上 下
40 / 122
幕間:竜姫

36

しおりを挟む

――いた。


 ぼんやりと高灯台の灯火に照らされた部屋
の中を見渡すと、煌びやかな小袿こうちぎを身に纏っ
た娘がひとり、箏を奏でていた。人知れず忍
び込んで来たあやかしに気付かぬまま、娘は
譜面に目を落としている。うっとりと箏の音
に耳を傾けるその姿はなるほど、噂に違わず
目を瞠るほどに美しい。星屑を散りばめたよ
うな瞳は艶やかな長い睫毛に縁どられ、早梅
のような赤い唇は白い肌をいっそう引き立て
ている。けれど、どことなくその姿が儚く見
えるのは、不吉な姫と人々から恐れられてい
るからなのだろう。右京は丸柱に背を預ける
と、しばし竜姫の奏でる箏の音に耳を傾けた。


――ツン、ツン、テーン、ツテツ、トン♪


 繊細な箏の音が庭で鳴く鈴虫の声と重なる。
 その音色は心を洗うように美しいが、夢中
で箏の絃を弾き続ける娘は顔を上げてくれず、
右京の存在に気付いてもくれない。このまま
放っていては、夜が明けるまで気付かないか
も知れない。


――どうしたものか。


 思い倦ねた右京は、ふと、悪戯を思いつき、
パチリと指を鳴らした。その瞬間、娘が目を
落としていた譜面がふわりと宙に浮き上がる。
 そうして蝶のようにひらひらと羽を動かし、
部屋の中を飛び回った。

 「えっ?」


――箏の音が止む。


 ひらひらと、まるで生きているかのように
部屋を一周した譜面が右京の手の平に着地す
る。すると娘は、ようやく右京の存在に気付
き、目を見開いた。

 「……どなたですか?」

 りん、と鈴が鳴るような声でそう訊ねた娘
に、右京は、すぅ、と目を細める。絹糸のよ
うに白く輝く髪に、白い獣耳と長い尻尾。誰
がどう見てもそこに立つ男が人間でないこと
は明らかなのに、娘は恐怖で取り乱すことも
ない。右京は、さて、何と言って怖がらせて
やろうかと思案すると、譜面を手に一歩、二
歩と娘に近づいた。

 「儂は物の怪じゃ。狐のあやかしじゃよ」

 「……狐のあやかし。どうやってここへ入
り込んだのです?門は御垣守が警護をしてい
るというのに」

 右京の正体を知っても尚、娘は顔色ひとつ
変えることなく、目の前に立つ右京を見上げ
ている。右京は、ふむ、と鼻を鳴らしてしゃ
がみ込むと、娘の顔を覗いた。

 「はて、警護の者などおったかの?儂はす
んなりと屋敷に招き入れられたが」

 その言葉と共に、ぽわ、と右京の体が白い
靄に包まれ、少将の姿に変わる。その姿を見、
「まあ」と声を漏らしたかと思うと娘は得心
したように頷いた。

 「人の警護など、物の怪さまにはあってな
いようなものなので御座いますね。して、わ
たくしめに何の用があってここに?」

 あくまで冷静に、淡々とそう述べる娘に右
京は目を丸くする。けれど次こそ目の前の姫
が恐怖に慄くことを期待して、言った。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

最愛の側妃だけを愛する旦那様、あなたの愛は要りません

abang
恋愛
私の旦那様は七人の側妃を持つ、巷でも噂の好色王。 後宮はいつでも女の戦いが絶えない。 安心して眠ることもできない後宮に、他の妃の所にばかり通う皇帝である夫。 「どうして、この人を愛していたのかしら?」 ずっと静観していた皇后の心は冷めてしまいう。 それなのに皇帝は急に皇后に興味を向けて……!? 「あの人に興味はありません。勝手になさい!」

5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?

gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。 そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて 「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」 もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね? 3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。 4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。 1章が書籍になりました。

王太子さま、側室さまがご懐妊です

家紋武範
恋愛
王太子の第二夫人が子どもを宿した。 愛する彼女を妃としたい王太子。 本妻である第一夫人は政略結婚の醜女。 そして国を奪い女王として君臨するとの噂もある。 あやしき第一夫人をどうにかして廃したいのであった。

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

余命宣告を受けたので私を顧みない家族と婚約者に執着するのをやめることにしました

結城芙由奈 
恋愛
【余命半年―未練を残さず生きようと決めた。】 私には血の繋がらない父と母に妹、そして婚約者がいる。しかしあの人達は私の存在を無視し、空気の様に扱う。唯一の希望であるはずの婚約者も愛らしい妹と恋愛関係にあった。皆に気に入られる為に努力し続けたが、誰も私を気に掛けてはくれない。そんな時、突然下された余命宣告。全てを諦めた私は穏やかな死を迎える為に、家族と婚約者に執着するのをやめる事にした―。 2021年9月26日:小説部門、HOTランキング部門1位になりました。ありがとうございます *「カクヨム」「小説家になろう」にも投稿しています ※2023年8月 書籍化

付喪神、子どもを拾う。

真鳥カノ
キャラ文芸
旧題:あやかし父さんのおいしい日和 3/13 書籍1巻刊行しました! 8/18 書籍2巻刊行しました!  【第4回キャラ文芸大賞 奨励賞】頂きました!皆様のおかげです!ありがとうございます! おいしいは、嬉しい。 おいしいは、温かい。 おいしいは、いとおしい。 料理人であり”あやかし”の「剣」は、ある日痩せこけて瀕死の人間の少女を拾う。 少女にとって、剣の作るご飯はすべてが宝物のようだった。 剣は、そんな少女にもっとご飯を作ってあげたいと思うようになる。 人間に「おいしい」を届けたいと思うあやかし。 あやかしに「おいしい」を教わる人間。 これは、そんな二人が織りなす、心温まるふれあいの物語。 ※この作品はエブリスタにも掲載しております。

45歳のおっさん、異世界召喚に巻き込まれる

よっしぃ
ファンタジー
2月26日から29日現在まで4日間、アルファポリスのファンタジー部門1位達成!感謝です! 小説家になろうでも10位獲得しました! そして、カクヨムでもランクイン中です! ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● スキルを強奪する為に異世界召喚を実行した欲望まみれの権力者から逃げるおっさん。 いつものように電車通勤をしていたわけだが、気が付けばまさかの異世界召喚に巻き込まれる。 欲望者から逃げ切って反撃をするか、隠れて地味に暮らすか・・・・ ●●●●●●●●●●●●●●● 小説家になろうで執筆中の作品です。 アルファポリス、、カクヨムでも公開中です。 現在見直し作業中です。 変換ミス、打ちミス等が多い作品です。申し訳ありません。

未亡人クローディアが夫を亡くした理由

臣桜
キャラ文芸
老齢の辺境伯、バフェット伯が亡くなった。 しかしその若き未亡人クローディアは、夫が亡くなったばかりだというのに、喪服とは色ばかりの艶やかな姿をして、毎晩舞踏会でダンスに興じる。 うら若き未亡人はなぜ老齢の辺境伯に嫁いだのか。なぜ彼女は夫が亡くなったばかりだというのに、楽しげに振る舞っているのか。 クローディアには、夫が亡くなった理由を知らなければならない理由があった――。 ※ 表紙はニジジャーニーで生成しました

処理中です...