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31 私の過去

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 ライハント王子は必死な様子で革張りのトランクをテーブルに載せ、俺の前で開いてみせる。
 その輝く黄金色の山を見せつけて、得意げな顔をした。

「セレイブ、おまえはリシェラが獣と話せると知って結婚した。つまり彼女の力を利用して莫大な富を生み出そうとしているということは、俺の類まれな推理力で判明しているんだ。どうせ金稼ぎがしたいのだろう?」

 ライハント王子は俺の話を聞いていなかったらしい。
 だがリシェラの愛らしさすら理解できないのだから、つまりなにも理解できないのと同義だろう。

「だいたいセレイブはモテるから、リシェラではなくても他にいい女が選び放題だろう? それにリシェラと俺は親しい幼なじみだから、彼女がマリスヒル伯爵家にいたころも会っていた。互いに気心も知れている」

「……親しい幼なじみだから、マリスヒル伯爵家にいたリシェラと会っていた?」

「ああそうだ。リシェラは伯爵一家から邪険にされ使用人以下の扱いを受けていたから、やさしい俺と会えるときは喜んでいたに決まっている。どうだセレイブ、欲しい物があるのなら用意してやるから、リシェラを俺に引き渡し――」

 目の前で広げられた金貨の山に、俺は拳を叩き込む。
 室内に強烈な衝突音が響き渡った。

「ひっ!?」

「おまえがやさしい? ふざけるな」

 殴りつけた衝撃で、用意された金貨は歪んで飛び散る。
 降り注ぐ金の雨を受けたライハント王子は、悲鳴を上げながら腰を抜かした。
 俺は彼を見下ろしたまま、手の感覚が麻痺するほど拳を握りしめる。

「リシェラのマリスヒル伯爵家での扱いを知って、なぜ見ないふりができた?」

 俺の声は自分でも恐ろしいくらい殺気をはらんでいる。
 俺と会ったとき、リシェラはボロボロの服と壊れた靴、それ以外なにも持たずに逃げていた。

「いいか害虫。金輪際リシェラに私的な理由で関わるな」

「な……なな」

 青ざめたライハント王子は、ろれつが回らないほど震えている。
 その下腹部が恐怖で濡れていくと、ますます冷ややかな感情がわきあがった。
 リシェラがマリスヒル伯爵家で過ごした冷遇は、この程度の痛みではない。

「覚えておけ。例外として公的な用件がある場合のみ、連絡を許可する。その場合は必ず俺を通せ」

「だ、だだだれにむかって命令ひて……おれはお、王子、」

「おまえは害虫だと言っている。麗しい花のような妻に寄る害虫を駆除するのは、夫としての責務だ」

 血がにじむほど握りしめていた手を開くと、ひしゃげた金貨が鈍い音を立てて床に落ちた。
 ライハント王子は蒼白な顔色で戦慄していたが、構わず忠告する。

「見ればわかるが、この金貨は鉛で作られた偽物だ。そんな初歩的な詐欺に引っかかるような身分で、リシェラの幼なじみを名乗るな」

 俺は散らばった偽造金貨を踏みつけ、ライハント王子が漏らしたものを避けて横切る。
 応接間を出ようとすると扉が開き、現れた老執事のハロルドが意味深な笑顔を向けてきた。

「セレイブ様、リシェラ奥様に男性の幼なじみがいたことを気にしているのですね」

「いや、ぜんぜんまったくなにも気にしていないが」

 ハロルドは手際よくライハント王子用の着替えを持っていた。
 ただ布おむつまで用意しているのは、どう考えてもやさしさではないだろう。





 ◇

 私が住み込みのお仕事を得てから――セレイブ様の一年契約の妻になって、ミュナの通訳係をはじめて――半月ほどが過ぎました。
 来たばかりのころにあった日陰の残雪も溶けて、ロアフ辺境伯領には春が訪れています。

 セレイブ様はお仕事で忙しくしていますが、今日は久々のお休みです。
 お義父様から頼まれていた書類をまとめるのはすぐ終わると言っていましたが、意外とてこずっているのでしょうか。
 または突然の来客があって、お相手をしているのかもしれません。

 そう思っても、私は新居のそばにある白い鳥かごのような屋外休憩所ガゼボの周囲を回りながら、ソワソワしていました。
 お昼も残さず食べたので、お腹が空いているわけではありません。

 ここは新居の裏口から近いのです。
 だからようやく休日を迎えたセレイブ様が私の秘密の計画を調べに来るとすれば、きっとここを通るはずです。
 それでつい、待ち伏せしてしまいました。

 私はセレイブ様に秘密の計画を明かして、早くいろいろなことをお話ししたいのです。
 私とミュナは使用人たちやジンジャー、それに敷地内で会った動物たちにも協力してもらいながら、予定していた作業をかなり進めていますから。
 きっと驚いてくれます!

 新居の裏口の扉が開いて、予想通りセレイブ様が現れました。
 相変わらずの長身で、銀髪碧眼のお姿は遠目から見ても素敵です。
 ただどことなく、元気がないように感じました。

「リシェラ、そこにいたのか。夕食のリクエストはしたのか?」

「今日は料理長のオススメにしました」

 話すといつも通りのようですし、元気がないと感じたのは気のせいかもしれません。
 セレイブ様は引き寄せられるように私のそばへ来ると、まじまじと見つめてきます。

「リシェラ、その姿は……」

「あっ、そうです。セレイブ様は私のこの姿をはじめて見たのですね!」

 風通しの良い麦わら帽子に珊瑚色のつなぎを着た私は、つい嬉しくてくるりと回ってほほえみました。

「セレイブ様にお願いした、外遊びをして汚れてもいいように動きやすいお洋服を用意しました! ミュナとおそろいです!」

「そうか……君は本当に綺麗だな。なにを着てもよく似合う」

 セレイブ様は麦わら帽子のつばを少し上げると、じっと私のことを見つめてきます。

「君は昔からこんなにかわいく笑うのか?」

「? はい、多分そうですけど……」

「どんなことをして、どんながことが好きだった?」

「えと、お散歩をして、野生の動物たちを見つけるのが好きでした」

「幼いころよく一緒に遊んだ者はいるのか?」

「それはもちろん、お母様の侍女だったヘレンです!」

 私はお母様を亡くしたあとも、父や後妻のハリエット夫人との交流を望めませんでした。
 でも良き理解者であるヘレンがいてくれたおかげで、穏やかな日々を送ることができました。
 ただ……。

「本当は異母弟のフレディとも遊びたかったんです。フレディは私を見かけると、にこっと笑って追いかけてくるかわいい弟でした。でもハリエット夫人が私とフレディの接触を避けていたので、私はフレディに手を振って逃げるばかりで……」

 私はハッとして口元に手を当てました。

「すみません。私のことばかりペラペラと喋ってしまって」

「いや。俺の知らないリシェラのことを知りたかったから、聞かせて欲しい。君の心は昔から変わらず、そのやさしさを宿していたようだ。なにより過去の思い出に自称幼なじみがまったく登場しないことは清々しい」

「自称幼なじみ?」

「いやこっちの話だ。そんなヤツのことは永遠に記憶から葬り去ると良い」

「は、はい」

 それは誰のことかわかりませんが、セレイブ様にそう勧められたので、私の自称幼なじみを永遠に記憶から葬り去ろうと思います。

「リシェラ、俺は君のことが知りたい」

 セレイブ様は片腕で私をそっと抱き寄せてきます。

「どんなことでもいい。俺には知ることのできない君の過去を教えてくれ」

「私の過去ですか? そうですね……秋には栗を取ってよく食べました」

「他には?」

「イチジクも甘くて好きでした」

「他には?」

「ひまわりの種を食べすぎて、お腹がぽっこり出たこともあります」

「他には?」

「ぶどうを干してレーズンを作るのに一時期ハマりました」

「他には?」

 セレイブ様……いつもと様子が違います。
 妻ですから、こんなにそばで食べ物の話をしていれば旦那様のことはわかります。
 大切な旦那様に元気になって欲しいのですが、なにかいい方法は……あっ!

「そうですセレイブ様、こっちに来てください!」

 もしかすると秘密の計画を明かすのは、今が最良のタイミングではないでしょうか?


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