1 / 8
雨に沈む紫陽花
しおりを挟む
紫陽花の季節に、彼女は死んだ。
だから、紫陽花が咲き始めると、彼女を思い出す。
紫陽花は花を散らさない。
只、咲いたまま枯れていく。
降り出した雨に打たれる、道端の紫陽花。僕は傘を差して、その前に佇む。
青ざめた痣のような色をした花の上に落ちる雨粒を、只、そうして見詰めていた。
雨粒に濡れる小さな花弁を、眸の中央に沈める。
傘に落ちる雨音を、僕の耳は機能的に、そして無気力に拾っていく。
何の意味もなさない時間。
空白に似ている。
次第にアスファルトは湿り、窪みに小さな水溜まりができあがる。
信号は青に変わり、そしてまた赤になる。
後から後から、只、繰り返すばかりの点滅とシグナル。
白と黒のコントラスト。
車が行き交う。獰猛な獣のように。水飛沫が上がる。
騒々しい、雨の日の交差点。音が気怠く通り過ぎていく。
どうでもいい。僕は思う。
濡れた紫陽花。
雨に溺れているように。
この場所に咲くのは、紫の花ばかり。
彼女が居た頃から、ずっと変わらない。
この道を傘を差して歩いていた、彼女を思い出す。
制服を着た彼女は、いつもあの信号を渡りこの道を通っていた。
肩より長い髪を、風に揺らしながら。
小学生だった僕は、学校から帰ってくる彼女をこの道で迎えるのが、ひっそりとした幸福だった。彼女は必ず、僕に声をかけてくれるから。
彼女の声は、僕の幼い胸に細やかなときめきを生む。ほんの短い会話、それだけでも充分だった。
今日も彼女に会えた。
それだけで、あの頃の僕には充分な幸せだった。
そうして彼女の後ろ姿を見送る。
あの角を曲がって、彼女の背中が消えるまでずっと。
あれは、恋だった。
12歳の僕は、彼女に恋をしていた。
開く前の蕾にも似た想いだった。
いつだって、彼女を探していた。
この乱雑な景色の中に、彼女ばかり探していた。
彼女は、もう居ない。
あれから5度目の紫陽花が咲いた。
あの頃の彼女と同じ17歳になった僕は、あの頃の感情が恋だったと知っている。
彼女への感情が恋だと気づく前に、彼女は僕の前から居なくなった。
5年前の梅雨の雨の日、彼女は死んだ。
学校の屋上から飛び降りて、死んだ。
制服を着たまま、命を棄てた。
水溜まりのできた校庭の上に、身体を打ち付けて死んだ。
彼女の身体は雨に打たれたまま放置された後、通りかかった教師に発見された。
雨に沈んだ、彼女の抜け殻を。
空っぽになった、彼女を。
彼女はもう居ない。
それでも12歳だった僕は、毎日この交差点に立っていた。
彼女が帰ってくるような気がして、ここで待っていた。
ずっとずっと待っていた。
待つ事を諦めたのは、いつだったろう。
それでも梅雨のこんな雨の日は、ここに佇む。
彼女は死んだんだ。
そんな事は、疾うに知っている筈なのに。
それでも、この紫陽花の前で立ち止まる。
雨に霞む信号の向こうに、彼女を探している。
僕はきっと、彼女にまだ恋をし続けている。
死者に恋をする。
酷く滑稽に思えた。
もう二度と、会える望みのない人を想い続ける。
ずいぶんと救われない。
そして、これは正常ではない。
僕は、気が触れているのだろうか。
今は、彼女にもう一度会える事だけを望んでいる。
僕は、彼女の居ない世界を受け入れる事ができないんだ。
だから、紫陽花が咲き始めると、彼女を思い出す。
紫陽花は花を散らさない。
只、咲いたまま枯れていく。
降り出した雨に打たれる、道端の紫陽花。僕は傘を差して、その前に佇む。
青ざめた痣のような色をした花の上に落ちる雨粒を、只、そうして見詰めていた。
雨粒に濡れる小さな花弁を、眸の中央に沈める。
傘に落ちる雨音を、僕の耳は機能的に、そして無気力に拾っていく。
何の意味もなさない時間。
空白に似ている。
次第にアスファルトは湿り、窪みに小さな水溜まりができあがる。
信号は青に変わり、そしてまた赤になる。
後から後から、只、繰り返すばかりの点滅とシグナル。
白と黒のコントラスト。
車が行き交う。獰猛な獣のように。水飛沫が上がる。
騒々しい、雨の日の交差点。音が気怠く通り過ぎていく。
どうでもいい。僕は思う。
濡れた紫陽花。
雨に溺れているように。
この場所に咲くのは、紫の花ばかり。
彼女が居た頃から、ずっと変わらない。
この道を傘を差して歩いていた、彼女を思い出す。
制服を着た彼女は、いつもあの信号を渡りこの道を通っていた。
肩より長い髪を、風に揺らしながら。
小学生だった僕は、学校から帰ってくる彼女をこの道で迎えるのが、ひっそりとした幸福だった。彼女は必ず、僕に声をかけてくれるから。
彼女の声は、僕の幼い胸に細やかなときめきを生む。ほんの短い会話、それだけでも充分だった。
今日も彼女に会えた。
それだけで、あの頃の僕には充分な幸せだった。
そうして彼女の後ろ姿を見送る。
あの角を曲がって、彼女の背中が消えるまでずっと。
あれは、恋だった。
12歳の僕は、彼女に恋をしていた。
開く前の蕾にも似た想いだった。
いつだって、彼女を探していた。
この乱雑な景色の中に、彼女ばかり探していた。
彼女は、もう居ない。
あれから5度目の紫陽花が咲いた。
あの頃の彼女と同じ17歳になった僕は、あの頃の感情が恋だったと知っている。
彼女への感情が恋だと気づく前に、彼女は僕の前から居なくなった。
5年前の梅雨の雨の日、彼女は死んだ。
学校の屋上から飛び降りて、死んだ。
制服を着たまま、命を棄てた。
水溜まりのできた校庭の上に、身体を打ち付けて死んだ。
彼女の身体は雨に打たれたまま放置された後、通りかかった教師に発見された。
雨に沈んだ、彼女の抜け殻を。
空っぽになった、彼女を。
彼女はもう居ない。
それでも12歳だった僕は、毎日この交差点に立っていた。
彼女が帰ってくるような気がして、ここで待っていた。
ずっとずっと待っていた。
待つ事を諦めたのは、いつだったろう。
それでも梅雨のこんな雨の日は、ここに佇む。
彼女は死んだんだ。
そんな事は、疾うに知っている筈なのに。
それでも、この紫陽花の前で立ち止まる。
雨に霞む信号の向こうに、彼女を探している。
僕はきっと、彼女にまだ恋をし続けている。
死者に恋をする。
酷く滑稽に思えた。
もう二度と、会える望みのない人を想い続ける。
ずいぶんと救われない。
そして、これは正常ではない。
僕は、気が触れているのだろうか。
今は、彼女にもう一度会える事だけを望んでいる。
僕は、彼女の居ない世界を受け入れる事ができないんだ。
0
お気に入りに追加
2
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
【R18】エリートビジネスマンの裏の顔
白波瀬 綾音
恋愛
御社のエース、危険人物すぎます───。
私、高瀬緋莉(27)は、思いを寄せていた業界最大手の同業他社勤務のエリート営業マン檜垣瑤太(30)に執着され、軟禁されてしまう。
同じチームの後輩、石橋蓮(25)が異変に気付くが……
この生活に果たして救いはあるのか。
※サムネにAI生成画像を使用しています
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子
ちひろ
恋愛
マッサージ師にそれっぽい理由をつけられて、乳首とクリトリスをいっぱい弄られた後、ちゃっかり手マンされていっぱい潮吹きしながらイッちゃう女の子の話。
Fantiaでは他にもえっちなお話を書いてます。よかったら遊びに来てね。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる