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第二部『帰らずの森と鬼神の迷い子』
一章-4
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瑠胡の意見を元に、俺たちはジョンさんたちが訪れたらしい洞穴の前に来ていた。
洞穴は、焚き火の痕があった河原から、一時間ほどの距離だ。山の麓にあるんだけど、この山の名前は……なんだっけな。
洞穴の高さは、三マーロン(約三メートル七五センチ)ほど。幅は二マーロン(約二メートル五〇センチ)くらいだ。
上辺はどこか真っ直ぐに見えるけど……もしかしたら、気のせいかもしれない。
出入り口には雑草が生い茂っているから、動物やゴブリンなどの巣になっていることもなさそうだ。
それらを思わせる足跡もない――と言っても、騎士団もここに来ているようだから、そこまで念入りに調べる必要はないだろう。
これは騎士団の面々を見下しているわけではなく、ここを調査をした彼女たちを信じている、ということだ。
こういう調査は、ここにいるキャットが得意だろうし。
洞穴の前では、女従者が松明を灯して、ユーキとキャットに手渡していた。
「それじゃあ、入りましょうか」
そういうキャットとは正反対に、ユーキは最後尾で震えていた。
先頭をキャット、次は俺、それから瑠胡。最後はユーキにしたけど……ずっと怯えてるし。
「ユーキ、なんなら変わるけど?」
「だ、大丈夫です……やっぱり怖いですけど……」
「最後尾は、ユーキに任せていいわよ。それより、早く入りましょ」
後続の俺たちを急かすように、キャットは洞穴の中に入って行った。
俺は長剣の柄に手を添えながら、瑠胡と前を進む松明の炎を交互に見ながら、そのあとに続いた。
洞穴の壁と床は、粘液のようなもので覆われていた。天井にはないけど、それはすでに滴り落ちたあとだからだ。
気をつけていれば滑ることはないけど、木で出来た高いサンダルのような履き物――下駄という名らしい――の瑠胡には、少し辛いかもしれない。
「姫様、大丈夫ですか? なんなら、俺の腕でも捕まって下さい」
「……では、喜んでそうさせて貰おう」
暗い洞穴で表情まではよく見えなかったけど、瑠胡の声はどこか普段よりも明るいように思えた。ドラゴンの一族なだけあって、暗いところでも平気なのかもしれない。
俺の左腕の袖を掴んだとき、瑠胡の体勢が崩れた。どうやら、下駄がぬめりで滑ったようだ。
俺はすぐに、瑠胡の身体を支えた。俺の足も滑りかけたけど、そこはなんとか踏ん張ることができた。
「だ、大丈夫ですか?」
「す――すまぬ。思いの外、足元が滑るのう」
瑠胡は元の姿勢に戻ろうとしたけど、足元が滑るせいか、なかなか一人で立つことができないでいた。
俺は少し抱くようにしながら、瑠胡の身体を支えた。
「これで、立てますか?」
「ふむ……なかなか、よい感じだな」
「そうですか。それじゃあ――」
「この姿勢のまま、先に向かうとしようかのう」
……へ?
俺は一瞬、瑠胡の言ったことが理解できなかった。
この姿勢って……俺が、瑠胡を抱くような姿勢でってこと?
改まって今の姿勢を意識すると、なんか恥ずかしくなってきた。重ね着してるからか、触れ合っている身体から体温を感じることはない。けど、瑠胡が頬を当てている左胸のあたりから、彼女の温かさが伝わってきている。
俺は照れてることを悟られないよう、深呼吸をしてから口を開いた。
「あの……俺が、姫様の身体に手を回すような姿勢なんですけど。それでいいんですか?」
「別に構わぬぞ? それとも妾と、このような姿勢でいるのは好まぬか?」
「いえ……そんなことは、ないんですけど」
単に恥ずかしいから、とは言えるわけもなく。俺が首を横に振ると、瑠胡から少しホッとしたような気配が伝わって来た。
前にいるキャットは、松明とは逆の手で、乱暴に後頭部を掻いていた。瑠胡が歩けるようになるまで、手間取っていることに気付いたのだろうか?
そんなキャットを余所に、瑠胡は俺の服を軽く掴んできた。
「ならば、必要以上に気にするでない。妾は……なにも気にしておらぬ」
「そ、そうですか……なら、このままで?」
「うむ。頼むぞ」
そう言って、ピッタリと身体を預けてきたんだけど……そんな瑠胡に、俺は戸惑うばかりだ。
あれ? もしかして、俺が思っているより、瑠胡に嫌われてはいないのか? この前、俺が裏切らない限り、裏切らないって言われたばかりだけど。
暗くて、瑠胡の表情は読み取れない。俺は少しだけ腕の力を強めながら、瑠胡の顔を覗き込んだ。
「この体勢がイヤなら、いつでも言って下さいね」
「そのようなこと、思うておらぬ。まったく……気にしすぎよのう。それとも妾に身体を預けられて、照れておるのか?」
「いや、その……少しだけです」
俺が三割ほど正直に答えると、瑠胡は「クス」と笑ったのが聞こえた。
それでまた顔が赤くなりかけたとき、キャットが苛立たしげな声を漏らしながら、俺たちのほうに振り返ってきた。
「ああ……もう! あんたたち、こんなときにイチャイチャするんじゃないよ。そういうのは、家に帰ってからやんな」
「いや、イチャイチャって……」
「それは申し訳なかった。以後、気をつけるとしよう」
あれ、否定……しないの?
松明に照らされた瑠胡の顔は、普段と同じ澄まし顔――ではなく、どこか夢見る乙女のように、うっとりと微笑んでいた。
そんな艶っぽい表情の瑠胡に、俺は見惚れてしまった。熱が頭の芯にまで達して、思考は真っ白だ。
きっと、俺は呆けた顔をしていたんだろう。キャットの舌打ちが聞こえてきた。
「で、そっちは?」
キャットは、あからさまに俺を睨んでいた。
どうやら、俺の返答待ちみたいだ。場を取り繕うことも考えたけど、下手に誤魔化すと、瑠胡の機嫌を損ねそうな気がするし……訳の解らない状況だから、こういった直感には従ったほうがいい。
俺はしばらく悩んでから、顔を赤らめたまま答えた。
「あの、その……すんません」
「わかればいいのよ。まったく……前回、洞窟に粘液なんかなかったし、なにが潜んでるかわからないの。油断しないで」
「わ、わかった」
俺が頷くと、キャットはまた歩き始めた。
俺は瑠胡の身体を支えるようにしながら、ゆっくりとキャットに付いていく。ふと背後のユーキを見れば、目を爛々と輝かせながら、俺たちを見ていた。
……さっきまで、怯えてると思ってたけど。恋愛ごととか大好きなんか、この子。
洞穴の一番奥に到着したのは、数分後のことだった。
岩壁はほぼ垂直で、左右に柱のような鍾乳石がある。抜け道になりそうな隙間などはなく、キャットが言っていたように行き止まりだ。
瑠胡は一番奥の壁に顔を近づけると、僅かに目を細めた。
「なるほど。やはり神域か」
「神域?」
俺の問いに、瑠胡は壁の一点を指で示した。
「神域とは、神を奉る場所。神と交信する場所のこと。ここに、三日月と男の図が刻まれておる。これが行方知れずの者を探す、手掛かりかもしれぬな。少なくとも、月夜でなければならぬのだろう」
「えっと……つまり、昼間だと手掛かりを得られない?」
「恐らく。夜まで待たねばならんだろうな」
「えっと……それなら、一度戻ります?」
先ほどまでの目の輝きが失せたユーキが、どこかホッとした顔で訊いてきた。キャットも異を唱えていないことから、ユーキと同意見のようだ。
「戻りますか」
「それがよかろう。この中で、夜まで過ごしたくはないしの」
意見が一致したことで、俺たちは洞穴から出ることにした。
夜にまた来ることになったわけだけど……あの粘液の中で、また瑠胡を支えながら歩くと思うと、ちょっとだけドキドキとしてしまう。
そんな自分に戸惑いながら、俺は河原に戻るまでのあいだに、頭を冷やすことに専念したのだった。
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