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第五章:人と妖と

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 「先生は寂しくないんですか?突然、変な
こと訊いてすみません。実は、少し前に狐月
くんから聞いてしまったんです。先生は、ず
いぶん前に奥さまを亡くされているって……」

 しんしんと、夕闇の音だけが聞こえてくる
ベランダに古都里の声が響く。思いがけない
問い掛けだったのだろう。僅かに目を見開い
た右京は、それでも柔らかな表情のまま徐に
言葉を紡いだ。

 「……寂しくない、と言えば嘘になるかな。
後悔して欲しくないから雷光にはああ言った
けど、妻を失ってからしばらくは悲しみが果
てしなく続くように思えて、正直、生きるの
が辛い時期もあったから」

 言って、自嘲の笑みを浮かべた右京に古都
里は唇を噛み締める。右京のこんな顔を見る
のは初めてで、そのことが存外にずしりと胸
にのしかかる。右京は小さく息をひとつ吐く
と、視線を空へ移した。

 「人生をマラソンに例えるなら、人の人生
には必ずゴールというものがあるんだ。でも、
僕たち妖にはそれがない。走っても走っても
延々と道が続いていて、だからその道の途中
で出会う人々の命が無性に輝いて見えてしま
う。限りある命を懸命に生きている姿が眩し
くて、僕たちは無意識のうちに引き寄せられ
てしまうのかも知れないね。だから、本当は
失うことを恐れていても、愛することはやめ
られない。人を愛するなら、失くす痛みを引
き受けるしかないんだ」

 空に吸い込まれてしまいそうな右京の声は
遠く、古都里は何か言わないと彼が消えてし
まうような気がして、必死に言葉を探す。

 「……人にとっての一日が、妖にとっては
一年なんですよね。飛炎さんから聞きました。
なんかそれ聞いちゃうと、わたしたちの命っ
てほんの一瞬の瞬きなんだなって実感しちゃ
います。人の中で生きていれば八十年という
寿命は当たり前なのに、ここにいると皆さん
と一緒にいられる時間が凄く短い気がして、
ちょっと寂しいです」

 口を衝いて出た言葉は意外な本心で、古都
里は思わず俯いてしまう。『寂しい』という
言葉の裏に隠れるのは、右京といられる時間
が短いことを嘆くもので、そのことに気付け
ば胸にざわざわと灰色の波が押し寄せてくる。

 そんな古都里の胸の内を察したのだろうか。
右京は古都里を向くと緩やかに目を細めた。

 「いつか肉体が滅びても、人の魂は永遠に
消えることはないからね。妻がこの世を去っ
て久しいけど、彼女の魂を傍に感じない日は
一日もなかったんだ。だから古都里さんも、
僕たちと生きることを寂しいと思わないで欲
しいな。もしどうしても別れが耐え難いって
いうなら、いますぐ僕たちの記憶を消すこと
も出来るけど……」

 揶揄うような顔をしてそんなことを言うの
で、古都里は途端に頬を膨れさせる。記憶を
消すだなんて、どうしていまさらそんなこと
を言うのかと腹が立ってしまう。
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