上 下
49 / 232
第二部『帰らずの森と鬼神の迷い子』

二章-7

しおりを挟む

   7

 洞穴から出ると、目の前に《白翼騎士団》の馬車が停まっていた。最近になって御者台が白く塗られた一台だが、幌は使い込まれていて、所々に繕ったあとがある。
 まだ昼を少し過ぎたところだろうか、ほぼ真上から降り注ぐ暖かな木漏れ日の中、見張りなのか女従者の一人が、長剣の柄に手を添えながら周囲を警戒していた。
 瑠胡は洞穴を出ると、その馬車の後方へと向かい始めた。木々がまばらになり、少し開けた場所に出ると、瑠胡は俺たちに止まるように手で制した。


「しばし、そこで待て」


 立ち止まった俺たちから少し離れると、瑠胡は振り返った。
 目を閉じた瑠胡から、虹色の光が溢れ、帯のように全身を覆っていく。瑠胡を中心に吹き荒れる突風で舞い上がる砂埃に、俺たちが腕で顔を覆った。
 突風が収まったとき、瑠胡が居た場所には艶やかな緑の鱗を持つ、巨大なドラゴンが鎮座していた。


〝どうだ? 妾に乗って行けば、国を横断するのも一日かからぬぞ〟


「ああ、なるほど」


 正直に言って……瑠胡がドラゴンだったことを、ちょっと忘れかけていた。確かに飛んで行けたら、アレレカン湖まで一、二時間で行けるかもしれない。
 天竜族だっけ……まさかドラゴンの姫様が俺を乗せて飛んでくれると、自分から言ってくれるとは思わなかった。
 礼を言おうと瑠胡に近づこうとした俺の耳に、ドサッという音が聞こえてきた。


「あ、ああ……ど、ド、ド、ドラゴン……!?」


 腰を抜かしたように、フレッドは地面に尻餅をついた。初見ではないリリンでさえ、顔に緊張の色が窺える。
 俺はドラゴンの姿になった瑠胡を見ても、不思議と恐怖心が沸いてこなかった。
 ドラゴンが、瑠胡だってわかっているから……かもしれない。外見なんか問題じゃなくて、瑠胡だから安心というのは、我ながら彼女を信頼しすぎだと思う。
 そんな自分が妙に可笑しくて、俺は忍び笑いを浮かべていた。


〝どうした?〟


「あ、いえ……前のときと違って、あまり怖くないって思って」


 問われたから、素直に答えたわけだけど……瑠胡は目をなんども瞬かせながら、俺に顔を寄せてきた。


〝怖……かったのか?〟


「あ、いや……最初のときは、流石に。なんせ、いきなりドラゴンでしたからね。ビックリとかを通り越して、血の気が引きましたよ」


〝血の気が引く……〟


 どこか、瑠胡の声が小さくなった気がするけど……気のせいかな?
 俺は少し考えたけど……質問には嘘を混ぜることなく、素直に答えたし。怒らせるようなことはしてないと思うんだけど。

 ……まあ、深く悩んでいる余裕はない。

 俺は瑠胡の胴体に近寄ると、そっと肩のところに手を添えた。


「俺が乗っちゃっていいんですか?」


 念のため、確認しようと声をかけたんだけど……瑠胡は巨体を揺らしながら、俺の手から僅かに遠ざかった。
 戸惑う俺の前で、瑠胡は見る間に人間の姿へと戻ってしまった。


「えっと……姫様、どうしたんです?」


 俺が首を傾げていると、瑠胡はむくれたような、上目遣いの顔を向けてきた。


「……気が変わった。やはり馬車で行くとしよう」


「ちょ……ちょっと、待って下さい。どうしてですか?」


 いきなりのことで、俺は気が動転してしまった。
 けれど正直、移動手段なんかより、瑠胡の機嫌を損ねたんじゃないか――ということのほうに気を取られていた。
 見るからに慌てていただろう俺の問いに、瑠胡は形の良い唇を少し尖らせながら、僅かに首を背けて、何ごとかを呟いた。


「怖いなどと言われたら、ドラゴンに変化したくなくなるではないか……」


「なにか言いました?」


「……気にするでない。大したことではない」


 プイッとそっぽを向いた瑠胡の横顔を見るに、大したことじゃないという雰囲気でもなかった。

 というより……もしかして、拗ねてる?

 なんだろう、俺がドラゴンの姿でも怖くないって発言が、気に触ったんだろうか。なにせ、ドラゴンというのは魔物の中でも最上級の存在だ。
 それを〝怖くない〟と言われて、気を悪くした……のかな?


「あ、あの……ですね。ドラゴンの姿が怖くないってわけじゃなくて。正体が姫様だから、怖くないというか……ええっと、どんな姿でも姫様だから安心できるって意味でして。だから、ドラゴンの姿に威厳や迫力がないとか、そういう意味じゃありませんから」


 プイッ。
 俺の謝罪も虚しく、瑠胡はさらに顔を背けてしまった。
 恥ずかしながら、今まで異性との関わりなんてほとんどなかったから。こういうとき、どういう対応が正解なのか、まったくわからない。
 リリンから貰った〈計算能力〉の《スキル》でも、俺の経験が少な過ぎるのか、最適解が出てこない。
 かくなる上は……正攻法しか、できることはない。
 そんなわけで、俺は瑠胡に対して誠心誠意、説明と謝罪を繰り返すこととなった。

   *

 ランドと瑠胡が二人で騒いでいる光景を、フレッドは半目だが冷静に眺めていた。それもしばらくすると、心から呆れたような、大きな溜息に変わった。
 同様にランドたちを見ていたリリンが振り向くと、地面に腰を降ろしたまま、フレッドは再び溜息を吐いた。


「そういえば、キャットさんが『あの二人は、隙あらばイチャイチャとするんだけど』ってぼやいてましたっけ。その気持ちが、わかった気がします」


「あれは、イチャついているというのでしょうか?」


「言うと思います。言っちゃっていいんじゃないですか?」


 本当に恋人同士じゃないんですか、あれ。
 そんな言葉を飲み込んだフレッドに、リリンは澄まし顔で応じた。


「……仲が良いことは、悪いことではないから」

 
 よく見れば、必死なランドとは対象的に、瑠胡はどことなく楽しげだ。きっと、ランドがこれほどまでに関わってくるのが、嬉しいのだろう。

 ――その調子。お兄さんとお姉さんには、仲良くしてて欲しいから。

 リリンはそんなことを思いながら、ランドと瑠胡のやりとりへと目を戻した。



 それから十数分後――ようやくドラゴンになった瑠胡が、ランドを背に乗せて飛び立っていった。
 リリンはそれを見送ってから、フレッドと女従者に出立を指示した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。

木山楽斗
恋愛
伯爵令嬢であるアルティリアは、婚約者からある日突然婚約破棄を告げられた。 彼はアルティリアが上から目線だと批判して、自らの妻として相応しくないと判断したのだ。 それに対して不満を述べたアルティリアだったが、婚約者の意思は固かった。こうして彼女は、理不尽に婚約を破棄されてしまったのである。 そのことに関して、アルティリアは実の父親から責められることになった。 公にはなっていないが、彼女は妾の子であり、家での扱いも悪かったのだ。 そのような環境で父親から責められたアルティリアの我慢は限界であった。伯爵家に必要ない。そう言われたアルティリアは父親に告げた。 「私は私で勝手に生きていきますから、どうぞご自由にお捨てになってください。私はそれで構いません」 こうしてアルティリアは、新たなる人生を送ることになった。 彼女は伯爵家のしがらみから解放されて、自由な人生を送ることになったのである。 同時に彼女を虐げていた者達は、その報いを受けることになった。彼らはアルティリアだけではなく様々な人から恨みを買っており、その立場というものは盤石なものではなかったのだ。

召喚された陰キャの物作りチート異世界ライフ〜家に代々伝わる言葉を入力したら、大量にギフトが届いたんですけど?!〜

橘 はさ美
ファンタジー
田中 遥斗 (タナカハルト) 17歳。 とある高校2年生だ。 俺はいつもクラスの陽キャ共に虐げられる生活を送っていた。「購買の限定パン買ってこい」だの、「出世払いで返すから金貸せ」だの、もう沢山だッ! ――しかしある日、小休憩の時間にいきなり赤い魔法陣のようなものがクラスを襲った。 クラス中がパニックになる中、俺だけは目を輝かせていた。 遂に来たッ!異世界転移!これでこんなカス生活とはおさらばだぁぁぁぁあッ!! ――目が覚め、顔を上げるとそこは中世ヨーロッパのような王宮の中であった。 奥には王様が王座に座り、左右には家臣が仕える。 ―乳房の大きい女性が口を開いた。 「あなた達は、我々が召喚しました。この世界は魔王の作り出す魔物でピンチなのです」 そして突然、”スキル水晶”なるものに手を触れさせられる。陽キャ共は強力なスキルを手に入れ、ガッツポーズをする。 ⋯次はいよいよ俺だ⋯ッ! そして空間に映し出される、ステータスとスキル。そのスキルは――”造形”。土属性の物の形を変えるスキルだ。 「お、お前、”造形”とか⋯粘土こねるだけじゃねーか!www」 クラス中で笑いが巻き起こり、俺は赤面。 王様たちも、ため息をついている。 ⋯⋯ねぇ、俺の最強異世界生活はどこ行ったの??

よくある婚約破棄なので

おのまとぺ
恋愛
ディアモンテ公爵家の令嬢ララが婚約を破棄された。 その噂は風に乗ってすぐにルーベ王国中に広がった。なんといっても相手は美男子と名高いフィルガルド王子。若い二人の結婚の日を国民は今か今かと夢見ていたのだ。 言葉数の少ない公爵令嬢が友人からの慰めに対して放った一言は、社交界に小さな波紋を呼ぶ。「災難だったわね」と声を掛けたアネット嬢にララが返した言葉は短かった。 「よくある婚約破棄なので」 ・すれ違う二人をめぐる短い話 ・前編は各自の証言になります ・後編は◆→ララ、◇→フィルガルド ・全25話完結

弱小テイマー、真の職業を得る。~え?魔物って進化するんですか?~

Nowel
ファンタジー
3年間一緒に頑張っていたパーティを無理やり脱退させられてしまったアレン。 理由は単純、アレンが弱いからである。 その後、ソロになったアレンは従魔のために色々と依頼を受ける。 そしてある日、依頼を受けに森へ行くと異変が起きていて…

所詮は他人事と言われたので他人になります!婚約者も親友も見捨てることにした私は好きに生きます!

ユウ
恋愛
辺境伯爵令嬢のリーゼロッテは幼馴染と婚約者に悩まされてきた。 幼馴染で親友であるアグネスは侯爵令嬢であり王太子殿下の婚約者ということもあり幼少期から王命によりサポートを頼まれていた。 婚約者である伯爵家の令息は従妹であるアグネスを大事にするあまり、婚約者であるサリオンも優先するのはアグネスだった。 王太子妃になるアグネスを優先することを了承ていたし、大事な友人と婚約者を愛していたし、尊敬もしていた。 しかしその関係に亀裂が生じたのは一人の女子生徒によるものだった。 貴族でもない平民の少女が特待生としてに入り王太子殿下と懇意だったことでアグネスはきつく当たり、婚約者も同調したのだが、相手は平民の少女。 遠回しに二人を注意するも‥ 「所詮あなたは他人だもの!」 「部外者がしゃしゃりでるな!」 十年以上も尽くしてきた二人の心のない言葉に愛想を尽かしたのだ。 「所詮私は他人でしかないので本当の赤の他人になりましょう」 関係を断ったリーゼロッテは国を出て隣国で生きていくことを決めたのだが… 一方リーゼロッテが学園から姿を消したことで二人は王家からも責められ、孤立してしまうのだった。 なんとか学園に連れ戻そうと試みるのだが…

私の居場所

空宇海
恋愛
兄は優秀な人で勉強も運動もできる人 勉強は常に1位 そんな私は勉強も運動も頑張った。 頑張っても父親に認めてもらえない。 離婚し久しぶりに兄と父親に再会する 私の居場所は何処にもない、そう思ってた。 好きな人ができて、家族と……

異世界街道爆走中〜転生したのでやりたい仕事を探します。

yuimao
ファンタジー
〜あらすじ〜  親父に異世界に飛ばされた七星ワタル(27歳) 眼の前に現れたのは、不思議な馬車と風の妖精ウェンディだった。  ブラック企業で働くワタルは、妹の結婚式の帰りに意識を失う。  目を覚ました狭間の世界では20歳の時に疾走したはずの父ガンテツが現れる。 トラック野郎だった親父が異世界アトランティスの管理者?この世界の元勇者?ふざけた事を抜かす親父にワタルはドロップキックをかました。  父親にアトランティスに飛ばされたワタルは好きなよう生きろに言われたので、就職活動をする事に。  与えられた能力は妖精に愛される魔力と一台の馬車。  これで仕事を探せと言うのか?  妖魔の森には凶悪な魔獣とへんてこな妖精たち。  やがて魔獣に襲われていた白竜族の少女ユキナとの出会いに妹の面影を見出す。  魔獣を倒し魔石でカスタムする精霊馬車は、実はチート級のデコトラだった。  妖精達にはモテモテのワタルは、問題を抱える妖精を知らずに知らず助けていってしまう。  過保護な親が次々にちょっかいをかけてくるので、鬱陶しい。  様々な出会いを通して、ワタル自身も救われる事に。  これは精霊と馬車と一緒に異世界街道を爆走しながら、本当にやりたかった仕事を探す物語。  馬車は親父の趣味が満載のとんでも仕様。  俺本当にここでやっていけるのかな?  のんびりできそうもない!? 〜異世界のんびり系〜 〜たくさんの妖精と旅をしながら仕事を探します〜 〜過保護な親がちょっかいを出してきます〜 〜馬車が変形します〜

今さら、私に構わないでください

ましゅぺちーの
恋愛
愛する夫が恋をした。 彼を愛していたから、彼女を側妃に迎えるように進言した。 愛し合う二人の前では私は悪役。 幸せそうに微笑み合う二人を見て、私は彼への愛を捨てた。 しかし、夫からの愛を完全に諦めるようになると、彼の態度が少しずつ変化していって……? タイトル変更しました。

処理中です...