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第三幕 『呪禁師の策と悲恋の束縛』

二章-1

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 二章 疑念の渦で押し隠す嘆き


   1

 墨染お姉ちゃんの行方がわからないまま、夜が明けた。
 ハジメたち鎌鼬三兄弟も突然いなくなってしまって、俺は正直にいって、途方に暮れていた。墨染お姉ちゃんの妖気を探ろうにも、俺は警戒すべき場所や相手以外で、気配なんかを意識したことがない。
 だから、墨染お姉ちゃんの妖気がどんなものか、今一、ピンと来ない。
 人里の外で気配や妖気を探ってもみたけど、見つかったのは木こりたちの小屋や獣、それに夜を彷徨う小さな妖の類いだけだ。
 空が明るくなってきたころには、心身ともにヘトヘトだった。朝ご飯のことを考える余裕なんて、勿論ない。
 疲れ切った身体のまま、俺は嶺花さんの屋敷を訪ねた。


「――まったく。そういうときは、すぐに報告しな」


 嶺花さんは俺の話を聞くと、乱暴に頭を掻いてから、俺にそう言った。


「すいません。夜が遅かったので……迷惑になると思ったんです」


「あんたねぇ……あたしは、なにも伊達や酔狂だけで、あんたたちを受け入れたわけじゃないんだ。一大事と思ったときは、遠慮せずに戸を叩きな」


「五神の加護が重要だから……ですか?」


 疲労感による苛立ちから、つい嫌味を含んだ質問をしてしまった。あとから自分でも余計なことを言ってしまったと思ったけど、嶺花さんはそんなところまで理解してくれたようだ。
 紫煙をくゆらしている煙管を口を付けてから、諭すような目で俺を見た。


「あんたたちが、あたしらと協力をしてくれると思ったからだ。現に大きな事件だけでも二つ――あんたたちは解決してくれた。違うかい?」


「それは……まあ」


「話が逸れると長くなるから、本題に戻すとしようか。墨染だが、あたしは誰かにやられたとは思ってない。青龍の加護があるのは勿論だが、あれの地力もなかなかだ。ちょっとやそっとの妖や呪術師なんかじゃ、太刀打ちできまいよ」


 嶺花さんはそこで目を閉じると、もう一度、煙管に口をつけた。


「墨染や鎌鼬たちが消えた理由は、あたしにもわからない。無責任なことを言うつもりはないが、今のところ命の危険はないだろうね。なにか面倒なことに巻き込まれたか、戻れなくなった事情があるんだろう
 あんたを嫌ったり愛想を尽かしたとかは、考えられないから、そこだけは安心おしよ」


「そうですよ。墨染さんは、烏森さんのこと大好きオーラがビシバシ出てましたし」


 嶺花さんの横に控えていたアズサさんが、俺を安心させるためか、笑顔でそう言った。
 それでも、不安が完全に払拭できたわけじゃない。俺は顔を曇らせたまま、嶺花さんとアズサさんに、小さく会釈をした。
 嶺花さんは「しかし」と呟いてから、アズサさんへ首を向けた。


「要石の件は、どうしようかね。すまないが、烏森は予定通り〈穴〉へ。青葉山へは、アズサとタマモで行ってくれるかい?」


「はい。畏まりました」


 アズサさんは、正座したまま深々と頭を下げた。
 人里が動かせる戦力のすべてを動員するのか――と思ったところで、俺はふと気がついた。
 つまり墨染お姉ちゃんの捜索ができる者が、もう人里にはいない、ということだ。
 俺が勢いよく顔を向けると、嶺花さんは小さく手をあげた。


「だから、すまない――と言ったろう。墨染のことは心配ではあるが、だからといって要石を放っておくことはできない。それに、ただ放っておくつもりもないんだよ。墨染の捜索は、凰花を頼ろうと思っている」


「凰花さんに?」


 巫女だけど、陰陽師の末裔という彼女は、式神や占術などを使うことができる。少なくとも俺よりは、墨染お姉ちゃんの捜索に向いているはずだ。
 それなら……と、俺が「ありがとうございます」と礼を言った直後、空気が揺れた――気がした。
 それから身体に振動が伝わり、がったん、がったん、という感じに、屋敷全体が揺れ始めた。


「地震――だと?」


 目を剥いた嶺花さんは勢いよく立ち上がると、障子戸を開けて外へ出た。
 揺れ自体は大したことがないから、家屋の倒壊は心配なさそうだ。現に、ここから見える俺の家も揺れてはいるけど、屋根などが崩れている様子はない。
 揺れは数秒で収まったけど……嶺花さんは表に出たまま、立ち尽くしたように東の空を見ていた。


「嶺花さん、どうかなされましたか?」


 揺れの影響か、蹌踉けながら立ち上がったアズサさんも外に出ると、息を呑んだように両手を口元に添えた。
 なにを見たんだろう――と、遅れて外に出た俺は、その異様な光景に目を見広げた。
 人里の東にある青葉山――四神相応の地における、砂のひとつだ――が、赤く光っていた。血のような色の光は陽炎のように立ちのぼり、東の空一帯を赤く染め上げていた。


「なんだ……あれ」


 俺の呟きに、嶺花さんやアズサさんは答えなかった。
 それから数分で、赤い光は消えた。今はなにごともなかったかのように、雲一つない空が広がっている。
 我に返った嶺花さんは、難しい顔で俺たちを振り返った。


「これは……最悪のことを想定せねばならなくなったね」


「それは、先を越されたということですか?」


 嶺花さんはアズサさんに頷くと、腕を組んだ。


「まったく……庭の石もなくなるし。今日は碌なことが無い」


 嶺花さんが愚痴に、俺は庭を見回した。
 庭園という訳ではないが、庭の片隅にあった、高さ一メートルほどの石が、丸い跡を残して消えていた。なんの変哲も無い石だけど、誰がなんの目的で持って行くんだろう?
 俺が石の跡を見ていると、嶺花さんが手を叩いた。


「予定変更だ。青葉山へは、アズサと烏森で行っておくれ。〈穴〉にはタマモに行かせよう。また、鬼たちに協力を仰ぐ必要があるか……」


 アズサさんに筆と紙を持って来るよう指示を出してから、俺を手招きした。


「烏森、あんたは屋敷で少し休んでいきな。アズサに飯の準備をさせるから、それまで横になっているんだ」


「あの、でも――」


 墨染お姉ちゃんのことが心配で、そんなに眠気はない。だけど、嶺花さんはキツイ目をしながら、俺の腕を掴んだ。


「いいから、言うことをききな。いざというときに体力が尽きたら、なにもできなくなるよ。それが、運命の分かれ目になることもある。休むことも仕事のうちだよ」


 嶺花さんは俺を屋敷に引っ張りあげると、広間の真向かいにある部屋へと俺を押し込んだ。ここは客間になっているようで、布団が広げてあった。


「ほら、さっさと寝ちまいな。飯の準備が出来たら、アズサを起こしにやるから」


 嶺花さんはその豪腕で、俺を強引に布団に寝かせた。乱暴に掛け布団を俺の上に被せると、客間から出て行った。
 一人で横になった俺は、しばたくのあいだ悶々と暗い思考に埋没していたけど、嶺花さんの言うとおり疲労が溜まっていたのか、次第に意識が遠くなっていった。

   *

 屋敷の中の騒動を、寝起きだったタマモは注意深く伺っていた。
 広間での会話に聞き耳を立てて内容を把握すると、にやっとした笑みを零した。


「墨染が消えたのか、のか。これは、最大の好機なんだな、だな」


 口元をにやけさせたタマモは、音を立てないようにして広間から離れた。タマモにとって、墨染は目の上のたんこぶだ。
 自分を幼女扱い――事実、外見は幼女そのものなのだが――した堅護に、タマモは自分でも不思議なくらいに執着をしていた。
 しかし今までは墨染が近くにいたお陰で、迂闊に手出しが出来なかったのだ。妖としての力が減退している今のタマモでは、青龍の加護を得ている墨染には到底、敵わない。
 それに、墨染が行方不明になったことで、堅護の心は弱っている。籠絡するなら、今が絶好の機会だ。


「みーてーろーなんだな、だな。必ず、このタマモ様にひれ伏させてみせるんだなだな」


 傍迷惑な野心を胸に、タマモはアズサが朝食に呼びにくるまで、自室で大人しくしてした。同情をするなら、『たった今、そのことを知った』という状況が最適だ。
 どんな言葉で心を揺さぶろうか――布団に潜り込んだタマモはアズサが呼びに来るまで、そのことをずっと考えていた。

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本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!

わたなべ ゆたか です。

二幕のプロット時には、単なるゲストの筈だった凰花が、準レギュラーっぽい立ち位置に……それに反比例するように、水御門氏の出番が……。
現地キャラの強みかもです。書いていて便利。

少しでも楽しんで頂けたら幸いです。

次回もよろしくお願いします!
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