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第二部『帰らずの森と鬼神の迷い子』
三章-7
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夕日が空や山々が茜色に染まり始めたころ、巨大ワーム〈マーガレット〉は、頭部を地面に擦りつけながら、まるでなにかを探すような仕草をし始めた。
レティシアを始めとする《白翼騎士団》の面々は、体中を砂埃や枝葉による汚れにまみれながら、遠巻きに〈マーガレット〉の様子を伺っていた。
やがて目当ての場所を見つけたのか、〈マーガレット〉は地面に潜り始めた。身体を三分の一ほど潜らせたころ、〈マーガレット〉と地面の隙間から、泥水が沸き始めた。どうやら、地下水を掘り当てたらしい。
土壌が徐々にぬかるんでいくと、〈マーガレット〉は穴から頭を抜くと、地面を掘り返しながら、周囲を整えていく。
日が完全に沈む頃には、〈マーガレット〉がすっぽりと収まるほどの沼地が出来上がっていた。
「とりあえず、今日を凌いだな」
疲れ切った声で呟きながら、レティシアは跨がっている軍馬の馬首を巡らせた。
「総員、陣まで戻るぞ。リリンは予定通り、使い魔を」
「わかりました。魔術を使いますので、馬車で移動をさせて頂きます」
「ああ、よろしく頼む」
レティシアの号令によって、《白翼騎士団》は軽いだく足で移動を開始した。
リリンは幌のある馬車で床に座ると、精神を集中させながら、使い魔を召喚するための呪文を詠唱し始めた。
やがて魔術が行使されると、召喚された一羽のフクロウが杖の先端に止まった。リリンは目を閉じると杖の先端を介して、使い魔であるフクロウへ、自らの意識を移した。
今やフクロウとなったリリンの意識は、〈マーガレット〉が作りだした沼地へ向けて飛び立った。
幸いなことに、夜空には月が浮かんでいる。フクロウの目を以てすれば、少々の暗がりでも不自由することはない。
慎重に沼地の上空を飛んでいたリリンは、ゆっくりと降下し始めた。
泥の混じった水面に近づくと、沼地の真ん中辺りに、月明かりを鈍く反射しているものに気付いた。
半透明なそれは、なだらかな曲線を描きながら、やまなりになっていた。しかし頂上近くにだけ、月明かりを反射しない影がある。
リリンが山頂の影に近寄ってみると、それは人間の男の姿をしていた。少しやつれてしまったのか、元々着ていた服は、かなりのゆとりができていた。
頭髪の薄い――その男は間違いなく、行方不明になっていたジョンだ。
ジョンは粘液に絡め取られながら、干し肉のようなものを囓っていた。リリンが近寄ると、ジョンは怯えたような顔をした。
「ひっ――くるな。来ないでくれ。た、食べないで」
〝落ちついて下さい。わたしは、《白翼騎士団》の団員です〟
「は、《白翼騎士団》って……メイオール村……の?」
〝はい。あなたを探していました。それと、この巨大な化け物の対処を〟
リリンの返答に、ジョンは隈のある、窶れた顔に涙を浮かべながら両手を組んだ。
「ああ……神様! いや、騎士様方にも感謝いたします! 食い物はあるんだが、喉が渇いて仕方ないんでさあ……たまに、雨水や泥水が飲めるくらいで、あとは……干し肉の残りしか口にしてないんで」
〝干し肉――ランドさんから聞いた、鬼神から貰ったという食料ですか?〟
「ああ……あと、少ないけどラム酒の瓶が一本……でも、なんでランドが、旦那のことを知ってるんで?」
怪訝な顔をするジョンに、リリンはどう答えるべきか迷った。鬼神と関わりを持つというのは、ともすれば異端審問沙汰になりかねない。
ジョンもそれを理解しているのか、言った直後に「しまった――」という顔をした。
頭の中だけで〈計算能力〉による状況判断を行ったリリンは、やがて世間話をするような声で告げた。
〝あなたを探す途中で、鬼神の神域へと赴いたのです。そこで、あなたとこの化け物の状況を教えて貰ったみたいです〟
「なるほど……さすがは旦那だ。ランドも、そこまでしてくれて、ありがてぇ」
〝我々はランドさんと共同で、この化け物から、あなたを救う手段を探っています。お辛い状況ですが、もうしばらく待って下さい〟
「騎士様、ありがとうございます。なんだか、希望が沸いてきました……そうとなったら、今夜は乾杯ですぜ!」
ジョンはそう言って、手にしていたラム酒をラッパ飲みしようとした。
リリンは嘴でジョンの手を軽く突くと、フクロウである首を振った。
〝とはいえ、今日明日で解決できる問題ではありません。食料は大事にして下さい〟
「あ、ああ……すいません。そうします」
未練がましい目をラム酒の瓶に向けながらも、ジョンは項垂れるように頷いた。
リリンが意識を解くと、フクロウは煙のように消えてしまった。意識は馬車に揺られているリリン本人に戻るや否や、倒れるように幌に身体を凭れさせた。
「リ――リリン、だ、だだ、大丈夫ですかぁ?」
真向かいに座っていたユーキが、慌ててリリンに駆け寄った。
リリンが荒くなった呼吸を整えているうちに、激しく波打った鼓動が、徐々に収まっていく。大きく息が吸えるようになるまで回復してから、ユーキに頷く。
「だ……大丈夫、です。それより、ジョンさんを見つけました。かなり疲弊されているようですが、まだ生きています」
「そっか……それじゃあ、あたしが団長に、それを伝えてくるから。リリンはここで休んでいてね」
「……はい」
目を閉じるリリンを床に寝かせたユーキは、幌の後ろから頭を出した。
最後尾を走るクロースを手招きすると、ユーキはリリンが述べた内容を、そのまま伝えた。
クロースからユーキの伝言を伝えられたレティシアとセラは、どこか安堵の顔を浮かべながら、馬首を並べた。
後ろに沙羅を乗せたままのセラが、
「ランドたちが戻って来れば、あの化け物もなんとかできそうですね」
「そうだろうが……素直には喜べぬな。リリンの話では、ランドとドラゴンの姫君は別の鬼神のところへ行ったという。あの二人が次に戻ってくるのは、果たして何日後になるのだろうな?」
「あ……」
そのことは思いもよらなかったのか、セラは表情を失った。そんなセラの後ろにいる沙羅は、神妙な顔で語り出した。
「神域に流れる刻は、鬼神によって異なる。こちらより時の流れが速い神域であれば、今日中にも姫様が帰って来られるかもしれん」
「ことらより速い……か。それを願いたいものです。ただ、向こうでは十年ほど経っている可能性もあるわけですな。あの姫様なら、ランドとの子作りを強行しておるかもしれませんね」
「だ、団長……」
露骨に狼狽えるセラに、レティシアは苦笑してみせた。
「どうした、セラ? さっきのは、ただの冗談だ」
「冗談……いえ、あの……団長」
セラは咳払いをしてから、自分の後ろを一瞥した。
「姫様……が、ランドと子作り? そんな……でも、まさか……」
ブツブツと呟きながら、最後には「やはりランドは殺すしか――」などと口走り始める沙羅に、レティシアは少し引き気味に声をかけた。
「沙羅殿、あくまでも冗談ですので……あの」
レティシアの言葉が耳に入っていないのか、沙羅はしばらく常軌を逸した目で、ブツブツと呟き続けたのだった。
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