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第四部『二人の帰郷、故郷の苦境』

幕間

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 幕間 ~ その微笑みの意味するものは


 人々が暮らす大地の遙か上空に、球状の空間が幾つも浮かんでいる。
 常人には見ることが出来ぬ球状の空間は、神界――神々が住まう世界である。とはいえ、すべての神々がこうした球状の神界から、下界を見守っているわけではない。
 鬼神たちの世界である神域に似た、異空間を己の領域にしている神も少なくない。
 ランドの住むメイオール村から遙か東の海上に浮かぶ、球状の神界の一つが、天竜神安仁羅アニラ――地域によっては〝マジラ〟とも呼ばれる――の領域だ。
 白い大理石が敷き詰められた広間は、そのまま謁見のための場になっている。
 玉座に座っているのは、袴姿の初老の男だ。白髪を後頭部で結い、皺の深い顔には首元まで白髭を伸ばしていた。
 黄金の装飾が施された玉座に座る安仁羅に、妻である麟玉リンギョクがゆったりとした足取りで近寄った。
 深紅に白鳥や花の模様をあしらった着物を着て、やや白髪の交じった黒髪を後ろ手に束ねた、柔和な顔つきの麟玉へ、安仁羅は顔を向けた。


「どうした?」


「瑠胡から鱗による便りが届きましたので、お報せに参りました。つがいの方の親族には挨拶を終えたそうで。瑠胡はつがいの方を連れて、近々帰郷するそうです」


「そうか……しかし、なぜ我ではなく、そなたに報せが来るのだ」


「それは、娘と母ですから。男親よりは、話しやすいのでしょう。ともかく、沙羅たちにも報せておきますわね」


 恭しく頭を垂れた麟玉が立ち去ると、安仁羅は頬杖を付きながら溜息を吐いた。


「瑠胡が帰ってくるのは良いが……つがいと一緒とはな。ほかの竜族が、騒がしくせねばよいが」


 娘の姿を思い出してから、安仁羅は静かに目を閉じた。

   *

 安仁羅の領域には、眷属たちが住まう侍従寮の建屋がある。大理石で組み上げられた建物は二階建てで、屋根は瓦となっていた。
 その侍従寮にいた沙羅は、自室で刀の手入れをしていた。燃えるような赤毛の目立つ、なかなかの美女である。緑の瞳は凛々しく、今は小袖という藍色の着物に身を包んでいた。
 そろそろ刀の手入れも終わろうというころに、襖戸の外で誰かが跪く気配がした。


「沙羅殿――少しお話がありますが、宜しいでしょうか?」


「はい。どうぞ、中へお入り下さい」


 刀を鞘に収めてから沙羅が答えると、同じく薄水色の小袖を来た若者が、片膝を付いた姿勢で頭を深く垂れていた。
 瑠胡姫付きである沙羅は、この侍従寮での身分はかなりの上位である。若頭という立場でありながら、この若者にとって、決して頭の上がらぬ存在であった。
 沙羅の自室に入った若者は、僅かに頭を上げると沙羅に告げた。


「沙羅殿。先ほど、麟玉様より通達が御座いまして、近々、瑠胡姫様が御帰郷なさるそうです」


「それは、確かか?」


「はい。鱗の便りが、麟玉様の元に届いたとのことです」


「そうか――ようやく、下界からお戻りになられるのだな」


 心から敬愛――ほかの者からは溺愛とも言われているが――している瑠胡が神界に帰ってくると思い、沙羅は口元が緩みそうになる。
 しかし、そんな気分も次の言葉までだった。


「はい。つがいとなられた者とともに、天竜神様へ御挨拶をなされるためとのことです。それでその……なぜ瑠胡姫様が、天竜神様に御挨拶をなさるのでしょうか?」


「ご……あいさつ? つがい……ランド・コールと?」


 沙羅は脇に置いてあった刀を鞘ごと手に取ると、ゆらゆらと立ち上がった。


「皆を集めよ……姫様はともかく、つがいのほうは追い返さねばならぬ」


「沙羅殿……何故でございますか? お相手は、瑠胡姫様がお決めになられた御方だと聞き及んでおります。なにか、問題があるのでしょうか?」


「……ある。瑠胡姫様とイチャイチャするだけでも許せぬというの――」


 と、ここで若者が心から呆れた顔をしたことで、沙羅はやや冷静さを取り戻した。
 しかし、振り上げた拳を下ろすどころか、帰郷の内容から瑠胡が考えていることを推し量ると、次の理由を若者に告げた。


「――それ以外にもあるのだ。あの者は、瑠胡姫様を再び下界へと連れて行ってしまうだろう。瑠胡姫様はこの神界ではなく、下界で子を産み、育てることになるのだ。そしてこれ以降、瑠胡姫様が神界に戻ってくることはないやもしれぬ。我々が慈しみ、そして敬愛する瑠胡姫様が、二度と神界に戻らぬことになったら……それだけは防がねばならんだろう」


 沙羅の力説を胡散臭そうな顔をして聞いていた若者の顔が、最後には真剣な顔になっていた。


「沙羅殿……確かに、瑠胡姫様がこの神界に戻られぬなど、許すわけには参りません」


「そうであろう? つがいの者は追い返し、瑠胡姫様を神界に戻さねばならぬ――そう思うだろう?」


「仰有る通りです。わたくしも沙羅殿に協力いたしますぞ」


 力こぶを固く握る若者の手に、沙羅は手を添えた。


「よくぞ言ってくれた。共につがいの者を追い返そうぞ」


 沙羅と若者は互いに頷き合うと、鬨の声を挙げた。

 そんな騒ぎを、侍従寮の外で聞いていた者がいた。
 灰色の袴を着た、線の細い若者だ。外見だけなら瑠胡よりも少し上といったところだろう。黒髪を後頭部で纏め、穏やかそうな金色の瞳で、騒がしい沙羅の部屋を見上げていた。


「今日も賑やかだなぁ」


 のんびりとした口調で呟くと、若者は侍従寮から離れた。
 白い石を組み上げられた階段を降りていると、白い小袖に緋袴姿の少女が駆け寄ってきた。


与二亜ヨニア様」


 少女に名を呼ばれ、若者――与二亜は微笑みながら振り返った。


「やあ、紀伊キイ。どうしたんだい?」


「麟玉様からの伝言に御座います。瑠胡姫様が、つがいの御方を連れて帰郷なさるとのことです」


「へぇ! そうなんだ。報せてくれて、ありがとう。神祇官の君が使い走りとは、ご苦労なことだね」


「いえ。麟玉様から仰せつかっただけですので」


 生真面目に答える紀伊に、与二亜は苦笑した。


「そうなんだ。瑠胡が帰ってくるとなると、少し騒動が起きそうだね」


「その一端は、与二亜様にもあるのではないでしょうか」


「うん。そうかもしれないね。ああ、連絡をありがとう。瑠胡を迎える準備をしないといけないなぁ」


「そうですね。それでは、わたくしも準備がありますので。これにて失礼致します」


 恭しく頭を下げてから、紀伊は神祇官のお社へと戻っていく。
 その後ろ姿を見送った与二亜は、最愛なる妹姫を思い浮かべながら、にこやかな笑みを浮かべていた。

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

瑠胡の家族の紹介――の回ですね。新キャラ沢山(汗

今、必死に名前を単語登録しております。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

次回もよろしくお願い致します!
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