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18・飼い主
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「あ、うみ。あの公園じゃない?」
いつの間にか賑わいのある市街地を過ぎて、さびれた雰囲気の路地へ入っていた。
冬霧の視線の先には、入り口におひさま公園と書かれた広場がある。
遊具はどれも古びていたけれどなかなか大きいし、鬼ごっこをしても遊びごたえがありそうだけど、その敷地に比べると公園を囲む道は路地裏とはいえ狭く思えた。
道路を挟んで公園の向かいには、老朽化した四階建ての団地がいくつもしきつめられるように立ち並んでいる。
こんなにたくさんの建物と部屋があるのに、メイちゃんが住んでいる場所をさがせるのかな。
私が不安に思ったとき、胸の中に緊迫感が滑り込んできた。
不穏な予感にあたりを見回すと、ひとつの団地の前に、帽子をかぶった愛らしい男の子が立っている。
「ワンちゃん……!」
ワンちゃんは少し離れた所にいる私と冬霧に気がつかず、その団地のエントランスに入っていった。
「うみ、無理はするな」
冬霧の声が聞こえた気がしたけれど、私は先ほどのひりつくようなワンちゃんの感情に突き動かされてもう走り出している。
行きたくない、でも行きたい。
心がワンちゃんと重なっているせいか、矛盾した二つの恐怖に煽られて進まずにはいられなかった。
ところどころ錆びた建物の中に入ると、上の階でチャイムの音が反響している。
メイちゃんの家を見つけたのかも。
私はむき出しになったコンクリートの階段を一段飛ばしで駆け上がった。
自然と動悸が早まるけれど、それは私の緊張かワンちゃんのものなのかわからない。
最上階で金属製の扉の開く重い音が鳴った。
建物内に反響する足音に包まれながら、頭上から話し声が聞こえてくる。
ワンちゃんの緊張した声と、少し驚いた様子の女の人の声。
階段をのぼりきるとすぐ目の前にある玄関が開いていて、入り口にはどことなく疲れがにじみ出ている女の人がいた。
その脇をすり抜けて、小柄な男の子の家にあがっていく後ろ姿がちらりと見える。
「あっ、ワンちゃ……」
女の人は私に気づいて、扉を閉めようとした手を止めた。
「あら。あなたもメイの友達? まだ引っ越したばかりで片づけがあるんだけど、ちょっとならあがってもいいよ」
「うみ、待っ、」
「ありがとうございます!」
冬霧の声に重なったけれど私は勢いよく返事をする。
狭い玄関にはすでに靴が溢れていて、なんとかそこに履いていたものを脱ぐと奥へ進んだ。
室内は引っ越してきたばかりという感じで、ところどころに段ボールが積まれている。
居間はまだ置かれていない物があるらしくがらんとしていたけれど、すでにどこか雑然としていた。
その居間の中央で、おさげの女の子が小さなテーブルの前に画用紙を広げてにこにことお絵描きをしている。
楽しそうなその子を前に、ワンちゃんは立ち尽くしていた。
色を失い乾いていく感情が煙のように充満して、私は動けなくなる。
ワンちゃんは自分のいない生活の中で、メイちゃんが笑っていることに傷ついていた。
ここにいるとまたワンちゃんの感情にのみこまれてしまいそうな気がする一方、ワンちゃんの心に影響されて離れ難くなっていると、ワンちゃんが女の子の描いている絵を指す。
「メイ、その絵……」
そこには長い耳のついた顔にふっくらとした体つき、しっぽの丸い生き物が描かれている。
色はほとんど塗られていないけれど、目だけが堂々と赤だった。
何枚もあることから、同じ絵を描き続けていたらしい。
ワンちゃんに名前を呼ばれた女の子は絵を描く手を止めると、突然叫んだ。
「わんちゃん、いないのー!」
メイちゃんは思い出したかのように大泣きし始めた。
「ああ、またかぁ……」
玄関からやってきたメイちゃんのお母さんが、ため息交じりに話す。
「メイ、最近少しだけど動物のアレルギー症状が出てきてね……パパが深く考えないで勝手にメイのかわいがっていたうさぎを、どこかに捨ててきちゃったのよ……。確かに引っ越しもあって、もう飼うことはできなかったけど。だけど突然だったからメイもびっくりしちゃってね。絵を描いて気を紛らわせていても、思い出しては泣いての繰り返しで……困ったね」
つきん、と胸が病んだ。
その痛みの当事者であるワンちゃんは、ゆっくりとメイちゃんの前にしゃがみこむ。
横顔から覗く赤い瞳と同じように、声が暗く沈んでいた。
「メイ。ぼくの話、聞いて」
メイちゃんはふと泣き止み、ワンちゃんをじいっと見つめる。
とたんに、ワンちゃんの心の中が凪ぐように落ち着いた。
その不気味にすら思える静かな心に似つかわしくないほど、ワンちゃんの顔にいつものかわいい笑みが浮かぶ。
「あのね。ぼくはワンのことを知ってるんだ」
ワンちゃんはメイちゃんの頬を濡らす涙をそっとぬぐった。
「だからメイに、大切な話をしに来たよ」
大きな赤い瞳に対し、メイちゃんは不思議そうに見つめていた。
「めいに、たいせつなはなしって、なあに?」
いつの間にか賑わいのある市街地を過ぎて、さびれた雰囲気の路地へ入っていた。
冬霧の視線の先には、入り口におひさま公園と書かれた広場がある。
遊具はどれも古びていたけれどなかなか大きいし、鬼ごっこをしても遊びごたえがありそうだけど、その敷地に比べると公園を囲む道は路地裏とはいえ狭く思えた。
道路を挟んで公園の向かいには、老朽化した四階建ての団地がいくつもしきつめられるように立ち並んでいる。
こんなにたくさんの建物と部屋があるのに、メイちゃんが住んでいる場所をさがせるのかな。
私が不安に思ったとき、胸の中に緊迫感が滑り込んできた。
不穏な予感にあたりを見回すと、ひとつの団地の前に、帽子をかぶった愛らしい男の子が立っている。
「ワンちゃん……!」
ワンちゃんは少し離れた所にいる私と冬霧に気がつかず、その団地のエントランスに入っていった。
「うみ、無理はするな」
冬霧の声が聞こえた気がしたけれど、私は先ほどのひりつくようなワンちゃんの感情に突き動かされてもう走り出している。
行きたくない、でも行きたい。
心がワンちゃんと重なっているせいか、矛盾した二つの恐怖に煽られて進まずにはいられなかった。
ところどころ錆びた建物の中に入ると、上の階でチャイムの音が反響している。
メイちゃんの家を見つけたのかも。
私はむき出しになったコンクリートの階段を一段飛ばしで駆け上がった。
自然と動悸が早まるけれど、それは私の緊張かワンちゃんのものなのかわからない。
最上階で金属製の扉の開く重い音が鳴った。
建物内に反響する足音に包まれながら、頭上から話し声が聞こえてくる。
ワンちゃんの緊張した声と、少し驚いた様子の女の人の声。
階段をのぼりきるとすぐ目の前にある玄関が開いていて、入り口にはどことなく疲れがにじみ出ている女の人がいた。
その脇をすり抜けて、小柄な男の子の家にあがっていく後ろ姿がちらりと見える。
「あっ、ワンちゃ……」
女の人は私に気づいて、扉を閉めようとした手を止めた。
「あら。あなたもメイの友達? まだ引っ越したばかりで片づけがあるんだけど、ちょっとならあがってもいいよ」
「うみ、待っ、」
「ありがとうございます!」
冬霧の声に重なったけれど私は勢いよく返事をする。
狭い玄関にはすでに靴が溢れていて、なんとかそこに履いていたものを脱ぐと奥へ進んだ。
室内は引っ越してきたばかりという感じで、ところどころに段ボールが積まれている。
居間はまだ置かれていない物があるらしくがらんとしていたけれど、すでにどこか雑然としていた。
その居間の中央で、おさげの女の子が小さなテーブルの前に画用紙を広げてにこにことお絵描きをしている。
楽しそうなその子を前に、ワンちゃんは立ち尽くしていた。
色を失い乾いていく感情が煙のように充満して、私は動けなくなる。
ワンちゃんは自分のいない生活の中で、メイちゃんが笑っていることに傷ついていた。
ここにいるとまたワンちゃんの感情にのみこまれてしまいそうな気がする一方、ワンちゃんの心に影響されて離れ難くなっていると、ワンちゃんが女の子の描いている絵を指す。
「メイ、その絵……」
そこには長い耳のついた顔にふっくらとした体つき、しっぽの丸い生き物が描かれている。
色はほとんど塗られていないけれど、目だけが堂々と赤だった。
何枚もあることから、同じ絵を描き続けていたらしい。
ワンちゃんに名前を呼ばれた女の子は絵を描く手を止めると、突然叫んだ。
「わんちゃん、いないのー!」
メイちゃんは思い出したかのように大泣きし始めた。
「ああ、またかぁ……」
玄関からやってきたメイちゃんのお母さんが、ため息交じりに話す。
「メイ、最近少しだけど動物のアレルギー症状が出てきてね……パパが深く考えないで勝手にメイのかわいがっていたうさぎを、どこかに捨ててきちゃったのよ……。確かに引っ越しもあって、もう飼うことはできなかったけど。だけど突然だったからメイもびっくりしちゃってね。絵を描いて気を紛らわせていても、思い出しては泣いての繰り返しで……困ったね」
つきん、と胸が病んだ。
その痛みの当事者であるワンちゃんは、ゆっくりとメイちゃんの前にしゃがみこむ。
横顔から覗く赤い瞳と同じように、声が暗く沈んでいた。
「メイ。ぼくの話、聞いて」
メイちゃんはふと泣き止み、ワンちゃんをじいっと見つめる。
とたんに、ワンちゃんの心の中が凪ぐように落ち着いた。
その不気味にすら思える静かな心に似つかわしくないほど、ワンちゃんの顔にいつものかわいい笑みが浮かぶ。
「あのね。ぼくはワンのことを知ってるんだ」
ワンちゃんはメイちゃんの頬を濡らす涙をそっとぬぐった。
「だからメイに、大切な話をしに来たよ」
大きな赤い瞳に対し、メイちゃんは不思議そうに見つめていた。
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