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第六章 忘却の街で叫ぶ骸
二章-5
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安静を言い渡された二日後、腕の傷からの出血も止まってきた。
包帯を解いて左腕を見れば、四針も縫われた傷跡がかなり痛々しい。肘はいいけど、指を動かすと筋肉や皮膚が引っ張られて傷口全体が痛む。
くそ……リハビリが大変だぞ、これ。
とはいえ、完治するまでの十日以上を無駄にするわけにはいかない。俺は湯を貰うと身体を拭いてから、別に取ってあった桶の湯で頭を洗った。
片腕っていうのは洗いにくかったけど、下半身が終わってズボンを履いたあとは、クリス嬢が手伝ってくれた。
身支度を終えた俺は諸々の準備をしたあと、クリス嬢やクレストンと宿を出た。
道中、少し浮かない顔をしたクリス嬢が、不安げな声で俺を呼んだ。
「トト……本当に、ユニコーンの力を使うつもりなんですの?」
これで、三度目の質問だ。
出かける前に、俺はクリス嬢たちに今回の目的を説明していた。
ナターシャにユニコーンの解毒の力を使って、記憶を失わせているのが事故の後遺症か、それとも薬によるものかの切り分けを行う。
もし後者が原因であれば、俺が病院から失敬した小瓶を調べることで、有力な証拠となり得る。
「心配なのはわかりますけど、そこはユニコーンの力を信じましょう。ナターシャの様子を見る限り、死ぬようなことはなさそうですし。それに今回は怪我に障るような、大立ち回りをするわけでもないですから。そんなに心配しないで下さいよ」
「そうは言いますけれど……あなたは、たまに無茶をしますから」
……流石、わかっていらっしゃる。
俺自身がユニコーンのツノ代わり、ということは教えていない。
それを教えたら、きっと大反対すると思うから。嘘は吐いていないけど……騙しているという罪悪感は拭えない。
「ま、なんとかなりますよ」
明言を避ける俺の言葉に、クリス嬢の顔は晴れない。
その横では、クレストンも不安な顔をしていた。
「俺はそっちより、おまえらを襲ったチンピラのほうを気にしたいけどな」
「それはごもっとも。でもまあ、こっちも対策は考えてます。今日は、ですけど」
俺は朝一で、ユニコーンの治療の魔術を身体に刻んでいる。その分、ガランの魔術は減ってるけど……まあ、なんとかなるさ。
そんな話を終えてから、数分後。
ゼニクス中央病院に入った俺たちは、受付を素通りして廊下を歩き始めた。前回の訪問で、ナターシャの病室はわかっている。
診察室の並ぶ区画に差し掛かったとき、見知った顔が駆け寄ってきた。
「あなたたち――」
先日、手傷を負った俺を病院に連れて行ってくれた看護婦だ。
彼女は俺たちの前に出ると、なにを言うべきか悩んでいたかのように、口をパクパクと動かした。
初めて見るクレストンから、三人を順に見回してから、看護婦は俺へと視線を戻した。
「……傷が完治してないのに、無理するのは感心しないわね」
「すいません。まあ、寝てても身体が鈍って仕方ないですし」
「そうかもしれないけれど、出歩くことはないでしょ。帰って、地元の病院に行ったほうがいいと思うけれど。それで、今回はなんの用で? 傷を診てもらいに……って雰囲気じゃないわね」
「ええ。この傷で長旅は辛いですし。もう少し、この街に滞在することになりましたし。それで、ナターシャさんの様子を見に……と言ったら、信じます?」
少し嘘の部分が多くなったので、俺も心苦しくなってきた。冗談めかすような俺の言い方に、看護婦は苦笑した。
「どこまでが本当かは知らないけど。ええっと、ナターシャさんのお見舞いってことでいいの?」
「……はい」
仕事中だからか、看護婦は無駄話に乗ってくれない。
力なく頷いた俺は、すぐ横で笑いを堪えているクリス嬢とクレストンを睨んだ。別にいいけど、ちょっと笑いすぎだ。
「ふふふ……少し顔が赤くなってますよ、トト」
そう言ってくるクリス嬢の声は、どこか苦しそうだ。
「それでは……ええっと、少し待ってくれる? 病棟の当直に、面会の申請をしてきますから」
看護婦が一礼をすると、病棟のほうへ歩いて行った。
俺は周囲を見回してから、クリス嬢を促しながら壁際へと移動した。前に来たときと、雰囲気が違う。
クリス嬢を壁際に立たせながら視線を左右に動かしていると、クレストンが居心地悪そうな顔で後頭部を掻いた。
「なんだ、この病院。至る所に用心棒がいるじゃないか」
「この前は、いなかったんですけどね」
答えながら、俺は忍び込んだ夜のことを思い出した。
俺が侵入したことは、当直だった医師や看護婦には知られなかったはずだ。もしかしたら失敬した小瓶の紛失が、俺の予想以上に大事になっている可能性があるかもしれない。
クレストンは小声で、俺に言ってきた。
「この前の侵入、バレてないだろうな?」
「それは、大丈夫。見つかってませんから。だけど、手に入れたものもあるので、色々と警戒されたかも」
「おいおい……窃盗か?」
「状況的に……そこでしか証拠品を手に入れられなかったんで、見逃して下さい」
「トト……なにを盗ったんですの?」
悪戯っ子を諭すような口調のクリス嬢に、俺は乾いた笑いを浮かべた。
そのとき、先ほどの看護婦が帰ってきた。病棟に行ったときより、わずかにホッとしたような顔で、俺たちに告げた。
「お待たせしました。面会は大丈夫です。こちらへどうぞ」
看護婦の先導で、俺たちはナターシャの病室に入った。
ナターシャはベッドに横になったままで、俺たちに無感情な目を向けた。それは……俺たちのことを初めて見た、という目だ。
「あなたたち……誰?」
予想通りの言葉に、俺は握り拳を固く結んだ。
深呼吸をして気持ちを落ち着けてから、俺は看護婦を振り返った。
「ありがとうございます。終わったら、また呼びますので」
「……そうですね。それでは、よろしくお願いします」
看護婦がドアを閉めると、廊下で軽い足音が去って行った。
俺は目礼してから、ナターシャの側に近寄った。
「こんにちは。お加減はどうですか?」
「なにも考えられないの。あなたが、誰かもわからない……」
「三、四日前に会いましたけど、覚えてませんか?」
「……そう? あなたのことは……覚えないの」
微かに首を振るナターシャは、今にも泣きそうな顔をした。
それは、そうだろう。知り合いだという相手のことを、覚えていられない。その哀しみは、俺程度では想像もできないほどだろう。
俺は静かに息を吐くと、ナターシャに微笑んだ。
「すいません。一つお願いなんですが、俺の手に触れて下さい」
「ええ……」
ナターシャは微かに頷くと、差し出した俺の右の人差し指に触れた。
その少し冷たい指を俺は上着のポケットに入れたネックレス――ユニコーンを左手で握った。
「……ユニコーン、頼む」
〝わかった〟
返事が聞こえてきた途端、俺の手から白馬の頭部が現れた。半透明の頭部には、螺旋を描く立派なツノが伸びている。
ユニコーンのツノが、ナターシャの額に触れた。
目を見広げたナターシャの顔が、徐々に俺に向けられていく。徐々にだが、彼女の目に驚愕の色が浮かんできた。
「あ……ああ! ああっ!!」
怖れを露わにしたナターシャは、ユニコーンの身体など目に入ってこないのか、俺の両肩を掴んできた。
双眸から涙を溢れさせ、ワナワナと口を震えさせた。
「助けておくれよ! ここにいたら、どうにかなっちまう!!」
「えっと、ナターシャさん?」
「そうだよ! あたしがナターシャだ! だから、家に帰しておくれよ!」
「ちょ――静かに、落ち着いて」
「ここから出して! 出せえぇぇっ!!」
ナターシャを落ち着かせようと考えたところで、俺の身体が動かなくなった。いや――正確には、『身体というのは自分の意志で動かせる』ことが、頭から消えかけていた。
思考、記憶、そして感情――それらのじょうほうが、頭のなかでまっ白にそめあげられていく。
あらがおうとしたけど、あまりにもきょうれつなかいらくのなみがきて、あら、あら……あらがえなくなった。
その――なんだっけ? おれ――おれはだれだ?
こ……き……? ? ? ? ?
?
泣き叫ぶナターシャを支え入れず、床に倒れたトラストンは彼女の下敷きになった。
「トト――!」
慌てて駆け寄ったクリスティーナは、トラストンの顔から表情が消えていることに気づいて、表情を青ざめさせた。
クレストンが泣き喚くナターシャをベッドに戻す中、クリスティーナはトトの身体を揺らし、頬を軽く叩き続けた。
「トト、トト、返事をして下さい!!」
クリスティーナが何度も呼びかけたが、トラストンは反応しなかった。
そのとき騒ぎを聞きつけたのか、先ほどの看護婦が病室に入ってきた。
「なにがあったんですか!?」
看護婦は部屋の中を見回して、まずはトラストンに駆け寄った。
「彼は一体、どうしたんです!」
「あ、あの……」
「いきなり倒れた。それと、ナターシャの感情が戻ったみたいだ。悪いが、あなたはナターシャを頼む。俺たちは、連れを宿に連れて行く。医者は、そこで呼ぶ」
「え、ええ。そうね。そうして頂戴」
クレストンは看護婦にナターシャを託すと、クリスティーナと協力して病院から運んだ。
ゼニクス中央病院から出た三人の前に、辻馬車が通りかかったのは運が良かった。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
気がついたら夕方……ちょっとベッドに横になっただけなのに。
不思議ですね。
まああれです。日曜日にアップしますと書いた手前、とても血の気が引きました。
まだ夕食の準備もしてないのに……。さすがに、インスタントラーメンが夕食というのは避けたい所存です。
……どうしよう。
少しでも楽しんで頂ければ幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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