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第九章:さつきの花が咲く夜に
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結局のところ、真相は闇の中というオチに
なってしまったけれど、こうして妹崎と過ご
す時間が、満留は堪らなく好きだった。
「ま、その話はあとでまたゆっくりすると
してやな……」
そう言うと、妹崎はほんのりと白い湯気の
立つコーヒーサーバーの取っ手を持ち、それ
をそのまま口に付けぐびぐびと珈琲を飲み始
める。珈琲が喉を通過するたびに上下する
喉ぼとけを間近に見せられた満留は、ぎょっ、
とした。
「せっ、先生?マグカップないんですか?」
「ん?あるにはあるけど……こっちの方が
ようさん飲めるし、洗う手間もはぶけるやろ?
さすがに、二徹したあとやからなぁ。あかん、
太陽が黄色く見えるわ」
「太陽なんて、どこにもありませんけどっ」
すっかり陽が落ちて真っ暗になった窓の向
こうを見やってそう言った妹崎に、間髪を入
れず満留が突っ込む。
本当にこの人があの『満』なのだろうかと
いう疑問を抱きつつも、こうして妹崎との
ボケ、突っ込みを楽しいと思ってしまう自分
は、もしかしたらすでに感化されているのか
も知れない。濃褐色の液体を半分以上飲んだ
妹崎は、手の甲で口を拭うと徐に言った。
「……実はな、満留に食べてもらおう思っ
て、ビーフカレー作ってあるんや。良かった
らいまから、うちにけぇへん?」
そう言って、じぃと窺うように満留の目を
覗き込んだ妹崎に、満留は目を丸くする。
「もしかして……そのために徹夜してくれ
たんですか?」
うっすらと目の下が黒ずんでいる顔を見れ
ば、いつかの夜の満の顔と重なった。
「徹夜ゆうても、夜中の二時過ぎまで論文
書いとったからな。カレーが出来上がったら
お日様昇っとったんよ。で、どないする?」
返事をせかすように、妹崎はさらに満留の
目を覗く。ふわ、と珈琲の香りが妹崎の息か
ら漂ってきた。
「そのビーフカレーって……また百グラム
二千円の牛肉で作ったんですか?」
「ちゃうで。一パック九百八十八円のオー
ジービーフや。あかんか?」
心配そうに訊ねる妹崎に、満留は朗笑する。
――ダメなわけがない。花マルだ。
「喜んで、ご馳走になります!」
そう答えた瞬間、妹崎は満面の笑みで満留
を抱き寄せた。
「ひゃ……っ!」
びっくりした満留は身体を硬くしながらも、
素直に彼の肩に顔を埋める。
「ようやっと、夢が叶ったなぁ。もう一度
満留にカレー食べてもらうんが、夢やった。
しょうもない、ちっさい夢やろ?」
聞こえてきた声は低く切なげで、胸がいっ
ぱいになってしまう。満留は小さく首を振る
と、耳元で「ありがとう」と呟いた。ぎゅう、
と背を強く抱き締めたかと思うと、名残惜し
そうに腕が離れてゆく。妹崎は慈しむような
眼差しで見つめると、そっと満留の髪を撫でた。
なってしまったけれど、こうして妹崎と過ご
す時間が、満留は堪らなく好きだった。
「ま、その話はあとでまたゆっくりすると
してやな……」
そう言うと、妹崎はほんのりと白い湯気の
立つコーヒーサーバーの取っ手を持ち、それ
をそのまま口に付けぐびぐびと珈琲を飲み始
める。珈琲が喉を通過するたびに上下する
喉ぼとけを間近に見せられた満留は、ぎょっ、
とした。
「せっ、先生?マグカップないんですか?」
「ん?あるにはあるけど……こっちの方が
ようさん飲めるし、洗う手間もはぶけるやろ?
さすがに、二徹したあとやからなぁ。あかん、
太陽が黄色く見えるわ」
「太陽なんて、どこにもありませんけどっ」
すっかり陽が落ちて真っ暗になった窓の向
こうを見やってそう言った妹崎に、間髪を入
れず満留が突っ込む。
本当にこの人があの『満』なのだろうかと
いう疑問を抱きつつも、こうして妹崎との
ボケ、突っ込みを楽しいと思ってしまう自分
は、もしかしたらすでに感化されているのか
も知れない。濃褐色の液体を半分以上飲んだ
妹崎は、手の甲で口を拭うと徐に言った。
「……実はな、満留に食べてもらおう思っ
て、ビーフカレー作ってあるんや。良かった
らいまから、うちにけぇへん?」
そう言って、じぃと窺うように満留の目を
覗き込んだ妹崎に、満留は目を丸くする。
「もしかして……そのために徹夜してくれ
たんですか?」
うっすらと目の下が黒ずんでいる顔を見れ
ば、いつかの夜の満の顔と重なった。
「徹夜ゆうても、夜中の二時過ぎまで論文
書いとったからな。カレーが出来上がったら
お日様昇っとったんよ。で、どないする?」
返事をせかすように、妹崎はさらに満留の
目を覗く。ふわ、と珈琲の香りが妹崎の息か
ら漂ってきた。
「そのビーフカレーって……また百グラム
二千円の牛肉で作ったんですか?」
「ちゃうで。一パック九百八十八円のオー
ジービーフや。あかんか?」
心配そうに訊ねる妹崎に、満留は朗笑する。
――ダメなわけがない。花マルだ。
「喜んで、ご馳走になります!」
そう答えた瞬間、妹崎は満面の笑みで満留
を抱き寄せた。
「ひゃ……っ!」
びっくりした満留は身体を硬くしながらも、
素直に彼の肩に顔を埋める。
「ようやっと、夢が叶ったなぁ。もう一度
満留にカレー食べてもらうんが、夢やった。
しょうもない、ちっさい夢やろ?」
聞こえてきた声は低く切なげで、胸がいっ
ぱいになってしまう。満留は小さく首を振る
と、耳元で「ありがとう」と呟いた。ぎゅう、
と背を強く抱き締めたかと思うと、名残惜し
そうに腕が離れてゆく。妹崎は慈しむような
眼差しで見つめると、そっと満留の髪を撫でた。
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