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第一章:幸せの配分

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 それからも、彼女とは毎日のように顔を
合わせた。

 朝、事業所へ来れば彼女は僕のいるフロアの
前を通る。その時、利用者さんの対応中で声を
かけられなくても、アイコンタクトをしたり、
互いに手を振ったりもする。廊下で会えば立ち
話をすることもあるけれど、僕がメモ帳を持ち
合わせていない時などは、簡単な手話で挨拶を
するにとどまった。



------毎日、僕の狭い視界に彼女が映る。



 それだけで、気持ちは弾んで、弾んで、
仕方ない。また明日も会える。そう思えば、
嫌なことがあってもケロリと忘れられる。
 まるで、彼女の笑顔は心の栄養剤だ、なん
て、そんなポエムのようなことを心の中で思っ
ていることは、僕だけの秘密だった。
 大きなコップが少しずつ満たされてゆくよう
に、僕の中も彼女で満たされてゆく。こんな
気持ちになるのは初めてのことで、僕はその頃
からもっと彼女と話せるようになりたい、と
思い始めていた。

 だから、僕はまず「指文字」を覚えることに
した。

 聴覚障がいを持つ人とのコミュニケーション
方法は、いくつかある。

 代表的なものは「手話」や「口話」、
「筆談」で、その他にも「指文字」や「手の平
書き」という、手のひらに文字を書く方法も
あった。
 もちろん、一番円滑にコミュニケーションを
取れるのは手話だけど、手話は難しく、とても
一朝一夕で覚えられるものではない。その点、
指文字なら文字の数だけ手の形を覚えればいい
から、ハードルは低い。

 多くの人が指文字と聞くと、盲ろう者で有名
なヘレン・ケラー女史を思い浮かべるだろうけ
ど、彼女がサリバン先生から教え込まれたの
は、アルファベットの指文字をローマ字表記
で表し、手の平で触らせるものだ。
 
 僕が覚えるのは、日本語の50音式。
 これも、相手に手の形を見せて話すだけでな
く、手の平で触れさせて言葉を伝えることが
出来る。幸い、僕は暗記が得意なので、指文字
は一晩で覚えることが出来た。




-----翌日。



 さっそく、覚えた指文字を使うチャンスが
訪れた。
 ビジネス文書研修を終えた彼女が、長山さん
と二人で教室から出てきたのだ。彼女たちは、
手話で談笑しながらこちらに歩いてくる。
 僕は廊下の向かい側から彼女たちに手を
振り、そして、覚えたばかりの指文字で話し
かけた。

 (お、つ、か、れ、さ、ま。 
が、ん、ば、っ、て、る、ね)

 手の形を思い出しながら、ゆっくりと指文字
を作って見せる。昨夜はちゃんと覚えたつもり
だったけれど、実際にやってみると、促音そくおん
呼ばれる小さな「っ」などは、形作った手の
動かし方が微妙に難しかった。
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