彼女は6月の雨に沈む

遠堂瑠璃

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雨に沈む紫陽花

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 紫陽花の季節に、彼女は死んだ。
 だから、紫陽花が咲き始めると、彼女を思い出す。


 紫陽花は花を散らさない。
 只、咲いたまま枯れていく。

 降り出した雨に打たれる、道端の紫陽花。僕は傘を差して、その前に佇む。
 青ざめた痣のような色をした花の上に落ちる雨粒を、只、そうして見詰めていた。

 雨粒に濡れる小さな花弁を、眸の中央に沈める。
 傘に落ちる雨音を、僕の耳は機能的に、そして無気力に拾っていく。


 何の意味もなさない時間。
 空白に似ている。

 次第にアスファルトは湿り、窪みに小さな水溜まりができあがる。
 信号は青に変わり、そしてまた赤になる。
 後から後から、只、繰り返すばかりの点滅とシグナル。
 白と黒のコントラスト。
 車が行き交う。獰猛な獣のように。水飛沫が上がる。
 騒々しい、雨の日の交差点。音が気怠く通り過ぎていく。

 どうでもいい。僕は思う。
 
 濡れた紫陽花。
 雨に溺れているように。
 
 この場所に咲くのは、紫の花ばかり。
 彼女が居た頃から、ずっと変わらない。

 この道を傘を差して歩いていた、彼女を思い出す。
 制服を着た彼女は、いつもあの信号を渡りこの道を通っていた。
 肩より長い髪を、風に揺らしながら。

 小学生だった僕は、学校から帰ってくる彼女をこの道で迎えるのが、ひっそりとした幸福だった。彼女は必ず、僕に声をかけてくれるから。
 彼女の声は、僕の幼い胸に細やかなときめきを生む。ほんの短い会話、それだけでも充分だった。

 今日も彼女に会えた。
 それだけで、あの頃の僕には充分な幸せだった。

 そうして彼女の後ろ姿を見送る。
 あの角を曲がって、彼女の背中が消えるまでずっと。


 あれは、恋だった。
 12歳の僕は、彼女に恋をしていた。
 開く前の蕾にも似た想いだった。

 いつだって、彼女を探していた。
 この乱雑な景色の中に、彼女ばかり探していた。



 彼女は、もう居ない。
 あれから5度目の紫陽花が咲いた。

 あの頃の彼女と同じ17歳になった僕は、あの頃の感情が恋だったと知っている。
 彼女への感情が恋だと気づく前に、彼女は僕の前から居なくなった。



 5年前の梅雨の雨の日、彼女は死んだ。
 学校の屋上から飛び降りて、死んだ。
 制服を着たまま、命を棄てた。
 水溜まりのできた校庭の上に、身体を打ち付けて死んだ。
 
 彼女の身体は雨に打たれたまま放置された後、通りかかった教師に発見された。
 雨に沈んだ、彼女の抜け殻を。
 空っぽになった、彼女を。


 彼女はもう居ない。
 それでも12歳だった僕は、毎日この交差点に立っていた。
 彼女が帰ってくるような気がして、ここで待っていた。
 ずっとずっと待っていた。

 待つ事を諦めたのは、いつだったろう。
 それでも梅雨のこんな雨の日は、ここに佇む。

 彼女は死んだんだ。
 そんな事は、疾うに知っている筈なのに。
 それでも、この紫陽花の前で立ち止まる。
 雨に霞む信号の向こうに、彼女を探している。


 僕はきっと、彼女にまだ恋をし続けている。

 死者に恋をする。
 酷く滑稽に思えた。

 もう二度と、会える望みのない人を想い続ける。
 ずいぶんと救われない。
 そして、これは正常ではない。

 僕は、気が触れているのだろうか。

 今は、彼女にもう一度会える事だけを望んでいる。



 僕は、彼女の居ない世界を受け入れる事ができないんだ。
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