上 下
46 / 61
第三部:白いシャツの少年

44

しおりを挟む
――違う、ここじゃない。


 瞬時にそう理解した千沙は、侑久を振り
返り声を上げた。

 「この部屋じゃない!どこだここは」

 焦燥の滲む声で言って、後ろ手で格子戸
を閉めている侑久に強い眼差しを向ける。
 侑久は「そうだよ」と静かに頷くと、
ゆっくりと千沙に歩み寄った。
 侑久からいつもの柔らかな笑みが消えた
気がして、千沙は無意識に後退る。けれど、
とん、と部屋の中央にあるテーブルに尻が
あたり、それ以上逃げることが出来なくな
ってしまった。その千沙を囲い込むように
して侑久がテーブルに手をつく。
 
 そして真剣な眼差しを向けると、低い声
で言った。

 「ここは俺が予約しておいた部屋だよ。
ちぃ姉を攫うために、俺はいまここにいる」

 その言葉に千沙はこれ以上ないほど目を
見開き、ぽかん、と口を開ける。

 いま、自分を攫いに来たと聞こえた気が
したが……煩過ぎる鼓動が耳にまで響いて
聞き間違いかも知れないと思ってしまう。

 「い、いま何て……?」

 間抜けにも、そう訊き返した千沙に侑久
は目を細めると、ゆっくり繰り返した。

 「ちぃ姉を攫いに来た。だからもう御堂
先生には返さない」

 「はっっ!?なっ、なに冗談言って……」

 ようやく侑久が言わんとしていることを
理解した瞬間に、千沙は声をひっくり返す。
 侑久は「やれやれ」とでも言いたげに肩
を竦めると、すぐにまた真剣な顔を向けた。
そして千沙の目を覗き込み、諭すように
言った。

 「嘘でも冗談でもないから、落ち着いて
聞いて。これが最後のチャンスだ。だから
ちぃ姉の本当の気持ちを聞かせて欲しい。
俺が好きか、嫌いか。本当は誰と一緒に生
きたいのか。いまは責任とかしがらみとか、
余計なことは一切考えないで。たった一言
でいい。ちぃ姉の本心を聞かせてくれれば、
俺が決められた未来を全部変えてあげる」


――本心を聞かせて欲しい。


 そう言った侑久の眼差しは、7つも年下
とは思えないほど大人びていて、狼狽えて
いる自分の方が年下なのではないかと錯覚
してしまう。けれど、全部変えてあげると
はどういうことなのか?侑久に夢を捨てさ
せたくないから、自分は身を引いたという
のに……。

 それでも、これが最後のチャンスだと
言われれば、諦めたはずの想いが溢れてし
まう。散々泣いて、枯れたと思っていた涙
まで頬を伝ってしまって、もう抑えること
など出来そうになかった。千沙は、すん、
と洟をすすると、拗ねた子供のような声で
言った。

 「言っても……いいの?それで、侑久が
夢を諦めるようなことには、ならない?」

 「大丈夫。俺は夢を諦めたりしないよ」

 慈しむような眼差しを自分に向けながら
そう答えた侑久の、腕を握る。もう、二度
と触れることもないと思っていた温もりが、
そこにある。――堪らなかった。

 諦めよう、諦めようと幾度も自分に言い
聞かせながら、心は侑久を求めることを
やめられずにどれだけ彼の面影に胸を焦が
したことか。千沙は小さく息を吸うと、
ずっと長いこと胸に留めていた想いを
口にした。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

校長室のソファの染みを知っていますか?

フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。 しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。 座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る

結構な性欲で

ヘロディア
恋愛
美人の二十代の人妻である会社の先輩の一晩を独占することになった主人公。 執拗に責めまくるのであった。 彼女の喘ぎ声は官能的で…

車の中で会社の後輩を喘がせている

ヘロディア
恋愛
会社の後輩と”そういう”関係にある主人公。 彼らはどこでも交わっていく…

私は何人とヤれば解放されるんですか?

ヘロディア
恋愛
初恋の人を探して貴族に仕えることを選んだ主人公。しかし、彼女に与えられた仕事とは、貴族たちの夜中の相手だった…

皇太子夫妻の歪んだ結婚 

夕鈴
恋愛
皇太子妃リーンは夫の秘密に気付いてしまった。 その秘密はリーンにとって許せないものだった。結婚1日目にして離縁を決意したリーンの夫婦生活の始まりだった。 本編完結してます。 番外編を更新中です。

「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。

木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。 因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。 そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。 彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。 晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。 それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。 幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。 二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。 カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。 こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。

冷徹御曹司と極上の一夜に溺れたら愛を孕みました

せいとも
恋愛
旧題:運命の一夜と愛の結晶〜裏切られた絶望がもたらす奇跡〜 神楽坂グループ傘下『田崎ホールディングス』の創業50周年パーティーが開催された。 舞台で挨拶するのは、専務の田崎悠太だ。 専務の秘書で彼女の月島さくらは、会場で挨拶を聞いていた。 そこで、今の瞬間まで彼氏だと思っていた悠太の口から、別の女性との婚約が発表された。 さくらは、訳が分からずショックを受け会場を後にする。 その様子を見ていたのが、神楽坂グループの御曹司で、社長の怜だった。 海外出張から一時帰国して、パーティーに出席していたのだ。 会場から出たさくらを追いかけ、忘れさせてやると一夜の関係をもつ。 一生をさくらと共にしようと考えていた怜と、怜とは一夜の関係だと割り切り前に進むさくらとの、長い長いすれ違いが始まる。 再会の日は……。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

処理中です...