上 下
57 / 232
第二部『帰らずの森と鬼神の迷い子』

三章-7

しおりを挟む

   7

 夕日が空や山々が茜色に染まり始めたころ、巨大ワーム〈マーガレット〉は、頭部を地面に擦りつけながら、まるでなにかを探すような仕草をし始めた。
 レティシアを始めとする《白翼騎士団》の面々は、体中を砂埃や枝葉による汚れにまみれながら、遠巻きに〈マーガレット〉の様子を伺っていた。
 やがて目当ての場所を見つけたのか、〈マーガレット〉は地面に潜り始めた。身体を三分の一ほど潜らせたころ、〈マーガレット〉と地面の隙間から、泥水が沸き始めた。どうやら、地下水を掘り当てたらしい。
 土壌が徐々にぬかるんでいくと、〈マーガレット〉は穴から頭を抜くと、地面を掘り返しながら、周囲を整えていく。
 日が完全に沈む頃には、〈マーガレット〉がすっぽりと収まるほどの沼地が出来上がっていた。


「とりあえず、今日を凌いだな」


 疲れ切った声で呟きながら、レティシアは跨がっている軍馬の馬首を巡らせた。


「総員、陣まで戻るぞ。リリンは予定通り、使い魔を」


「わかりました。魔術を使いますので、馬車で移動をさせて頂きます」


「ああ、よろしく頼む」


 レティシアの号令によって、《白翼騎士団》は軽いだく足で移動を開始した。
 リリンは幌のある馬車で床に座ると、精神を集中させながら、使い魔を召喚するための呪文を詠唱し始めた。
 やがて魔術が行使されると、召喚された一羽のフクロウが杖の先端に止まった。リリンは目を閉じると杖の先端を介して、使い魔であるフクロウへ、自らの意識を移した。
 今やフクロウとなったリリンの意識は、〈マーガレット〉が作りだした沼地へ向けて飛び立った。
 幸いなことに、夜空には月が浮かんでいる。フクロウの目を以てすれば、少々の暗がりでも不自由することはない。
 慎重に沼地の上空を飛んでいたリリンは、ゆっくりと降下し始めた。
 泥の混じった水面に近づくと、沼地の真ん中辺りに、月明かりを鈍く反射しているものに気付いた。
 半透明なそれは、なだらかな曲線を描きながら、やまなりになっていた。しかし頂上近くにだけ、月明かりを反射しない影がある。
 リリンが山頂の影に近寄ってみると、それは人間の男の姿をしていた。少しやつれてしまったのか、元々着ていた服は、かなりのゆとりができていた。
 頭髪の薄い――その男は間違いなく、行方不明になっていたジョンだ。
 ジョンは粘液に絡め取られながら、干し肉のようなものを囓っていた。リリンが近寄ると、ジョンは怯えたような顔をした。


「ひっ――くるな。来ないでくれ。た、食べないで」


〝落ちついて下さい。わたしは、《白翼騎士団》の団員です〟


「は、《白翼騎士団》って……メイオール村……の?」


〝はい。あなたを探していました。それと、この巨大な化け物の対処を〟


 リリンの返答に、ジョンは隈のある、窶れた顔に涙を浮かべながら両手を組んだ。


「ああ……神様! いや、騎士様方にも感謝いたします! 食い物はあるんだが、喉が渇いて仕方ないんでさあ……たまに、雨水や泥水が飲めるくらいで、あとは……干し肉の残りしか口にしてないんで」


〝干し肉――ランドさんから聞いた、鬼神から貰ったという食料ですか?〟


「ああ……あと、少ないけどラム酒の瓶が一本……でも、なんでランドが、旦那のことを知ってるんで?」


 怪訝な顔をするジョンに、リリンはどう答えるべきか迷った。鬼神と関わりを持つというのは、ともすれば異端審問沙汰になりかねない。
 ジョンもそれを理解しているのか、言った直後に「しまった――」という顔をした。
 頭の中だけで〈計算能力〉による状況判断を行ったリリンは、やがて世間話をするような声で告げた。


〝あなたを探す途中で、鬼神の神域へと赴いたのです。そこで、あなたとこの化け物の状況を教えて貰ったみたいです〟


「なるほど……さすがは旦那だ。ランドも、そこまでしてくれて、ありがてぇ」


〝我々はランドさんと共同で、この化け物から、あなたを救う手段を探っています。お辛い状況ですが、もうしばらく待って下さい〟


「騎士様、ありがとうございます。なんだか、希望が沸いてきました……そうとなったら、今夜は乾杯ですぜ!」


 ジョンはそう言って、手にしていたラム酒をラッパ飲みしようとした。
 リリンは嘴でジョンの手を軽く突くと、フクロウである首を振った。


〝とはいえ、今日明日で解決できる問題ではありません。食料は大事にして下さい〟


「あ、ああ……すいません。そうします」


 未練がましい目をラム酒の瓶に向けながらも、ジョンは項垂れるように頷いた。
 リリンが意識を解くと、フクロウは煙のように消えてしまった。意識は馬車に揺られているリリン本人に戻るや否や、倒れるように幌に身体を凭れさせた。


「リ――リリン、だ、だだ、大丈夫ですかぁ?」


 真向かいに座っていたユーキが、慌ててリリンに駆け寄った。
 リリンが荒くなった呼吸を整えているうちに、激しく波打った鼓動が、徐々に収まっていく。大きく息が吸えるようになるまで回復してから、ユーキに頷く。


「だ……大丈夫、です。それより、ジョンさんを見つけました。かなり疲弊されているようですが、まだ生きています」


「そっか……それじゃあ、あたしが団長に、それを伝えてくるから。リリンはここで休んでいてね」


「……はい」


 目を閉じるリリンを床に寝かせたユーキは、幌の後ろから頭を出した。
 最後尾を走るクロースを手招きすると、ユーキはリリンが述べた内容を、そのまま伝えた。
 クロースからユーキの伝言を伝えられたレティシアとセラは、どこか安堵の顔を浮かべながら、馬首を並べた。
 後ろに沙羅を乗せたままのセラが、


「ランドたちが戻って来れば、あの化け物もなんとかできそうですね」


「そうだろうが……素直には喜べぬな。リリンの話では、ランドとドラゴンの姫君は別の鬼神のところへ行ったという。あの二人が次に戻ってくるのは、果たして何日後になるのだろうな?」


「あ……」


 そのことは思いもよらなかったのか、セラは表情を失った。そんなセラの後ろにいる沙羅は、神妙な顔で語り出した。


「神域に流れる刻は、鬼神によって異なる。こちらより時の流れが速い神域であれば、今日中にも姫様が帰って来られるかもしれん」


「ことらより速い……か。それを願いたいものです。ただ、向こうでは十年ほど経っている可能性もあるわけですな。あの姫様なら、ランドとの子作りを強行しておるかもしれませんね」


「だ、団長……」


 露骨に狼狽えるセラに、レティシアは苦笑してみせた。


「どうした、セラ? さっきのは、ただの冗談だ」


「冗談……いえ、あの……団長」


 セラは咳払いをしてから、自分の後ろを一瞥した。


「姫様……が、ランドと子作り? そんな……でも、まさか……」


 ブツブツと呟きながら、最後には「やはりランドは殺すしか――」などと口走り始める沙羅に、レティシアは少し引き気味に声をかけた。


「沙羅殿、あくまでも冗談ですので……あの」


 レティシアの言葉が耳に入っていないのか、沙羅はしばらく常軌を逸した目で、ブツブツと呟き続けたのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。 彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。 それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。 そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。 公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。 そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。 「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」 こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。 彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。 同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。

召喚された陰キャの物作りチート異世界ライフ〜家に代々伝わる言葉を入力したら、大量にギフトが届いたんですけど?!〜

橘 はさ美
ファンタジー
田中 遥斗 (タナカハルト) 17歳。 とある高校2年生だ。 俺はいつもクラスの陽キャ共に虐げられる生活を送っていた。「購買の限定パン買ってこい」だの、「出世払いで返すから金貸せ」だの、もう沢山だッ! ――しかしある日、小休憩の時間にいきなり赤い魔法陣のようなものがクラスを襲った。 クラス中がパニックになる中、俺だけは目を輝かせていた。 遂に来たッ!異世界転移!これでこんなカス生活とはおさらばだぁぁぁぁあッ!! ――目が覚め、顔を上げるとそこは中世ヨーロッパのような王宮の中であった。 奥には王様が王座に座り、左右には家臣が仕える。 ―乳房の大きい女性が口を開いた。 「あなた達は、我々が召喚しました。この世界は魔王の作り出す魔物でピンチなのです」 そして突然、”スキル水晶”なるものに手を触れさせられる。陽キャ共は強力なスキルを手に入れ、ガッツポーズをする。 ⋯次はいよいよ俺だ⋯ッ! そして空間に映し出される、ステータスとスキル。そのスキルは――”造形”。土属性の物の形を変えるスキルだ。 「お、お前、”造形”とか⋯粘土こねるだけじゃねーか!www」 クラス中で笑いが巻き起こり、俺は赤面。 王様たちも、ため息をついている。 ⋯⋯ねぇ、俺の最強異世界生活はどこ行ったの??

よくある婚約破棄なので

おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。 その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。 言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。 「よくある婚約破棄なので」 ・すれ違う二人をめぐる短い話 ・前編は各自の証言になります ・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド ・全25話完結

弱小テイマー、真の職業を得る。~え?魔物って進化するんですか?~

Nowel
ファンタジー
3年間一緒に頑張っていたパーティを無理やり脱退させられてしまったアレン。 理由は単純、アレンが弱いからである。 その後、ソロになったアレンは従魔のために色々と依頼を受ける。 そしてある日、依頼を受けに森へ行くと異変が起きていて…

所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!

ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。 幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。 婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。 王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。 しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。 貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。 遠回しに二人を注意するも‥ 「所詮あなたは他人だもの!」 「部外者がしゃしゃりでるな!」 十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。 「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」 関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが… 一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。 なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…

私の居場所

空宇海
恋愛
兄は優秀な人で勉強も運動もできる人 勉強は常に1位 そんな私は勉強も運動も頑張った。 頑張っても父親に認めてもらえない。 離婚し久しぶりに兄と父親に再会する 私の居場所は何処にもない、そう思ってた。 好きな人ができて、家族と……

異世界街道爆走中〜転生したのでやりたい仕事を探します。

yuimao
ファンタジー
〜あらすじ〜  親父に異世界に飛ばされた七星ワタル(27歳) 眼の前に現れたのは、不思議な馬車と風の妖精ウェンディだった。  ブラック企業で働くワタルは、妹の結婚式の帰りに意識を失う。  目を覚ました狭間の世界では20歳の時に疾走したはずの父ガンテツが現れる。 トラック野郎だった親父が異世界アトランティスの管理者?この世界の元勇者?ふざけた事を抜かす親父にワタルはドロップキックをかました。  父親にアトランティスに飛ばされたワタルは好きなよう生きろに言われたので、就職活動をする事に。  与えられた能力は妖精に愛される魔力と一台の馬車。  これで仕事を探せと言うのか?  妖魔の森には凶悪な魔獣とへんてこな妖精たち。  やがて魔獣に襲われていた白竜族の少女ユキナとの出会いに妹の面影を見出す。  魔獣を倒し魔石でカスタムする精霊馬車は、実はチート級のデコトラだった。  妖精達にはモテモテのワタルは、問題を抱える妖精を知らずに知らず助けていってしまう。  過保護な親が次々にちょっかいをかけてくるので、鬱陶しい。  様々な出会いを通して、ワタル自身も救われる事に。  これは精霊と馬車と一緒に異世界街道を爆走しながら、本当にやりたかった仕事を探す物語。  馬車は親父の趣味が満載のとんでも仕様。  俺本当にここでやっていけるのかな?  のんびりできそうもない!? 〜異世界のんびり系〜 〜たくさんの妖精と旅をしながら仕事を探します〜 〜過保護な親がちょっかいを出してきます〜 〜馬車が変形します〜

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

処理中です...