64 / 122
第四章:遣らずの雨
60
しおりを挟む白檀の香りと共に白く淡い煙が部屋に漂い
始める。その香りに包まれる度に、姉を傍に
感じるようになったのはいつだったか。
古都里はゆっくりと閉じた目を開けると、
写真の中の姉を見つめた。桃花色のシフォン
ワンピースに身を包み、色鮮やかな花束を手
に朗笑する姉。その隣には綺麗に髪を結い上
げ、黒留袖を着た母が誇らしげに目を細めて
いる。箏の発表会を終えた後に撮った、一枚
の写真。おそらくはこの写真が、姉を写した
最後の一枚なのだろう。もう二度と増えるこ
とのない姉の写真に胸を痛めながら、それで
も古都里は頬を緩めて言った。
「お姉ちゃん。わたしね、演奏会に出るこ
とになったんだよ。しかも、着物を着てたく
さんのお客さんの前で弾くの。間違えないで
ちゃんと弾けるかな?実は凄く不安で、いま
から緊張してるんだ」
返ってくる声はない。
けれど満足げに笑みを深めると、記憶の中
の姉がやさしい眼差しを向けてくれる。
古都里は写真の前に置かれた錦織りの巾着
に手を伸ばすと、そっと中身を取り出した。
先の尖った山田流の箏爪が掌に転がる。
練習に練習を重ね使い古した姉の箏爪は、
朱いエナメルの爪輪が少し剥げている。
つるりと尖った爪先を人差し指でなぞると、
古都里は廊下を歩く母の足音に気づき、それ
を仏壇に戻した。
「持ってきたわよ。着物に帯に草履。一式
持って帰るとなると嵩張るし結構重いけど、
一人で大丈夫なの?」
平べったい桐の箱と大きな白い紙袋を古都
里の前に置く。桐の箱を開けて顔を覗き込ん
だ母親に、古都里はこくりと頷いた。
「うん、大丈夫。自転車のカゴには絶対入
らないだろうなと思って、今日は歩いてきた
んだ。重いって言っても着物だもん。これく
らい持てるよ」
「そう?ならいいけど。ずいぶん長い間仕
舞ったままだったけど……ほら、金彩友禅の
色留袖。古都里は肌が白いからやさしい色合
いの着物が似合うと思うわ」
そう言って着物を覆っていた薄葉紙を、母
がめくってくれる。綺麗に畳まれた色留袖は
淡藤色で、生地に織り込まれた紗綾形の地紋
に梅や椿、桔梗の花々が流れるように散りば
められている。独特な華やかさがありながら
も上品な印象を与える上質な留袖だ。古都里
は着物を見た瞬間、「うわぁ」と声を漏ら
した。
「凄く綺麗。わたし、こういう淡い紫色が
大好きなの。どうしよう。こんな素敵な着物
を着て演奏会に出られるなんて、幸せ過ぎる」
満面の笑みで言うと、母が驚いたように目
を見開く。その母にはっと我に返った古都里
は、申し訳なさそうに肩を竦めた。
「ごめんなさい。お姉ちゃんの仏壇の前で、
はしゃいだりして」
ちらと写真の姉を横目で目て、項垂れる。
すると母は小さく息を漏らし、一笑した。
0
お気に入りに追加
10
あなたにおすすめの小説
最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません
abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。
後宮はいつでも女の戦いが絶えない。
安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。
「どうして、この人を愛していたのかしら?」
ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。
それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!?
「あの人に興味はありません。勝手になさい!」
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
王太子さま、側室さまがご懐妊です
家紋武範
恋愛
王太子の第二夫人が子どもを宿した。
愛する彼女を妃としたい王太子。
本妻である第一夫人は政略結婚の醜女。
そして国を奪い女王として君臨するとの噂もある。
あやしき第一夫人をどうにかして廃したいのであった。
後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~
菱沼あゆ
キャラ文芸
突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。
洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。
天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。
洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。
中華後宮ラブコメディ。
余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました
結城芙由奈
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】
私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。
2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます
*「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています
※2023年8月 書籍化
付喪神、子どもを拾う。
真鳥カノ
キャラ文芸
旧題:あやかし父さんのおいしい日和
3/13 書籍1巻刊行しました!
8/18 書籍2巻刊行しました!
【第4回キャラ文芸大賞 奨励賞】頂きました!皆様のおかげです!ありがとうございます!
おいしいは、嬉しい。
おいしいは、温かい。
おいしいは、いとおしい。
料理人であり”あやかし”の「剣」は、ある日痩せこけて瀕死の人間の少女を拾う。
少女にとって、剣の作るご飯はすべてが宝物のようだった。
剣は、そんな少女にもっとご飯を作ってあげたいと思うようになる。
人間に「おいしい」を届けたいと思うあやかし。
あやかしに「おいしい」を教わる人間。
これは、そんな二人が織りなす、心温まるふれあいの物語。
※この作品はエブリスタにも掲載しております。
45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる
よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です!
小説家になろうでも10位獲得しました!
そして、カクヨムでもランクイン中です!
●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●
スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。
いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。
欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・
●●●●●●●●●●●●●●●
小説家になろうで執筆中の作品です。
アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。
現在見直し作業中です。
変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。
未亡人クローディアが夫を亡くした理由
臣桜
キャラ文芸
老齢の辺境伯、バフェット伯が亡くなった。
しかしその若き未亡人クローディアは、夫が亡くなったばかりだというのに、喪服とは色ばかりの艶やかな姿をして、毎晩舞踏会でダンスに興じる。
うら若き未亡人はなぜ老齢の辺境伯に嫁いだのか。なぜ彼女は夫が亡くなったばかりだというのに、楽しげに振る舞っているのか。
クローディアには、夫が亡くなった理由を知らなければならない理由があった――。
※ 表紙はニジジャーニーで生成しました
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる