上 下
21 / 55

21・物でつろうとしてみる

しおりを挟む
 イリーネはレルトラスの部屋の扉に向かって声を張った。

「ねぇ、レルトラスって好きなものって何? 私、これから出かけるし、おみやげに持って帰るよ。何がいい?」

 声も魔術の乱発の音も返ってこない。

 その沈黙が事実を語っている気がして、イリーネはふと、言いようのない寂しさを感じた。

(レルトラスには、何もないのか)

 イリーネがうつむいたその時、扉の奥から声が聞こえる。

「出かけるのなら旅装束で行くといい」

 思わぬ許可が出て、イリーネは勢いよく顔を上げた。

「いいの?」

「ああ。イリーネがエアの用意する服装を危険だと言っていた意味は、ようやくわかったからね。余計な虫どもが寄ってくるのは不愉快だし」

(虫なんか寄って来たっけ? なんのこと言いたいのかはよくわからないけど)

「いいならそうするよ。さ、エア。私の服返して!」

 イリーネは一人の外出や服装の自由という思わぬ制限の緩和に明るい声を出したが、エアは神妙な顔をして黙り込んでる。

「エア、聞いてる? 私の服、返して!」

 一回り大きな声で催促すると、エアはようやく気が付いた。

「あ、はい……。ただいま」

 エアは言われるまま服を取りに飛び立ったが、ふと振り返る。

 それからしばらく迷っていたが、言いにくそうにぽつりぽつりと言葉を零した。

「イリーネ様……あの、私はひとつだけ、レルトラス様の好きなものに思い当たったのですが……」

 それを聞いて、イリーネの表情がぱっと華やいだ。

「え、何だろう。高いの? それなら少しお金持っていこうかな。もし売っていなくても、盗って来れるものならそうするし、遠慮せずに言って!」

「いいえ、あの……」

 エアは何かを言いかけたたまま黙り込んだが、そのまま意味深に微笑む。

「すみません。やはり気のせいでした。イリーネ様がご無事に帰って来て下さるだけで十分ですね。それが一番レルトラス様も喜ばれますよ」

「言いかけてやめるの? そういうことされると、もやもやするんだよなぁ」

 イリーネは不満そうだったが、エアも答える素振りを見せない。

「さぁ、お召し物を準備しますね!」

 そう笑顔でかわして、イリーネの服を取りに飛び立った。



 *

 酒場の扉を開くと、染みついたヤニの匂いが充満している。

 昼下がり、まだ客がほとんどいないことを良しとして、カウンターでひとり手酌で飲んでいるやる気のない酒場の店主を確認すると、イリーネはまっすぐに向かった。

「あごひげ店主、ユヴィって名前の栄養管理士が昼間にいるって聞いたんだけど、来てない?」

 店主はイリーネに気づくと蓄えたひげを撫でながら、挨拶代わりににやりとした。

「ああ、イリー坊主か」

 店主はくすんだ色の染料で顔を汚した普段着のイリーネを少年だと思っているのか、いつも坊主と呼んでくる。

「久しぶり過ぎて、人さらいに遭っていたのかと心配してたぞ」

「そんなへましないよ」

「過信は良くねぇな。近ごろ物騒になって来てな。この領や隣のガロ領でも、身寄りのない者や体の弱いものが次々にいなくなる話を聞く。坊主も気をつけろ」

「ふぅん。そうする」

(確かに私、身寄りもいないし。身体も弱体化した所を悪魔に捕まったばかりだった。他人事じゃないな)

「そうそう。坊主の探しているユヴィならさっき来たばかりだ……ほら」

 店主は木製のテーブルが等間隔に並べられた店内の奥を指し示す。

 壁際に置かれたソファの上に、ひょろりと背の高い男が腕で顔をおおうように横たわっていた。

「あいつ、昼間の酒場で酔っぱらって……相当暇なの?」

「いや……ユヴィの奴、何しているのかは知らないけどいつも疲れていてな。客を待っている間は仮眠だって、暇さえあればああやって寝てるぞ」

(そういえば、シモナの体調に問題があるって言ってたっけ。大変なのかな)

 イリーネの浮かない表情に、店主は赤ら顔で再びグラスに注いだ酒を煽る。

「坊主、ユヴィはいつもああだ。用があるなら気にせず起こせ」

「そうするけど……あれで客なんてつくのかな」

「それは余計な心配だ。ああ見えて、ユヴィは人気あるぞ。気取ってないから男どもはくだらない話もできると言うし、女は親身に悩みを聞いてもらえるから相談しやすいってな」

「確かに、ユヴィはそういうとこあるかもね」


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

政略結婚の約束すら守ってもらえませんでした。

克全
恋愛
「カクヨム」と「小説家になろう」にも投稿しています。 「すまない、やっぱり君の事は抱けない」初夜のベットの中で、恋焦がれた初恋の人にそう言われてしまいました。私の心は砕け散ってしまいました。初恋の人が妹を愛していると知った時、妹が死んでしまって、政略結婚でいいから結婚して欲しいと言われた時、そして今。三度もの痛手に私の心は耐えられませんでした。

懐妊を告げずに家を出ます。最愛のあなた、どうかお幸せに。

梅雨の人
恋愛
最愛の夫、ブラッド。 あなたと共に、人生が終わるその時まで互いに慈しみ、愛情に溢れる時を過ごしていけると信じていた。 その時までは。 どうか、幸せになってね。 愛しい人。 さようなら。

王太子殿下の想い人が騎士団長だと知った私は、張り切って王太子殿下と婚約することにしました!

奏音 美都
恋愛
 ソリティア男爵令嬢である私、イリアは舞踏会場を離れてバルコニーで涼んでいると、そこに王太子殿下の逢引き現場を目撃してしまいました。  そのお相手は……ロワール騎士団長様でした。  あぁ、なんてことでしょう……  こんな、こんなのって……尊すぎますわ!!

愛することをやめたら、怒る必要もなくなりました。今さら私を愛する振りなんて、していただかなくても大丈夫です。

石河 翠
恋愛
貴族令嬢でありながら、家族に虐げられて育ったアイビー。彼女は社交界でも人気者の恋多き侯爵エリックに望まれて、彼の妻となった。 ひとなみに愛される生活を夢見たものの、彼が欲していたのは、夫に従順で、家の中を取り仕切る女主人のみ。先妻の子どもと仲良くできない彼女をエリックは疎み、なじる。 それでもエリックを愛し、結婚生活にしがみついていたアイビーだが、彼の子どもに言われたたった一言で心が折れてしまう。ところが、愛することを止めてしまえばその生活は以前よりも穏やかで心地いいものになっていて……。 愛することをやめた途端に愛を囁くようになったヒーローと、その愛をやんわりと拒むヒロインのお話。 この作品は他サイトにも投稿しております。 扉絵は、写真ACよりチョコラテさまの作品(写真ID 179331)をお借りしております。

最悪なお見合いと、執念の再会

当麻月菜
恋愛
伯爵令嬢のリシャーナ・エデュスは学生時代に、隣国の第七王子ガルドシア・フェ・エデュアーレから告白された。 しかし彼は留学期間限定の火遊び相手を求めていただけ。つまり、真剣に悩んだあの頃の自分は黒歴史。抹消したい過去だった。 それから一年後。リシャーナはお見合いをすることになった。 相手はエルディック・アラド。侯爵家の嫡男であり、かつてリシャーナに告白をしたクズ王子のお目付け役で、黒歴史を知るただ一人の人。 最低最悪なお見合い。でも、もう片方は執念の再会ーーの始まり始まり。

婚約者が王子に加担してザマァ婚約破棄したので父親の騎士団長様に責任をとって結婚してもらうことにしました

山田ジギタリス
恋愛
女騎士マリーゴールドには幼馴染で姉弟のように育った婚約者のマックスが居た。  でも、彼は王子の婚約破棄劇の当事者の一人となってしまい、婚約は解消されてしまう。  そこで息子のやらかしは親の責任と婚約者の父親で騎士団長のアレックスに妻にしてくれと頼む。  長いこと男やもめで女っ気のなかったアレックスはぐいぐい来るマリーゴールドに推されっぱなしだけど、先輩騎士でもあるマリーゴールドの母親は一筋縄でいかなくて。 脳筋イノシシ娘の猪突猛進劇です、 「ザマァされるはずのヒロインに転生してしまった」 「なりすましヒロインの娘」 と同じ世界です。 このお話は小説家になろうにも投稿しています

とまどいの花嫁は、夫から逃げられない

椎名さえら
恋愛
エラは、親が決めた婚約者からずっと冷淡に扱われ 初夜、夫は愛人の家へと行った。 戦争が起こり、夫は戦地へと赴いた。 「無事に戻ってきたら、お前とは離婚する」 と言い置いて。 やっと戦争が終わった後、エラのもとへ戻ってきた夫に 彼女は強い違和感を感じる。 夫はすっかり改心し、エラとは離婚しないと言い張り 突然彼女を溺愛し始めたからだ ______________________ ✴︎舞台のイメージはイギリス近代(ゆるゆる設定) ✴︎誤字脱字は優しくスルーしていただけると幸いです ✴︎なろうさんにも投稿しています 私の勝手なBGMは、懐かしすぎるけど鬼束ちひろ『月光』←名曲すぎ

私をもう愛していないなら。

水垣するめ
恋愛
 その衝撃的な場面を見たのは、何気ない日の夕方だった。  空は赤く染まって、街の建物を照らしていた。  私は実家の伯爵家からの呼び出しを受けて、その帰路についている時だった。  街中を、私の夫であるアイクが歩いていた。  見知った女性と一緒に。  私の友人である、男爵家ジェーン・バーカーと。 「え?」  思わず私は声をあげた。  なぜ二人が一緒に歩いているのだろう。  二人に接点は無いはずだ。  会ったのだって、私がジェーンをお茶会で家に呼んだ時に、一度顔を合わせただけだ。  それが、何故?  ジェーンと歩くアイクは、どこかいつもよりも楽しげな表情を浮かべてながら、ジェーンと言葉を交わしていた。  結婚してから一年経って、次第に見なくなった顔だ。  私の胸の内に不安が湧いてくる。 (駄目よ。簡単に夫を疑うなんて。きっと二人はいつの間にか友人になっただけ──)  その瞬間。  二人は手を繋いで。  キスをした。 「──」  言葉にならない声が漏れた。  胸の中の不安は確かな形となって、目の前に現れた。  ──アイクは浮気していた。

処理中です...