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第一章:失ったもの

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 古都里は物心がついた頃から、普通の人に
は見えない、『あるもの』が見えていた。


――それは黒い、黒い、人影のようなもの。


 時に視界の隅っこでもやのように動いたり、
横切ったりする黒い塊。それがはっきりと人
型に見えることも多く、誰かの背後にべった
り貼り付いていたりすることもある。


――けれどそれが何なのか?


 幼い古都里にはわからない。
 わからないから、『それ』が見えるたびに
古都里は母親に訊ねていた。

 「ねぇママ、あそこの窓に見える黒い人は、
なあに?ずっとこっちを見てるよ」

 幼稚園の帰り道。手を引いて歩く母に建物
の窓を指差して訊ねる。すると母は決まって、
そんなものはいない、ママには見えないと、
強い眼差しで否定した。

 「お天気のいい日に急に暗いところを見た
りすると、目が眩んでそういうものが見えち
ゃうことがあるの。あんまり可笑しなことを
言うと他の子を怖がらせちゃうから、もう言
わないでちょうだい。わかったわね!」

 「……はい」

 しゃがみ込んで目線を合わせてそう言う母
の顔は困ったように眉を寄せていて、古都里
はそれ以上何も言えなくなってしまう。元々、
母は『怖いもの』が大嫌いだった。テレビ画
面に心霊番組のCMが流れるだけで顔を顰め、
チャンネルを回してしまうほどに……。それ
でも見えてしまうものは、見えてしまうのだ。
幼い古都里はどうすることも出来ないまま、
『それ』が見えてしまった時は必死に目を逸
らし続けていた。

 けれど小学一年の時『それ』が何なのか、
暗に悟ることとなる。

 その日、給食を食べたあとお腹が痛くなり、
保健室に向かった古都里は、ガラリと保健室
の白い扉を開けた瞬間に凍り付いてしまった。

 「どうしたの?こっちへいらっしゃい」

 扉を開けたまま突っ立っている古都里を見、
養護教師の女の先生が椅子から立ち上がる。


――その背後には、あの黒い人影。


 くっきりと、人型をした黒い塊が擁護教師
の背後に佇んでいて、それがゆっくりと首を
こちらに向けた。

 「……ひっ!」

 擁護教師の着る白衣と鮮明に色を違えた黒
い人影。それがゆらりと揺れて一歩こちらに
踏み出したのだから、恐ろしくて堪らない。
 古都里は文字通り、お化けを見てしまった
人のように青ざめると、身を翻し、一目散に
保健室から逃げたのだった。

 擁護教師が亡くなったと聞かされたのは、
それから数日後の全校朝礼の時だった。生徒
を動揺させないようにと詳しい死因は伏せら
れたが、あとになって『自死』だったのだと、
クラスメイトが話していたのを耳にする。


――あの先生は連れて行かれてしまった。

――あの黒い人影はきっと、死神なのだ。


 恐ろしくなった古都里はそれ以来、黒い
人影が見えると目を逸らし、「お願い。誰も
連れていかないで」と心の中で祈るように
なったのだった。
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