意識転送装置

廣瀬純一

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卑弥呼になったサラリーマン

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ある日、サラリーマンの佐藤良一は、休日に訪れた科学博物館で「意識転送装置」の展示に興味を引かれていた。その機械は「過去の偉人の意識を再現体験する装置」として展示されており、何も考えずに申込みの端末を触っていた良一は、スクリーンに表示された「卑弥呼」という文字に目が止まった。

「卑弥呼?女王じゃないか。面白そうだな。」

軽い気持ちで卑弥呼を選択し、装置に座ると、展示員から軽く説明を受けた。「転送中に意識が混濁したり、違和感を感じることがありますが、すぐに終わりますのでご安心を」と。良一は大して気に留めず、「まぁ、どんなもんか試してみよう」と目を閉じた。

***

次に目を開けたとき、良一は一瞬で現実感を失った。周囲には見慣れない光景が広がっていた。石や土で作られた古代の建物に囲まれ、香木の匂いが鼻をくすぐる。何より、自分の体がいつもと違う感覚だった。ふと手を見ると、自分のはずの手が、細く、長い指先に変わっていた。

「これは…まさか、本当に卑弥呼になってるのか…?」

驚く間もなく、ふと扉が開き、数人の装束をまとった者たちが恭しく頭を垂れて近づいてきた。「卑弥呼様、そろそろ儀式のご準備をお願いいたします」

良一は混乱していたが、どうにか平静を装って頷き、「あ、ああ…わかった」と低く答えた。思わず自分の声に驚いたが、彼らに疑念を抱かれないよう努めて卑弥呼らしく振る舞うことにした。

***

その日の儀式が始まると、良一はさらに驚く体験をすることになった。彼は、卑弥呼として山々に向かって祈りを捧げ、天からの神託を受けるという役目を果たさなければならなかったのだ。しかし当然、どうやって神の声を「聞く」べきかもわからないし、何を告げるべきかも見当がつかなかった。

古代の神殿のような場所に連れて行かれた良一は、周囲の村人たちの視線を背に、呪文のように何かを唱え始めた。しかし、頭に浮かぶのはどうしても会社での業務や日常生活のことばかり。神託どころか、何も出てこないのだ。

「どうしよう…このままじゃ、みんなが期待している『神の声』が何も聞こえないまま終わってしまう」

彼は必死に何か言おうとするが、どうにも知識が追いつかない。そこへ、側近と思しき巫女がそっと耳打ちしてきた。

「卑弥呼様、天の声はすでにお聞きになられたのですか?もしや、それは『今しばらく耐えよ』とのお告げでは?」

良一は巫女の言葉に救われた思いだった。「あ…ああ、それだ!」彼は巫女の言葉をなぞるように「今しばらく耐えよ」というお告げを繰り返した。すると村人たちは深く頷き、敬虔な面持ちでその言葉を受け入れたのだ。

「ああ、こうやって時にはうまく誤魔化して、祈りや予言を告げていたのかもしれないな…」

***

良一は数日の間、卑弥呼としての生活を続け、次第に村人たちとの交流の中で様々な役割や責任を理解するようになっていった。卑弥呼は単なる「神の声の伝達者」ではなく、戦争や村の争いを避けるための平和の象徴でもあった。民たちの間で起こる小さな争いを治め、自然災害が起こった際には「天の警告」として慎重に告げることで、人々を落ち着かせていた。

しかし、ある日、外部の部族が攻め込んでくるという報告が入った。村の兵士たちが集まり、どう対処すべきかを話し合う中、卑弥呼としての良一に決断が求められた。戦うべきか、撤退すべきか、あるいは和平交渉を持ちかけるか。だが当然、彼は古代の戦術にも外交手段にも詳しくない。

良一は少し考えた末、「まずは和平の使者を送るべきだ」と告げた。武力に訴えず、話し合いによる解決を望んだこの決断は、卑弥呼らしい平和的な対応だったのかもしれない。

***

日が経つにつれ、良一は卑弥呼としての立場に一層の重みを感じていた。ある晩、彼はふと神殿で一人、夜空を見上げながら思った。「俺がこうして平和を望む決断をしたことが、今後の村の未来にどう影響するんだろう?まさか、歴史に名前が残っている卑弥呼の決断が、こんなに苦しいものだとは…」

その晩、ふと意識が遠のき、再び目を開けた時には、見慣れた科学博物館の展示室に戻っていた。時計を見れば、わずか数分しか経っていない。だが、彼の心には確かに、長い時間を過ごしてきた記憶が残っていた。

***

家に帰った良一は、再び歴史の書物を手に取って「卑弥呼」の記述を読み返した。そして、歴史書に書かれた卑弥呼の平和への祈りの姿が、今までとはまるで違う意味で彼の胸に響いたのだ。

それからというもの、良一は仕事でリーダーシップを求められる場面でも、何か重要な決断をする際にはふと「卑弥呼ならどう判断しただろう」と考えるようになった。そして静かに、相手に安心感を与える決断をするよう心がけるようになったのだった。
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