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(13) 月光 ――ムーンレイ――

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 夕刻をすぎ、黄昏が迫るころ、二人は紘也の部屋にいた。

 あれからさらに幾度もむつみあい、最後には疲れ果てて意識を手放した紘也を、悠太郎が二階にある紘也の部屋まで抱き上げて運び、介抱していたのだった。

 薄暗い部屋で目を覚ますと、紘也はパジャマを着せられ、ベッドに横になっていた。悠太郎がクローゼットからパジャマを探し出して、眠っている紘也に着せたようだ。悠太郎もベッドに腰掛け、かたわらで心配そうに紘也を見守っていた。

 悠太郎は紘也が目を開けたのに気付くと、毛布をそっとかけ直してやりながら、謝った。

「ごめん……。痛かっただろ。俺、無茶したから……。あそこから血が少し出てて、びっくりしてさ……。一応、消毒して手当てしたんだけど……大丈夫か? 辛くないか……?」

 悠太郎の膝の上には、自宅近くのドラッグストアのロゴの入ったレジ袋が置かれていた。紘也が傷ついているのに気付き、急いで薬を買って来たのだろう。

 紘也は、悠太郎が介抱してくれたことが嬉しかった。まだ痛みを感じていたが、それを隠し、微笑んでみせた。

「大丈夫だよ。もう、痛くないから……」

 悠太郎はほっと安堵のため息をもらすと、瞳をふせたまま、言った。

「俺、ちゃんと勉強するよ……。アメリカではこういうの、授業でわりと詳しく教わるんだ。だから知識だけはちゃんとあったんだけど、さすがに男同士のパターンには無知だったから……。傷をつけちゃって、ごめんな。もう、あんな乱暴なやりかたは、しないから……」

 紘也は息をのんだ。

「悠……初めてだったの?」

「うん、まぁ……」

 少し恥ずかしそうに答えた悠太郎に、紘也の胸は熱くなる。紘也はどこか、あきらめていた。『あいつ』と呼んだ誰かを、悠太郎はすでに抱いたことがあるに違いないと。

 自分にとって初めての体験は、悠太郎にとってもそうだったのだ。

 嬉しさで体が震える。照れ臭さを隠すため、紘也はわざと軽い口調で言った。

「さっきから、何回謝ってるんだよ? そんなに謝ること、ないよ。もとはと言えば俺が、眠り薬を使ってデートレイプまがいのことを仕掛けたんだから……」

「それでも、あんな手荒なことした俺の方が悪いよ……。何だか、もう夢中でさ。夢中で、何もかも忘れられたんだ……。自分でも、止められなかった。それに……また忘れさせて欲しいって、思ってる。やっぱり俺……とんでもない罰当たりだ。最低だよな。結局、お前を巻き込んでさ……」

 悠太郎は自己嫌悪に駆られたように、つぶやくような小さな声で打ち明けた。今さらのように、紘也は自分のしたことを悔いる。悠太郎を救いたいというのは、独りよがりの自己満足で、ただ、彼を手に入れたかっただけではないのか。彼は、自力で立ち直れたかも知れない。なのに罠を仕掛け、誘惑して体を奪い、その大切な思い出を汚した。その上、これからずっと、自分は悠太郎に嘘をつき続けるのだ。

 だが、これで良かったのだ。

 自らの手も汚れた。もし悠太郎に天罰が下るのなら、自分も一緒にその罰を受けることになるだろう。それにふさわしい、罪深い存在になった……いや、なれたのだと、紘也は思った。

「後悔しても、遅いよ。地獄行きなら、俺も一緒に行ってやる。望むところさ」

 冗談めかしてそう言うと、紘也は毛布をめくり、ゆっくりと起き上がる。それから悠太郎の隣に、そっと寄り添うように座った。

「ねぇ、こんどは泊まりに来てよ。親父が留守の週末に、また誘うからさ」

「うん……。でも、寮の外泊許可取るの、結構厳しいんだ。親戚の叔母さんに行くとか言って、アリバイ作るかなぁ」

 悠太郎はそう言いながら、ベッドのそばのチェストに置かれた目覚まし時計にちらりと目線をやる。淡いブルーのデジタルの表示が、19時15分を示してぼんやりと光っていた。あと少しで、悠太郎は寮に帰らなければならない。

 家に一人でいることには、もう慣れていたはずだった。だが悠太郎という愛しい存在を得て、その孤独を自覚してしまったのかも知れない。彼が帰ってしまったら、またこの広い家に、ひとりぼっちになる……。どうしようもない寂しさに襲われた紘也は、悠太郎の肩に頭をもたれさせた。そして、甘い声で彼にねだった。

「ぎゅっとして……。悠」

 本当は、悠太郎に口付けて欲しい。我を忘れるような激しいキスで、紘也も寂しさを忘れたかった。でも、悠太郎はそれを許してはくれないだろう。契約外だったからだ。悠太郎は、紘也をなだめるようにささやいた。

「ごめん、そろそろ帰らないと……」

「あと、五分だけでいいんだ。それから、帰って。ね、悠」

「解った。五分だけだぜ」

 悠太郎は優しく微笑むと、紘也をそっと抱き寄せ、その背中に腕をまわした。陽はとうに沈み、灯りをつけない部屋の中は闇に沈んでいる。ベッドに座って寄り添う二人のシルエットだけが、窓から差し込む蒼い月の光に浮かび上がっていた。

 深く抱きしめられた紘也は、悠太郎の肩に顔をうずめた。悠太郎からは見えないその大きな瞳に、いつしか涙が溢れてくる。思わずまばたきした長いまつげに、弾かれた小さな涙の粒が留まり、月光に照らされ水晶のようにきらめいた。


 いつか、自分は悠太郎にとってらない存在になるのだろうか。


 まるで、誰からもかえりみられないで消えていく、海の泡のように。


 悠太郎の、心の傷が癒えたとき?


 自分の、本当の気持ちを隠せなくなったとき?


 それとも、悠太郎が恐れず愛する勇気を持つ、他の誰かが現れたとき?


 そのときが怖かった。考えただけで、身がすくむほど、怖い。 


 でも、今だけは自分のものだ。


 紘也は悠太郎の胸の温もりを感じながら、瞳を閉じる。悠太郎に気付かれないように、背中にまわした腕をさりげなく緩めると、こぼれそうになった雫を人差し指でそっと拭った。

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