彼女は6月の雨に沈む

遠堂瑠璃

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歪んだ衝動

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 澪が死を選んだ原因を、貴彦は知らない。
 遺書は残っていなかった。

 彼女は6月の雨の日に死んだ。
 今日は、澪が死んだ日の天気によく似ている。
 3日程、雨が続いていた。雨が降らない日でも、重い雲が取れる事はなかった。
 空の限りを覆う、黒い雲。地上に一筋の光さえ射す事を拒むように。

 店先ののぼりはぐっしょりと雨を吸い、苦しげに垂れ下がる。鬱々うつうつとした気配が、街中に立ち込めているようだった。
 貴彦は、こんな雨や曇りの日を好んだ。
 晴れた空は好きだ。けれど、太陽の光はあまり好きではない。特に夏のうんざりする程の陽射しや、梅雨の晴れ間の光は嫌いだ。
 自分自身、ずいぶんと陰気だと思う。思考が少し、歪んでいるのかもしれない。

 6月の雨の日には、彼女を強く感じる。
 彼女の気配を。
 貴彦は懸命に、彼女を感じようとする。彼女の記憶を反芻する。彼女のカタチを思い出す。
 澪という名前を……。

 澪の声が、貴彦を呼ぶ。
 控えめな声、眼。
 捕食を恐れる、小動物のように。
 
 潰れた子猫の頭部。群がる幾匹もの蟻。
 赤黒い肉。
 澪の死が、子猫の死と連動する。
 潰れた子猫の頭が、澪の死姿と重なる。
 地上に叩きつけられひしゃげた、彼女の身体。
 雨を吸い、冷たくなった身体にぐっしょりと張りつく制服。いつかの雨の日に見た、濡れた彼女の姿を思い出す。肌に張りついたブラウスから透ける、彼女の肌の色。体の形。
 まだ生きていた彼女。失われる前の、澪。 

 雨に打たれたまま、誰も居ない校庭に置き去りにされた彼女の死骸。
 実際の彼女の死骸を、貴彦は眼にしていない。それが余計に、子猫の死に様と澪の死姿をだぶらせた。

 地上に叩きつけられた瞬間、彼女の形は失われた。あの綺麗な体は欠けてしまった。
 澪を失った時から、貴彦の中に深い深い穴が空いた。
 澪という欠落。
 そのもう埋める事のできない欠落を僅かにでも埋めようとするように、あるいは自分自身を慰めるように、貴彦は澪を想う。触れる事の叶わなかった肌の感触、澪の匂い。
 記憶の中の澪を呼び戻し、目の前に造り出す。
 白い肌を晒して、横たわる彼女を。
 貴彦を見詰める、黒く濡れた眸。胸元にかかる、長い髪。その髪をそっと浚い、貴彦の手が澪のふたつの膨らみに触れる。淡い先端を口に含んで舌先でいたぶると、澪の唇が切ない吐息を洩らす。
 隈無く愛撫しながら、両脚を開かせる。

 澪は、どんな声を洩らすのだろう。どんな顔で、貴彦を受け入れるのだろう。
 恥じらいを覗かせながら、悦びを見せてくれるだろうか。
 温かな愛液で、貴彦を浸してくれるだろうか。

 貴彦は、下腹部の奥から突き上げる衝動を覚えた。その衝動に突き動かされ行う自慰行為は、死者への冒涜であるような気がした。
 判っていながらも、抑える事ができない。精液を出し尽くした後には、いつでも罪悪感だけが快楽の代償のように残った。自分の行為は異常なのかもしれない。
 死者を、想像の中で欲望に晒し、弄ぶ行為。
 けれど貴彦は、澪にしか欲望を覚えない。澪でなければ駄目なのだ。

 初めて恋心を抱いた歳上の少女の淫らな姿は、激しく貴彦を欲情させる。
 それは恋心と同時に、初めて性的な欲望を覚えた相手が澪だったからなのかもしれない。
 子猫を撫でる澪の指先に、11歳の貴彦生まれて初めて性的衝動を感じた。下腹部に覚えたくすぐったいように痛いように突き上げる衝動を、今でも忘れる事ができない。
 そして、澪という人をいとおしく思い出す。

 17歳になった今でも、彼女は貴彦の内側に棲んでいる。
 肉体を失った彼女に、貴彦は捉えられたまま生きていた。
 澪を失ってから、貴彦は一切の日常に興味を持てなくなった。友達と遊ぶ事もつまらなくなり、次第に級友たちとも疎遠になった。勉強にも全く興味が湧かなかったが、教師の言葉をそのまま頭に詰め込み、教科書を暗記する事は苦ではなかったので成績はそれなりに上位を維持していた。
 容姿や顔立ちも整い、何処か憂いを漂わせる貴彦に好意を示す女子生徒も多く居たが、差し障りのない態度でやり過ごした。

 成長する程に、貴彦の中の風穴は広がる。
 塞がる事のない、深い深い風穴。
 現実は空虚だ。
 何もない。何も感じない。
 この世界には、何も意味がない。

 きっと、彼女が居ないから。
 彼女の居ない世界は、酷く退屈だ。

 貴彦は肺の奥から、重怠い空気を吐き出す。

 
 僕はきっと、彼女以外何も要らなかったんだ。


 吐き出した空気は雨粒を吸い、地面に落ちて砕けた。
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