48 / 63
第三幕 『呪禁師の策と悲恋の束縛』
一章-5
しおりを挟む5
青葉山へ要石を探しに行くという墨染が廃寺から出て行くと、安貞は霊体のまま、本堂の板張りに佇んでいた。
その顔には、一般的な幽霊のように感情は浮かんでいない。目も焦点を結んでおらず、ただ虚空を見つめているだけだ。
夜空に浮かんでいた月が、やや地平へと落ちかけたころ、安貞の前に着流し姿の男がやってきた。
「こんなところで油を売ってるたあ、余裕だな。ええ? 安貞さんよ」
〝これは、権左右衛門殿〟
安貞は座したまま、権左右衛門に心からの忠義を示すように深々と頭を垂れた。
〝要石は、小野小町姫が探してくれるようです〟
「ほお!? 会いたがっていた昔の女に、会えたのか」
〝はい。今では墨染と名乗っておるようです。なんでも要石のある場所については、呪力を探れば数刻で見つかるかも――と、言っていましたので。ただ、拙者のような霊が側にいると、呪力を探れないかもということですので、ここで報告を持っている次第に御座います〟
「ほほう……そうかい」
権左右衛門は顎に手を添えながら、口元に冷たい笑みを浮かべた。
(予想以上に、計画は上手くいっているな。金御門の頭領に、招魂の儀をして貰った甲斐があったってものだな)
そういった思いを露わにせぬよう、権左右衛門は表情を引き締めた。
幽霊は、生者の気配の変化には敏感だ。特に恐怖や悪心などは、当人が意図しないものまでも感づき、時には襲いかかる場合もある。
呪禁師とはいえ、術者である権左右衛門は常人より、霊たちへの影響を与えやすい。自己の感情を制御することも、重要なことだった。
権左右衛門は呪符を手にしながら、片膝をついて安貞へ顔を寄せた。
「安貞よ。墨染は、おまえと恋仲だったんだよな。今でも娶りたいか?」
〝……はい。権左右衛門様の仕事が終わり、新しい身体を得た暁には……祝言をあげようと話をしました〟
「そうかい。そりゃあ良か――」
〝ですが、拙者は一度は死んだ身。本当に、これで良いのか……と〟
迷うような反応に、権左右衛門は手にした呪符を指で挟むと、そのまま安貞の身体に押し込んだ。
安貞の顔が虚ろなものになると権左右衛門は、まるで聖職者のような口調で語り出した。
「安貞よ。おまえは墨染を愛しているのだろう? それならば、余計な心配などやめて、我が言の葉のみを信じよ」
〝……はい。権左右衛門様の言葉を信頼いたします〟
頭を下げる安貞に、権左右衛門は鷹揚に頷いた。
「よろしい。貴様は余計なことを考えず、仕事の完遂のみに集中しろ。墨染と添い遂げるためには、肉体も必要だろう?」
〝その通りです。肉体があれば……墨染と添い遂げることができましょう〟
「そうだな。その通りだ。ならば、仕事の完遂することのみに尽力せよ」
〝はは――〟
最敬礼をする安貞から視線を外すと、権左右衛門は廃寺から出た。
時刻はもう深夜である。風が枝葉を揺らす音や、虫の鳴き声しか聞こえてこない。周囲を見回しながら、権左右衛門は早足で森の中を進んでいく。
森を抜けた先にある、泥で汚れた池の縁に立つと、紙の人型を水面に浮かべた。
やがて、水面の上に朧気な光が浮かび、寝間着姿の金御門の虚像が浮かび上がった。
「……なんだ、こんな時間に」
「まだ宵っ張りですぜ、金御門の旦那。いち早く、吉報をお耳に入れたかったんですぜ。大目に見て下さい」
「ふん――なんだ?」
「青龍の加護を得た妖、例の墨染が寝返りました」
権左右衛門の報告に、金御門の目が見開いた。
「それは、事実か?」
「ええ。といっても、こちらではないですがね。あくまでも、安貞の霊になびいただけですがね。でもこれで、少なくとも要石の一つは破壊できます。それに、上手くいけば黄龍の加護を得た天狗もどき、そして墨染の抹殺も可能でしょう」
「ほほう……そうか、そうか。そうなれば、四神相応の地とはいえ、かなりの加護が損なわれるだろうな。クックック……水御門の若造め。目に物を見せてくれる」
金御門の醜悪な嗤い顔に、権左右衛門は無表情を貫いた。
(イヤだねぇ……こういう爺は)
内心で顰めっ面を浮かべながら、権左右衛門は慇懃に頭を下げた。
その姿を見てから、金御門の虚像が消えた。あとに残された権左右衛門は、懐を弄った。
「ああ、ヤダヤダ。あとで塩でも蒔いておくとするか」
権左右衛門は溜息を吐くと、少し苛立ったような仕草で踵を返した。
*
もう午前零時は過ぎた――と思う。
俺は鎌鼬三兄弟のナカゴと、人里の中を駆け回っていた。反物屋に行った墨染お姉ちゃんが、一向に帰って来なかった。
夜が遅くなることは、たまにあるけど……それは夕飯のおかずを買ってきてくれたり、町の住人から頂き物を受け取って、話込んだりしたときくらいだ。
こんな、深夜まで嶺花さんの屋敷に帰ってこないなんて、今まではなかった。
「ナカゴ、ハジメやシンガリは?」
「はい。各々、墨染の君を探しておりまする」
小さく丸っぽい体付きの鎌鼬三兄弟、その次兄であるナカゴは、首を振りながら答えた。
「そっか……あの二匹でも、まだ見つからないのか」
「店も閉まっておりますから、話を聞いて回ることもできません」
「……もっと早く探しに出ていれば――くそ」
俺が拳を固く握り締めると、ナカゴが首を振った。
「いえ。墨染の君は、青龍の加護を得ておられますので、並の男どもや妖が太刀打ちできる御方ではございません。帰って来ないと思われないほうが、自然でございましょう」
「……ありがとう」
ナカゴに励まされ、俺は気を取り直した。
不幸なのは侍騒動のせいで夜になると、町の人が出歩かなくなったことだ。目撃者がいてくれたら、足取りも掴みやすいのに。
もう灯りも消えている盛り場の前に差し掛かったとき、鎌鼬三兄弟のハジメが近寄って来た。
「烏森殿。墨染の君を見た者がおりました。なんでも、屋台の天ぷら屋に立ち寄られていたそうです」
「それで、そこからは?」
「いえ……そのまま屋敷のほうへと歩いていかれたそうです。ですが、それもかなり前のことだと……盛り場を根城にしておる、家鳴りが申しておりました」
家鳴りは、軒下などに住む妖の一種だ。時折、軋むような音を立てる以外は無害だときいてるけど、その場に住んでいるだけに、時間に関係無く墨染お姉ちゃんを見ることができたんだ。
「ありがとう。とにかく、屋敷の方角に向かったんだね」
「はい。そう申しておりました」
盛り場から屋敷までの最短ルートは――俺は人里の地図を頭で思い描きながら、歩き始めた。
大通りに合流して、しばらくしてから脇道に入る。
そのとき、月明かりに照らされた道端に、和紙の包みが落ちていることに気付いた。
包みの中は、山菜の天ぷらだ。随分前のものらしく、すでに冷え切って、和紙には油染みが広がっていた。
天ぷらを見た途端、俺は様々な記憶が瞬時に思い浮かんだ。
この山菜の天ぷらは、俺が気に入って食べていたものだ。だからか、墨染お姉ちゃんは人里に出ることがあると、その度に天ぷらを買ってきてくれた。
「これはきっと、墨染お姉ちゃんが買ったやつ……だ」
「確かに……微かにですが、墨染の君の残り香が御座います」
「ハジメ、ホントなの? なら……墨染お姉ちゃんは、ここでなにかあったのか」
周囲を見回してみたけど、争った形跡はない。足跡を追って……と思っても、そんな技能は持ってないし、こればかりは神通力でも対処不能だ。
周囲を見回している途中で、鎌鼬のシンガリがやってきた。
三匹でなにやら喋っているのが聞こえてきたけど、俺はどれどころじゃない。墨染お姉ちゃんがどこへ行った、もしくは連れ去られたのか――そればかりを考えていた。
「……そうだ。ハジメかナカゴ、墨染お姉ちゃんの足跡を――あれ?」
足跡の追跡が出来ないか聞こうとしたけど、周囲を見回しても鎌鼬たちの姿はなかった。
一人取り残された俺はこの夜、ただただ混乱するしかできなかった。
--------------------------------------------------------------------------------------
本作を読んで頂き、誠にありがとうございます!
わたなべ ゆたか です。
山菜の天ぷらって美味しいですよね。個人的には、キノコ系が好きなんですが。塩で食べるのが旨いです。
江戸時代のジャンクフードの一つですね。有名どころでは、お寿司とか。
……今では比較的高級の部類ですが。お寿司。
少しでも楽しんで頂けたら幸いです。
次回もよろしくお願いします!
0
お気に入りに追加
32
あなたにおすすめの小説
異界門〜魔術研究者は小鬼となり和風な異世界を旅する〜
ペンちゃん
ファンタジー
魔術研究者であるルークには夢がある。
それは簡単なようで難しい夢だ。
家族と共に笑い共に食事をしそしてそんな日常を繰り返す事。
昔…ルークには家族がいた。
と言っても血の繋がりはない。
孤児院で出会った4人だ。
しかし…今はいない。
だが約束をした、必ずまた会おうと。
ルークはそんな夢を家族と再開すると言う目的の為に異界へと旅立つ。
【完結】私だけが知らない
綾雅(りょうが)祝!コミカライズ
ファンタジー
目が覚めたら何も覚えていなかった。父と兄を名乗る二人は泣きながら謝る。痩せ細った体、痣が残る肌、誰もが過保護に私を気遣う。けれど、誰もが何が起きたのかを語らなかった。
優しい家族、ぬるま湯のような生活、穏やかに過ぎていく日常……その陰で、人々は己の犯した罪を隠しつつ微笑む。私を守るため、そう言いながら真実から遠ざけた。
やがて、すべてを知った私は――ひとつの決断をする。
記憶喪失から始まる物語。冤罪で殺されかけた私は蘇り、陥れようとした者は断罪される。優しい嘘に隠された真実が徐々に明らかになっていく。
【同時掲載】 小説家になろう、アルファポリス、カクヨム、エブリスタ
2023/12/20……小説家になろう 日間、ファンタジー 27位
2023/12/19……番外編完結
2023/12/11……本編完結(番外編、12/12)
2023/08/27……エブリスタ ファンタジートレンド 1位
2023/08/26……カテゴリー変更「恋愛」⇒「ファンタジー」
2023/08/25……アルファポリス HOT女性向け 13位
2023/08/22……小説家になろう 異世界恋愛、日間 22位
2023/08/21……カクヨム 恋愛週間 17位
2023/08/16……カクヨム 恋愛日間 12位
2023/08/14……連載開始
サクラ色に染まる日 〜惨めな私が幸せになるまで〜
碧みどり
恋愛
七条家は東洋魔術五大名家に名を連ねる由緒正しき家柄である。
東洋魔術五大名家とは、
「本条院」「東十条」「南条」「七条」「下条」の五つの家名を指す。
祖父の代よりも遥か昔、当時の当主達は優れた魔力を用いて
大規模な異形襲撃から帝都を護った功績を称えられ、皇帝より「条」の字を賜った。
現在においても「条」の字を冠することは
東洋魔術に優れた家筋であることの証明となっている…。
祖父の死後、家族に虐げられていた主人公が幸せになるまでの物語。
最終話までの構成完成済み。
※他サイト様にも掲載させていただいております。
雪冤の雪(せつえんのゆき)
碧井永
ファンタジー
馬嵬山(ばかいさん)に捨てられていた紘里(こうり)は、そのときすでに死んでいた。しかし、巫祝(ふしゅく)であり雪男でもある瑶(よう)に拾われて、雪女となって生き続けている。
太平を謳歌する時代。
巫祝の扱う方術のひとつ、風水の腕を買われた瑶は恵州侯(けいしゅうこう)・子雲(しうん)に招聘されて州都へ行くことに。紘里も、幼い子ども延之(えんし)の話し相手として付いていくことになった。
生粋の雪女ではない紘里は、瑶に三日間添い寝してもらわないと身体(からだ)が腐ってしまったり、恵侯に捕まって貴族の恰好をさせられたりと、やや困った状態の中で忙しない日々をおくる。そんな紘里には、ここらで瑶を結婚させてあげたいという目標があり、一人暮らしをするための金をてっとり早く稼ぎたいのだが。
かつて馬嵬山で助けた献之(けんし)は恵侯の息子であり、書家の彼は紘里にとって憧れの人でもある。若くして大成している献之と会話を重ねるうち、自分のやりたいことはなんだろうと紘里は考えるようになっていく。
その頃から恵侯の妻・登綺(とき)による嫌がらせもはじまり、それがきっかけとなって、ずっと傍にいてくれた瑶を妙に意識するようになっていく紘里だった。
ある日、瑶から一枚の紙片を渡された献之は、十六年前の内乱に登綺がかかわっていたと確信する。その登綺は兇手を雇い、夫である子雲の命を狙っていた。
一枚の紙片に綴られていたのは、詩。
女の手によって書かれた詩がはじまりとなって。
すべてを見抜いていた献之は登綺を捕まえ、泰史の乱(たいしのらん)の裏側でなにが起こったのか、激しく問いつめる――。
蒼天の風 祈りの剣
月代零
ファンタジー
魔法と精霊が生きる、アルフェリア大陸。そこでは、大陸全域に勢力を拡大せんとするフェルス帝国と、周辺諸国との争いが続いていた。
そんな国の1つ、海と山に囲まれた小国レーヴェ。帝国軍との交戦中、軍を指揮していた第二王子が突然倒れてしまい、レーヴェ軍は混乱に陥る。
同じ頃、別の場所では、悪しき精霊が封印された魔導書を封印しようとしていた魔術師が何者かに襲われ、魔術書を奪われてしまう事件が起きた。
事態を打開すべく、王子の近衛騎士と魔術師の弟子は出会う。交錯する陰謀と、王国の行方は――
二人の出会いが、世界の運命を動かしていく。
【完結】父が再婚。義母には連れ子がいて一つ下の妹になるそうですが……ちょうだい癖のある義妹に寮生活は無理なのでは?
つくも茄子
ファンタジー
父が再婚をしました。お相手は男爵夫人。
平民の我が家でいいのですか?
疑問に思うものの、よくよく聞けば、相手も再婚で、娘が一人いるとのこと。
義妹はそれは美しい少女でした。義母に似たのでしょう。父も実娘をそっちのけで義妹にメロメロです。ですが、この新しい義妹には悪癖があるようで、人の物を欲しがるのです。「お義姉様、ちょうだい!」が口癖。あまりに煩いので快く渡しています。何故かって?もうすぐ、学園での寮生活に入るからです。少しの間だけ我慢すれば済むこと。
学園では煩い家族がいない分、のびのびと過ごせていたのですが、義妹が入学してきました。
必ずしも入学しなければならない、というわけではありません。
勉強嫌いの義妹。
この学園は成績順だということを知らないのでは?思った通り、最下位クラスにいってしまった義妹。
両親に駄々をこねているようです。
私のところにも手紙を送ってくるのですから、相当です。
しかも、寮やクラスで揉め事を起こしては顰蹙を買っています。入学早々に学園中の女子を敵にまわしたのです!やりたい放題の義妹に、とうとう、ある処置を施され・・・。
なろう、カクヨム、にも公開中。
死霊王は異世界を蹂躙する~転移したあと処刑された俺、アンデッドとなり全てに復讐する~
未来人A
ファンタジー
主人公、田宮シンジは妹のアカネ、弟のアオバと共に異世界に転移した。
待っていたのは皇帝の命令で即刻処刑されるという、理不尽な仕打ち。
シンジはアンデッドを自分の配下にし、従わせることの出来る『死霊王』というスキルを死後開花させる。
アンデッドとなったシンジは自分とアカネ、アオバを殺した帝国へ復讐を誓う。
死霊王のスキルを駆使して徐々に配下を増やし、アンデッドの軍団を作り上げていく。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる