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第十章
【住之江篇PART1】
しおりを挟む年末の住之江は一年をしめくくるメッカにふさわしい熱いドラマと観客で沸いていた。
それにしても『競艇放浪記』をやる以前から全国各地にある競艇場へ足を運んでいるが、関西にある各本場の雰囲気は他と比べると明らかに異色である。
とくにメッカとされ、暮れの大一番である賞金王決定戦の大半が開催される住之江は、ファンがレースの楽しみ方を知っているというか、観戦してる自分たちを自身で盛り上げていこうとする。
さすが芸人のメッカでもある大阪だと感心せずにはいられない。
例えば野次や声援などでもシャレが利いていて、近くで聞いていると吹き出すこともしばしばだ。
「あ、あかんて!それやめて!そこは5やろ、なっ5にしてくれんとぉ。かなわんでホンマにぃ、頼むでしかしぃ~っ!」
「そら、そこマクレっちゅうんじゃ!そこは先輩、師匠でもケツまくらんかいっ!あほんだらっ!」
おもしろいけど二階席からガラス窓を挟んでちゃレースしている選手に届きはしないだろう。
「なんじゃ、そらぁ。どこへ走っとんねん。冴えへん成績やからって護国神社までお参りかいっ!」
住之江は1マークのバックストレート側の場外すぐに神社が鎮守する。ターンを外してアララな方に流れていく選手には、そんな野次が飛ぶ。
また変わり身も素早いというか見事というのか。大本命になった東都のエースと呼ばれる濱野谷選手には「神様、仏様、濱野谷様」とか「濱野谷大明神」と手を合わせてたとおもったら、負けたとたん「くそボケぇ~っ!このヘマノヤぁっ!生きて東京には帰さんぞぉっ!」である。
また展示では三味線を弾きながらレースになると際どく、えげつない走りで勝つ今垣選手には「ごらぁ今垣、しばき簀巻きであの世行きにしたるわっ!」と見事な韻を踏んだ怒声が飛び、勝利者インタビューでおもわず「住之江は怖え~」と笑顔を引き攣らせるなんてことも。
いやはや、まったくもって、たまらん本場なのである。
住之江競艇場は地下鉄の四つ橋線「住之江公園駅」のほぼ真上にある。改札口を出て階段を上がるとアーケードが入場口まで続き、まるで本場へのエントランスのようになっていて、勝負を求める者たちを誘うのだ。
だが、わたしの足取りは重たかった。住之江へと来るまでに、わたしは関西で用件をかたづける隙を見つけては、びわこ、尼崎と本場を訪ねて打った勝負で、じりじりと瀬戸際まで追いこまれていた。身動きを取る足代にも不自由するくらいで、硬貨のひとつ一つを数えてどうするかと考えて行動しなきゃならないありさまだった。
実はまだ賞金王決定戦のトライアルが始まっていない二日目にシリーズ戦の様子見という感じで住之江まで来たのだが、本場で渦巻く熱気についつい煽られて気がつくと予定以上に賭けてしまい、残り少なくなった資金をさらに削り取られていた。
ふぅっと、ひとつため息をついて勝負へ向かう階段を見上げると、西成のアンコ(日雇い労働者)専用の職安で仕事にあぶれてしまって買い手がつかずに山盛りで腐っているトロ箱の魚ように横たわるオヤジたちと同じ風情の男が、人生を踏み外したついでに階段まで踏み外して転げ落ちてきた。
こりゃいかん。自分の先行きを暗示をしているようですごくイヤ、と見なかったことにしたら周囲にもご同様の方々ばかり。ピクリとも動かない男は車に轢かれた野良のように本場をめざす人たちに避けて通られた。
だが、同情なんぞしていられない。次は自分がこうなるかもしれないのだ。
草鞋を脱いだ先からは、どんなムリ難題な用件でも頼まれたなら断れないのが博徒渡世の義理である。しかし世話になっていた某所では、こちらの事情で足元を見られ、アレを頼むコレで行ってとパシリみたいなリクエストにも耐え忍ぶ身。若い駆け出しの者なら、それも修行と自分に言い聞かせられようが、世間的にはもういい年齢である。いったい何をしているんでしょと、おもわずにはいられなかった。
といって卓袱台をひっくり返すわけにもいかない。ともかく飯と酒、雨露をしのぐ寝床が確保できて、煙草銭としてお駄賃もいただく。トホホな話ではあるが、手にしたそんな小銭で一発逆転を狙いインターネットで勝負をするも、貧すれば鈍するである。大穴舟券ばかりを買うため、ことごとくハズレまくりでアッチョンブリケ(ブラックジャックに出てくる貧乏神やったか?)なことに。
そんなこんなで迎えた住之江の最終日だった。
ところで競艇に疎い人たちのために説明すると、年の瀬も迫るころ開催される「賞金王決定戦」は「賞金王シリーズ戦」というSG競走の2本だてで開催されている。
当年の1月1日から11月の「SGチャレンジカップ」終了までの獲得賞金上位60名を約1500名全登録選手から選抜して、さらにそこから獲得賞金上位12名が賞金王決定戦に、その他が賞金王シリーズ戦へ出場することになる。
賞金王決定戦の優勝賞金は一億円で、1レースの賞金額としては競輪の最高峰レースの「KEIRINグランプリ」と並んで、世界最高記録としてギネスブックに認定されている。
シリーズ戦はSGレースなのだが優勝賞金は1600万円。通常のSG優勝賞金4000万円に比べると低いが、優勝すると翌年の総理大臣杯への優先出走権を得られるため、ちょっと賞金の高いGⅠのようなランクだろう。
とにもかくにも競艇レーサーのトップクラスが集い闘うのである。それゆえに見事な走りっぷりを見ようと、ふだんは競艇に興味のない人たちまで本場の熱気と興奮を味わうついでに、あわよくば儲けられたら…とやって来る。
おまけに最近はCMや広告でたぶらかされ、本場をオサレなデートスポットと勘違いしてるカップルたちもいて、いつもの本場とは少々様相が違うのが年末の大一番なのだ。
最終日には観客席が満員電車並みの人混みになっていたが、単なるお祭り騒ぎを楽しみたいという連中とは明らかに異なった、出がらしのティーバッグみたいな男たちがチラホラするのは時期が時期だからであろう。
無事に年を越せるか否かを勝負で決しようとする、切羽詰った覚悟と思惑で金を発券所に突き出しているのが手に取るように感じられる。
レーサーたちの景気いい話とは裏腹に、この勝負がダメなら明日からどうする…どころか沈められたり埋められたり想像したくない目に遭う者もいるに違いない。
そんなことをおもいつつ1マーク付近に腰を下ろして、ふと視線を手元の発走表から水面の方へと向けると、斜め前の席にもいました、そんな男が。黒い集金袋のような鞄を脇に抱えて、おちつきなく膝をゆすりながら祈るような目で電光掲示板のオッズを眺めている。
服装から察するにサラリーマンではなさそうだ。それにしても明らかすぎるほどキワキワな状況ではないか。いったい、いくら突っこんでるのだろう。ひよっとして抜いたりガメたりの金なのか。それはかなり気まずくて危険が危ないことだよねぇ……などと、わたしは胸のうちでつぶやいた。
さまざまな人たちを飲みこんだ住之江本場での最終日は、ドラマチックなレースが次々と繰り広げられた。
賞金王シリーズ優勝戦では、かつてSGレースを何度も制する実力とジャニーズ系のイケメンで人気だった山崎智也が、4コースのカドから見事に豪快なマクリを決めて長い不振から脱したことを証明する優勝をした。
今回の参戦直前に女子レーサーの「女王」横西奏恵と結婚したが、それからの快進撃ぶりからも智也にとり低迷から復活する大きな原動力になったのは確かだ。
よりにもよって(ひどい)バツイチこぶつきで、たいした美人とは言いにくい(ひどいひどい)相手との結婚はファンたちを驚かせたが、男勝りの女王・横西に少々弱気な精神面がある智也は、いい組み合わせの夫婦なのかもしれない。しっかりせいよと尻を強気なおかあちゃんに叩かれたら、さしものヤサ男も発奮しなきゃならんだろう。今後の智也には注目である。
また膝の手術から1年、ことしはSGを一度も勝てず苦しみながらも、それなりに結果を出して賞金王決定戦に漕ぎつけた王者・松井は、イチかバチかの勝負をトライアル最後のレースで見せたものの残念ながら優勝戦出場は逃していた。
その鬱憤を晴らすと同時に、まだまだ台頭する若手に侮らせまいとする意地だろうか。松井は順位決定戦でこれまた4コースから見事な差し技を見せ、1着もぎ取ると地元ファンから拍手喝采を浴びていた。
そしていよいよなクライマックス、賞金王を決める最終レースの優勝戦である。
今年の競艇界の潮流を示すように六名のうち三名が初出場組で、誰が勝っても初の賞金王という顔ぶれになっていた。
「モットも優勝に近い」1コースは東都のエース・濱野谷。前日までトップの成績だった石野がトライアル最終戦で不運な展開から大敗したおかげでめぐって来た絶好のチャンス。なんとしてもモノにしたいところで本命に推されていた。
対抗と見られていたのは4コースの今垣と、2コースに入った中島の北陸勢だ。モーターのよさでは中島が気配で上だったが、2コースが難しい住之江の水面特性がある。それに中島は初出場組だ。どちらかといえば経験豊富な今垣に分があるようにわたしはおもえた。
5コースは浪花の快速王子で85期銀河系軍団のリーダー格である湯川が構える。3コースは石野、大外の6コースが岡崎で、この2人は今年SG初優勝した若手だ。
岡崎などはまだ二十代前半で、世代交代の予感をさせる筆頭株。怖いもの知らずという面もまだあろうが、強気な戦いぶりは将来に大きな期待ができた。
スタート時間が近づくにつれて観客席スタンドは、運命の瞬間に固唾を呑んで待っている人影が、水面へとこぼれ落ちるほどになっていた。
そしてレーサーたちは、それぞれの思惑と駆け引きを交錯させながら、スタート位置について大時計の針が回るのを見つめていた。
Part2へと、つづく
※このエッセイは以前に書いたものに手を入れて掲載しています。
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