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第三部『二重の受難、二重の災厄』

三章-7

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   7

 馬車が山道を下り終えると、緩やかな勾配のある街道になっていた。
 ようやく、上下の揺れが収まったことにホッとしたジョシアは、顔を青くしながらも安堵の溜息を吐いた。


(気持ち悪い……ちょっと吐きそう)


 胃の辺りに手を添えていると、自分の体温で腹部が温かくなり、少しだけ吐き気が楽になる気がした。
 今度は吐き気を抑えるために大きく息を吐いたとき、キティラーシア姫が気遣わしげに声をかけた。


「ジョシアさん、ごめんなさいね。わたくしの所為で、あなたまで巻き込んでしまって……」


「え――い、いいえ! とんでもありません。あの――キティラーシア姫様と御一緒できて、光栄に思っております! 今の溜息とかは……その……」


「お兄様――ランド様のことが心配なんですね」


「あ、いえ……兄のことも心配ですが……その、自分の体調のことでして……はい」


 喋ると、落ちついていた吐き気が蘇る。


「す、すいません……」


 謝罪の言葉を述べつつ口を手で押さえるジョシアに、キティラーシア姫は色々と察したようだ。
 右手を口元に添えて、「あら、ごめんなさい」と苦笑した。
 そして小さく咳払いをすると、キティラーシア姫は床に座ったままで背筋を伸ばした。


「これは、わたくしの独り言ですわ。返事や相槌などは、必要ありません。《地獄の門》へ行ったランド様と瑠胡姫様……お二方が盗賊団の撲滅に行ったのは、恐らく現在のところでは最良手と言っていいでしょう。あの魔物の群れを止めなければ、わたくしたちに勝機はありませんから。
 あとは、レティシアたちと王都の騎士団の動き次第ですが……こちらは、間に合わないかもしれません。川を挟んだ向こう岸から、わたくしたちに合流するためには、大きく迂回をしなければなりません。そうなると、ランドさんが足止めして下さった盗賊が問題になります」


 ジョシアは「どうしてですか?」と質問をしそうになったが、先ほど言われたことを思い出して口を閉ざした。
 そんなジョシアに微笑みながら、キティラーシア姫は独白を続けた。


「あの指笛は、仲間への合図でしょう。となると、この馬車は盗賊団の騎馬か――魔物の追跡を受けているかもしれません」


「え!?」


 ジョシアは幌から顔を出して周囲を見回すが、それらしい影は見えない。
 幌の中にジョシアが戻るのを待って、キティラーシア姫はブービィを含めた二人に告げた。


「これは、あくまで現在までの状況から分析をした予測に過ぎません。充分に警戒をして下さい」

   *

 最初に併走する馬の影に気付いたのは、ミィヤスだった。
 右側に広がる森の中へ目をやると、木々の隙間から時折、馬車と同じ速度で走る馬が見え隠れしていた。人が乗っているような気がしたがミィヤスには、そこまでの判別することが困難だった。
 どこか不安を覚えたミィヤスは、手綱を操るアインの腕を突いた。


「アイン兄さん、森の中に馬がいるみたいなんだけど」


「馬? 人は乗ってるのか?」


「そこまでは、わからないけど。盗賊だったら、どうしよう?」


「おい、手綱を頼む」


 ミィヤスに手綱を任せたアインが、右側の森の中を凝視した。
 かなり遠いがミィヤスの言うとおり、木々の隙間から馬の姿が見えるときがある。


「二頭……か。確かに、馬が併走しているな。乗り手は……よく見えねぇな。速度を上げて様子を見て……いや、駄目か」


 馬車を引く二頭の馬は、もう限界が近い。二頭とも、口元にから泡が吹き出し始めていた。
 このまま無理をさせれば、馬車を捨てることになる。


「ミィヤス、馬が限界だから速度を緩める。警戒を怠るな――襲ってくるかもしれん」


 アインはミィヤスに告げてから、幌の中に顔を入れた。


「ブービィ、短剣は持ってるな? 姫様と嬢ちゃんを頼むぞ」


「短剣はあるけど……アイン兄さん、なにがどうしたっていうんだい?」


「わからんから、用心しておけ。敵が来るかもしれん」


 その警告に、ジョシアとキティラーシア姫は、不安そうに顔を見合わせた。
 近くに置いてあった大剣を掴んで御者台へ戻ろうとしたアインへと、ジョシアは振り返った。


「あの――大丈夫なんですか?」


「わからん。魔物の大群じゃないだけ、やりようはある――と思いたいがな。嬢ちゃんたちは、幌から顔を出すな」


 アインはジョシアに答えてから、御者台に戻るとミィヤスから奪うように手綱を手にした。


「ミィヤスは、中で火矢に備えろ!」


 ミィヤスを幌の中に押し込むと、アインは二頭分の手綱を左手で握った。
 右手で大剣の柄を握り、なんとか体勢を維持しながら、アインは馬車を奔らせた。しかし、右側の馬が首を大きく揺らすのを見ると、すぐに馬車の速度を緩めた。


「兄さん、どうしたの!?」


「馬が限界だ! 奴らが来るなら、今だ。警戒していろ!」


 幌の中から顔を覗かせたミィヤスを大剣を握った拳で押し戻した直後、飛来した矢が二人の間を通過していった。


「ひっ――」


「来たぞっ!!」


 再び飛来した矢を大剣の腹で防いだアインは、馬車を止めて御者台から降りた。
 馬はもう限界に来ている。それに、速度が落ちた馬に矢を射られたら、アインたちは逃げることすらできなくなる。


(ここで、追跡者を斃すしかねえな……)


 大剣を構えたアインは、飛来する矢を次々に弾き落としていく。七本目を防いだアインは、木々のあいだから二頭の馬が近づいてくるのを見た。
 それぞれ、無精髭を生やした盗賊が馬を駆っていた。
 しかし盗賊たちはアインには構わず、左右に分かれた。


「――ちっ! そういうことか」


 直接荷台を狙っているのだと察したアインは、即座に動いた。しかし、馬の駆ける速度には敵わない。
 右側へと向かった盗賊を追うが、その前に盗賊たちは馬車の後部に辿り着いてしまう。


「やべぇっ!」


 馬から馬車に飛び移った盗賊の一人が、幌の中に入り込む。
 キティラーシア姫とジョシアを見て下卑た笑みを浮かべた盗賊が、突如として身体を硬直させた。


「させないよ――」


 片手を前に突き出したブービィが、《スキル》で盗賊の動きを封じたのである。動きを操って盗賊を馬車の外へと降ろしたが、入れ替わりに入り込んだ別の盗賊への対応が遅れた。
 立ち上がりかけていたブービィへ、盗賊が短刀を投げた。短刀が先ほどまでブービィの左胸があった、左の太股に深く突き刺さる。


「くっ――」


 荷台の上でブービィが倒れると、盗賊が肩を揺らしながら荷台に入った。


「巫山戯た《スキル》を使いやがって……いいな、これからてめえらは人質だ。殺されたくなきゃ、大人しく言うことを聞け! まあ、といっても……女どもは、お頭が好き放題やるだろうけ――っ!!」


 盗賊は、脅し文句を言い終えることができなかった。
 横に座っていたジョシアが、立ち上がると同時に右拳で殴りつけたからだ。


「あなたね! 無抵抗の女性に乱暴するだなんて、人間のクズよ、クズ! 普通に女性を誘うこともできない、クズで情けない性根しかないくせに、威張り散らかすんじゃ――ないわよ、この最低最悪のクズ野郎っ!!」


 罵倒しながら、ジョシアは盗賊を殴り続けた。


「この――いい加減にしろ!」


 ジョシアにやり返そうとした盗賊が、急に動きを止め、殴りかかろうとした姿勢のまま馬車の外へと駆け出した。
 顔中に油汗を浮かべたブービィが、再び《スキル》を使ったのだ。


「だから、やらせないって……痛っ!」


 馬の嘶きと同時に、いきなり荷台が前側に倒れて、ブービィが苦悶の声を漏らした。
 荷台が傾斜する中で、でミィヤスが太股に布を当てて止血をしているが、ブービィの出血は止まらない。
 荷台に飛び乗ってきたアインは、負傷した次男を見て顔色を変えた。


「ブービィ、大丈夫か!?」


「痛いけど……ね。盗賊たちは?」


「馬車の外に出た奴らは、もう片付けた。だが、森の中に二、三人ほど、潜んでいる。弓を持ってる奴らでな……馬は二頭共、そいつらにやられた」


「と、いうことは?」


 ミィヤスの問いに、アインは短く「馬車はここから動けん」と答えた。


「弓を持っている奴らの居場所は、掴めなかった。下手に動けば、狙い撃ちにされる。俺一人なら、なんとかなるが……ここの全員を護るのは無理だ。それに、ブービィも怪我をしている。無理に動かさないほうがいい」


「そんな……心配はしないでいいよ、アイン兄さん。こんな傷くらい、大丈夫……さ」



「ブービィさん、無理と無茶は禁物ですわ。ここに騎士団が到着さえすれば、状況は好転します。それまで、大人しくしていて下さい。幸い、水と食料は少しならありますし」


 キティラーシア姫が窘めると、ブービィは大人しく従った。
 周囲から岩を砕くような騒音が鳴り出したのは、そんなころだった。アインが幌を開けて外を見れば、馬車を取り囲むように、土壁が盛り上がっていた。
 それから数秒も経たないうちに、天井こそないが、馬車は周囲は土色の壁に囲われていた。
 アインが周囲を見回していると、土壁の向こう側から男の声が響いた。


「てめえらは、俺が《スキル》を解くまで出られねぇ! 明日になったら、俺らの率いる魔物で、女以外は皆殺しにしてやるぜ! それまで精々、怯えながら夜を過ごしやがれ!!」


「巫山戯るなよ……こんな土壁」


 アインは大剣を手に馬車から降りると、裂帛の気合いを込めて土壁へと斬りかかった。
 しかし、アインの両腕に伝わってきたのは、見た目よりも硬質な岩のような感触だ。あっけなく弾かれた大剣を眺めたアインは、小さく舌打ちをした。


「あの、どうですか?」


「駄目だな。見た目よりも固い。騎士団の連中に期待するしかねぇな」


 ジョシアに答えながら、アインは馬車に戻ろうとした。
 そのとき、上空から一羽の鷹が舞い降りた。リリンの使い魔であることを最初に思い出したのは、ジョシアだ。


「リリンさん……ですよね。あの、瑠胡姫様……お兄ちゃんは、どうなりました?」


〝ランドさんは無事です。瑠胡姫様と合流しました。それより、この状況は一体?〟


「盗賊の《スキル》のようだ。俺の大剣では抜け出せん。騎士団は、まだ来ないのか?」


 アインの問いに対し、リリンの返答は数秒ほど遅滞した。


〝騎士団は、合流予定場所で待機をしておりました。偵察の騎士が、馬車の居場所を確認するために先行していますが、本体は動いていません〟


「そうかよ……おい、この土壁を造った盗賊が、近くにいるはずだ。探し出して、騎士団で討伐してくれ。明日になれば、また魔物の群れが襲ってくると言われたんだ。それまでに、なんとかここを抜け出したい」


〝付近に、盗賊らしい人影は見えません。もしかしたらですが、姿を消す《スキル》を持った盗賊がいるかもしれません〟


 リリンは一度、言葉を切った。少し考えるように鷹の目が閉じたのは、数秒ほどだった。


「それでは、わたしから馬車の場所を伝えて、本体を動かすよう進言してみます。それから……ランドさんたちにも声をかけて、急いでここに来て貰うよう頼んでみます」


「……そうですわね。それが一番いいと思いますわ」


 いつの間にか幌から顔を出していたキティラーシア姫が、リリンの使い魔に手を振った。


「急いで下さい。今は、刻が千の金貨よりも貴重です」


〝仰せのままに〟


 キティラーシア姫に御辞儀のような仕草をすると、リリンの使い魔は土壁の外に出た。
 上空に待機していた沙羅はリリンから事情を聞くと、ドラゴンの姿のままゆっくりと降下を始めた。


〝騎士団が来るまでの護衛は、任せて下さい。あなたは、瑠胡姫様たちの元へ〟


〝ありがとうございます。それでは――〟


 ランドと瑠胡を探しに、リリンの使い魔は飛び去っていった。


 これよりあとキティラーシア姫の馬車に、三つの勢力が迫ることとなる。
 一つ目は、レティシアたち《白翼騎士団》と王都の騎士団。
 二つ目は《地獄の門》の馬車。
 そして三つ目は、これより一時間後にリリンの使い魔から事情を聞いたランドと瑠胡――命運を決めるのは、誰なのか。
 キティラーシアの〈分析能力〉でも、予測することはできなかった。

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

どうしてか、文字数が四千台を下回りません。ううむ……予定よりも時間がかかるはずだと、自分自身に問い詰めたい(滝汗

残すは四章とエピローグです。

プロットも考えないと……ですね。頭の中に、起承転結はあるんですが……文字に起こすのは大変ですね。ちなみに、プロットはノートに書き出すという、アナログなことをやってます。しかも、三冊同時に使うという、無駄なことをやってたり。で、時間がかかると……なるわけですね(汗

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

次回もよろしくお願いします!
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