はなのごはん

ユト

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二品目 夏野菜と鰻のジュレ

後編

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 女が最初に手を付けたのは、透明な筒に入ったジュレだった。
 透明な琥珀色と薄卵色。琥珀の空には緑の星と色とりどりの雲。半分だけ茶色い鰻が天女の衣のように、たなびいている。

 まるで夕暮れの砂漠みたいと思いながら、玲奈はスプーンを刺した。
 弾力はさほど無く、スッと切れ目が入る。
 具材が多いせいか、取り出したスプーンの上は小さな連峰のようだった。
 玲奈の小さな口に、スルリと飲み込まれていく、ジュレ。
 彼女の頬が動き、喉が鳴る。思わず持ち上がる口角。

「やばい……めっちゃ美味い。見た目と違って、全然しょっぱくない。えー、なんだろ、あっさりしてるのに、コクがあるって言うか。オクラのシャキシャキ感が楽しい! てか、パプリカとコーン、甘っ。ズッキーニも苦くないし、え、もう、全然いける!」

 女が感動する横で、男は無言で食べ続ける。
 彼のジュレはもう、三分の一程しか残っていなかった。

「鰻、甘―い! え、なんでこんなに甘いの? タレ? てか、雲でも食べたかなって思うほど、柔らかいんだけど。この鰻で米食べたい! 食べれないけど! あ、ねぇねぇ、その下のやつ、なんだった?」

 赤井は手元にある筒を覗き込む。無言。「ちょっと待って」というと、残りを口に放り込んだ。咀嚼をしたのかと不安になるほど、男の喉が素早く鳴る。

「……なんか、しょっぱいプリン?」
「は?」

 玲奈の目が点になった。

「え、プリン?」
「いや、プリンじゃないけど……」

 二人揃って首を傾げる。
 これは、自分で食べてみるしかない。
 そう判断した彼女は、スプーンを筒に深く刺し、丁寧に掬い上げてみた。
 ジュレよりも柔らかそうで、頼りない小山。
 唇をつければ、溶けるように口内へ消えた。

「茶碗蒸しじゃん。なによ、しょっぱいプリンって」

 脱力する玲奈。
 赤井は不思議そうに、「でも、プリンっぽいだろ?」と呟く。

「もおー、あり得ないんだけど。プリンは、茶碗蒸しとは別物……。あれ、でもどっちも卵で蒸してるから、ある意味似てる?」
「実質プリン」
「違うっつーの! あ、ちょっと、それは半分だからね! パックの蓋に、アタシの分もついで!」

 玲奈の視線は、赤井が抱え込んだリゾットに注がれている。

「これ、米だから……」
「お米だから?」
「ツワリ……」

 なぞなぞでも出されているのかと思うほどに、足りない言葉。けれども、そこは彼の妻。玲奈には、夫の言いたいことが理解出来たようだった。

「お米の匂いで、あたしが吐きそうにしてたから、心配してくれたの?」
「……あー、うん」

 微妙に、曖昧な返答。どうやら違うらしい。

「……もしかして、お米だから、自分が全部食べて良いと思った?」

 男の肩がビクリと跳ねる。こちらが、正解だったらしい。

「ダメに決まってんじゃん! アタシにも、食わせろー!」

 食器を置いて、両手をブンブンと上下に振る玲奈。
 妻が暴動を起こすと恐ろしい。それを身に染みて知っている赤井は、慌てて蓋に四分の一ほどついで渡した。
 満足そうに受け取った彼女は、スプーンと箸の前で睨めっこ。

「箸で食べるべき? いや、スプーン? スプーンで、いっか」

 一人呟く玲奈。
 新雪が降り積もったように少しでこぼこする丘に、銀を埋める。スプーンを持ち上げてみれば、細い糸となったチーズが伸びた。パクッと一口。

「んー、濃厚……! 冷たいからかな、すごい食べやすい。見た目ほどくどくないし、チーズっぽくないのが良い! 結構噛み応えあるから、満足感も高め。こしょうとか掛けて、味変するのもありかも。そう思わん?」

 と、横を見れば、男はパックごと、スプーンで口にかっ込んでいた。

「ウソでしょー?!」
「美味い」
「いや、美味いけどさぁ!」
「……足りない」

 それが、暗に南蛮を出せと言っているのだと、玲奈は気が付いた。が、敢えて無言の要求を無視する。

「卵焼きも美味しそうだよねぇ。そうそう、お米炊いてあるから、納豆と食べたら最高だと思うなー!」

 不満そうな顔をする男。
 対するは、こんなに美味しい惣菜を一晩で食べ尽くしたくない、女。
 絶対に譲れない戦いが、そこにはあった。が、勝ったのは玲奈だった。

「卵焼きとお米に、納豆だよ? 南蛮は、ちょぉっと合わないと思うなー? ちなみに、お米はめっちゃ炊いたから、大盛りし放題! そうそう、健太の好きなふりかけも買ってきたんだよね。欲しくない?」

 言葉巧みな誘導。かどうかは、さておき。男には、有効だったらしい。
 男は腰を上げて、食器棚から茶碗を取る。
 その隙に、女は卵焼きを三分の一ほど切り分け、リゾットを入れた蓋の横に置いた。

「弾力、やばっ。厚み、えぐっ。見て、健太。やばくない?」

 箸の間に挟まれた三センチメートルはありそうな、卵焼き。黄色に白い筋が流れるように入っている。それを、黒い箸がプニプニと押した。

「玲奈のよりも、厚い」
「わかる! さすが、プロだよねー」

 渦を巻く黄色は。小さな口へと消えていく。「んー!」と言って、幸せそうに噛みしめる玲奈。彼女の右手が頬を包む。

「ダシが利いてる! じわじわくる。やばい、じわじわ味が出てくるんだけど! うわ、後味に甘みが残るとか。もう芸術じゃん!」
「今日、良く食べるな?」
「だって、久しぶりに、こんなに美味いの食べれたんだもん! ああ、もう幸せ。ありがとう、健太。佐藤さんも、ありがとうございます!」

 律儀に礼を言いながら食べる妻に、赤井の頬も緩む。

「あー、美味しかった。ご馳走様!」

 箸を置き、手を合わせた彼女は腰を上げた。

「もう、良いのか?」
「うん! 早くシャワーを浴びて、吐く前に寝たい」
「お、おう」
「あ、ふりかけは、いつものとこにあるから、よろしく!」

 ささっと風呂場へと消える妻。
 呆気に取られるように見送り、茶碗大盛りの白米にふりかけをかけて食べていた男だったが、思い出したように「あっ、梨」と声を溢した。
 シャワーの水音が響いている。赤井の声は、もう聞こえないだろう。

「梨、剥いてみるか」

 バナナとミカン意外の果物を彼が剥いたことはない。だが、惣菜屋の店員から、ピーラーでも問題ないと教わった男は、試してみたいと思っていた。
 夫の頭の中に浮かぶのは、嬉しそうな妻の顔。
 彼は急いで残りを食べ終えると、ゆっくりと箸を置いて席を立った。


 <二品目『夏野菜と鰻のジュレ』 了>
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