上 下
39 / 232
第二部『帰らずの森と鬼神の迷い子』

一章-4

しおりを挟む

   4

 瑠胡の意見を元に、俺たちはジョンさんたちが訪れたらしい洞穴の前に来ていた。
 洞穴は、焚き火の痕があった河原から、一時間ほどの距離だ。山の麓にあるんだけど、この山の名前は……なんだっけな。
 洞穴の高さは、三マーロン(約三メートル七五センチ)ほど。幅は二マーロン(約二メートル五〇センチ)くらいだ。
 上辺はどこか真っ直ぐに見えるけど……もしかしたら、気のせいかもしれない。
 出入り口には雑草が生い茂っているから、動物やゴブリンなどの巣になっていることもなさそうだ。
 それらを思わせる足跡もない――と言っても、騎士団もここに来ているようだから、そこまで念入りに調べる必要はないだろう。
 これは騎士団の面々を見下しているわけではなく、ここを調査をした彼女たちを信じている、ということだ。
 こういう調査は、ここにいるキャットが得意だろうし。
 洞穴の前では、女従者が松明を灯して、ユーキとキャットに手渡していた。


「それじゃあ、入りましょうか」


 そういうキャットとは正反対に、ユーキは最後尾で震えていた。
 先頭をキャット、次は俺、それから瑠胡。最後はユーキにしたけど……ずっと怯えてるし。


「ユーキ、なんなら変わるけど?」


「だ、大丈夫です……やっぱり怖いですけど……」


「最後尾は、ユーキに任せていいわよ。それより、早く入りましょ」


 後続の俺たちを急かすように、キャットは洞穴の中に入って行った。
 俺は長剣の柄に手を添えながら、瑠胡と前を進む松明の炎を交互に見ながら、そのあとに続いた。
 洞穴の壁と床は、粘液のようなもので覆われていた。天井にはないけど、それはすでに滴り落ちたあとだからだ。
 気をつけていれば滑ることはないけど、木で出来た高いサンダルのような履き物――下駄という名らしい――の瑠胡には、少し辛いかもしれない。


「姫様、大丈夫ですか? なんなら、俺の腕でも捕まって下さい」


「……では、喜んでそうさせて貰おう」


 暗い洞穴で表情まではよく見えなかったけど、瑠胡の声はどこか普段よりも明るいように思えた。ドラゴンの一族なだけあって、暗いところでも平気なのかもしれない。
 俺の左腕の袖を掴んだとき、瑠胡の体勢が崩れた。どうやら、下駄がぬめりで滑ったようだ。
 俺はすぐに、瑠胡の身体を支えた。俺の足も滑りかけたけど、そこはなんとか踏ん張ることができた。


「だ、大丈夫ですか?」


「す――すまぬ。思いの外、足元が滑るのう」


 瑠胡は元の姿勢に戻ろうとしたけど、足元が滑るせいか、なかなか一人で立つことができないでいた。
 俺は少し抱くようにしながら、瑠胡の身体を支えた。


「これで、立てますか?」


「ふむ……なかなか、よい感じだな」


「そうですか。それじゃあ――」


「この姿勢のまま、先に向かうとしようかのう」


 ……へ?

 俺は一瞬、瑠胡の言ったことが理解できなかった。
 この姿勢って……俺が、瑠胡を抱くような姿勢でってこと? 
 改まって今の姿勢を意識すると、なんか恥ずかしくなってきた。重ね着してるからか、触れ合っている身体から体温を感じることはない。けど、瑠胡が頬を当てている左胸のあたりから、彼女の温かさが伝わってきている。
 俺は照れてることを悟られないよう、深呼吸をしてから口を開いた。


「あの……俺が、姫様の身体に手を回すような姿勢なんですけど。それでいいんですか?」


「別に構わぬぞ? それとも妾と、このような姿勢でいるのは好まぬか?」


「いえ……そんなことは、ないんですけど」


 単に恥ずかしいから、とは言えるわけもなく。俺が首を横に振ると、瑠胡から少しホッとしたような気配が伝わって来た。
 前にいるキャットは、松明とは逆の手で、乱暴に後頭部を掻いていた。瑠胡が歩けるようになるまで、手間取っていることに気付いたのだろうか?
 そんなキャットを余所に、瑠胡は俺の服を軽く掴んできた。


「ならば、必要以上に気にするでない。妾は……なにも気にしておらぬ」


「そ、そうですか……なら、このままで?」


「うむ。頼むぞ」


 そう言って、ピッタリと身体を預けてきたんだけど……そんな瑠胡に、俺は戸惑うばかりだ。

 あれ? もしかして、俺が思っているより、瑠胡に嫌われてはいないのか? この前、俺が裏切らない限り、裏切らないって言われたばかりだけど。

 暗くて、瑠胡の表情は読み取れない。俺は少しだけ腕の力を強めながら、瑠胡の顔を覗き込んだ。


「この体勢がイヤなら、いつでも言って下さいね」


「そのようなこと、思うておらぬ。まったく……気にしすぎよのう。それとも妾に身体を預けられて、照れておるのか?」


「いや、その……少しだけです」


 俺が三割ほど正直に答えると、瑠胡は「クス」と笑ったのが聞こえた。
 それでまた顔が赤くなりかけたとき、キャットが苛立たしげな声を漏らしながら、俺たちのほうに振り返ってきた。


「ああ……もう! あんたたち、こんなときにイチャイチャするんじゃないよ。そういうのは、家に帰ってからやんな」


「いや、イチャイチャって……」


「それは申し訳なかった。以後、気をつけるとしよう」


 あれ、否定……しないの? 

 松明に照らされた瑠胡の顔は、普段と同じ澄まし顔――ではなく、どこか夢見る乙女のように、うっとりと微笑んでいた。
 そんな艶っぽい表情の瑠胡に、俺は見惚れてしまった。熱が頭の芯にまで達して、思考は真っ白だ。
 きっと、俺は呆けた顔をしていたんだろう。キャットの舌打ちが聞こえてきた。


「で、そっちは?」


 キャットは、あからさまに俺を睨んでいた。
 どうやら、俺の返答待ちみたいだ。場を取り繕うことも考えたけど、下手に誤魔化すと、瑠胡の機嫌を損ねそうな気がするし……訳の解らない状況だから、こういった直感には従ったほうがいい。
 俺はしばらく悩んでから、顔を赤らめたまま答えた。


「あの、その……すんません」


「わかればいいのよ。まったく……前回、洞窟に粘液なんかなかったし、なにが潜んでるかわからないの。油断しないで」


「わ、わかった」


 俺が頷くと、キャットはまた歩き始めた。
 俺は瑠胡の身体を支えるようにしながら、ゆっくりとキャットに付いていく。ふと背後のユーキを見れば、目を爛々と輝かせながら、俺たちを見ていた。

 ……さっきまで、怯えてると思ってたけど。恋愛ごととか大好きなんか、この子。

 洞穴の一番奥に到着したのは、数分後のことだった。
 岩壁はほぼ垂直で、左右に柱のような鍾乳石がある。抜け道になりそうな隙間などはなく、キャットが言っていたように行き止まりだ。
 瑠胡は一番奥の壁に顔を近づけると、僅かに目を細めた。


「なるほど。やはり神域か」


「神域?」


 俺の問いに、瑠胡は壁の一点を指で示した。


「神域とは、神を奉る場所。神と交信する場所のこと。ここに、三日月と男の図が刻まれておる。これが行方知れずの者を探す、手掛かりかもしれぬな。少なくとも、月夜でなければならぬのだろう」


「えっと……つまり、昼間だと手掛かりを得られない?」


「恐らく。夜まで待たねばならんだろうな」


「えっと……それなら、一度戻ります?」


 先ほどまでの目の輝きが失せたユーキが、どこかホッとした顔で訊いてきた。キャットも異を唱えていないことから、ユーキと同意見のようだ。


「戻りますか」


「それがよかろう。この中で、夜まで過ごしたくはないしの」


 意見が一致したことで、俺たちは洞穴から出ることにした。
 夜にまた来ることになったわけだけど……あの粘液の中で、また瑠胡を支えながら歩くと思うと、ちょっとだけドキドキとしてしまう。
 そんな自分に戸惑いながら、俺は河原に戻るまでのあいだに、頭を冷やすことに専念したのだった。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

妻がエロくて死にそうです

菅野鵜野
大衆娯楽
うだつの上がらないサラリーマンの士郎。だが、一つだけ自慢がある。 美しい妻、美佐子だ。同じ会社の上司にして、できる女で、日本人離れしたプロポーションを持つ。 こんな素敵な人が自分のようなフツーの男を選んだのには訳がある。 それは…… 限度を知らない性欲モンスターを妻に持つ男の日常

俺の召喚獣だけレベルアップする

摂政
ファンタジー
【第8章、始動!!】ダンジョンが現れた、現代社会のお話 主人公の冴島渉は、友人の誘いに乗って、冒険者登録を行った しかし、彼が神から与えられたのは、一生レベルアップしない召喚獣を用いて戦う【召喚士】という力だった それでも、渉は召喚獣を使って、見事、ダンジョンのボスを撃破する そして、彼が得たのは----召喚獣をレベルアップさせる能力だった この世界で唯一、召喚獣をレベルアップさせられる渉 神から与えられた制約で、人間とパーティーを組めない彼は、誰にも知られることがないまま、どんどん強くなっていく…… ※召喚獣や魔物などについて、『おーぷん2ちゃんねる:にゅー速VIP』にて『おーぷん民でまじめにファンタジー世界を作ろう』で作られた世界観……というか、モンスターを一部使用して書きました!! 内容を纏めたwikiもありますので、お暇な時に一読していただければ更に楽しめるかもしれません? https://www65.atwiki.jp/opfan/pages/1.html

深刻な女神パワー不足によりチートスキルを貰えず転移した俺だが、そのおかげで敵からマークされなかった

ぐうのすけ
ファンタジー
日本の社会人として暮らす|大倉潤《おおくらじゅん》は女神に英雄【ジュン】として18才に若返り異世界に召喚される。 ジュンがチートスキルを持たず、他の転移者はチートスキルを保持している為、転移してすぐにジュンはパーティーを追放された。 ジュンは最弱ジョブの投資家でロクなスキルが無いと絶望するが【経験値投資】スキルは規格外の力を持っていた。 この力でレベルを上げつつ助けたみんなに感謝され、更に超絶美少女が俺の眷属になっていく。 一方俺を追放した勇者パーティーは横暴な態度で味方に嫌われ、素行の悪さから幸運値が下がり、敵にマークされる事で衰退していく。 女神から英雄の役目は世界を救う事で、どんな手を使っても構わないし人格は問わないと聞くが、ジュンは気づく。 あのゆるふわ女神の世界管理に問題があるんじゃね? あの女神の完璧な美貌と笑顔に騙されていたが、あいつの性格はゆるふわJKだ! あいつの管理を変えないと世界が滅びる! ゲームのように普通の動きをしたら駄目だ! ジュンは世界を救う為【深刻な女神力不足】の改善を進める。 念のためR15にしてます。 カクヨムにも先行投稿中

特殊スキル持ちの低ランク冒険者の少年は、勇者パーティーから追い出される際に散々罵しった癖に能力が惜しくなって戻れって…頭は大丈夫か?

アノマロカリス
ファンタジー
少年テイトは特殊スキルの持ち主だった。 どんなスキルかというと…? 本人でも把握出来ない程に多いスキルなのだが、パーティーでは大して役には立たなかった。 パーティーで役立つスキルといえば、【獲得経験値数○倍】という物だった。 だが、このスキルには欠点が有り…テイトに経験値がほとんど入らない代わりに、メンバーには大量に作用するという物だった。 テイトの村で育った子供達で冒険者になり、パーティーを組んで活躍し、更にはリーダーが国王陛下に認められて勇者の称号を得た。 勇者パーティーは、活躍の場を広げて有名になる一方…レベルやランクがいつまでも低いテイトを疎ましく思っていた。 そしてリーダーは、テイトをパーティーから追い出した。 ところが…勇者パーティーはのちに後悔する事になる。 テイトのスキルの【獲得経験値数○倍】の本当の効果を… 8月5日0:30… HOTランキング3位に浮上しました。 8月5日5:00… HOTランキング2位になりました! 8月5日13:00… HOTランキング1位になりました(๑╹ω╹๑ ) 皆様の応援のおかげです(つД`)ノ

特殊部隊の俺が転生すると、目の前で絶世の美人母娘が犯されそうで助けたら、とんでもないヤンデレ貴族だった

なるとし
ファンタジー
 鷹取晴翔(たかとりはると)は陸上自衛隊のとある特殊部隊に所属している。だが、ある日、訓練の途中、不慮の事故に遭い、異世界に転生することとなる。  特殊部隊で使っていた武器や防具などを召喚できる特殊能力を謎の存在から授かり、目を開けたら、絶世の美女とも呼ばれる母娘が男たちによって犯されそうになっていた。  武装状態の鷹取晴翔は、持ち前の優秀な身体能力と武器を使い、その母娘と敷地にいる使用人たちを救う。  だけど、その母と娘二人は、    とおおおおんでもないヤンデレだった…… 第3回次世代ファンタジーカップに出すために一部を修正して投稿したものです。

私の家族はハイスペックです! 落ちこぼれ転生末姫ですが溺愛されつつ世界救っちゃいます!

りーさん
ファンタジー
 ある日、突然生まれ変わっていた。理由はわからないけど、私は末っ子のお姫さまになったらしい。 でも、このお姫さま、なんか放置気味!?と思っていたら、お兄さんやお姉さん、お父さんやお母さんのスペックが高すぎるのが原因みたい。 こうなったら、こうなったでがんばる!放置されてるんなら、なにしてもいいよね! のんびりマイペースをモットーに、私は好きに生きようと思ったんだけど、実は私は、重要な使命で転生していて、それを遂行するために神器までもらってしまいました!でも、私は私で楽しく暮らしたいと思います!

序盤でボコられるクズ悪役貴族に転生した俺、死にたくなくて強くなったら主人公にキレられました。え? お前も転生者だったの? そんなの知らんし〜

水間ノボル🐳
ファンタジー
↑「お気に入りに追加」を押してくださいっ!↑ ★2024/2/25〜3/3 男性向けホットランキング1位! ★2024/2/25 ファンタジージャンル1位!(24hポイント) 「主人公が俺を殺そうとしてくるがもう遅い。なぜか最強キャラにされていた~」 『醜い豚』  『最低のゴミクズ』 『無能の恥晒し』  18禁ゲーム「ドミナント・タクティクス」のクズ悪役貴族、アルフォンス・フォン・ヴァリエに転生した俺。  優れた魔術師の血統でありながら、アルフォンスは豚のようにデブっており、性格は傲慢かつ怠惰。しかも女の子を痛ぶるのが性癖のゴミクズ。  魔術の鍛錬はまったくしてないから、戦闘でもクソ雑魚であった。    ゲーム序盤で主人公にボコられて、悪事を暴かれて断罪される、ざまぁ対象であった。  プレイヤーをスカッとさせるためだけの存在。  そんな破滅の運命を回避するため、俺はレベルを上げまくって強くなる。  ついでに痩せて、女の子にも優しくなったら……なぜか主人公がキレ始めて。 「主人公は俺なのに……」 「うん。キミが主人公だ」 「お前のせいで原作が壊れた。絶対に許さない。お前を殺す」 「理不尽すぎません?」  原作原理主義の主人公が、俺を殺そうとしてきたのだが。 ※ カクヨム様にて、異世界ファンタジージャンル表紙入り。5000スター、10000フォロワーを達成!

もふもふ相棒と異世界で新生活!! 神の愛し子? そんなことは知りません!!

ありぽん
ファンタジー
[第3回次世代ファンタジーカップエントリー] 特別賞受賞 書籍化決定!! 応援くださった皆様、ありがとうございます!! 望月奏(中学1年生)は、ある日車に撥ねられそうになっていた子犬を庇い、命を落としてしまう。 そして気づけば奏の前には白く輝く玉がふわふわと浮いていて。光り輝く玉は何と神様。 神様によれば、今回奏が死んだのは、神様のせいだったらしく。 そこで奏は神様のお詫びとして、新しい世界で生きることに。 これは自分では規格外ではないと思っている奏が、規格外の力でもふもふ相棒と、 たくさんのもふもふ達と楽しく幸せに暮らす物語。

処理中です...