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第六章:大安吉日

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 父さんの言葉が、すべてわかったわけじゃ
ない。けれど、----“生まれたらどうする”。
 そのひと言を理解できただけで、父さんが
純に何を言ったのかが、わかった。

 「あなた、それを羽柴さんに言ったんで
すか?弥凪を授かった、あなたが……?」

 母さんは、涙を流していた。その顔が、
みるみるうちに涙で霞み、滲んでいく。

 (おやすみ)

 別れ際、そう言った純は笑っていた。

 たった一人で父さんの言葉を受け止めなが
ら、たった一人で父さんの言葉に傷つきなが
ら、それでも、何事もなかったかのように、
彼はあの笑みを向けてくれたのだ。

 わたしは、溢れ出してしまった涙を手の甲
で拭うと、もう一度服の袖で文字を消し、
新たな文字を書き殴った。父さんを睨みつけ
ながら、それを見せる。わたしの言葉を読んだ
瞬間、父さんは苦しそうに顔を歪めた。

 (父さんはずるいよ!純だけ捕まえてこそ
こそいじめるなんて。言いたいことがあるな
ら、わたしの前で言えばいいじゃない!わた
しがいたら言えないから、キッチンに行かせ
たんでしょう?やり方がきたないよ!最低
だよ!)

 「……弥凪」

 強く噛みしめた唇が、痛かった。母さんが
涙を流したまま、宥めるようにわたしの腕を
擦る。けれど、わたしの怒りはどうにも治ま
らない。
 傷つけるなら、わたしを傷つけて欲しかっ
た。だけどそうしなかったのは、わたしの前
でだけやさしい父親の顔をしたかったからだ。

 それも、許せなかった。純を傷つけたこと
も、耳が聞こえなくて可哀そうだと、悲しん
でばかりいるのも、つけた名前が悪かったと、
悔やんでいることも、ぜんぶぜんぶ、父さん
はわたしを可哀そうだと思わなければならな
い、自分が可哀そうなのだ。

 わたしは、黙って俯いたままの父さんに、
手にしていたホワイトボードを投げつけた。

 「弥凪っ!!」

 咄嗟に、母さんが止めようとしたが、間に
合わない。ホワイトボードは父さんの足にぶ
つかり、くるくると回りながら床を転がった。

 わたしはそのまま、母さんの手を振り払っ
て家を飛び出した。シンシンと更けた夜空
からは、大粒の雨が落ちていたが、そんな
ことはどうだってよかった。
 わたしはあの笑みを思い出しながら、ただ
ひたすら、彼の元へと駆けて行った。







 家に帰り、風呂に温まると、ぐるぐると
思考の渦にのまれていた頭が、少しすっき
りした。
 僕は冷蔵庫にあった発泡酒を手に取ると、
ベッドの縁に背を預け、喉に流し込んだ。

 弥凪の家でも、ずいぶん飲んだはずだった
が、緊張していたからかぜんぜん酔わなかっ
た。いまになって、風呂上がりの体に安酒が
沁み込んでゆく。

 「栓抜き、買わなきゃな……」

 僕は、弥凪の母親が持たせてくれた高そう
なワインを思い出しながら、深くため息を
ついた。
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