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第六部『地の底から蠢くは貴き淀み』
三章-4
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4
〝我が目が覚めたのは、人の暦で一年ほど前のことだ〟
ニッカーは俺たちに、情報の続きを話し始めた。
〝長いあいだ眠っていて腹が減っていた我は、念派で食事となる贄を要求した。もちろん贄の報酬も提示したぞ。古代の遺物を自由にしてよい――とな。それから十日ほど経ってから、一人の女が贄の牛を連れてきた。我は贄と交換で遺物まで案内をし、使い方を伝えた〟
「古代の遺物?」
マナサーさんの呟きに、ニッカーは首を背後へと向けた。
〝そうだ。女はそれから、二月に一度の割合で、古代の品遺物を使っていた。配下の者か、手下かはわからぬが、別の者がここまで来ていたがな。それが月に一度になり、十日に一度となるのに、さほどかからなかったな〟
「……御主の話は、よくわからぬな。その古代の遺物が、原因と申すのか?」
〝天竜の姫よ、話は最後まで聞くものだ。その遺物は、ある種の塊を生み出す。その際に、塊の元となる液体が山中に染み出すのだ。当時は、その影響はわからぬと女に告げた。しかし最近になって、その液体が水源となる地下水を汚染していると知った〟
ニッカーの話は、それでも要領を得なかった。ただ、俺の持つ《スキル》の一つである〈計算能力〉によるものか、一つの仮定が頭に浮かんだ。
「……つまり、その汚染された地下水が、異変の原因だっていうのか?」
〝その可能性が高い〟
「だけど、それが家畜の臭いに、どう関係するんだ?」
〝そこまでは知らんな、天竜の化け物よ〟
なんだろう。俺の回答だけ、やけに素っ気ない気がする。
それに、さっきから人のことを化け物呼ばわりしてくる。〈スキルドレイン〉の所持者への皮肉かもしれないが、魔族だけあって口が悪すぎる。
ぞんざいな扱いに半目で肩を落としていると、慰めるように瑠胡とセラが俺の背中に手を添えてくれた。
そんなとき、ラニー……ラストニーが、やけに神妙な顔をした。
「魔族のニッカーよ。その遺物というのは、ここにあるのでしょうか?」
〝ある。故に、配下の者がここに来るのだ。人間――その遺物が気になるようだな。ええ? 心に生まれた、その疑心――それを確かめたいのだろう?〟
ニヤニヤとした顔になるニッカーに、ラストニーは少々怯えながら頷いた。
「は、はい。その場所を……見せて頂くことはできますか?」
〝いいだろう。天竜や地竜らも気になっておるようだしな〟
案内しよう――という言葉とともに、ニッカーは首を左方向へと振りながら、身体の向きを変えた。
俺たちの歩幅に合わせているのか、だく足よりも遅い速度で進むニッカーの身体からは、水滴が滴り落ちていた。
汗とは違うその水滴は、床に落ちるとポタッという水音を立てながら消えていく。
その光景を見ていた俺は、ふと蝋燭を取り出して、火を灯した。ニッカーのあとを付いて行きながら、床に蝋を垂らしていく。
迷路状になっていないとはいえ、こうしえおけば目印になる。迷うことはないと思うけど……念のためというやつだ。
歩いていたのは、二、三〇秒ほどだったと思う。
四方は岩壁に囲まれているんだろうと思っていたが、そこは石材が積まれた壁になっていた。ニッカーが余裕で通れるほどの通路の入り口が、ぽっかりと口を広げていた。
ここもひんやりとした空気が漂っているが、通路からはさらに冷たい空気が流れ込んでいた。
通路を十数マーロン(一マーロンは、約一メートル二五センチ)ほど進むと、俺たちは岩肌に囲まれた空間に出た。
ここは大体、一五マーロン(約一八メートル七五センチ)四方の部屋となっていた。高さはよく見えないが、先ほどまでの空間よりは低そうだ。
この部屋の中央に、直方体の物体が鎮座していた。金属質な光沢はあるが、俺の知るどの金属とも違う質感だった。
〝これが、先ほど言った古代の遺物だ〟
ニッカーは直方体へ首を振るが、想像していたものと違いすぎて、俺たちは一様に怪訝な顔をしていた。
「これが……そうなのですか? ただの箱にしか見えませんが」
〝人間よ。そこからでは、本質は見えぬ。もっと近寄るといい〟
ニッカーに言われるままに直方体へ歩き出そうとしたラストニーを、俺は手で制した。
協力的ではあるが、魔族の言葉だ。どこに裏があるか、わかったものじゃない。
「……俺が、先に行く」
俺は爪先を床に擦るようにしながら、直方体へと近づいた。
岩肌が露出しているとはいえ、どこに罠があるか、わかったものじゃない。こんなことなら瑠胡に勧められたとおり、三マーロンの棒も買えば良かったと、俺は少しだけ後悔していた。
なにごともなく触れる距離まで近づいたとき、俺は遺物の周囲に拳が入るほどの溝があることに気付いた。
手にしていた松明を近づけると、それは溝などではないことがわかる。この遺物は、四角い穴の中に造られたものらしい。
松明の灯り程度では、どのくらいの深さなのか、まったくわからない。
俺は直方体の遺物へ目を戻すと、松明の灯りを近づけながら、ぐるりと全体を見回した。
艶の無い灰色というか、銀色の遺物には、切れ目というのが存在しない。ただ、俺たちが来た通路から見て、反対側には四角い窪みがあり、その下には丸い穴が空いていた。
窪みは俺の胸部くらいの高さで、幅は俺の肩幅よりも少し広いくらい、縦はその六割程度。深さは浅めで、親指の第一関節が入るほどしかない。
丸い穴は俺の膝下くらいの位置にあり、拳が一つ入るくらいの大きさだ。そして穴の真下には、金属の容器が置かれていた。
試しに窪みの中に触れてみたが、遺物はなんの反応も返さなかった。
「ニッカー。これは、どうやって使うんだ?」
〝そのままでは、使えぬ。あの女が、部品の一部を持ち去ってしまったのでなあ。天竜の化け物よ、おまえの正面にある窪みが、その名残というわけだ。そして、その穴――そこから、女が求める物が出てくる〟
「この穴――?」
俺が松明で穴の周囲を照らすと、容器――小鍋のようだ――には黒いものが詰まっていた。指で触れると、かなり固い。鉱物――と思ったが、ここまで鍋にピッタリと填まっているのが不自然過ぎる。
小鍋を拾い上げたとき、瑠胡たちが近づいて来た。
「ランド、なにか見つけましたか?」
「これなんですけど……これが、その女の人が求めてる物なんでしょうか」
黒い粒はやや光沢はあるが、宝石のような煌めきはない。こんなものを、女性が求めるとは思えないが……なにか希少価値でもあるんだろうか。
俺が瑠胡たちに黒い粒を見せると、ラストニーの表情が険しくなった。
「似ている……」
誰に――と、俺が訊くよりも早く、ラストニーはニッカーを振り返っていた。
「その女は――金髪で四〇代くらいですか?」
〝髪色は異なるが、それくらいの年齢に見えたな〟
ニッカーの返答に、ラストニーは沈痛な顔で俺たちを振り返った。
「確証はないが、恐らく――母だ。母が、この遺物を使ったに違いない。ランド、その黒い鉱物がザイケン領の財政を救った、黒い宝石だ。あれは採掘されたわけじゃなく、この遺物から生み出されていたものなんでしょう。しかし、わからないことが一つだけあります。あの母が、自ら山頂まで登ったなど信じられません」
ラストニーの疑問は、もっともだ。
だけどこのとき、俺はほかの疑問が浮かんでいた。
「ほかにもありますけどね。洞窟の入り口は金属の扉で閉ざされ、その鍵はドワーフたちが持っていましたよね。フレシス令室男爵は、ドワーフたちの協力を得たのか、それとも別の鍵を所持していたのか――こっちも謎です」
「その問いですが、後ろを見て下さい。洞窟の入り口があります。きっと、ここから入って来たのではないでしょうか?」
マナサーさんの視線を追うと、俺たちが入って来た側とは真向かいの壁に、洞窟の口がぽっかりと空いていた。
〝そうだ。あの女は、ここから入って来た。人の出入りが多くなったせいで、少々鬱陶しくなったからなあ。途中で洞窟を崩して、出入りできぬようにしている〟
「もう誰も入ってこられないなら、異変は終わりでしょうか?」
ラストニーの問いに、ニッカーは〝知らん〟とにべ無い返答をした。
これで終わればいいんだが、どこか引っかかる。フレシス令室男爵が、簡単に金蔓を諦めるとは思えない。
とすると、なにか考えるはずだ。
思考を巡らせていると、ふと職人頭さんたちのことを思い出した。
「まだ、終わりじゃない。崩れた洞窟を、あの職人さんたちに掘らせているんです。瓦礫の撤去が終われば、また再開するでしょうね」
説得して止めるにしても、あの騎士たちが邪魔だ。
俺から小鍋を受け取ったラストニーも、その考えに至ったらしい。ハッと顔を上げると、俺たちを見回した。
「説得するにも、母が汚染の原因である証拠を掴まなくては。妄言で、騎士たちを説得させることはできません」
「それは――確かに。確かにそうです」
元騎士であるセラは、ラストニーの意見に頷いた。
証拠――か。職人頭さんたちが仕事を終える前に、なんとかして証拠を掴み、令室男爵を止めなければならないわけか。
また難題が――と思ってると、ニッカーが俺に皮肉の混じった笑みを向けた。
〝しかし、化け物が家畜の異変を止めようとしている――なんとも滑稽な姿よ〟
「魔族に化け物呼ばわりされる筋合いは、ないと思うんだけどな。〈スキルドレイン〉が、そんなに異常なのかよ」
「ニッカーよ。ランドは、妾のつがいとなる者。これ以上の侮辱は、流石に許さぬぞ」
俺に続き、瑠胡の顔に怒りの色が浮かんでいた。セラも無言ではあるが、ニッカーを睨んでいる。
三人から抗議の視線を向けられてもなお、ニッカーの顔から笑みは消えなかった。
〝これは愉快な――ああ、なるほどな。天竜の姫のつがいになるため、竜神の眷属と成れ果てたのか〟
「いや――アムラダ様とほかの二柱の神に、人としての一線を越えたって言われて、天竜族になったんだ。グレイバーンとの戦いで、やつの《魔力の才》である〈魔力障壁〉と〈衝撃反射〉を奪ったから――」
〝いいや、そんな理由であるものか〟
俺が説明をしている途中で、ニッカーが内容を否定してきた。
〝貴様――我が化け物呼ばわりをした理由が、〈スキルドレイン〉にあると思ったか? 馬鹿を言うな。そんな《魔力の才》如きで、化け物呼ばわりはせぬ。貴様自身が言ったことだぞ? 〈魔力障壁〉を持つグレイバーンとやらから、《魔力の才》を奪ったと〟
「それはそうだが……あのときは偶然に、〈スキルドレイン〉の棘がヤツの上顎に刺さったんだよ。そうやって体内に入った部分から、《魔力の才》を奪えただけだ」
俺は当時の状況を説明したが、ニッカーは納得しなかった。呆れたように息を吐くと、小馬鹿にしたような顔を寄せてきた。
「天竜と地竜の姫たちは、この化け物の正体に気付いておるのか?」
ニッカーの問いに、瑠胡は困惑した様子だった。問うような目を向けられたマナサーさんは、静かに首を横に振った。
二人とも知らない様子だと察したニッカーは、口元を醜く歪めた。
〝二柱もいて、情けないことよ。〈魔力障壁〉に触れている以上、例え体内に身体の一部が入ったとしても、《魔力の才》は使えぬはずだ。これがなにを意味するか――貴様らで考えるが良い。答えは、愚神アムラダらが知っているだろうよ〟
ニッカーは嘲るように告げると、俺たちから離れていった。
〝一つ忠告しておく。遺物を破壊すると、汚染原因となるものが溢れ、水源の汚染を止める手段が無くなるぞ。それ以外は、好きにするといい〟
最後のひと言を告げたときには、もう通路を戻り始めていた。
それを見ながら、俺は頭の中でニッカーの言葉を反芻していた。俺の身体に、なにかとんでもない変化が起きている――その不安で思考が渦を巻き始めていた。
「ランド」
瑠胡に呼ばれて我に返った俺は、酷く狼狽していたらしい。瑠胡だけでなく、セラも不安そうな顔を俺に向けていた。
「あれの言うことは、気にしなくて構いません。魔族ですから、他者の心を掻き乱すことに喜びを見いだしているのでしょう」
「瑠胡姫様の言うとおりです。貴方は、変わらず貴方のまま。それは、わたしたちがよく知ってますから」
二人の言葉を聞いても、不安は完全に拭えなかった。ただ、俺に寄り添ってくれることが嬉しくて、俺は微笑みながら頷いた。
「……心配をかけて、すいません。地上に戻りましょうか。領主がここを使っている証拠を掴んで、さっさと異変を終わらせましょう」
意識して明るい声を出してみたけど、どこか影が残った気がする。
瑠胡とセラを伴って歩きながら、二人の目に俺がどう映っているのだろう。俺の胸中に、怖れにも似た感情が沸き始めていた。
--------------------------------------------------------------------------------------
本作を読んで頂き、まことにありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
また長く……説明が長くなってしまうのは、悪い癖ですね。
次回こそ……次回こそ文字数を3千台に(切望
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
〝我が目が覚めたのは、人の暦で一年ほど前のことだ〟
ニッカーは俺たちに、情報の続きを話し始めた。
〝長いあいだ眠っていて腹が減っていた我は、念派で食事となる贄を要求した。もちろん贄の報酬も提示したぞ。古代の遺物を自由にしてよい――とな。それから十日ほど経ってから、一人の女が贄の牛を連れてきた。我は贄と交換で遺物まで案内をし、使い方を伝えた〟
「古代の遺物?」
マナサーさんの呟きに、ニッカーは首を背後へと向けた。
〝そうだ。女はそれから、二月に一度の割合で、古代の品遺物を使っていた。配下の者か、手下かはわからぬが、別の者がここまで来ていたがな。それが月に一度になり、十日に一度となるのに、さほどかからなかったな〟
「……御主の話は、よくわからぬな。その古代の遺物が、原因と申すのか?」
〝天竜の姫よ、話は最後まで聞くものだ。その遺物は、ある種の塊を生み出す。その際に、塊の元となる液体が山中に染み出すのだ。当時は、その影響はわからぬと女に告げた。しかし最近になって、その液体が水源となる地下水を汚染していると知った〟
ニッカーの話は、それでも要領を得なかった。ただ、俺の持つ《スキル》の一つである〈計算能力〉によるものか、一つの仮定が頭に浮かんだ。
「……つまり、その汚染された地下水が、異変の原因だっていうのか?」
〝その可能性が高い〟
「だけど、それが家畜の臭いに、どう関係するんだ?」
〝そこまでは知らんな、天竜の化け物よ〟
なんだろう。俺の回答だけ、やけに素っ気ない気がする。
それに、さっきから人のことを化け物呼ばわりしてくる。〈スキルドレイン〉の所持者への皮肉かもしれないが、魔族だけあって口が悪すぎる。
ぞんざいな扱いに半目で肩を落としていると、慰めるように瑠胡とセラが俺の背中に手を添えてくれた。
そんなとき、ラニー……ラストニーが、やけに神妙な顔をした。
「魔族のニッカーよ。その遺物というのは、ここにあるのでしょうか?」
〝ある。故に、配下の者がここに来るのだ。人間――その遺物が気になるようだな。ええ? 心に生まれた、その疑心――それを確かめたいのだろう?〟
ニヤニヤとした顔になるニッカーに、ラストニーは少々怯えながら頷いた。
「は、はい。その場所を……見せて頂くことはできますか?」
〝いいだろう。天竜や地竜らも気になっておるようだしな〟
案内しよう――という言葉とともに、ニッカーは首を左方向へと振りながら、身体の向きを変えた。
俺たちの歩幅に合わせているのか、だく足よりも遅い速度で進むニッカーの身体からは、水滴が滴り落ちていた。
汗とは違うその水滴は、床に落ちるとポタッという水音を立てながら消えていく。
その光景を見ていた俺は、ふと蝋燭を取り出して、火を灯した。ニッカーのあとを付いて行きながら、床に蝋を垂らしていく。
迷路状になっていないとはいえ、こうしえおけば目印になる。迷うことはないと思うけど……念のためというやつだ。
歩いていたのは、二、三〇秒ほどだったと思う。
四方は岩壁に囲まれているんだろうと思っていたが、そこは石材が積まれた壁になっていた。ニッカーが余裕で通れるほどの通路の入り口が、ぽっかりと口を広げていた。
ここもひんやりとした空気が漂っているが、通路からはさらに冷たい空気が流れ込んでいた。
通路を十数マーロン(一マーロンは、約一メートル二五センチ)ほど進むと、俺たちは岩肌に囲まれた空間に出た。
ここは大体、一五マーロン(約一八メートル七五センチ)四方の部屋となっていた。高さはよく見えないが、先ほどまでの空間よりは低そうだ。
この部屋の中央に、直方体の物体が鎮座していた。金属質な光沢はあるが、俺の知るどの金属とも違う質感だった。
〝これが、先ほど言った古代の遺物だ〟
ニッカーは直方体へ首を振るが、想像していたものと違いすぎて、俺たちは一様に怪訝な顔をしていた。
「これが……そうなのですか? ただの箱にしか見えませんが」
〝人間よ。そこからでは、本質は見えぬ。もっと近寄るといい〟
ニッカーに言われるままに直方体へ歩き出そうとしたラストニーを、俺は手で制した。
協力的ではあるが、魔族の言葉だ。どこに裏があるか、わかったものじゃない。
「……俺が、先に行く」
俺は爪先を床に擦るようにしながら、直方体へと近づいた。
岩肌が露出しているとはいえ、どこに罠があるか、わかったものじゃない。こんなことなら瑠胡に勧められたとおり、三マーロンの棒も買えば良かったと、俺は少しだけ後悔していた。
なにごともなく触れる距離まで近づいたとき、俺は遺物の周囲に拳が入るほどの溝があることに気付いた。
手にしていた松明を近づけると、それは溝などではないことがわかる。この遺物は、四角い穴の中に造られたものらしい。
松明の灯り程度では、どのくらいの深さなのか、まったくわからない。
俺は直方体の遺物へ目を戻すと、松明の灯りを近づけながら、ぐるりと全体を見回した。
艶の無い灰色というか、銀色の遺物には、切れ目というのが存在しない。ただ、俺たちが来た通路から見て、反対側には四角い窪みがあり、その下には丸い穴が空いていた。
窪みは俺の胸部くらいの高さで、幅は俺の肩幅よりも少し広いくらい、縦はその六割程度。深さは浅めで、親指の第一関節が入るほどしかない。
丸い穴は俺の膝下くらいの位置にあり、拳が一つ入るくらいの大きさだ。そして穴の真下には、金属の容器が置かれていた。
試しに窪みの中に触れてみたが、遺物はなんの反応も返さなかった。
「ニッカー。これは、どうやって使うんだ?」
〝そのままでは、使えぬ。あの女が、部品の一部を持ち去ってしまったのでなあ。天竜の化け物よ、おまえの正面にある窪みが、その名残というわけだ。そして、その穴――そこから、女が求める物が出てくる〟
「この穴――?」
俺が松明で穴の周囲を照らすと、容器――小鍋のようだ――には黒いものが詰まっていた。指で触れると、かなり固い。鉱物――と思ったが、ここまで鍋にピッタリと填まっているのが不自然過ぎる。
小鍋を拾い上げたとき、瑠胡たちが近づいて来た。
「ランド、なにか見つけましたか?」
「これなんですけど……これが、その女の人が求めてる物なんでしょうか」
黒い粒はやや光沢はあるが、宝石のような煌めきはない。こんなものを、女性が求めるとは思えないが……なにか希少価値でもあるんだろうか。
俺が瑠胡たちに黒い粒を見せると、ラストニーの表情が険しくなった。
「似ている……」
誰に――と、俺が訊くよりも早く、ラストニーはニッカーを振り返っていた。
「その女は――金髪で四〇代くらいですか?」
〝髪色は異なるが、それくらいの年齢に見えたな〟
ニッカーの返答に、ラストニーは沈痛な顔で俺たちを振り返った。
「確証はないが、恐らく――母だ。母が、この遺物を使ったに違いない。ランド、その黒い鉱物がザイケン領の財政を救った、黒い宝石だ。あれは採掘されたわけじゃなく、この遺物から生み出されていたものなんでしょう。しかし、わからないことが一つだけあります。あの母が、自ら山頂まで登ったなど信じられません」
ラストニーの疑問は、もっともだ。
だけどこのとき、俺はほかの疑問が浮かんでいた。
「ほかにもありますけどね。洞窟の入り口は金属の扉で閉ざされ、その鍵はドワーフたちが持っていましたよね。フレシス令室男爵は、ドワーフたちの協力を得たのか、それとも別の鍵を所持していたのか――こっちも謎です」
「その問いですが、後ろを見て下さい。洞窟の入り口があります。きっと、ここから入って来たのではないでしょうか?」
マナサーさんの視線を追うと、俺たちが入って来た側とは真向かいの壁に、洞窟の口がぽっかりと空いていた。
〝そうだ。あの女は、ここから入って来た。人の出入りが多くなったせいで、少々鬱陶しくなったからなあ。途中で洞窟を崩して、出入りできぬようにしている〟
「もう誰も入ってこられないなら、異変は終わりでしょうか?」
ラストニーの問いに、ニッカーは〝知らん〟とにべ無い返答をした。
これで終わればいいんだが、どこか引っかかる。フレシス令室男爵が、簡単に金蔓を諦めるとは思えない。
とすると、なにか考えるはずだ。
思考を巡らせていると、ふと職人頭さんたちのことを思い出した。
「まだ、終わりじゃない。崩れた洞窟を、あの職人さんたちに掘らせているんです。瓦礫の撤去が終われば、また再開するでしょうね」
説得して止めるにしても、あの騎士たちが邪魔だ。
俺から小鍋を受け取ったラストニーも、その考えに至ったらしい。ハッと顔を上げると、俺たちを見回した。
「説得するにも、母が汚染の原因である証拠を掴まなくては。妄言で、騎士たちを説得させることはできません」
「それは――確かに。確かにそうです」
元騎士であるセラは、ラストニーの意見に頷いた。
証拠――か。職人頭さんたちが仕事を終える前に、なんとかして証拠を掴み、令室男爵を止めなければならないわけか。
また難題が――と思ってると、ニッカーが俺に皮肉の混じった笑みを向けた。
〝しかし、化け物が家畜の異変を止めようとしている――なんとも滑稽な姿よ〟
「魔族に化け物呼ばわりされる筋合いは、ないと思うんだけどな。〈スキルドレイン〉が、そんなに異常なのかよ」
「ニッカーよ。ランドは、妾のつがいとなる者。これ以上の侮辱は、流石に許さぬぞ」
俺に続き、瑠胡の顔に怒りの色が浮かんでいた。セラも無言ではあるが、ニッカーを睨んでいる。
三人から抗議の視線を向けられてもなお、ニッカーの顔から笑みは消えなかった。
〝これは愉快な――ああ、なるほどな。天竜の姫のつがいになるため、竜神の眷属と成れ果てたのか〟
「いや――アムラダ様とほかの二柱の神に、人としての一線を越えたって言われて、天竜族になったんだ。グレイバーンとの戦いで、やつの《魔力の才》である〈魔力障壁〉と〈衝撃反射〉を奪ったから――」
〝いいや、そんな理由であるものか〟
俺が説明をしている途中で、ニッカーが内容を否定してきた。
〝貴様――我が化け物呼ばわりをした理由が、〈スキルドレイン〉にあると思ったか? 馬鹿を言うな。そんな《魔力の才》如きで、化け物呼ばわりはせぬ。貴様自身が言ったことだぞ? 〈魔力障壁〉を持つグレイバーンとやらから、《魔力の才》を奪ったと〟
「それはそうだが……あのときは偶然に、〈スキルドレイン〉の棘がヤツの上顎に刺さったんだよ。そうやって体内に入った部分から、《魔力の才》を奪えただけだ」
俺は当時の状況を説明したが、ニッカーは納得しなかった。呆れたように息を吐くと、小馬鹿にしたような顔を寄せてきた。
「天竜と地竜の姫たちは、この化け物の正体に気付いておるのか?」
ニッカーの問いに、瑠胡は困惑した様子だった。問うような目を向けられたマナサーさんは、静かに首を横に振った。
二人とも知らない様子だと察したニッカーは、口元を醜く歪めた。
〝二柱もいて、情けないことよ。〈魔力障壁〉に触れている以上、例え体内に身体の一部が入ったとしても、《魔力の才》は使えぬはずだ。これがなにを意味するか――貴様らで考えるが良い。答えは、愚神アムラダらが知っているだろうよ〟
ニッカーは嘲るように告げると、俺たちから離れていった。
〝一つ忠告しておく。遺物を破壊すると、汚染原因となるものが溢れ、水源の汚染を止める手段が無くなるぞ。それ以外は、好きにするといい〟
最後のひと言を告げたときには、もう通路を戻り始めていた。
それを見ながら、俺は頭の中でニッカーの言葉を反芻していた。俺の身体に、なにかとんでもない変化が起きている――その不安で思考が渦を巻き始めていた。
「ランド」
瑠胡に呼ばれて我に返った俺は、酷く狼狽していたらしい。瑠胡だけでなく、セラも不安そうな顔を俺に向けていた。
「あれの言うことは、気にしなくて構いません。魔族ですから、他者の心を掻き乱すことに喜びを見いだしているのでしょう」
「瑠胡姫様の言うとおりです。貴方は、変わらず貴方のまま。それは、わたしたちがよく知ってますから」
二人の言葉を聞いても、不安は完全に拭えなかった。ただ、俺に寄り添ってくれることが嬉しくて、俺は微笑みながら頷いた。
「……心配をかけて、すいません。地上に戻りましょうか。領主がここを使っている証拠を掴んで、さっさと異変を終わらせましょう」
意識して明るい声を出してみたけど、どこか影が残った気がする。
瑠胡とセラを伴って歩きながら、二人の目に俺がどう映っているのだろう。俺の胸中に、怖れにも似た感情が沸き始めていた。
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本作を読んで頂き、まことにありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
また長く……説明が長くなってしまうのは、悪い癖ですね。
次回こそ……次回こそ文字数を3千台に(切望
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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