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第六章:蛍の苦悩

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「お役に立てず、申し訳ありませんでした」

「そうじゃない!わたしは謝れと言ってるわけじゃないんだ」

理由わけも話さず、ただ謝罪の言葉を口にした僕に、父は

また首を振り、語気を強めた。そうして、もどかしそうに拳を握り、

膝を叩いた。親子になって10年経つが、こんな風に父が感情を

露わにするのは初めてで、僕は頭を上げることが出来ない。

そんな僕を前に、父は気持ちを落ち着かせるように呼吸を

ひとつすると、口調を和らげた。

「なぁ、一久。好きな女ができたのか?そうなんだろう?」

その言葉に、僕はゆっくりと顔を上げ、頷いた。父が目を見開き、

得心したように何度か頷く。多くを語る必要など、なかった。

僕には心に想う女性がいる。それが、この結末のすべてだ。

父はソファーの背に体を預けると、天井を仰ぎ両手で顔を覆った。

そうして、くぐもった声で言った。

「お前は何も悪くない。悪いのは、わたしなんだ。経営が立ち

かなくなったツケを、お前ひとりの肩に背負わせようとした。

それでお前が不幸になるわけじゃない。良縁なら幸せになれる

んだと自分に言い訳をしながら、わたしはお前という存在に

甘えてしまった。酷い父親だ」

最後のその言葉は、僕の心をえぐった。父には、感謝こそすれ、

恨んだことなど一度もなかったからだ。父が悪いわけじゃない。

おそらくは僕も、破談を決めた彼女も、誰も悪くはないのだろう。

僕は唇を噛んだ。




もし、彼女から先に破談を申し出ていなかったら、僕から父に

話をするつもりだった。あの夜、滝田に触れられている彼女を

見た瞬間、僕はそのことを決意したのだ。けれど、もし、

そうしていたら、父はもっと自責の念に駆られたかもしれない。

僕は手の平で隠されている父の顔を想像し、胸を痛めた。

「あなたの息子になれたから、いまの僕があるんです」

僕は穏やかにそう言った。父がゆっくりと僕を見る。

涙こそ零れていないが、目は充血している。

「あなたを父と呼べることが、僕は本当に嬉しかったんです。

だから、僕の我が儘であなたを苦しめることだけは、したく

なかった。こんなことになってしまい、申し訳ありませんでした」

そこまで言った僕に父は顔を赤くすると、歯を食いしばるように

して、頷いた。

「お前は何も心配する必要はない。M&A※に踏み切ろう。

トウショウホールディングスから話は来てるんだ。今のご時世、

経営形態の転換に踏み切る企業は、この業界も多い。同業と

なら、互いの問題を解決しながら良い関係を築けるだろう」

父は経営者の顔をしてそう言うと、「よし」と立ち上がった。

もう話すことは何もないということだろう。けれど、僕には

まだ話があった。

「待ってください」

僕は父を見上げ、懐から白い封筒を取り出した。





※資本の移動を伴う企業の合併と買収
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