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第一章:瞳に宿る影
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桜の時期ともなると目黒川沿いはお花見ス
ポットとして多くの花見客で賑わうのだが、
この橋の辺りは水深もあり、花見クルージン
グを楽しむ人も多い。けれど、スイセンの花
が咲き始めるいまの時期は枯れ木が川の両端
を覆うばかりで、どことなく空寒かった。
そんな寂しげな景色を見やると、川を覗き
込むように橋の欄干に身を寄せる人影が目に
映った。僕は、おや、とその人物を熟視する。
人気のない橋の上で真っ黒な川を覗き込ん
でいる、髪の長い女性。その横顔は間違いな
く、たったいま、僕が思い浮かべていた女性
のものだった。
「あれ、藤治さん?」
思わず立ち止まって名を呼ぶ。
すると何を思ったのか、彼女はその場に靴
を脱ぎ捨て、欄干に足を掛けた。
「えっ、ちょっと!!藤治さん!?」
数メートル先で思いも寄らないことをして
いる彼女に声を上げると、彼女は僕の存在に
気付き、こちらを向く。けれどそれは一瞬の
ことで、僕が駆け寄ろうとすると彼女は逃げ
るようにひらりと欄干を乗り越え、躊躇いも
せずに川に身を投げてしまった。
「藤治さんっ!!!」
僕が叫んだ刹那、ざっばーん、と派手な水
音が聞こえ、僕は慌てて駆け寄り欄干にしが
みつく。凪いでいたはずの黒い水面には幾重
もの大きな波紋が広がっていて、彼女の姿は
瞬く間に水の中に消えてしまった。
どうして、もっと早く連絡しなかったのか。
今更そんなことを悔やみながら僕もコート
を脱ぎ捨て、欄干を乗り越える。悩んでいる
暇はなかった。まだ波紋の残るその場所をめ
がけて川に飛び込むと、そのまま濁った水を
掻き分け、川の中へ潜っていった。
想像していたよりずっと冷たく、視界の悪
い水中を探しても、伸ばした手に彼女の体は
触れてくれなかった。それでも、まだそんな
深くまでは沈んでいないはずだ。そう自分に
言い聞かせながら、僕は必死に両手を伸ばし
彼女を探し続けた。
けれど、取り立てて肺活量が多いわけでも
ない僕は、すぐに限界がきてしまう。吸い込
んだ酸素がブクブクと音をさせながら耳の横
を掠めてゆくと、九十秒を過ぎた辺りから息
が苦しくなってしまった。このままじゃ彼女
を助ける前に自分が溺れてしまうのではない
かという、不吉な予感が頭を過ぎる。
どうすればいい?
一度水面に出て、また潜るべきだろうか。
その方がもっと長く探せるかも知れない。
そう思い至り、浮上しようとした時だった。
右手の中指に何かが触れた。
柔らかな絹糸のような何か。
彼女の髪だろうか?
僕はその感触を頼りに、ありったけの力を
振り絞り両手で水を掻き分ける。すると、
――いた!!!
暗く濁った視界の先に、沈んでいこうとす
る彼女の姿を見付けた。
ポットとして多くの花見客で賑わうのだが、
この橋の辺りは水深もあり、花見クルージン
グを楽しむ人も多い。けれど、スイセンの花
が咲き始めるいまの時期は枯れ木が川の両端
を覆うばかりで、どことなく空寒かった。
そんな寂しげな景色を見やると、川を覗き
込むように橋の欄干に身を寄せる人影が目に
映った。僕は、おや、とその人物を熟視する。
人気のない橋の上で真っ黒な川を覗き込ん
でいる、髪の長い女性。その横顔は間違いな
く、たったいま、僕が思い浮かべていた女性
のものだった。
「あれ、藤治さん?」
思わず立ち止まって名を呼ぶ。
すると何を思ったのか、彼女はその場に靴
を脱ぎ捨て、欄干に足を掛けた。
「えっ、ちょっと!!藤治さん!?」
数メートル先で思いも寄らないことをして
いる彼女に声を上げると、彼女は僕の存在に
気付き、こちらを向く。けれどそれは一瞬の
ことで、僕が駆け寄ろうとすると彼女は逃げ
るようにひらりと欄干を乗り越え、躊躇いも
せずに川に身を投げてしまった。
「藤治さんっ!!!」
僕が叫んだ刹那、ざっばーん、と派手な水
音が聞こえ、僕は慌てて駆け寄り欄干にしが
みつく。凪いでいたはずの黒い水面には幾重
もの大きな波紋が広がっていて、彼女の姿は
瞬く間に水の中に消えてしまった。
どうして、もっと早く連絡しなかったのか。
今更そんなことを悔やみながら僕もコート
を脱ぎ捨て、欄干を乗り越える。悩んでいる
暇はなかった。まだ波紋の残るその場所をめ
がけて川に飛び込むと、そのまま濁った水を
掻き分け、川の中へ潜っていった。
想像していたよりずっと冷たく、視界の悪
い水中を探しても、伸ばした手に彼女の体は
触れてくれなかった。それでも、まだそんな
深くまでは沈んでいないはずだ。そう自分に
言い聞かせながら、僕は必死に両手を伸ばし
彼女を探し続けた。
けれど、取り立てて肺活量が多いわけでも
ない僕は、すぐに限界がきてしまう。吸い込
んだ酸素がブクブクと音をさせながら耳の横
を掠めてゆくと、九十秒を過ぎた辺りから息
が苦しくなってしまった。このままじゃ彼女
を助ける前に自分が溺れてしまうのではない
かという、不吉な予感が頭を過ぎる。
どうすればいい?
一度水面に出て、また潜るべきだろうか。
その方がもっと長く探せるかも知れない。
そう思い至り、浮上しようとした時だった。
右手の中指に何かが触れた。
柔らかな絹糸のような何か。
彼女の髪だろうか?
僕はその感触を頼りに、ありったけの力を
振り絞り両手で水を掻き分ける。すると、
――いた!!!
暗く濁った視界の先に、沈んでいこうとす
る彼女の姿を見付けた。
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