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第三部『二重の受難、二重の災厄』
三章-3
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山道を抜けたところで、アインが操る馬車の速度が落ちた。オーガが見えなくなったこともあるが、荷台を引いている馬が限界に近かったからだ。
だく足で緩やかな下りを進む馬車の荷台で、キティラーシア姫はようやく、ジョシアに話しかけるだけの余裕が生まれた。
「ジョシアさん――どうして、瑠胡姫を行かせたのです?」
「兄が、心配だったからです。瑠胡姫様なら、きっと兄を助けて下さると思えましたから……止めることが、できませんでした」
「あの……御存知でしたら、教えて下さいませんか。瑠胡姫とランド様は――恋人同士でいらっしゃいます?」
上目遣いに訊ねるキティラーシア姫に、ジョシアは少し困った様子で首を振った。
「恋人同士――というわけではありません。ただ、お互いに好き合っているみたいですけれど」
「それでは、ランド様も瑠胡姫を?」
「はい。好きだと思います。ただ、あの兄のことですから、身分とか色々考えて、告白とかは、できてないみたいですけど」
「あら、まあ。それでは、騎士団へのお誘いも無駄かしら?」
ジョシアが驚いた顔をすると、キティラーシア姫は苦笑いをしてから、おっとりとした仕草で首を振った。
「騎士団長に勝った御方ですもの。当然の流れですわ。でも――瑠胡姫様は異国の御方。その方と結ばれたのなら、ランド様も国を出て行かれるのでしょう? それを知っていながら、騎士団に勧誘するのも、間抜けなお話ではありませんか」
「兄に対して、そんな御言葉が頂けるとは……光栄でございます。でも、姫様の仰有る通りですね」
「でしょう?」
キティラーシア姫とジョシアが微笑み合ったとき、幌の後部に一羽の鷹が舞い降りた。
〝わたくしは、《白翼騎士団》のリリンと申します。皆様、ご無事でしょうか?〟
リリンの使い魔である鷹から発せられた言葉に、キティラーシア姫は揺れる馬車の中を、ふらつきながら駆け寄った。
「まあ、レティシアのところの? ええ――全員無事……と言いたいのですが。ランド様がオーガを足止めした直後に行方不明。瑠胡姫様は、そんなランド様を探しに行かれてしまいました」
〝そんな――瑠胡姫様とランドさんは、どこに居られるのでしょうか?〟
「少し戻ったところの、崖が崩れたところです」
〝……わかりました。わたしは、そちらへ行ってみます。姫様の無事は、レティシア団長に伝え、急ぎお迎えにあがります〟
「ええ。よろしく」
飛び去っていった使い魔の鷹を見送ったキティラーシア姫は、右側の斜面の上に、馬を駆る男の姿を見た。
兵士ではなく、騎士でもない。その服装に、腰から下げているのは蛮刀――そんな男が馬車を追跡する様子に、キティラーシア姫は荷台にいるブービィへと声をかけた。
「斜面の上で、盗賊らしい男が馬車を追跡しております。御者台の二人に、報せてあげて下さい」
「仰せのままに、姫君」
ブービィが御者台に顔を出して、キティラーシア姫からの言づてを伝えた。
それを見てから、もう一度追跡者の姿を確かめようと、キティラーシア姫が荷台の後部へ行こうとしたとき、忽然と黒い空間が開いた。
「みんな、無事ですか!?」
サリタンが開けた門から上半身だけ出した俺は、馬車の荷台にいる全員の顔を見回した。
ジョシアにブービィ、キティラーシア姫――あれ?
忙しく荷台の中を見回す俺に、ジョシアが四つん這いで近寄って来た。
「お兄ちゃん――それなに!? どういう状況なのよ」
「こっちも色々とあったんだよ。それより姫様――ああっと、瑠胡姫様はどうした?」
俺が問いかけると、ジョシアは表情を曇らせた。
イヤな予感が頭を過ぎったが、ジョシアの返答はそれを裏付けるものだった。
「瑠胡姫様は、お兄ちゃんを捜しに行っちゃったの。あ、でもリリンって騎士様の鷹が瑠胡姫様のところに行ったから……」
「そういう問題じゃねぇ! なんで止めなかったんだよっ!!」
「仕方ないでしょ!? お兄ちゃんの姿が見えなくなって、心配だったんだから……」
声が尻すぼみになっていくジョシアの肩に手を添え、キティラーシア姫が俺を見た。
「ランド様? ジョシアさんを責めるのは酷というものです。瑠胡姫は、自らの意志であなたを探しに行かれたのです。その強い意志を止めることなど、誰にもできませんでした」
「そうなんでしょうけど……」
俺は乱暴に頭を掻きながら、背後にいるサリタンを振り返った。
その意図を汲んだのか、サリタンは一つ頷くと、小さく手を挙げた。俺は顔を馬車に戻すと、荷台にいる三人に告げた。
「こっちは《地獄の門》に対する情報を手に入れた。あいつらの動きを止めるために、ちょっと離れますが……いいですか?」
「それで、彼らの動きが止まるのですか?」
キティラーシア姫に頷いてから、俺は上方向へ親指を向けた。
「追跡者は、こっちでなんとかします。ブービィ、アインにレティシアたちとの合流を急げって言っておいてくれ。瑠胡姫様が戻ってきたら……さっきのことを伝えておいて欲しい。ジョシア、頼めるか?」
「うん」
ジョシアが頷くのを見て、俺はサリタンに合図を送った。門が閉じ、すぐに開くと、今度は木々の生い茂る斜面が見えた。真正面に、体躯の良い馬に跨がった、盗賊らしい男の姿が見える。
「な、なに?」
口に手をやる盗賊へ、俺は拳から〈遠当て〉を放った。顔面に〈遠当て〉を受けた盗賊が落馬した。
その寸前に盗賊は口笛を吹いたが、なにかが起こる様子はなかった。
これで、時間稼ぎはできそうだ。
門が閉じたあと、俺はサリタンを振り返った。
「俺を捜しに、姫様が動いたみたいなんだ。崖へ行きたいんだが……できるか?」
「おいおい。こっちは約束を護ったんだ。次は、ランドが約束を護る番じゃないのかね? 杖を取り返したら、その姫様のところへ送ってやる」
「……わかった。なら急ごう。しかし、だ。一つ訊いてもいいか? 鬼神なら、あなたが直接やったほうが早くないか?」
俺の問いに、サリタンは首を振った。
「我は直接戦う力を持っておらぬのでな。おまえさんのような、戦えるヤツの助力がいる――つまり、あの杖は我の護身用のものだったわけだ」
「ああ……なるほどね。それじゃあ、さっさと終わらせたいからな。そこへの門を開けてくれ」
「まあ、待て。奴らは定住しておらぬ。本拠地は、常に移動しておるのだ。その場所を探るでな、しばし待て」
再び目を閉じるサリタンに、俺は焦りを覚えながら――しかし、ただ待つことしか出来なかった。
*
崩れた崖の下に降り立った瑠胡とリリンの使い魔は、目の前の惨状にしばらくのあいだ、立ち尽くしていた。
崖の下には瓦礫とともに、血まみれになった無残なオーガの死骸が、幾つも転がっていた、しかし、そこにランドの姿はなかった。
ランド本人はもちろん、愛用の長剣なども落ちていない。
〝ランドさんは、どこかへ行ったのでしょうか?〟
「かも知れぬ……だが、この周囲に、血の跡が移動した様子はない。道にはランドの姿もなかったからのう。怪我もなく、妾たちを追ったのならよいが……」
〝いえ。さすがに、あの高さから落ちたのであれば、無傷というのは考えられません〟
瑠胡たちのいる崖の底から山道まで、ざっと二〇マーロン(約二五メートル)はある。
滑落したのなら、無傷というのは考えられない。
瑠胡がゆっくりと瓦礫の中を歩いていると、馬の嘶きが聞こえてきた。
「……なんだ、女がいるぞ?」
馬に跨がった薄汚れた男が、瑠胡を見て目を丸くした。腰に長剣を下げているが、兵士や騎士、傭兵の類という風貌ではない。
どちらかと言えば盗賊だと、リリンは〈計算能力〉によって確信した。
しかしリリンが警告を発する前に、男が瑠胡に話しかけていた。
「おい……おまえ、ここでなにをしている?」
「人捜しをしておる。御主、ランドという男を知らぬか?」
「ランド――?」
男の顔に、その名に聞き覚えがないという気配が浮かんだ。しかし、何かに気付いたように、男はワザとらしく、ポンっと大きく手を叩いた。
「あ……ああ! そういえば俺たちの仲間が、怪我をした男を助けたみたいなんだ。もしかしたら、そいつがランドってヤツかもしれねぇな」
「ほお……妾をそこへ案内してくれぬか? 確かめたい」
「ああ、いいぜ。後ろに乗るか?」
男が鞍の後ろを勧めたが、瑠胡は首を振って拒否した。
「妾は歩きで構わぬ。それより、案内を頼むぞ?」
「あ、ああ……別にいいけどよ」
男は戸惑いながら、馬首を巡らして馬をゆっくりと進ませた。
瑠胡は馬に付いていきながら、リリンの使い魔を肩に乗せた。
〝瑠胡姫様……彼はきっと、盗賊です〟
「ふむ……そうとは思うが、ランドの安否だけは確かめたい。リリン……騎士団の任務からは外れるやもしれぬが、手助けを頼めるか?」
〝はい――もちろんです〟
リリンの使い魔は頷くと、空へと舞い上がった。恐らく、空の上から瑠胡の周辺を見張ろうというのだろう。
男は、今の会話に気付いた様子はない。
瑠胡は馬の歩みに遅れぬよう、少しだけ歩く速さを増した。天竜族である瑠胡は、その気になればだく足程度の馬と、同じ速さで歩くことができる。
時折、振り返る男に先へ行くよう促しながら、瑠胡は無言で馬のあとを付いていった。
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