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第四章
失われた時をめぐる<3>
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国家や政治、システムというものを都合よく利用する権力のために、人間としての権利や尊厳を奪われ、虐げられている人々は世界中に数多くいる。
半世紀前に大国の覇権争いの最前線として、代理戦争を経て南北に分断されたわたしの祖国朝鮮半島は、北半分が残念ながら今だ掲げている国名とは乖離した非民主的国家だ。一般民衆は人権などないに等しい過酷な状況で暮らしていた。
わたしが留学生活を断念し、旅先のパリでチファと出逢ったころ、社会主義という看板を掲げていた国のほとんどが、程度の差はあれ恐怖政治と監視・統制社会で権力の強化と維持を図っていた。
肉親の間でさえも、自由に話ができない社会を想像できるだろうか。指導者や権力体制に対して、わずかな疑問の言葉でさえ口にすれば、無傷ですまないどころか生命の危険さえあるという状況が理解できるだろうか。それも本人のみならず親族や友人までも、まとめて処分されてしまう狂気の沙汰が、平然と行われていた。
ヨーロッパでもベルリンの壁で象徴される東側では、そんな国であふれていた。のちに東西冷戦の終焉と呼ばれる出来事が起こるまで、まだ時間が必要な時代だった。
だが、そんな大きな変化が起こすために、体制や独裁者に反旗を翻す勇敢な人たちが、世界中で連帯し闘うという状況が生まれてもいた。自らの生命を危険に晒しても家族や友人のために、苦渋と辛酸を舐める多くの人々のために闘う者たちがいた。
わたしの父はそんな反体制闘争の旗手として奮闘する一人だった。それゆえ治安がいいとされる日本国内でもテロの危険とは隣りあわせだったし、各国の工作員やスパイ、公安警察などの視線から逃げられられない毎日でもあった。
大学生になって間もなく、わたしは現実逃避するようにスポーツや音楽に没頭するばかりの生活にピリオドを打つことになる。
自分もまた父や父に影響を与えた祖父の背中を見ているうちに、世界を取り巻く矛盾や不条理に向き合わずにいられなくなったのだ。
わたしは一念発起という言葉どおり本格的に勉強を始めて、広く深い知識を身につけなければとおもった。そして祖父や父が学んだ哲学という学問の世界に足を踏み入れた。さらには父の活動の雑務や秘書代わりになって手伝うことで、机上の論理だけではなく実践でも鍛えられて、闘うことの意味や厳しさを自分の身に刻んだ。
やがてわたしの意識は極東アジアにある自国を取り巻く状況だけじゃなく、同じような問題を孕む欧州の東側諸国にも向かうようになる。
単にナショナリズムやパトリオティズム的な問題意識ではなく、世界の普遍的な問題として取り組まなければならないと認識するようになった。そして自分たちと同様の苦悩を抱える欧州の地で西洋哲学の真髄に触れたいともおもった。
さらには、日本にいるよりも監視の目がゆるくなり、身動きが取りやすいはずだと考えると、なんとか留学する手段はないかと探った。
だが祖国の反体制運動に私財を投げうち奔走する父に経済的な負担はかけられなかった。幸いにも哲学の聖地ドイツでは生活費と授業料の面倒を見てくれる公費留学生という制度があって、わたしはその入学資格試験を受け合格することができた。
当時のわたしは、まだ国籍が朝鮮のままだったことで日本からの出入国もままならなかったが、その点は父がまだ軍事政権だった韓国政府と交渉して大統領の勅令による臨時パスポートを手に入れてくれた。敵の敵は味方、という理屈が便宜を図ってくれたのだ。
なにかと制約や障害はあったが、それらをなんとかクリアして、ようやく留学することが現実となった。
いよいよ渡航が目前に迫ったころ、わたしの中ではある決意が明確になっていった。もしもチャンスがあったならば、自ら武器を手にして独裁者の一人とでも刺し違えてやる、そんな覚悟をいつの間にか胸の内に育てていたのだ。若かったわたしは激情の炎を身体の中に宿していた。
出発の日、ミュンヘン行きの直行便に乗りこむとき、わたしは見送りに来た父に冗談めかして自分の覚悟を話した。父はそんな言葉をどういうふうに受け取り、聞いていたのだろうか。冗談だと真面目に受け取ってなかったかもしれない。
留学中のわたしは横暴な権力と闘う人々と、その歴史に関わる昂揚感と充実感を満喫していた。だがそれは、ごく普通の暮らしの中で得られる幸せや喜びの多くを犠牲にしなければならない。若かったわたしはそんなことさえ、ヒロイックな気分に突き動かされて、意味を噛みしめることなく日々を走り抜けていた。
そんなとき戦士の休息とばかりに訪れたパリで、チファと出逢って甘い日々を過ごすことで、初めて日常と非日常の間に立ちはだかる巨大な壁にぶつかり、わたしは打ちひしがれるときが確かにあった。
パリに滞在できる時間は残り僅かになっていた。チファと別れたくないという気持ちと、彼女を自分の宿命のような人生に巻きこんでいいものかという相克する感情に悩んだ。さらには、それに加え詳しい事情を話したとき、彼女がどういう態度を見せるのかも不安だった。
わたしがすべてを明かし、そんな自分といっしょに日本に来てほしいという願いを伝えようと決意したとき、まるで測ったようなタイミングでチファからの誘いがあった。
電話の向こうから彼女が言うには、韓国から父親がやって来ているから、ぜひ会ってほしいというものだった。唐突な父親の登場に少し驚いたが、わたしは躊躇しながらも了承をした。
シンクロニシティという言葉が、そのときふと脳裏を走った。わたしはチファに父親と会う前に、ふたりっきりで話せる時間が欲しいと伝えた。
「いいわ。父とは明日の夜八時にプラザ・アテネで待ち合わせってことになっているから、先に行ってティーラウンジかバーで話をしましょう」
「時間は、いつにする?」
「五時なら、どう?」
「オレはいつだって、かまわないさ」
「授業が終わったら、すぐに向かうわ」
「じゃ明日、先に行って待っているよ」
わたしは電話を切るとベッドに身を投げ出すと、明日どこからどのようにして彼女に説明をすべきか考えめぐらした。どうすれば自分の立場を理解してもらえて、いっしょに日本へ行くことを同意してもらえるかと何度も話を組み立てては壊すことを繰り返した。
あのときの窓の外には晩秋の澄んだ夜空がパリの街を包んでいたのを、いまもあざやかに覚えている。煌く星の輝きのように、希望の灯がわたしとチファを照らしてくれないだろうかという考えが何度も頭の片隅に姿を現して、翌日すべき話をまとめるのを邪魔した。
世界中で最も華やかだと賞賛されるパリのモンテーニュ街。リッチでノーブルな雰囲気で飾られた通りには、著名なメゾンやジュエラーが軒を連ねる、パリでも随一のファッションエリアとして知られている。1911年に、この通りに創業したホテル・プラザ・アテネは『プラザ・レッド』と呼ばれる赤のファサードが目を引く瀟洒で優雅な佇まいで訪れる人を迎えてくれる。顧客名簿にはグレース・ケリーや、ジャクリーン・ケネディといった名前もあり、その歴史は世界中のセレブリティが集う場として、年月を積み重ねたものだ。
そんな最高級なホテルで、わたしはチファと彼女の父親に話をしなければならなかった。ネクタイを締めて、いつもよりスクェアな服装で、小ぶりなエントランスをこころなしか気圧されつつ進んだ。
ややデコラティブであるが、けっして野暮ったさはないレセプションフロアで、まず先にチファと待ち合わせをするラウンジの場所を確認すると、自分の気持ちを落ち着かせるように、ゆっくりとした足取りで向かった。
彼女と出逢って間もないころ、わたしたちは一度中庭にあるサロン・ド・テで過ごしたことがあった。初夏から夏の終わりにかけて、そこは翠の蔦が生い茂る壁と赤い薔薇の花に囲まれた中で食事やお茶を楽しめるオープンダイニングになっていた。
しかしそのときは、十一月の夕暮れどきで人影はなく、寂しい景色が横たわっていた。午後五時まで、あと数分というところだがティーラウンジには、チファの姿は見当たらなかった。
わたしはお茶よりも酒の気分だったので、英国スタイルのバーの方へと足を向けた。照明がやや落とされた室内を忙しげに動くギャルソンを呼び止めると、落ち着いて話せる席を頼んで案内してもらった。
オーダーはと考えたが、あとのこともあるので、あまり強い酒を飲むわけにもいかないとおもった。わたしの側で言葉を待っている同じ年ごろであろうギャルソンの疑問と羨望と嫉妬がない交ぜになった視線に、アルコールが軽めのスパークリングワインを頼むと、大きな吐息を一つして、ソファにゆっくりと身を預けたのだった。
つづく
半世紀前に大国の覇権争いの最前線として、代理戦争を経て南北に分断されたわたしの祖国朝鮮半島は、北半分が残念ながら今だ掲げている国名とは乖離した非民主的国家だ。一般民衆は人権などないに等しい過酷な状況で暮らしていた。
わたしが留学生活を断念し、旅先のパリでチファと出逢ったころ、社会主義という看板を掲げていた国のほとんどが、程度の差はあれ恐怖政治と監視・統制社会で権力の強化と維持を図っていた。
肉親の間でさえも、自由に話ができない社会を想像できるだろうか。指導者や権力体制に対して、わずかな疑問の言葉でさえ口にすれば、無傷ですまないどころか生命の危険さえあるという状況が理解できるだろうか。それも本人のみならず親族や友人までも、まとめて処分されてしまう狂気の沙汰が、平然と行われていた。
ヨーロッパでもベルリンの壁で象徴される東側では、そんな国であふれていた。のちに東西冷戦の終焉と呼ばれる出来事が起こるまで、まだ時間が必要な時代だった。
だが、そんな大きな変化が起こすために、体制や独裁者に反旗を翻す勇敢な人たちが、世界中で連帯し闘うという状況が生まれてもいた。自らの生命を危険に晒しても家族や友人のために、苦渋と辛酸を舐める多くの人々のために闘う者たちがいた。
わたしの父はそんな反体制闘争の旗手として奮闘する一人だった。それゆえ治安がいいとされる日本国内でもテロの危険とは隣りあわせだったし、各国の工作員やスパイ、公安警察などの視線から逃げられられない毎日でもあった。
大学生になって間もなく、わたしは現実逃避するようにスポーツや音楽に没頭するばかりの生活にピリオドを打つことになる。
自分もまた父や父に影響を与えた祖父の背中を見ているうちに、世界を取り巻く矛盾や不条理に向き合わずにいられなくなったのだ。
わたしは一念発起という言葉どおり本格的に勉強を始めて、広く深い知識を身につけなければとおもった。そして祖父や父が学んだ哲学という学問の世界に足を踏み入れた。さらには父の活動の雑務や秘書代わりになって手伝うことで、机上の論理だけではなく実践でも鍛えられて、闘うことの意味や厳しさを自分の身に刻んだ。
やがてわたしの意識は極東アジアにある自国を取り巻く状況だけじゃなく、同じような問題を孕む欧州の東側諸国にも向かうようになる。
単にナショナリズムやパトリオティズム的な問題意識ではなく、世界の普遍的な問題として取り組まなければならないと認識するようになった。そして自分たちと同様の苦悩を抱える欧州の地で西洋哲学の真髄に触れたいともおもった。
さらには、日本にいるよりも監視の目がゆるくなり、身動きが取りやすいはずだと考えると、なんとか留学する手段はないかと探った。
だが祖国の反体制運動に私財を投げうち奔走する父に経済的な負担はかけられなかった。幸いにも哲学の聖地ドイツでは生活費と授業料の面倒を見てくれる公費留学生という制度があって、わたしはその入学資格試験を受け合格することができた。
当時のわたしは、まだ国籍が朝鮮のままだったことで日本からの出入国もままならなかったが、その点は父がまだ軍事政権だった韓国政府と交渉して大統領の勅令による臨時パスポートを手に入れてくれた。敵の敵は味方、という理屈が便宜を図ってくれたのだ。
なにかと制約や障害はあったが、それらをなんとかクリアして、ようやく留学することが現実となった。
いよいよ渡航が目前に迫ったころ、わたしの中ではある決意が明確になっていった。もしもチャンスがあったならば、自ら武器を手にして独裁者の一人とでも刺し違えてやる、そんな覚悟をいつの間にか胸の内に育てていたのだ。若かったわたしは激情の炎を身体の中に宿していた。
出発の日、ミュンヘン行きの直行便に乗りこむとき、わたしは見送りに来た父に冗談めかして自分の覚悟を話した。父はそんな言葉をどういうふうに受け取り、聞いていたのだろうか。冗談だと真面目に受け取ってなかったかもしれない。
留学中のわたしは横暴な権力と闘う人々と、その歴史に関わる昂揚感と充実感を満喫していた。だがそれは、ごく普通の暮らしの中で得られる幸せや喜びの多くを犠牲にしなければならない。若かったわたしはそんなことさえ、ヒロイックな気分に突き動かされて、意味を噛みしめることなく日々を走り抜けていた。
そんなとき戦士の休息とばかりに訪れたパリで、チファと出逢って甘い日々を過ごすことで、初めて日常と非日常の間に立ちはだかる巨大な壁にぶつかり、わたしは打ちひしがれるときが確かにあった。
パリに滞在できる時間は残り僅かになっていた。チファと別れたくないという気持ちと、彼女を自分の宿命のような人生に巻きこんでいいものかという相克する感情に悩んだ。さらには、それに加え詳しい事情を話したとき、彼女がどういう態度を見せるのかも不安だった。
わたしがすべてを明かし、そんな自分といっしょに日本に来てほしいという願いを伝えようと決意したとき、まるで測ったようなタイミングでチファからの誘いがあった。
電話の向こうから彼女が言うには、韓国から父親がやって来ているから、ぜひ会ってほしいというものだった。唐突な父親の登場に少し驚いたが、わたしは躊躇しながらも了承をした。
シンクロニシティという言葉が、そのときふと脳裏を走った。わたしはチファに父親と会う前に、ふたりっきりで話せる時間が欲しいと伝えた。
「いいわ。父とは明日の夜八時にプラザ・アテネで待ち合わせってことになっているから、先に行ってティーラウンジかバーで話をしましょう」
「時間は、いつにする?」
「五時なら、どう?」
「オレはいつだって、かまわないさ」
「授業が終わったら、すぐに向かうわ」
「じゃ明日、先に行って待っているよ」
わたしは電話を切るとベッドに身を投げ出すと、明日どこからどのようにして彼女に説明をすべきか考えめぐらした。どうすれば自分の立場を理解してもらえて、いっしょに日本へ行くことを同意してもらえるかと何度も話を組み立てては壊すことを繰り返した。
あのときの窓の外には晩秋の澄んだ夜空がパリの街を包んでいたのを、いまもあざやかに覚えている。煌く星の輝きのように、希望の灯がわたしとチファを照らしてくれないだろうかという考えが何度も頭の片隅に姿を現して、翌日すべき話をまとめるのを邪魔した。
世界中で最も華やかだと賞賛されるパリのモンテーニュ街。リッチでノーブルな雰囲気で飾られた通りには、著名なメゾンやジュエラーが軒を連ねる、パリでも随一のファッションエリアとして知られている。1911年に、この通りに創業したホテル・プラザ・アテネは『プラザ・レッド』と呼ばれる赤のファサードが目を引く瀟洒で優雅な佇まいで訪れる人を迎えてくれる。顧客名簿にはグレース・ケリーや、ジャクリーン・ケネディといった名前もあり、その歴史は世界中のセレブリティが集う場として、年月を積み重ねたものだ。
そんな最高級なホテルで、わたしはチファと彼女の父親に話をしなければならなかった。ネクタイを締めて、いつもよりスクェアな服装で、小ぶりなエントランスをこころなしか気圧されつつ進んだ。
ややデコラティブであるが、けっして野暮ったさはないレセプションフロアで、まず先にチファと待ち合わせをするラウンジの場所を確認すると、自分の気持ちを落ち着かせるように、ゆっくりとした足取りで向かった。
彼女と出逢って間もないころ、わたしたちは一度中庭にあるサロン・ド・テで過ごしたことがあった。初夏から夏の終わりにかけて、そこは翠の蔦が生い茂る壁と赤い薔薇の花に囲まれた中で食事やお茶を楽しめるオープンダイニングになっていた。
しかしそのときは、十一月の夕暮れどきで人影はなく、寂しい景色が横たわっていた。午後五時まで、あと数分というところだがティーラウンジには、チファの姿は見当たらなかった。
わたしはお茶よりも酒の気分だったので、英国スタイルのバーの方へと足を向けた。照明がやや落とされた室内を忙しげに動くギャルソンを呼び止めると、落ち着いて話せる席を頼んで案内してもらった。
オーダーはと考えたが、あとのこともあるので、あまり強い酒を飲むわけにもいかないとおもった。わたしの側で言葉を待っている同じ年ごろであろうギャルソンの疑問と羨望と嫉妬がない交ぜになった視線に、アルコールが軽めのスパークリングワインを頼むと、大きな吐息を一つして、ソファにゆっくりと身を預けたのだった。
つづく
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