられました?》
 優しい女性の声が、少し遠くから聞こえた。目を向ければ、美しい不死鳥が人型をとって微笑んでいた。
「フェニー…チェ…さん?」
《ようこそお越し下さいました、我等が母上様。精霊の樹も、大変喜んでおりますわ》
「せいれいの…き…?」
 ボンヤリと、思考に靄が掛かっている。はっきりしない頭で繰り返せば、小さな精霊たちの老若男女入り混じった沢山の笑い声や囁きが響き渡った。
《なんと、愛らしいお方》
《あのような方が母上様だなんて》
《嬉しや、嬉しや》
《さすが、帝王様の半身様》
《世界に於いて最も尊いお方、我等が王后様》
 火の精霊たちは、とても嬉しそうに歌い舞う。
 フェニーチェは精霊たちの驚喜に笑みを深めた。
《今、精霊の樹に成っている精霊玉は、今までに例のない特別な精霊玉なのです》
「特別…?」
 フェニーチェに倣うように、龍馬は頭上の精霊玉を見上げた。四つの精霊玉はほんのり淡く光を放っている。
《この精霊たちの主は既に決まっているのです。本来、我等精霊は、生まれてから己が主と認める者と出会うまでに早くて十年、遅ければ数百年と掛かるのが普通。しかし、彼等四人の精霊は、主たる者たちの為だけにこの世に生まれてくるのです。魄霊以外では初めての事なので、私たちも見守るしか出来なくて…》
 下手に触ろうものなら、そのまま実を結ぶ事無く落ちてしまう可能性もあり、誰もがその精霊玉を観察する事しか出来ないのが現状だ。
「それはいいんですけど…何で、俺、此処に居るの?」
 通常、精霊の樹がある所には精霊しか行き来出来ないと聞いていた。
 フェニーチェが僅かな戸惑いの表情を浮かべた、その時。
《あの子たちが呼んだのです》
 愛らしい女の子の声が響いた。フェニーチェの後ろから顔を出したのは咲夜姫だ。
「あ、咲夜姫だ。久し振りー」
《…レジーナ様は、寝惚けているのです…》
 可愛いのです、と呟きながら龍馬を見つめる咲夜姫の言葉に、フェニーチェは苦笑を浮かべた。
「えと、それで…俺はここで何をすれば?」
 最もな質問である。
《この精霊玉たちは、樹に成ってからまだ数日しか経過しておりません。しかし、どうやらこの子等が主と定めた者たちに、危機が訪れている様子。まだ日が浅い故に殻が硬く、生まれることが困難なのです》
 更に困惑が深まる。
「俺に手伝える事は…」
 ない。
 そう答えようとした時だった。

 ―康平!
 ―いっつー…

 ―ソニア!
 ―っ、たた…

 空間全体に響いた二種類の叫びと苦痛に揺れる声。空間が歪み、そこに流れたのは断片的な映像。 
「な、に…これ…」
 映し出されたのは沢山の擦り傷や切り傷、打撲により満身創痍の中、巨大な竜に向かう望、康平、アイリーン、ソニアの四人。誰もその手に己の得物を持たず、精霊術も使わず、望と康平に至っては契約竜すら喚び出していない。しかし、容赦なく襲い掛かる金銀の竜。
 四人とも、避けるので精一杯だ。
 築かれる瓦礫の山。
 トラスティルや兵士が居ないのを見れば、何かしらの特殊な結界が組まれているのが解る。
 頭上で輝く紅は、更に強く輝き出した。まるで何かを催促しているようにも見える。
 龍馬は促されるように、幹に手を添え、瞼を閉じた。
 高まる精霊力。共鳴するかのように四つの精霊玉の表面が時折波打つ。
 光は強くなり、視界を遮って行く。
「…いってらっしゃい」
 ―…行って参ります…―

   ***

「康平、大丈夫?」
「おう。…しっかし…コレももう使えねーな」
 舌打ち混じりに苦々しく吐き捨て、柄が砕けて刃が毀れた薙刀を瓦礫の中に投げ捨てる。望が握る日本刀も刃毀れが酷く使い物にならない。同じように瓦礫の中に投げる。
 だが金竜を見上げても、鱗に傷一つ見当たらない。
 不意に竜の口が大きく開いた。ゆっくりと力が凝縮された光の球が形成されて行く。
「これは…」
「非常にヤバイね…」
 流石の二人も、圧縮された密度の高い攻撃態勢に、徐々に顔色を無くして行く。避け切れる程の体力も気力もなく。かと言って防ぐ術もない。
 絶望がそこに存在した。

「ソニア!」
 アイリーンは、ソニアの元へと駆け寄った。
 尾の一撃を受けて瓦礫に埋もれたソニアは小さく咳き込み、少量の血を吐き出す。アイリーンに抱き起こされつつ、「大丈夫…」と答えた。
「っ、んもー…こんなん、どうしろって言うのよ…」
 兄妹も望たち同様、満身創痍である。
「武器もボロボロ、術も無効化…万事休すだわ…」
「鱗に傷も付きやしねー」
 不意に銀竜が四肢の爪を地面に立てた。ゆるりと口を開ければ、野球ボールほどの大きさの光の玉が四つ現れる。
「兄さん…」
「…ああ?」
「あたし、嫌な予感しかしないわ…」
「ああ…同感だ…」
 強い光が炸裂した。

   ***
 
 他人の為でなく。
 ましてや己の為でなく。
 唯一である我が主の為。
 命を賭けて守り抜く…―。 

   ***

 幾ら待っても身を引き裂く程の衝撃は来ない。
《ご無事ですか?》
 凛とした女性の声が、望と康平の耳に届いた。
 二人が顔を上げたそこには、一人の女性と一人の男性の背。白を纏った肢体。防ぐ衝撃波の風に揺れる限りなく白に近い白銀の髪。僅かに振り返る女性の目は真紅に輝き、紅を刷いた唇はほんのりと微笑んでいる。
 望も康平も呆然と二つの背中を見上げた。
「ど、どちら様でしょう?」
 場に似合わぬ間の抜けた康平の問いに、女性は苦笑を浮かべる。
 誰も侵入出来ない結界内に現れ、使用不可能な筈の精霊術を発動させ、尚且ついとも簡単に金竜の攻撃を防いだ。
 問わずにはいられない。
 防ぎ切ったにも関わらず、埃を払っただけとでも言うように穏やかに笑む女性と、両目を布で覆い隠し、額に現れる紅玉の一つ目を有する無表情な男性の正体を…―。


《大丈夫ですか?》
 満面の笑みでリーチェ兄妹を見上げるのは愛らしい少女と精悍な青年。
 どこと無く似た雰囲気を醸し出す二人は双子なのか。
 白を身につけ、白銀の髪に真紅の瞳。仲良く手を繋いでいるのはいいが、今はそんなほのぼのとした空気の似合わない場面である。
 銀竜は至極不愉快そうな声を上げた。が、少女達は怯む様子はなく、寧ろ迷惑とでも言うように眉根を寄せた。
《五月蝿いですねー…》
《少しくらい黙ってられないのかな》
 呆れたように言うが、リーチェ兄妹は何がなんだか訳が解らない。銀竜の方に顔を向けていた双子は、兄妹の方に顔を戻した。
《もう少し待っていて下さい》
 白の少女は、天使の微笑みを浮かべてソニアを見上げた。
《間も無く姉上たちが、空間を繋げますから》
 青年も浮かべる癒しの微笑み。しかし、どうしてもこの二人の笑みの裏側に、黒い何かが見え隠れしているように見えて仕方がない。
 アイリーンが口を開こうとした時、柔らかな風が不意に頬を撫でた。慣れ親しんだ気配が二つ。
「アイリーン…?」
 双子の背後。人影が四つ滲んで、ぼやけて、出現する。
 声が、アイリーンの名を呟いた。
 アルビノの女性に支えられながらこちらを見る彼の人は、自分よりはマシだが、満身創痍に違いなく。彼がこれ程までに傷をこさえているのが驚きである。
「ノン様、大丈夫?」
「うん、平気」
 けらりと笑う望は、康平と並んで歩み寄ってくる。
 四人ともボロボロだが、無事、生きて再び会えた。
「って言うかさ…状況悪化?」
 康平が指差した先には、仲睦まじく頭をすり寄せ合う金と銀の竜。再会の喜びに穏やかだった目付きは、望たちを見つけた瞬間、鋭いものへと変化する。
「…みたいね」 
 同意の声を上げたソニアの表情は、絶望的である。 
 ―ざっ 
 四人の前に立ちはだかった、四つの背中。 
《わたくし共が片付けます》 
《心配なされますな》 
《ゆっくりされてて下さい》
《あんな奴等、あたしたちでちょちょいのちょいですから》 
 振り返り、恐いほど綺麗に微笑む四人のアルビノ。 その笑顔に更なる笑顔で応じたのは、やはりと言うべきか望と康平だ。 
「頼んだよ」
「気を付けてなー」
 相手は滅多に遭遇する事のない竜だ。本来なら、自分たちがお相手したい。きっと得物が振るえたら、笑いながら相手をしていたに違いない。それはアイリーンもソニアも同様である。
 そんな二人にアルビノたちは笑みを深め、金と銀の竜に向き合った。
 駆け出した背中がゆらりと歪む。人の姿から獣の姿へと。現れた四頭の真白い雌雄の獅子。美しい毛並みに燃えるような紅い瞳。溢れ出る精霊力は清廉でその力強さに圧倒される。
 大きな体躯の雌獅子を先頭に、三頭の若獅子が後を追い、そのしなやかな体の何倍もある竜へ猛然と牙を剥いた。
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