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62 似て非なるふたり

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 閃光で目がくらんでいても、剣先が向けられる気配を感じる。

「マイア王女、リシェラになにをした」

 わたくしを突き刺すような、いつになく鋭い声。
 彼は間違いなくセレイブ様だ。
 でも彼からコーヒーの香りがしない。

 いや違う、彼だけではない。
 室内は相変わらず薬と毒であふれている。
 わたくし自身にも、ケルゲオの根で作った香水を存分にふりかけた。

 でも今までのすべてを喪失したように、わたくしの鼻はなにも嗅ぎ取れなかった。
 その意味に気づき、身体の底から震えが這い上がってくる。
 
「まさかリシェラ、あなた……」

 でも、そ、そんな……まさか。
 嫌だ、それだけは許して……嘘よ嘘よこんなの嘘に決まっている!
 そう言い聞かせても、乾いた喉からは恐怖が声となって漏れる。

「あ、ああっ……ぅあああっ……!」

 どんなに否定しても、現実は変わらない。
 わたくしはようやく、自分の身に起こった絶望を知った。



 ◇

「鼻がっ、鼻があああっ!!」

 マイア王女は顔を両手で抑えながら、正気を失ったように叫び続けています。
 視力は戻っているはずです。
 でも彼女は床に置かれた調合素材を踏みつけ、薬の瓶をあちこちに転がし、部屋を荒らしながら這いずり回っています。

「ああっ、うあああっ、鼻があぁぁぁ!!」

 私を守るように立ちはだかっていたセレイブ様は、マイア王女に突きつけていた剣を収め、振り返りました。

「ジンジャーからリシェラが『離宮にいない人物の元へ行っている』と伝言を受け慌てて来たが……マイア王女になにがあった?」

「もう薬師として活動できないように、嗅覚を奪いました」

 良い匂いは食事を味わい深いものにしてくれる、すばらしい力です。
 私はそんな幸せを奪ってでも、マイア王女の嗅覚を消しました。
 もし彼女が万が一逃げ出したとしても、ミュナを実験道具にしようと狙う意味がなくなるからです。

「そうか。リシェラは嗅覚を得る魔法を使えるのだから、その逆に嗅覚も消せたのか」

「嗅覚を失う魔法の方が簡単なんです。ただしその場合、嗅覚は永遠に戻りません」

「嫌っ、嫌ああっ! これではケルゲオの匂いがわからない! 誰か、誰かわたくしを助けてっ!!」

 マイア王女は癇癪を起こし、わめき続けています。
 私は彼女のそばに歩み寄りました。

「リシェラ、お願いよ助けて! わたくしは変化薬を作らなければいけないの! 醜いせいで、誰にも愛してもらえないものっ!!」

「でも、ネスト公爵が教えてくれました。シャーロット王女は、マイア王女を愛していたと。マイア王女は、そんなシャーロット王女を愛そうとしましたか?」

 マイア王女の叫びがピタリと止みました。
 そして戸惑うように顔を歪めています。

「わたくしは、シャーロットを……」

「シャーロット王女だけはいつだって、愛するマイア王女に手を差し伸べていたはずです。でもその手を払い続けたのは、愛を望んでいるはずのあなたではありませんか?」

 マイア王女の頭から、かぶっていたカボチャの器が落ちました。
 隠し続けていた猫耳も尻尾も丸出しになり、散乱する部屋に呆然とする姿は、やりたい放題の仮装パーティーを終えた後のようです。
 マイア王女は床に崩れ落ちたまま、もう騒ぎませんでした。

「なによりリシェラ、君が無事で良かった」

 セレイブ様は私の手を引いてマイア王女から離れると、本音を漏らすようにつぶやきました。

「リシェラまで兄のように突然行方をくらませてしまうのではないかと思うと……君に会うまで心穏やかではいられなかった」

「セレイブ様、ご心配をおかけしましたが、私は大丈夫です。それにここに来て良かったと思います。セレイブ様に聞いてもらいたいことがあるんです」

「俺に?」

「はい。セレイブ様はもちろん、お義父様やお義母様、お義姉様にもお伝えしたいことです」

 オスカー様の失踪から不可解な死という出来事を経て、ご家族の方は自責の念にも似たわだかまりを抱えていたはずです。
 私はマイア王女と話してわかったこと、オスカー様の失踪やミュナの母親についてセレイブ様に伝えました。

「そうか、兄は最期まで彼らしいな」

 マイア王女がオスカー様にした非道な行為は、ご家族の方が納得できるものではありません。
 でも彼になにが起こったのか。
 そしてオスカー様が愛する人と再会し、ミュナを守り続けた事実を知ることは、意味があると思うのです。

「もしかしてリシェラは残された俺たちのために、こんな臭……危険な思いをしてまで、事実を明かしてくれたのか」

「はい。私はセレイブ様の妻ですから!」

 私はくるりと横に一回転すると幼女ではなく、いつもの身長に戻ります。
 そして両手を広げると、大切な旦那様を支えたいという思いを込めて抱きしめました。

「オスカー様はマイア王女ではなく、セレイブ様を信じてミュナを託したんです!」

 セレイブ様の兄を失った悲しみが消えるわけではありません。
 でも私を見下ろすその表情に、どこかホッとしたような笑顔が浮かびました。

「ところでリシェラ、ローブの着丈が膝上になったようだが」

「そうですね。ミュナの身長ではブカブカでも、元に戻ったら予想以上の変な丈に……」

「変ではない。ただリシェラのきれいな脚を他の者に見せるつもりはないな」

 セレイブ様は外套をさっと脱ぐと、私の肩にかけてくれました。
 私には大きく丈も長いため、脚はしっかり隠れます。
 それにこの上着……とても良い香りがします!

 その後扉が開いて聖騎士様が到着すると、マイア王女は無事に拘束されました。
 彼はジンジャーに乗って来たのですが、犬にはこの塔に立ち込める数多の悪臭が過酷すぎるため、外で見張りをしているそうです。

 私はさっそく、塔で起こったことについて聖騎士様に報告しました。

「リシェラ様、再三のご協力ありがとうございます。おかげで離宮から姿を消したマイア王女の所在を、すぐにつかむことができました。後はお任せください」

 他の聖騎士が到着次第、マイア王女は国際監獄に収容されます。
 それまでジンジャーは聖騎士団のお手伝いを続けることになりました。
 そういえばセレイブ様が私を迎えに来てくれたとき、塔の最上階の大窓から単身で飛び込むなんて豪快すぎましたが、あれはどんなトリックなのでしょう。

「リシェラ、俺たちはミュナの元へ戻ろう」

「でもジンジャーがいないのに、どうやって移動するのですか?」

「それは説明するより乗った方が早い。行こう」

 セレイブ様は私を横抱きにすると、塔の大窓からためらいもなく飛び降ります。
 足元に巨大な影が横切ったかと思うと、私たちは紅蓮の飛竜の背に乗っていました。

「セレイブ様はこの飛竜に乗って、塔の最上階の大窓から迎えに来てくれたのですね!」

「そういうことだ」

 セレイブ様は私を抱きかかえるように前に座らせてから、慣れた様子で手綱を握ります。

「こいつは俺が聖騎士時代のころからいるベテランの騎竜だ。手荒な飛行はしない」

 その言葉の通り、巨大な騎竜の飛行は安定しているのに速く、一直線に北へと突き進みはじめました。
 春めいていた景色が逆戻りするかのように、少しずつ雪景色に近づいていきます。

「不思議です。ぜんぜん寒くありません」

「この飛竜は魔法で周辺の大気を温めることができるんだ」

 やがて銀色に飾られた広大な針葉樹林が見えてきます。
 私はブリザーイェットで暮らしていた懐かしさとともに、幼いころに作った雪だるまを思い出しました。

「セレイブ様、私とマイア王女は似ている気がしませんか?」

「いや、まったく。似ている要素が見当たらない」

「そうでしょうか……。私も彼女のように、愛してほしいと願ったことがあります」

 幼い私は自分より大きな雪だるまを父に見てほしくて、話しかけるチャンスが欲しくて、毎日のように彼を待っていたのです。
 でも彼が愛人の元から帰って来る前に、雪だるまは溶けてなくなりました。

 その後父が戻ってくると、私ははじめて呼び出しを受けました。
 嬉しくて嬉しくて急いで向かうと、マリスヒル伯爵の養女になることを命じられたのです。

「もしかして私も道を間違えば、マイア王女と同じことをしていたのかもしれません」

「それはないな」

「どうして断言できるんですか?」

「当然だろう。君はミュナを使い捨ての道具のように扱ったりしない」

「……そうですね」

 セレイブ様の言葉に納得しました。
 私はなにがあっても、ミュナにあんなことをしません。

「それに私、ケルゲオの根の香水なんて絶対につけませんから!」

 銀に輝く雪景色の針葉樹林を抜けると、懐かしいブリザーイェット侯爵の邸宅が現れました。
 でも飛竜が降り立つ様子はありません。
 私たちは風を受けながら、青い空を突き抜けていきます。

「セレイブ様! ミュナのいる邸館を過ぎて……」

「わかっている。でもその前に、リシェラに俺の願いを叶えてもらう」

「あっ、私の提案した取引ですね!」

 いよいよセレイブ様との取引の約束を果たすときが来ました。
 でもどこへ向かっているのでしょうか。
 そこで私はセレイブ様のどんな願いを叶えることになるのか……やはり想像もつきません。

「セレイブ様、あれは!」

 不意に現れた前方の光景に、私は目を疑いました。


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