上 下
3 / 83

第二次大戦回顧録 1942年 ミッドウェー海戦

しおりを挟む
 東京空襲はドゥーリトルではなドゥーロットだった。

 ルーズベルト大統領が言ったことは的を射ていた。
 空母ホーネットより発艦したドゥーリトル隊長以下B25爆撃機一六機による東京空襲は大きな成果を引き出した。
 彼等は四月一八日の午後に出撃し夜間の奇襲爆撃を行う予定だったが、朝に日本軍の哨戒艇に発見されてしまった。そのため予定より七時間も早い午前八時より爆撃機の発艦を始めた。足の短い艦載機による攻撃を想定していた日本軍は六〇〇浬以上の遠距離から攻撃を仕掛けてくるなど想定外であり、易々と東京空襲を許した。
 投下した爆弾の量は大した事は無かったが、それまで快進撃を続けていた日本軍に初めて有効な打撃、彼らの無敵神話へダメージを与えられた。
 爆撃機の多くは中国に不時着しもう一つの目的である中国への爆撃機配備という目的は果たせずドゥーリトルは軍法会議を覚悟していたが、東京空襲とい言う成果だけで、しかも予想外の時間と遠距離攻撃を行った上では最上の成果だった。
 投下した爆弾は各機五〇〇ポンド爆弾四発と物理的な打撃は殆ど無かったが精神的な打撃は大きかった。
 日本軍は進撃を止め、東京防衛の為に前線に送るべき戦力を守備に置き、インド洋で暴れていた南雲部隊を呼び戻し、あのミッドウェーへ向かわせる事を強いたのだ。
 さらに珊瑚海でも日本軍の暗号を解読した我々は機動部隊を待ち伏せ、軽空母一隻を撃沈、空母一隻を大破させた。我が方もレキシントンが撃沈され、ヨークタウンが大破したが、日本軍のポートモレスビー攻略を諦めさせた。
 そしてその後のミッドウェーにおいて我らの強力な同盟国であるアメリカは日本軍の侵攻を食い止めた。
 連合艦隊司令長官の山本は哨戒線を東方に広げ、本土の安全を守るために、更にハワイ攻略の橋頭堡としてミッドウェー攻略を考えていた。しかし、同時にアメリカ艦隊を引き寄せ撃滅するという目的を立ててしまった。
 一つの目的に集中しなければならない軍事上の鉄則を著しく損なっていた。
 更に陽動作戦として北方のアリューシャンへの侵攻計画も入れてしまい日本の連合艦隊が全力を参加させていても、ミッドウェーに向かう戦力は分散されてしまった。
 そして我々が日本軍の暗号を解読したことはまだバレてはいなかった。
 アメリカ海軍はミッドウェー侵攻を察知すると直ぐに機動部隊を派遣し待ち構えた。
 南雲は待ち伏せされていることを知らずにミッドウェーへ計画通り攻撃隊を発艦させた。
 予め攻撃を予期していたアメリカ軍は迎撃を開始、零戦に敗れるが対空火器の働きもあり基地は軽微な損害で済んだ。
 そのため南雲は万が一、アメリカ機動部隊が出現したときに対応するべく魚雷を積み込んでいた残りの艦載機部隊に兵装転換とミッドウェー空襲を命じた。
 その間にアメリカ軍は断続的にミッドウェーの航空隊が攻撃したがいずれも零戦によって撃墜されてしまった。
 だが、彼等の働きは無駄では無かった。南雲の部隊を混乱させることに成功した。更にその攻撃の最中、アメリカ機動部隊発見の報告まで入ってきた。
 この時の南雲の混乱はとてつもないことだっただろう。度重なる空襲の上に予想外の機動部隊の出現、兵装を転換してミッドウェーに向かおうとしている航空隊に、帰還する攻撃隊。
 何を優先するべきかどのような命令を下すべきか情報が錯綜して下せなかった。
 そのため南雲は山口提督の即時攻撃を却下し、攻撃隊を収容しその間に雷装に積み替えるという決断をしてしまう。
 しかしその結果は無残だった。
 攻撃隊が発艦しようとしたその時、ヨークタウンのSBDドーントレス艦爆一七機が赤城を襲った。
 低空から雷撃機が何度も来ていたため零戦も迎撃の為に低空に下りていた。そのため上空の警戒は薄く、ドーントレスが攻撃するまで、最初の一発が赤城に命中するまで南雲部隊の誰も攻撃に気が付かなかった。
 攻撃隊が発艦しようとしていたその時、攻撃隊の目の前の甲板に爆弾が落ちた。
 三発の爆弾は飛行甲板と発艦待機中の攻撃隊に命中し爆発を起こした。機体は機動部隊攻撃の為武器と燃料を満載していたため手の付けられない程の大火災を起こした。
 ドーントレスは全て赤城への攻撃に集中したために他の空母への攻撃は無かった。
 そのため、他の三空母は指揮権を継承した山口提督により攻撃隊を発艦させ、赤城の敵を取るべくアメリカ機動部隊へ向かった。
 そこへ、エンタープライズのドーントレス艦爆隊三二機が残った三隻の日本空母へ襲いかかった。
 エンタープライズ隊は、燃料切れで引き返す直前で南西に向かう駆逐艦嵐を発見し、その先に南雲機動部隊が居ると予測し追跡していた。
 しかし不幸なことに駆逐艦嵐は南雲機動部隊を攻撃したアメリカ潜水艦ノーチラスの潜望鏡を発見し撃退するために一時的に南西に向かっていただけだった。
 当然エンターブライズ隊の先に南雲機動部隊は居らず、引き返していたがその途上で南雲機動部隊を発見した。
 エンタープライズ隊は警戒していた日本軍の対空砲火を浴びながら攻撃を敢行した。
 我らが大英帝国海軍のダイドー級巡洋艦を真似して作った綾瀬級防空巡洋艦や満月型防空駆逐艦の対空弾幕を受け、半数を失いつつも爆弾を投下。加賀と蒼龍の二隻に被害を与えた。
 ハワイ奇襲以来、常勝無敵だった南雲機動部隊は一挙に三隻の空母を失ったのだ。
 しかし、彼等の反撃の矢は既に放たれていた。発艦した八一機の攻撃隊はアメリカ機動部隊に殺到しヨークタウンを攻撃した。
 強力な零戦二七機がヨークタウン上空の直掩機を撃墜し攻撃隊の道を開き殺到して行く。
 雷撃機九機と急降下爆撃機九機の同時攻撃をヨークタウンは受け爆弾三発と魚雷二発を受け大破した。
 それだけでも十分な成果だったが、攻撃隊の指揮官江草は冷静だった。
 これまで南雲機動部隊に来襲した雷撃機の数からアメリカ機動部隊の空母の数が三隻で有ることを確信していた。
 直ぐに周囲の索敵を命じると直ぐさま残りのエンタープライズとホーネットを発見。自ら攻撃に向かった。
 悪魔的な飛行で対空砲火を掻い潜った江草とその部下達はホーネットに連続して爆弾を投下し発艦能力を奪った。そしてエンタープライズも被弾させ発艦不能にする。
 こうして南雲機動部隊は三分の一の機体を失いつつもアメリカ軍機動部隊を無力化することに成功した。
 残った攻撃隊は空母飛龍に収容されると直ぐに第二次攻撃隊を編成し発艦させ、ホーネットに集中攻撃した。攻撃を受けたホーネットはよく耐えたが、やがて沈んだ。
 それでも山口は手を緩めること無く第三次攻撃隊を編成し出撃させるとヨークタウンを攻撃した。
 ヨークタウンは乗員の奮闘もあり、この攻撃に耐えた。だが、翌朝近辺を哨戒中だった日本軍の潜水艦による雷撃で沈んだ。
 南雲機動部隊は損害の大きさから、作戦を中止し無傷の飛龍と被害が少なく、元戦艦の防御力のため機関が無事だった加賀を残し、赤城と蒼龍を処分して撤退していった。 
 かくして太平洋戦争で転機となったミッドウェー海戦は終わった。
 アメリカ軍は空母一隻撃沈、二隻大破と引き換えに日本軍の空母二隻撃沈、一隻を大破させた。
 何より日本軍の侵攻を食い止めた意義は大きく、珊瑚海海戦の戦果を合わせ我々はようやく防衛戦を構築することが出来たのだった。
 しかし守ってばかりでは勝つことは出来ない。自ら攻めに行かねば勝利は掴めない。ウォッチタワー作戦はそのための試金石であり我らの反撃の狼煙であった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

架空世紀「30サンチ砲大和」―― 一二インチの牙を持つレバイアサン達 ――

葉山宗次郎
歴史・時代
1936年英国の涙ぐましい外交努力と  戦艦  主砲一二インチ以下、基準排水量五万トン以下とする などの変態的条項付与により第二次ロンドン海軍軍縮条約が日米英仏伊五カ国によって締結された世界。 世界は一時平和を享受できた。 だが、残念なことに史実通りに第二次世界大戦は勃発。 各国は戦闘状態に入った。 だが、軍縮条約により歪になった戦艦達はそのツケを払わされることになった。 さらに条約締結の過程で英国は日本への条約締結の交換条件として第二次日英同盟を提示。日本が締結したため、第二次世界大戦へ39年、最初から参戦することに そして条約により金剛代艦枠で早期建造された大和は英国の船団護衛のため北大西洋へ出撃した だが、ドイツでは通商破壊戦に出動するべくビスマルクが出撃準備を行っていた。 もしも第二次ロンドン海軍軍縮条約が英国案に英国面をプラスして締結されその後も様々な事件や出来事に影響を与えたという設定の架空戦記 ここに出撃 (注意) 作者がツイッターでフォローさんのコメントにインスピレーションが湧き出し妄想垂れ流しで出来た架空戦記です 誤字脱字、設定不備などの誤りは全て作者に起因します 予めご了承ください。

大日本帝国領ハワイから始まる太平洋戦争〜真珠湾攻撃?そんなの知りません!〜

雨宮 徹
歴史・時代
1898年アメリカはスペインと戦争に敗れる。本来、アメリカが支配下に置くはずだったハワイを、大日本帝国は手中に収めることに成功する。 そして、時は1941年。太平洋戦争が始まると、大日本帝国はハワイを起点に太平洋全域への攻撃を開始する。 これは、史実とは異なる太平洋戦争の物語。 主要登場人物……山本五十六、南雲忠一、井上成美 ※歴史考証は皆無です。中には現実性のない作戦もあります。ぶっ飛んだ物語をお楽しみください。 ※根本から史実と異なるため、艦隊の動き、編成などは史実と大きく異なります。 ※歴史初心者にも分かりやすいように、言葉などを現代風にしています。

GAME CHANGER 日本帝国1945からの逆襲

俊也
歴史・時代
時は1945年3月、敗色濃厚の日本軍。 今まさに沖縄に侵攻せんとする圧倒的戦力のアメリカ陸海軍を前に、日本の指導者達は若者達による航空機の自爆攻撃…特攻 で事態を打開しようとしていた。 「バカかお前ら、本当に戦争に勝つ気があるのか!?」 その男はただの学徒兵にも関わらず、平然とそう言い放ち特攻出撃を拒否した。 当初は困惑し怒り狂う日本海軍上層部であったが…!? 姉妹作「新訳 零戦戦記」共々宜しくお願い致します。 共に 第8回歴史時代小説参加しました!

ヴィクトリアンメイドは夕陽に素肌を晒す

矢木羽研
歴史・時代
カメラが普及し始めたヴィクトリア朝のイギリスにて。 はじめて写真のモデルになるメイドが、主人の言葉で次第に脱がされていき…… メイドと主の織りなす官能の世界です。

蒼海の碧血録

三笠 陣
歴史・時代
 一九四二年六月、ミッドウェー海戦において日本海軍は赤城、加賀、蒼龍を失うという大敗を喫した。  そして、その二ヶ月後の八月、アメリカ軍海兵隊が南太平洋ガダルカナル島へと上陸し、日米の新たな死闘の幕が切って落とされた。  熾烈なるガダルカナル攻防戦に、ついに日本海軍はある決断を下す。  戦艦大和。  日本海軍最強の戦艦が今、ガダルカナルへと向けて出撃する。  だが、対するアメリカ海軍もまたガダルカナルの日本軍飛行場を破壊すべく、最新鋭戦艦を出撃させていた。  ここに、ついに日米最強戦艦同士による砲撃戦の火蓋が切られることとなる。 (本作は「小説家になろう」様にて連載中の「蒼海決戦」シリーズを加筆修正したものです。予め、ご承知おき下さい。) ※表紙画像は、筆者が呉市海事歴史科学館(大和ミュージアム)にて撮影したものです。

神速艦隊

ypaaaaaaa
歴史・時代
「我々海軍は一度創成期の考えに立ち返るべきである」 八八艦隊計画が構想されていた大正3年に時の内閣総理大臣であった山本権兵衛のこの発言は海軍全体に激震を走らせた。これは八八艦隊を実質的に否定するものだったからだ。だが山本は海軍の重鎮でもあり八八艦隊計画はあえなく立ち消えとなった。そして山本の言葉通り海軍創成期に立ち返り改めて海軍が構想したのは高速性、速射性を兼ねそろえる高速戦艦並びに大型巡洋艦を1年にそれぞれ1隻づつ建造するという物だった。こうして日本海軍は高速艦隊への道をたどることになる… いつも通りこうなったらいいなという妄想を書き綴ったものです!楽しんで頂ければ幸いです!

戦争はただ冷酷に

航空戦艦信濃
歴史・時代
 1900年代、日露戦争の英雄達によって帝国陸海軍の教育は大きな変革を遂げた。戦術だけでなく戦略的な視点で、すべては偉大なる皇国の為に、徹底的に敵を叩き潰すための教育が行われた。その為なら、武士道を捨てることだって厭わない…  1931年、満州の荒野からこの教育の成果が世界に示される。

処理中です...