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魔剣士と光の魔女 二章『竜の顎で殺意は踊る~ジン・ナイト暗殺計画』

四章 -1

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   四章 凍る反撃、そして約束


   1

 俺の目の前にあるフライパンには今、宇宙が広がっていた。
 二枚のパンで、細く切った干し肉とチーズを挟んでいた。フライパンには、手製のバターをたっぷりとひいてある。
 フライパンで熱を通して、約三〇秒。パンの中ではチーズが溶け、先ほどまでとは、まったく異なる世界を造り出していた。
 あとは――と、俺は木製のヘラで、フライパンに接したパンを少しだけ持ち上げた。すると、バターの焦げる香りが周囲に広がると同時に、小麦色に変色したパンの表面が露わになった。


 ――まだ、早い。


 俺は逸る気持ちを抑えつつ、パンを元に戻した。それから二〇秒待って、今度はパンをひっくり返した。
 パンに挟んだチーズが隙間から滴り始めたが、俺は取り出したいという衝動を堪えた。
 ここで焦ってことを起こせば、世界は崩壊する。俺は深呼吸を繰り返し、木製のヘラでバターの焦げ具合を確認し、さらに二〇秒待った。


「ジンさん、なにをなさっているのですか――?」


 怪訝そうに訊いてきたボルナックさんに人差し指を向け、それ以上の質問を制した俺は、再び目をフライパンに戻した。
 申し訳ないが、今はほかごとに構っている余裕はないのだ。
 再度のパンを持ち上げ、良い具合な色加減になったのを確認してから、俺はフライパンを焚き火から下げた。
 木製のヘラでパンをまな板へと下ろしてから、慎重に包丁を入れ、きっかり半分に切り分けた。


 ――完成だ。


 俺は心の中の歓喜を抑えながら、パンに手を伸ばし――。


「あ、ジンだけなにか食べてる……ずるい」


「あらホント」


 いつの間にか――俺の左右に来ていたステフとクレアさんが、有無を言わす暇さえ与えず、切り分けたばかりのパンを奪い去っていった。


「ちょ――俺の夜食……」


 帰途についてから、二日目の深夜である。俺たちは、今は五体とも人間に化けたドラゴンたちと野営をしていた。ドラゴンでも就寝はするのか、今は五人とも爆睡中だ。
 そんな中、見張りしていた俺はボルナックさんと交代したあと、空腹を満たすべく試作を兼ねた夜食を作っていたのだ。
 いたの、だが……。
 そんな俺の訴えを聞いていないのか、二人はパンを食べ始めた。


「ほいひい……おいひいよ、これ。キューバサンドみたいだね」


「溶けたチーズが少し熱いけど……相変わらず冒涜的な味だわね」


 それぞれ感想は違えど、満面の笑みで食べていたりするわけで。
 それを半泣きで見ている俺に、クレアさんがムッとした顔をした。


「なによ。言いたいことがあるなら、ちゃんといいなさい」


「いやあの……こんな時間に、そんなの食べたら太りますよ」


 このひと言で、二人の口が止まった。
 

 表情を引きつらせるクレアさんの前で、口の中のものを咀嚼し終えたステフが、小首を少し傾げながら、上目遣いに俺を見た。


「……やっぱりジンも、痩せてるほうがいい?」


「いや……女の子の体型をそれほど気にしたことはないけどさ。ちょっとトラウマがあってね。前世で、俺の家に従姉が長期滞在したことがあってさ……そのとき、めちゃくちゃ怒られたことがあったんだよ」


 自宅のリフォームのあいだだったから、半月ほどか。当時、料理を覚えたてだった俺は、朝昼の飯を作って食べさせたのだが――見事に茶色い土方飯ばかりだったわけで。
 それも、山盛りサイズで。
 半月で十五キロも太らせてしまった俺は、高校の女子柔道部だった従姉から、背負い投げからの関節技、最後に絞め技という三連コンボによるお仕置きを受けたのだ。本気で落としにかかってきたからなぁ……そのときに感じた恐怖は、筆舌に尽くし難い。
 半月も食っちゃ寝していたほうも悪い――という俺の反論は、もちろん無視された。
 今思い出しても、この仕打ちは不条理だと思う。


「というわけで、なるべく偏らない食事を提供したいわけ」


 そういう俺の説明に、二人はとりあえず納得したようだ。


 クレアさんが試作のパン――ステフが言ったとおりキューバサンドもどきだ――を二つに千切った。それから何かを言いかけたが、その前にステフが俺に食べかけのキューブサンドを差し出した。


「はい。あーん」


「あの、ステフ……数人起きてるからね?」


「いいじゃない。ほら、あーん」


 微笑むステフに、やっぱり抗えないわけで。俺は照れるのを自覚しながら、差し出されたキューバサンドに齧り付いた。
 ……うーん。やっぱりピクルスとか、肉も本場みたいにしたほうがいいんだろうけどなぁ。本場の肉がどんなものか知らないし、ピクルスを帝国内で手に入れるのは、かなり難しい。
 どちらにせよ、もう少し改良がいるなぁ……。
 とはいえ、今回は食料費がギルド持ちだったけど、迷宮に帰ったらそうはいかないし……食費を考えると、なかなか試作って出来ないんだよなぁ。


 そんなことを考えながら、ステフと半分こしたキューバサンドを食べ終えた俺は、神妙な顔をしているクレアさんに手を差し出した。


「全部は辛いですよね。そっちも貰いますよ」


「えっと――あなたも辛いんじゃない?」


「いや、元々は俺が全部食べるつもりでしたし」


「……あ、そっか。じゃあ、はい」


 少し頬を染めたクレアさんからキューバサンド受け取った俺は、すぐに食べてしまうと、まだ起きてるステフにに問いかけた。いや、内容的には単純なことなんだけど。


「ところでさ。なんでステフたちはここに? 長も一緒だし――魔術師ギルドの初仕事だから、心配してくれたにしては、大袈裟なんだけど」


「あ、あの、実は……ね」


 少し言いにくそうにしながらだったが、ステフの回答に俺は目を丸くした。


「暗殺? 俺を?」


「うん――そうなの。ダグド叔父様と、ギルドの魔術師――が、企てたのを知って、ジンを護りたくて……ここまで来たの。二人は牢に入れてるけど、執務のことがあるから、すぐに釈放されてるかも……」


「そうだったんだ」


 このステフの言葉と行動は、凄く嬉しかった。
 俺のために、領主としての責務も放棄して駆けつけてくれたのだ。こんなの、嬉しくない筈がない。
 胸の奥からわき出る感情に突き動かされるように、俺はステフの身体を引き寄せていた。


「ステフ、ありがとう――なんか嬉しすぎて、舞い上がっちゃってるよ」


「ジン――でも、ちょっと後押しがあったおかげでもあるんだ。あの魔王の」


「魔王って……アストローティア?」


 ステフが申し訳なさそうに頷くのを見て、俺は後ろ髪を撫でた。


「そっか。でも、来てくれたことには違いないしさ。気にすることじゃないよ。まあ、俺だって再会したとき、あんな有様だったわけだし」


 冗談めかして言ったつもりだったが、ここでステフの表情が微妙に変わった。


「そうだね……その件については、迷宮に帰ったら話をしようね」


 ……え? まだ、あの件は終わってなかったの?


 戸惑うばかりで返答が遅れた俺に、ステフは真顔でもう一度言った。


「迷宮に帰ったら、ちゃんと話をしようね」


「……はい」


 観念した俺ががっくりと頷いたとき、ボルナックさんが悩ましげな声をあげた。


「これは――なんで?」


「どうしました?」


 俺とステフ、それにクレアさんが近寄ると、ボルナックさんは難しい顔をしながら振り返った。


「いえ……使い魔の見てる景色なんですが。こんな夜更けなのに、冒険者が雑木林の前に集まってまして。ゴブリンを捜しに行くのかと思いましたが、どうも様子がおかしいです。クレアさんの使い魔で、なにか見えますか?」


「いえ……あたしの使い魔は、夜はあまり見えなくて」


 そんなことを言いながら、クレアさんは精神を集中させた。
 少しすると、眉を顰めながら首を捻った。


「おかしいわね。なにかの魔力が、こっちを視てる」


「魔力が? どういうことです?」


 俺の問いに、クレアさんは首を捻った。さあ……大体、その冒険者って、なにしに来てるわけ?」


「ゴブリン退治……と言ってましたが」


 少し困ったように、ボルナックさんは俺を見た。ああ、そうか。ゴブリンは俺たちが斃しちゃったんだよな……。
 クレアさんは少し考えると、眉を顰めながら顔を上げた。


「そういう手合いねぇ……雑木林の中を歩き回られたら拙いわね。ほら、グゥグウがいる小屋が見つかるかもしれないし」


 クレアさんの意見に、俺の背筋に冷たいものが走った。


「そういえば、あいつら……ドラゴン殺しを目指してるって」


「それ、拙いじゃない。幼くてもドラゴンはドラゴンですもの。狙ってくる可能性は低くないと思う」


「わたしが、彼らに忠告しよう」


 いきなり背後からガガーナンに話しかけられ、俺たちは身体をビクッとさせた。


「いや、驚かせてすまない。ボルナック殿、お願いできるか?」


「え、ええ……構いませんが」


 ボルナックさんが使い魔と精神を繋げているあいだ、俺はガガーナンにあることを訊いた。


「そういえば、いつの間に起きたんですか?」


「……おまえたちがはしゃぐ声で、起こされたんだ」


 俺とステフ、クレアさんは三人揃って、ガガーナンに謝ったのだった。
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