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第三幕 『呪禁師の策と悲恋の束縛』
三章-4
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人里の町を橙に染めていた朧気な夕日が、その残光だけとなったころ。森の中にある廃寺では、一足先に夜の帳が降りていた。
いつものように、廃寺の本堂に差し込んでいた陽光が失せると、木星の人形に安貞の霊が宿った。
横たわっていた人形が独りでに立ち上がり、腰にある刀の鞘に手を添えた。ぼんやりと安貞の姿が浮き出てくると、墨染は正座のまま最敬礼をした。
「安貞様……お待ちしておりました」
「墨染、いつもすまねぇな。夜まで待たせてしまって。だが、もうすぐだ。もうすぐ、俺の身体が手に入る。こんな人形じゃねぇ……生身の身体だ。それまで、どうか辛抱しておくれ」
「安貞様……ご無理はならさずに。あちきは……このままでもじゅうぶんに、満ち足りておりますから」
儚げな微笑みを浮かべる墨染に、安貞は思わず手を伸ばしかけたが、見えないなにかに手が弾かれるのを見て、困り顔で後頭部に手を添えた。
「これじゃあな……おまえさんが良くても、俺が辛い。そこでだ……昨日の手並みを見て、墨染がいれば、手順をかっ飛ばしても上手くいく気がしてな。予定を変更しようと思うんだ」
「予定を変更……でございますか?」
「ああ。今日は〈穴〉の要石へ行くとしよう。そこで、すべてが終わるはずだ」
「――〈穴〉」
墨染は目を見広げたまま、硬直した。そこには間違いなく、堅護がいる。その予測が墨染の心を激しく揺らした。
どこか悲しげな瞳の墨染に、安貞は不安そうに膝を床に付けた。
「ど、どうしたんだ? その場所に、なにかあるのかい。拙者もいるから、なにも心配することはない」
優しげに墨染の様子を案ずる安貞の顔に、微笑みが浮かんでいた。
墨染は静かに首を振ると、安貞から顔を背けるように、再び深々と頭を垂れた。
「……いえ。なんでも御座いません。あちきは――安貞様に従います」
もう、後戻りはできないのだから――墨染は自分に言い聞かせるように、心の中で何度も同じ言葉を繰り返した。
それはすでに、自らの身を縛る呪詛そのものだった。
*
黒水山の要石が破壊された――俺がその一報を受けたのは、今日の朝だった。
青葉山みたいに発光現象は無かったようだけど、凰花さんが式神で様子を見たところ、倒れている流姫さんと、要石らしい破片が散らばっていたという話だ。
俺は〈穴〉にある要石の近くで、凰花さんの式神から、その話を聞いた。それから数時間以上が経ち、もう夜になっていた。
金鬼――だった、ヤマアラシから俺の世話を頼まれた鬼たちが、焚き火で川魚を焼いてくれている。あとは干し芋が、今日の晩飯だ。
一緒にここを護るタマモちゃんは、俺の分だった干し芋を半分以上も平らげると、鼻歌交じりに周囲を見回した。
「墨染とか来るのかな? かな?」
襲撃される側としては、楽しい気分にはなれないでしょ……。川魚の骨や内臓を地面に埋めていた俺は、ただ溜息を吐くしかない。
木々の天蓋――って言い方があるけど、こうして暗闇の中で上を見上げると、そんな上品なものには見えない。
風で揺れる枝葉が月明かりに映し出されると、なにか巨大な動物の胃袋の中にいるような、そんな気分になってくる。
「ああ、もう。なんか駄目だな」
墨染お姉ちゃんのことがあって、思考がどんどんと暗い方向へと逸れていく。頭を軽く叩いて思考を振り払っていると、頭上から俺の名を呼ぶ声がした。
「烏森殿、烏森殿」
「遅くなりましたでございます」
凰花さんの式神が、木の枝から飛び降りてきた。
鮮やかに着地をした二人……二体? 式神の数の数え方はなんだろう? まあ、この二人はトコトコと俺の前まで来ると、いきなり身体を反転させた。
「どうしたの? ええっと……三さんに、四さん」
三と四――それが、この二人の名前らしい。なんていうか……もっとちゃんとした名前を付ければいいのに。
三さん曰く、「凰花様ってこういうところは、いい加減なんです」ということらしい。
男の子の四さんが先ほどの問いに、俺を見ないまま答えた。
「ここに来る途中、あやしい霊の気配を感じましたので」
「気配といっても音や息づかいなどではなく、霊を縛る呪術的な力でございます」
三さんが訂正を加えると、四さんと睨み合いが起きた。そして――互いの右手をパンッとたたき合う。
……仲良いな、この二人。
まあ、とにかく。誰か、何かがこっちに来る可能性が高いということらしい。
俺は片膝をついた姿勢で、地面に右手を付けた。
「神通力――〈呪力感知〉」
右手から神通力が放たれ、周囲に広がっていく。俺と繋がった神通力が、西南の方角に二つの力を感じ取った。
一つは瘴気とまではいかないが、厭な気分になるような力。そしてもう一つは――清涼とした、木々に囲まれた空気のような力。そしてそこに、青龍の力も感じ取れる。
……墨染、お姉ちゃんだ。
俺は全身から汗が噴き出すのを感じていた。いつかは、ここに来るかも……そう思っていたはずなのに、それが現実となると緊張と不安で頭の中が、ぐちゃぐちゃになりそうだった。
「烏森殿、来ましたぞ」
四さんの声に、俺はハッと我に返った。
式神たちの視線の先、焚き火の明かりに照らされた外側にあるのは、真っ暗闇だ。うっすらとした木の影が見え隠れした奥から、二つの影が現れた。
一人は時代劇に出てきそうな、前に一度戦った侍。そして、もう一人は……墨染お姉ちゃんだった。
墨染お姉ちゃんは俯いていて、表情はまったく見えない。
震える手を固く握り締め、俺は力の抜けかけた両膝を強引に踏ん張らせた。墨染お姉ちゃんの名を呼ぼうとしたとき、わずかに早く侍が口を開いた。
「これは――要石を探しに来たら、大物がいたとはな」
「おまえっ!」
俺たちが一斉に戦う構えを取ると、顔を俯かせたままの墨染お姉ちゃんが、俺たちのほうへと進み出た。
「お願いします……ここは、どうか退いて下さい。安貞様に、要石を壊させてあげて下さい」
「それは、出来かねます。我らの命は、要石と烏森殿を護ること」
「そちらこそ引き下がるか、お縄につくか選ばれよ」
三さんと四さんが徒手空拳のまま構えを取ると、墨染お姉ちゃんは黙ってしまった。その横で、安貞と呼ばれた侍が得物の刀を抜いた。
睨み合いの最中、俺は墨染お姉ちゃんへと叫んだ。
「墨染お姉ちゃん! そいつと――そいつと一緒ってことは、墨染お姉ちゃんも俺を殺したいの!?」
「――え?」
俺の言葉がよほど驚いたのか、墨染お姉ちゃんは大きく見開いた目を安貞に向けた。
「安貞様、どうして堅護さんを殺そうと? そんなこと、一度もお話に出ておりませんでしたのに……」
「墨染――おまえ、あいつと知り合いだったのか。すまねぇ、墨染。拙者はあいつを殺さ……ねえと……っ!」
言葉の途中で、安貞は急に左手で頭を押さえた。侍としての姿が揺らぎ、その下に木で出来た身体がうっすらと露出し始めていた。
「安貞様?」
「――っく、あ……これは……なん、だ?」
左手で頭を押さえていた安貞の顔が、一瞬だけ俺の方を向いた。
白目を剥き、力のなく口を広げたその顔は、俺には苦悶に満ちた死相にしか見えなかった。蹌踉ける安貞の近寄るが、身体を支えようとした墨染お姉ちゃんの手が、見えないなにかに大きく弾かれた。
「これは――」
「す、墨染、すまねぇ。今日のところは退こう。これでは、要石を壊せそうにない」
「……はい」
後ずさりしながらも、威嚇するように刀の切っ先を俺たちに向ける安貞は、墨染お姉ちゃんとともに森の中に消えていった。
俺は二人を追いかけようとしたけど、三さんと四さん、それにタマモちゃんに身体を掴まれてしまった。
「堅護、行くなくな。あいつらの作戦かもしれないんだな、だな」
「作戦って……」
タマモちゃんの言葉を否定しようとしたとき、式神たちが首を横に振った。
「作戦かどうかはどもかく、深追いは危険でございます」
「我らがここを留守にしたあと、敵の式神が襲ってくるかもしれません」
三さん、そして四さんの言葉に、俺は墨染お姉ちゃんの追跡を諦めた。
そのあと、俺たちが残ったことが幸いしたのか、式神の襲撃はなかった。だけど、そうなると墨染お姉ちゃんを追うことができたんじゃないか、と思ってしまう。
夜が明けてもなお、俺の胸中は悶々としたままだった。
*
「まったく、先走りやがって」
権左右衛門は呪符を前に、苦い顔をしていた。
安貞は墨染に怪しまれないよう、自我を多く残している。そのおかげで、墨染は安貞の側についたのだが……ここに来て、それが悪い方へと転がった。
「くそ……墨染はまだ安貞の側にいるが……警戒だけはしておかねぇとか。俺は俺で、陰陽師の始末をつけるとするか」
権左右衛門は愛用の小刀を手に廃寺を出ると、人里へ向けて歩き出した。
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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
干し芋は和洋関係無く、保存食としては便利ですね。日本の場合は、干飯もありますが。
今でも鉄道の駅や道の駅の売店に、たまに売ってたりします。長旅のお供に――としては、やはり定番なのかもしれません。中の人が最後に見たのは、温泉街のとあるJRの駅です。
主食としては弱いですが、口が寂しいときには便利。
土産物屋にもあるかもしれませんが、やはり近年は洋菓子系のほうが多いかも……です。
中の人の作品、『屑スキルが覚醒したら追放されたので、手伝い屋を営みながら、のんびりしてたのに~なんか色々たいへんです』、ファンタジー大賞エントリー中でございます。
どうか、よろしくお願いします(ペコリ
少しでも楽しんで頂けたら、幸いです。
次回もよろしくお願いします!
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