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第二章『生き写しの少女とゴーストの未練』

二章-4

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   4

 日が傾き始めた頃になっても、マリアさんは姿を見せなかった。
 そのあいだ、ぼんやりと待っているのも馬鹿らしいので、商売をしようと思ったんだけど……生憎と材料が足りない。
 この街で、特に食料品の仕入れがままならない以上、《カーターサンド》を売りに出すのは、不可能じゃないけど、かなり辛い。
 俺はユタさんを手伝って、隊商の商人や傭兵たちへ提供する、炊き出しの準備をすることにした。
 これは、単なる暇つぶしってわけじゃない。なにかをしていないと、ただ苛々だけが募ってしまって、精神衛生上よろしくないからだ。
 あまり多くはないけど、人数分のパンとシチューを作っている途中で、フレディが俺を呼びに来た。


「若。昨晩も会ったマリアという娘と、貴族らしいご婦人が、若に会いたいと申しております」


「あ、やっと来たんだ。うん、今行くよ。ええっと……アリオナさんとメリィさんも一緒のほうが、よさそうかな? アリオナさんに声をかけてくるから、メリィさんのほうをお願いできる?」


「畏まりました」


 二手に分かれてアリオナさんやメリィさんと合流してから、俺たちは市場の端にいるマリアさんのところへと出向いた。
 市場の通りを抜けた場所に停まった、貴族が所有していそうな、品の良さそうな馬車の前で、マリアさんは佇んでいた。
 マリアさんは俺たちを認めると、頭を下げてから、少し怪訝な顔をした。


「皆様、遅れて申し訳ありません。ボロチン様の準備が手間取り、外出の時間が遅れたものですから。それはそうと……そちらの御方は、どなたでしょうか?」


 マリアさんの視線の先には、たおやかに微笑むエリーさんの姿があった。
 メリィさんは咳払いをしてから、小さく一礼をした。


「こちらの方は、わたしの主である、エリー……です。今回の話に、是非参加したいと」


「旅をしながら薬草などの商いをしております、エリーと申します。どうぞ、よしなに」


 この辺りでよく見る、膝を折る貴族の一礼ではないけど、優雅な所作で身体をやや斜めに傾けるエリーさんに、マリアさんは一礼を返した。


「これは御丁寧な挨拶をしていただき、ありがとうございます。本来であれば、ここでお嬢様のご紹介をすべきなのでしょうが、ここは人目が多すぎます。少し歩きますが、馬車に付いて来て下さいませ」


 そう言って俺たちに一礼したあと、マリアさんは御者台の男に目で合図を送った。
 だく足よりもゆっくりとした歩みで馬車が動き出すと、追従するように歩き始めたマリアさんが、俺たちに一礼をしてきた。
 俺たち五人も、マリアさんのあとを追うように歩き出した。
 先頭を行く一頭立ての馬車は、薄い青に塗装されている。栗毛の馬は従順で、御者は手綱を手荒にすることもなく操っている。
 やがて、馬車は大通りから一本外れた道に入り、こぢんまりとした店の前で停まった。
 馬車から水色のドレスを着た人物が店の中に入るのを待って、マリアさんが俺たちを促した。


「皆様、どうぞ中へ」


 看板や内装を見るに、この店は宿屋らしい。旅籠屋ではないから、ここは酒場にはなっておらず、受付と部屋への通路しかない。
 庶民向けではないし、かといって裕福層は絶対に使わないような宿屋だ。よく経営できてるな――と、つい商人じみた考えで、俺は内装を見回した。
 その通路の真ん中に、先ほど見た水色のドレスを着た女性が立っていた。
 後頭部で束ねて、左前だけは前に垂らしている金髪に、明るいグリーンの瞳。右目に泣きぼくろ、唇の両側にはエクボが見える。
 街を歩けば、一〇人中九人は間違いなく振り返るほどの美人だ。
 その美人は、俺たちを軽く見回してから、膝を折りながら一礼した。


「お初にお目にかかります。わたくしはボロチン・ハワードが長女、カレン・ハワードで御座います。このお店に、お話をするための部屋を御用意しております。マリア、お願い」


「はい。皆様、どうぞこちらへ」


 マリアさんは全員を促しながら、俺たちを地下にある個室へと案内した。
 五つもの燭台で照らされた個室の中には、少し横長のテーブルと、七つの椅子が置かれていた。
 それ以外には、なにもない。地下だから窓はもちろん、奥へ続くドアや、棚の類いも設置されていなかった。
 どうやらここは、内密の話をするための部屋らしい。そういう意味では、ここは宿屋というよりは密会や密議をするための場所みたいだ。
 上座に座ったカレンさんは、俺たちにも座るよう促した。
 カレンさんの左側に俺とアリオナさん、対面にはエリーさんとメリィさん。フレディは、俺の後ろで立っている。マリアさんにも座るよう促されたが、「これが努めですので」と言って、頑なに立ち続けていた。
 カレンさんは、改めて俺たちを見回してから、深々と頭を垂れた。


「この度は、父が皆様に大変なご迷惑をおかけしてしまいました。街を護るためという大義名分があるとはいえ、選択肢を奪う形で民兵へ参加させてしまったこと、深くお詫び申し上げます」


 俺はカレンさんが頭を上げるのを待って、口を開いた。


「あなたがしたことではありません。ですが我々の状況は、さらに深刻になっているんです」


「……マリアから、話は伺っております。隊商の商人たちに、民兵への誘いがあったということですね」


「そうです。それに、商材の仕入れもできない状況です。貴女の口添えで、なんとかできませんか? 少なくとも商売させできれば、商人たちを民兵へとせずに済みますから」


 俺の嘆願に、カレンさんは静かに首を振った。


「父のすることに、わたくしは介入できないのです。長女とはいえ、そこまでの権限もありませんし……なにより役人や兵舎の者たちは、父の命令にしか従いません」


 予想はしていたけど、娘では無理か。
 俺が溜息を吐いていると、エリーさんがカレンさんに話しかけた。


「あの……一つだけ、質問をしてもよろしいでしょうか? 実はわたくしたち、とある幽霊さんに、この街に来るよう頼まれたんです。街を救って欲しいと……恐らくは、魔物たちの襲撃を止めて欲しいのでしょう。カレン様? 貴女は、どこか逞しい印象の幽霊さんを御存知でしょうか?」


「幽霊……いいえ? わたくしは、存じておりません。でもどうして、わたくしに幽霊の話を?」


「その幽霊さんが仰るには、どうやら魔物を操っている者は、あなたを狙っていると。どうやら大昔にいた女性と、カレン様は瓜二つだとか」


「わたくしを狙って――その、幽霊というのは、他にはなにか仰っていましたか?」


「魔物を操っている者は、街の外にいる……としか。ですが、状況から推測しますと、その黒幕さんも幽霊である可能性が高いです」


 エリーさんの淡々とした説明に、カレンさんの表情に深刻そうな影が浮かび上がった。
 言葉が切れると、室内にはカレンさんの呼吸音だけが響いた。
 やがて、僅かだが落ち着きを取り戻したカレンさんは、青白くなった顔をエリーさんに向けた。


「エリー様……あなたは、わたくしに、なにをして欲しいのでしょうか?」


「あら。お話が早くて、助かりますわ。わたくしたちに、街の外へ出る許可を出して欲しいのです。といっても、逃げるのを手伝えと言っているのではありません。監視を付けても構いませんので、敵の本拠地を探らせて欲しいのです」


 エリーさんの頼みを聞いて、カレンさんから息を呑む気配が伝わって来た。
 数秒ほど時間をおいて、カレンさんが押し殺した声を出した。


「それを、わたくしに……父を説得せよと。そう仰るのですね」


「はい。現状、あなた様しか頼れるものがおりませんから」


 もしかしたら、カレンさんはエリーさんの最後の言葉は、聞いていなかったのかもしれない。肘を突きながら祈るような仕草をした両手に、蒼白な顔をそっと乗せている。
 やがて、僅かに顔を上げたカレンさんは、大きく息を吐いた。


「わかりました。どこまで説得できるかわかりませんが、父に話をしてみます。それから……もう一つ。お話を聞く限り、その幽霊というのは、この街が土地に縁がある者だと思います。大昔の書物を調べて、なにか手掛かりがないか調べようと思います。その結果は、マリアを通じて、あなたがたにお報せいたします」


「それは是非、お願いいたします」


 エリーさんは、にこやかに微笑んだ。
 話の主導権は完全に、エリーさんが持って行ってしまった。商人たちのことは、やはり自分で動くしかないか……。
 そんなことを考えていると、隣に座っているアリオナさんが、俺の袖を引っ張ってきた。


「ねえ、クラネスくん。あとで、内容を教えてね」


「それは、もちろん」


 甘えるようなアリオナさんの声に、俺はつい表情を綻ばせてしまった。
 場違いなやり取りだとは思うけど……思うけど、こればかりは勘弁して欲しい。すべての感情なんか、そうそう制御できないわけだし。
 そういう確固たる思いを胸に、俺はみんなに「すいません」と謝った。

 なんだかんだいって、空気を読むのも大事だし……ね。
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