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21.エスケープ

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 俺とラオンはびくんと肩を震わせて、ほぼ同時の動きで声の飛んできた方向を見た。

 花の飾られたオープンカフェの広い入り口、そこを占拠するようにズラリ取り囲んだ黒服のSP集団。
 まるでカラー写真の中に、モノクロームが混ざり込んでしまったみたいなチグハグ。
 SPたちのど真ん中には、混じりっ気なしの白髪頭の小柄なジイさんが一人。

 声の主。ラオンお付きのジイや。


 嘘だろっ~⁉ こんなとこで! しかも、こんなタイミング悪い状況で!

 俺の背中に、冷たい汗が滲む。

 突然の黒服集団の登場に、賑わっていたカフェ店内は音量をゼロにしたみたいに静まり返っていた。しんとした店内をBGMのボサノバだけが、空気の読めない道化師の歌声みたいに陽気に響く。


 ラオンは困った顔で、俺とジイやを交互に見た。
 零れた涙を、頬っぺたに滑らせたままで。
 そんなラオンを眼にしたジイやの顔色が、熱湯を頭からかぶったように見る見る真っ赤に染まっていく。


「姫様! 大変怖い思いをさせました! このジイやが、今お助けいたしますぞ!」

 もさっとした純白の眉毛をぎっと吊り上げ、鼻息も荒くジイやが叫んだ。まるで今にも噛みつきそうな老犬。眼光鋭く俺を睨み付け、怒り最高潮の様子。


 ……ヤバい。明らかに、なんか誤解してる……。

 確かにこの絵面は、誰がどう見ても俺が目茶苦茶ラオンを泣かしてるようにしか見えない。
 さっきまでのカフェ店内の空気がそれを物語ってたように、ジイやたちの眼にもそう映っちまってるのは間違いない感じで……。
 大惑星ジュピターの姫君を目の前に、俺は悪党にしか見えないのは、真相ともかく曲げられない事実。


「……逃げるぞ、ラオン!」

 こりゃあ不味いとばかりに、慌てて席を立ち、俺はラオンの手を引く。
 今この場で誤解を解くのは、多分とんでもなく難しい。
 大体運良く誤解が解けたとしても、ラオンと引き離される事は避けられない。

 それが、一番納得いかねえ。

 俺、まだラオンと離れたくねえ!
 だって、まだ俺……。


 ラオンを連れて、俺は中庭に面して開けたガラス扉から勢い良く外へ飛び出した。



「姫様あっ!」


 俺たちの後を追いかけようとしたジイやは、そのまま店員に捕まっていた。
 成り行きからケーキとハーブティー代未払いのまま(食い逃げ状態)店から逃亡した俺とラオンの飲食代を、代わりにジイやが請求されていた。

 罪悪感は拭えないけど、これはラッキーな足止め。
 多分俺、もう二度とこの店の敷居は跨げねえな……。

 そんな事を考えてる間に、ジイやから指令を受けたSP軍団が俺たちを追って駆けてくる。
 こいつら、見るからに手強い。


「ラオン、こっちだ!」


 混雑した大通りに出た俺たちは、人と人の間を潜りながらそのまま駆け抜ける。こういう混み混みしたとこでは、ガタイのいいSPよりも小柄な俺たちの方が有利だ。上手い具合に人に紛れちまえば、こっちのもの。

 ラオンは、走るのが得意じゃない。
 しっかり手を引いて、俺がラオンの速度をカバーする。

 ラオンが人にぶつからないように。なんかにつまずいたり、足がもつれて転ばないように。気遣いながら、ラオンが俺についてきてくれてる事を確かめながら走る。

 中途半端になったまま、置き去りにしちまったカフェデート。
 今更考えたってしょうがないけど、もう取り戻せないからなんだか悔しい。

 もっとずっと、いい時間にするつもりだったのにさ。
 もっとたくさん、ラオンに笑顔になってもらうつもりだったのに。

 ラオンにプレゼントする筈だった、最高の忘れられない想い出。
 ミッションコンプリートは、まだまだお預け。

 だからまだ、あいつらにラオンは渡せねえ。
 俺たちの時間を、あいつらに奪われてたまるもんか。

 知らない人ばかりで溢れ返った街中で、俺とラオンの逃亡劇。
 姫君を悪党から守って逃げるような、お決まりのパターンとは違うけど。
 ジイややSP軍団からすれば、俺の方が悪党なんだろうけどさ。

 けどこれは、恋をかけたエスケープなんだ。
 ……なんて、ね。


「ラオン、曲がるぞ」

 頃合いを見計らって、俺とラオンは狭い路地の角を曲がった。
 軒並み連ねる店と店の間、ダンボールだの梱包材だのが無造作に置かれた狭い道を、俺とラオンは小走りに進む。
 走りながら、後ろを振り返り様子を伺う。

 どうやらSPは追って来てない。
 上手く巻けたか。
 人混みが見方してくれたおかげで、俺たちは運良く逃げ切れたようだ。
 ようやく、走る足を止める。


「ラオン、大丈夫だったか」

 やっぱりラオンにはきつい運動量だったらしく、呼吸がだいぶ乱れてた。
 すげえ、顔も真っ赤。
 さっき、泣いたせいもあるかもしんないけど。
 滲み出した汗のせいで、前髪が僅かに額に張り付いてる。
 そんなラオンを見ながら、俺は自分の額からもたらり汗が流れ落ちてるのに気づいた。掴んだままのラオンの腕も、それを握る俺の手のひらも、じわり汗に濡れている。乾いた空気が、体にこもった熱を心地好くさらっていく。

 俺も多分、ラオンと同じくらい真っ赤な顔してんだろうな。
 そんな風に向かい合っているうちに、ラオンが小さく声を洩らして笑った。


「楽しかった!」

 心底嬉しそうにそう云って、また笑う。
 俺は、苦笑い。

 ……全く、なんでも楽しんじまうんだもんな、ラオンは。
 俺の気苦労なんて、これっぽっちも気づいてねえんだろうな。

 ほんのちょっと不満げに心で愚痴ってみながら、俺もラオンに吊られていつの間にか素直に笑っていた。

 本当に俺、ラオンと一緒に居るといろんなものを受け取ってる気がする。
 ひねくれて絡まっちまってた俺の心を、ラオンは丁寧に解きほぐしてくれた。

 それからラオンは、俺の心にいろんなものをくれた。
 楽しい事、嬉しい事、あったかい事、……そして、恋をする事。

 これは、一生手離したくない感情。

 喩え、叶わなくても……。

 一生叶わない感情だとしても、俺は絶対にこの感情を手離さない。
 そう決めたんだ。

 ラオン、お前ともう一度会えたから。

 好きだって気持ちを言葉にするには、とんでもない勇気がいる。
 俺にはその勇気が、ほんの少しだけ足りない。
 無駄な勇気なら、腐る程あるのにさ。

 ほんのちょっと勇気が足りないだけだから、なんかの拍子に背中を押されて、うっかり打ち明けちまうかもしれないけど。
 その時は嫌な顔しないで、今みたいな笑顔で受け止めてくれよな、ラオン。


「追っかけっこも飽きたしなあ、さあて、どうするか」

 ラオンに、もっといろんなものを見せてやりたい。
 けど、街中に戻るわけにもいかなそうだし。

 斜めに傾き出した陽射しが、狭い路地の壁を照らしてる。
 夕暮れまでは、多分後二時間くらい。


「うん、どうしようか」

 ラオンは、俺が買ってやった手のひらサイズのぬいぐるみをまたモコモコといじりながら呟いた。
 まるでぬいぐるみに言葉を云い聞かすみたいに睨めっこしながら考えてる。


 不意に、細い路地の地面に黒い影が射した。
 人影。


 ヤバい! 見つかった!


 俺はラオンを庇って身構え、影の方に振り向く。

 影の先には、灰色の服を着た背の高い男が三人居た。
 真ん中の一人だけが、他の二人に比べて線が細い感じ。

 ……ん、女?

 薄暗くて一瞬判らなかったけど、二人の中心に居るのは女みたいだった。

 ラオンを追ってきたSPじゃないようだけど、あまり鉢合わせていい連中とも思えない。
 俺はラオンを背中に隠して、連中を威嚇するように睨み付ける。



「……見つけた」

 真ん中の女が云った。
 タバコの吸い過ぎで潰れたような、ざらついた声。

 表情はない。
 けど、俺たちを射るように向けられた眼。


 なんだよ、こいつら……。



「さあ、渡してもらおうかしら」


 女の口角が、僅かに上がっていくのが見えた。





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