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君想う、心は開かずの箱のなか

第28話 箱を開ける

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    三

 十一月最初の金曜日。
 無事、三ツ橋家の祖父が退院出来たと連絡を受けた俺は、天神にメールを打つ。返ってきた言葉は、「承知」の二文字だった。
 以前に、このメッセージを受け取ったときは、苛立いらだちをわずかにも覚えたものだったが、彼の機械音痴ぶりを考えれば大きな進歩だと、最近では寛大かんだいな気持ちにさえなるようになっていた。

 翌日、土曜日。
 約束の十二時二分前にレトロ・アヴェに到着すると、既に見知った顔と三つの箱が揃っていた。
 俺は「待たせて、ごめん」とだけ言って、椅子を引いて天神の隣に座る。
 店主がメニュー表を持ってくる前に、声を軽く上げて「ホットコーヒーのオリジナルブレンドを」と頼む。そろそろ、「いつものを」と言っても伝わりそうだなと思いながら、ソファに座る三人に顔を向けた。

 最初に動いたのは三ツ橋咲工だった。おもむろに軽く腰を上げて、長財布をズボンから引き抜く。「やっぱり財布に入れていたのね」と軽口を叩く理桜は、あれから少し立ち直ったようで、ホッとした。

 彼が小銭入れから取り出した銀色のシンプルな鍵は小ぶりで、親指の先から第一関節くらいの長さしかなく、厚みは二ミリメートルにも満たないものだった。
 この大きさなら、小銭入れに収納しても邪魔にはならないだろう。

「楓貴、良いか?」
「もちろん」

 傷を付けないよう慎重に、咲工が鍵を穴に差し込む。カチンと小気味のいい音を鳴らした南京錠は、大人しく銀のツルを解放した。

「楓貴、開けてみろよ」
「……うん」

 緊張しているのか。わずかに手を震わせた楓貴が、逆さまになった赤銅色のクローバーの頂点に指を掛ける。
 金属の擦れる鈍い音を上げながら、留め具は外れた。

 A4のノートより一回り小さい蓋を両手で支えながらゆっくりと持ち上げた楓貴が、小さく息を呑む。咲工と理桜がたまらずに、箱の中を覗き込んだ。

「何だ、これ? 蓋に鏡が付いているだけの箱?」
「待って。底に何か貼り付けられているわ」

 二人に見守られ、楓貴が取り出したのは、透明なチャック付きの袋だった。十字に貼られていたのだろう白いテープは、ピロピロと頼りなげに泳ぐ。

 楓貴がそっと袋を開けてひっくり返すと、コロンと何かが彼の手のひらに落ちた。
 ワインレッドのリボンが結ばれた小文字のOに、カタカナのトを組み合わせたような形。鈍く銀色に光る小さなそれは、アンティークの鍵に見えなくもなかった。

「もしかして、理桜の鍵か?」
「たしかに、私の箱の鍵穴と同じ色だわ……」
「理桜ちゃん、試してみたら?」

 楓貴から鍵を受け取った理桜が、玉手箱のような漆塗りの箱の鍵穴に差し込んでみる。しかし、上手く入らないらしい。右に左にと、カチャカチャと金属音が忙しなく鳴る。「難しいわ」と言いながらも、諦めないこと時間にして十秒ほど。
 突然、カチッという音が俺の耳にも聞こえた。

「開いたの……?」

 戸惑いつつも重厚な蓋を開けた理桜は、すぐにその表情を明るくさせた。

「二段のジュエリーボックスだわ! とっても素敵」

 パッと理桜の瞳が輝く。それから恍惚こうこつとしたまま、ジュエリーボックスを開けたり、閉めたりを繰り返す彼女に、しびれを切らしたのは咲工だった。

「おい、理桜。おまえのにも、なんか入ってんじゃねーのかよ。みんな、おまえ待ちなんですけど?」
「あ、ごめんなさい」

 ハッとした表情で箱をじっくり覗き込んだ理桜は、四つに折りたたまれた紙を男に渡した。

「これしか見当たらなかったわ」

 いぶかしむように眉間に皺を寄せる咲工が紙を広げてみると、そこには箱の絵に数字と矢印が書かれてあった。

「は? これが鍵?」

 意味が分からないと首を傾げる咲工に、天神がさらりと口を挟む。

「手順書だね。ほぼ間違いなく、それが『秘密箱』を開けるための鍵だろう」
「まじで? たしかに、俺の箱に鍵穴はないけどよー。これ、数字と矢印しか書いてねぇんだけど」
「最後に書かれてある数字は、いくつだい?」
「あー、二十一?」
「ふむ。そこまで、難しいわけじゃない。ただし、一から二十一の工程を正しく踏まないと開かないから気を付けたまえよ」

 天神の言葉に目をく、咲工。
 理桜と楓貴は楽しそうに笑っている。
 俺と天神も、それこそ観客のように眺めているだけ。
 咲工が「じじいめ」と悪態をついたものの、それは口だけなのはすぐに分かった。

 それから、おおよそ三十分。
 コンコンと音の鳴る秘密箱が開くまでの間、天神は二杯目の紅茶を注文し、俺はぼんやりと咲工が苦戦する様を見ていた。


 疲労感と達成感が相交じる、「なんだ、これ?」という声で秘密箱が開いたことを知る。
 表面から不規則に飛び出した寄木細工のほどこされた板により、箱はやや傾いて不安定な状態になっていた。一番上の面がスライドされることによって、箱が開く仕組みなのだろう。裏返した蓋は、高さ数ミリほどの名刺サイズの出っ張りがあった。

 良く見えるようになった箱の中には、ベージュの麻袋。
 咲工がその袋の紐を解き、丁重に口を広げると、隙間なく埋められた白い緩衝材が現れる。それを退かしていくと、透明なチャック袋に入った黄金に光るコインが出てきた。

「コインチョコかな?」
「宝箱みたいだわ! お祖父様らしい、とてもロマンあふれる趣向ね」
「食えんのか、これ?」

 三者三様。
 彼らは、喜びとも呆れとも取れる面持ちをしていた。

「三ツ橋咲工くん。そのコインを一つ、見せてもらっても良いかい?」
「ん? ああ」

 咲工がコインを一枚摘まんで、天神の手のひらに乗せる。
 あまり見たことのないデザインだ。しっかり見たくて上半身を傾けて覗き込むと、カナダ、ゴールドという文字と共に楓の葉っぱが描かれているのが分かった。

「オーゼット? ああ、ozオンスのことか。随分と凝ってるな」

 俺の感想を無視して、白く筋張った指は丁重にコインをひっくり返す。年老いた女性の横顔が凜々しい。コインの上には、エリザベス二世。下に、五十ドルと刻印されていた。
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