上 下
29 / 30

29・待っていたのは

しおりを挟む
「俺は知っているんだ。毎年毎年、綾子が娘に会いに行きそびれて、孫に買った女の子の服がたんすに増えていったこと。綾子、いつも空回りだって自分で言ってた」

「『おばあちゃんなんて名乗れるとは思えないほど、私には子供じみたところがあるのです。』」

 私の言葉に聞き覚えがあるのか、冬霧から無言の驚きが伝わって来たので補足する。

「私宛のおばあちゃんの手紙に、そう書いてあったんだ。おばあちゃんは思ったままに行動して、あとで失敗したなって気づくのが悩みなんだって。冬霧の言った通り、おばあちゃんって私にそっくりだったから……本当、笑っちゃう」

「うみ……」

「おばあちゃんはね、自分のしたことで人が去っていったことに気づいていたんだよ。だからかわいい狐が縁側にやってくるようになった話、私にたくさん書いてくれた。自分のしたことで冬霧が来るようになったから、特別嬉しかったのかもね」

 冬霧のさざ波のようなざわめきの感情が流れてきて、私の心を震わせる。

 いつもは私のためにひたすら感情を閉ざしている冬霧が、おばあちゃんへの思いで揺れている。

 私は緊張をほぐすように、しっかりと息を吸う。

 冬霧が望む内容ではなくても、もう私たちの間に隠しごとはいらない気がした。

「冬霧。私、ずっと隠してきたけど。おばあちゃんにはね、もう会えないんだ」

「うん。知ってる」

 あっさりとした冬霧の返事に、私は聞き間違いかと耳を疑う。

「今、知ってるって……言った?」

「うん、言った。綾子が帰ってこないこと、俺は知ってるよ。だって綾子が出かけてから、いろんな人が来たから。隠れて話を聞いているうちに、だいたいわかった」

 だけどそれだと、冬霧があやかしになった原因がわからない。

「冬霧、おばあちゃんが帰ってこないから、ずっと待っていたんじゃないの?」

「あれ。会ったときに話したと思うけど、俺は留守番していたんだよ。俺、綾子から孫の話を聞いて、ずっと考えていたんだ、うみのこと」

「……私?」

「そうだよ。うみが来てくれたらいいなって、会いたいなって。俺はうみを待っていたんだ。綾子の代わりに」

 瞬きもせず、私は板の間のかたい感触に横たわったままだった。

 考えもつかなかった、私へ寄せられていた冬霧の思いに、じりじりと胸が焦げ付くように苦しい。

 出会ってから今までのこと全部、私に対して冬霧のしてくれたことに、こんな意味があったなんて。

「じゃあ……私と初めて会った日の、冬霧の悲しい気持ちは……」

 そうやって言葉にしているうちに、私の中で事実がつながっていく。

 出会った日の夜に起こったあの溺れるような冬霧の感情は、お父さんもお母さんもいなくなって、たった一人やってきた私へのものだったのだとしたら。

「冬霧はおばあちゃんの代わりに、私のことをずっと心配していてくれたの?」

「それは代わりじゃない。俺が勝手に気にしていた」

 冬霧は珍しく、恥ずかしそうに声をひそめる。

「綾子が気にしていた孫に会えば俺の不安も吹き飛んで、そばで守ってあげられると思ってた。でも俺、知らなかったんだ。会ったら余計、心配になるなんて。綾子の気持ち、少しわかった」

 私宛の手紙には、お母さんに対して厳しくし過ぎたという、おばあちゃんの後悔が綴られていた。

 でもおばあちゃんは一生懸命で、必死で、お母さんを本当に大切に思っていて、それがきっとうまくいかなくなっていて。

 そのことに気づいて私に手紙を書いてくれた頃には、長い年月が経っていた。

 板の間に寝そべったまま、私の目じりから涙が落ちる。

「悲しいね」

「うん」

「だけど、それだけじゃない。そういうことがたくさん重なって、私、冬霧に会えた」

 おばあちゃんのこと、わたしのこと、料理に菜園、ワンちゃんのこと……。

 数えきれない思い出がよみがえって来て、胸が疼く。

「冬霧、ありがとう」

 唐突に、冬霧は横たわっていた板の間から勢いよく起き上がった。

「うみ……だけど俺、心配事がなくなったらきっと、元の姿に……」

「わかってる。私はだいじょうぶだよ」

 いつか去っていく冬霧を安心させたくて、私はできるだけ明るく言いながら体を起こして、冬霧にまっすぐ向き合う。

 目が合うと、私は胸を打たれたように息を止めた。

 冬霧の満月のような瞳の中には、今にもこぼれてしまいそうな液体が揺れている。

 別れの予感に、冬霧の濡れた心が侵入してくる。

 喪失感に心を奪われかけて、私は思わず裏庭に顔を向けると、ワンちゃんみたいに涙をぬぐった。

 別れたいわけじゃない。

 だけど私は、心配してもらうことで冬霧を拘束し続けたくもない。

 おばあちゃんだって教えてくれた。

 縛り付けるだけでは、心が離れてしまうこと。

「私だって冬霧がいないとさみしいよ。だけどね、きっとそれは私だけじゃないから。ね、冬霧」

 返事がない。

 不安になって目を向けると、見たことのない冬霧がいた。

 なにも言わずにうつむいていて、まばたきを繰り返す長いまつげから押し出されるように、澄んだ雫がほろりほろりと落ちていた。

 泣いているのは、いつも私だったけど。

 今日くらいは私が笑って励まして、安心して欲しかった。

「冬霧が私のこと心配だったら、ずっとそばにいてよ。だけどね、私だってずっと、あやかしの気持ちにおびえたままの子どもじゃないから。冬霧が一緒に乗り越えてくれたから。私はだいじょうぶだよ」

「うみ、やめてよ。そんなこと言われたら……あやかしでいる俺の意味がほどけて、そのうち……」

「冬霧が去っていく日はきっと、私のことをだいじょうぶだって信じてくれたときだと思うから。そのときは私、ようやく冬霧を安心させられて、一人前になったんだって胸張るよ」

 残していく者の気持ちを、私はまだ知らないけれど。

 いつも私のために感情を押し殺していた冬霧から滑り込んでくる今の気持ちを、きっと忘れない。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

連れ子が中学生に成長して胸が膨らむ・・・1人での快感にも目覚て恥ずかしそうにベッドの上で寝る

マッキーの世界
大衆娯楽
連れ子が成長し、中学生になった。 思春期ということもあり、反抗的な態度をとられる。 だが、そんな反抗的な表情も妙に俺の心を捉えて離さない。 「ああ、抱きたい・・・」

あなたの子ですが、内緒で育てます

椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」  突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。  夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。  私は強くなることを決意する。 「この子は私が育てます!」  お腹にいる子供は王の子。  王の子だけが不思議な力を持つ。  私は育った子供を連れて王宮へ戻る。  ――そして、私を追い出したことを後悔してください。 ※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ ※他サイト様でも掲載しております。 ※hotランキング1位&エールありがとうございます!

【完結】捨ててください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
ずっと貴方の側にいた。 でも、あの人と再会してから貴方は私ではなく、あの人を見つめるようになった。 分かっている。 貴方は私の事を愛していない。 私は貴方の側にいるだけで良かったのに。 貴方が、あの人の側へ行きたいと悩んでいる事が私に伝わってくる。 もういいの。 ありがとう貴方。 もう私の事は、、、 捨ててください。 続編投稿しました。 初回完結6月25日 第2回目完結7月18日

結婚前の彼の浮気相手がもう身籠っているってどういうこと?

ヘロディア
恋愛
一歳年上の恋人にプロポーズをされた主人公。 いよいよ結婚できる…と思っていたそのとき、彼女の家にお腹の大きくなった女性が現れた。 そして彼女は、彼との間に子どもができたと話し始めて、恋人と別れるように迫る。

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

側室は…私に子ができない場合のみだったのでは?

ヘロディア
恋愛
王子の妻である主人公。夫を誰よりも深く愛していた。子供もできて円満な家庭だったが、ある日王子は側室を持ちたいと言い出し…

【完結】忘れてください

仲 奈華 (nakanaka)
恋愛
愛していた。 貴方はそうでないと知りながら、私は貴方だけを愛していた。 夫の恋人に子供ができたと教えられても、私は貴方との未来を信じていたのに。 貴方から離婚届を渡されて、私の心は粉々に砕け散った。 もういいの。 私は貴方を解放する覚悟を決めた。 貴方が気づいていない小さな鼓動を守りながら、ここを離れます。 私の事は忘れてください。 ※6月26日初回完結  7月12日2回目完結しました。 お読みいただきありがとうございます。

お父さん!義父を介護しに行ったら押し倒されてしまったけど・・・

マッキーの世界
大衆娯楽
今年で64歳になる義父が体調を崩したので、実家へ介護に行くことになりました。 「お父さん、大丈夫ですか?」 「自分ではちょっと起きれそうにないんだ」 「じゃあ私が

処理中です...