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第二章:蒼穹のひばり

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 「ところで、ここへは何でいらしたんです
か?もう外は真っ暗なので、お家まで遠いよ
うなら送りますよ」

 立ち上がりながらそう言ってくれた右京に、
古都里は慌てて顔の前で手を振った。確かに、
摺りガラスの窓を見ればそこは真っ黒に染ま
っている。六時を少し回ったところだが、真
冬の空は気が短かった。

 「そんな、送るだなんてとんでもないです。
一本道を自転車でしゃーっ、っと帰るだけな
ので大丈夫です。お気遣いありがとうござい
ます。あっ、でも……」

 「でも?」

 キャンバスバッグを肩に掛けながら立ち上
がった古都里を、右京が見つめる。古都里は
僅かに口をもごつかせると、その言葉を口か
ら押し出した。

 「また、演奏会を聴きに行ってもいいです
か?入会しないのに、図々しいでしょうか?」

 最後の方は消え入りそうな声でそう言うと、
右京は目を丸くした。

 「もちろん。ぜひ、いらしてください。次
の定期演奏会は五月末になりますが、うちの
ホームページを見てもらえれば詳細が載って
ますので」

 「本当ですか!?ありがとうございます。
絶対に行きますっ」

 きらきらと目を輝かせながら古都里がそう
言うと、右京は破願したのだった。








 「ホントに真っ暗だぁ」

 右京の家を出て、自転車のスタンドを蹴り
上げると、古都里は空を見て独り言ちた。

 そうして冷えた風に肩を竦めながら自転車
を走らせる。友達とご飯を食べてくると母に
言ってしまった以上、何か食べて帰らないと
ならない。熱々のたこ焼きでも食べて帰ろう
かな、と考えながら古都里は倉敷中央通りへ
向かって自転車を走らせた。

 そう言えば、『蒼穹のひばり』を聴かせて
もらえなかったな。黒い人影のことも話して
もらえなかったし。のんびりとペダルを漕ぎ
ながらそのことに思い至る。けれどそれも致
し方ないのだ。入会するつもりもないのに、
先生に一曲聴かせて欲しいなどと我が儘を言
えるわけがなかった。箏を弾かせてもらえた
だけでも感謝しなくちゃ。そう思った瞬間、
古都里はあることを思い出し「あっ」と声を
発した。キッ、とブレーキを掛けカゴの中の
バッグを探る。

 「……あれ、ない。やっぱない」

 そこにあるはずの橙色の譜面が見当たらな
い。どうやら、右京の家で弾かせてもらった
八千代獅子の譜面を忘れてきてしまったよう
だ。どうしよう。古都里は思いきり眉を寄せ
数秒考えると、深く息をついた。


――戻ろう。


 入会を断った手前、ひょこひょこ戻るのは
罰が悪いけど、もう弾くことがないとしても
箏の譜面は手元に残しておきたかった。

 古都里はくるりと方向転換すると、いま来
たばかりの道を颯爽と戻り始めた。
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