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第四章:遣らずの雨

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 古都里は、ずず、と鼻を啜った。
 視界の片隅で、ふ、と母が笑う。
 漏らした息は、涙に濡れている。

 「信じてたけど、信じたくなかったのよ」

 唐突に、頓知のようなことを言うので古都
里は目を瞬く。母は写真の中の姉を、じっと
見つめている。

 「古都里の言うことを信じて妃羽里を引き
留めてしまったら、あの子の人生が大きく歪
んでしまうかも知れない。そう思ったら恐く
てとても信じられなかったの。だからそんな
の当たりっこないって、自分に言い聞かせた。
お母さんはあの子の命よりも、あの子の将来
を優先してしまったのよ。命がなければ将来
なんてないのに、目先のことしか考えられな
かったの。だから警察から電話が来た瞬間、
『ああ、わたしが死なせてしまった』と後悔
したわ。全部、全部、お母さんが悪い。古都
里を傷つけて、お姉ちゃんを死なせてしまっ
た、お母さんが悪い」


――お母さんが、悪いわけじゃない。

――きっと、誰が悪いわけじゃない。


 そう思うのに、どうしてか言葉が喉に詰ま
って出て来てくれなかった。


――重すぎたのだ、姉の死が。


 自分一人では抱えきれないほど、姉の死は
重くて、少しでも楽になりたくて、誰かのせ
いにしてしまいたくて。だからやさしい言葉
を飲み込んでしまう。

 古都里は、ぐい、と掌で涙を拭うと震える
声で訊いた。 

 「だから辞めちゃったの?自分が悪いって
思ったから、箏の教師……辞めちゃったの?」

 口を突いて出た言葉は、やはり母を責める
もので……古都里は胸が痛んで仕方なかった。

 それでも訊かずにはいられない。
 いまを逃せば、一生訊けない気がした。

 古都里の言葉に瞠目すると、母はゆるりと
首を振った。

 「それは違う。こんなこと、母親のわたし
が言うのも可笑しな話だけど。恐かったのよ。
あの部屋に、お稽古部屋に妃羽里がいるよう
な気がして、恐くて行けなくなっちゃったの。
妃羽里はお母さんの期待に応えるために、寝
る間も惜しんで勉強してた。お箏だってそう。
いつもいつも、あの子はお母さんを喜ばせる
のに必死で、一生懸命で。だから、本当は恐
かったけど試験を投げ出すことが出来なかっ
たのよ。きっと妃羽里はお母さんを恨んでる。
そう思ったら、あの子に会うのが恐ろしくて、
あの部屋に入れなくなってしまったの」

 「……お母さん」

 初めて聞かされた胸の内はあまりに悲しく、
切なく、古都里は言わせたことを今更後悔し
てしまう。ただ、姉を思い出すのが辛いから
辞めてしまったとばかり思っていたのに……。

 娘を失った母の苦しみは想像を超えていた。

 「ごめんね、お母さん。ごめんなさい」

 ついに両手で顔を覆ってしまった母に、古
都里は消え入りそうな声で呟く。


――呟いた、その瞬間。


 突然、ぱたりと姉の写真が倒れた。
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