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Chapter 1「アンダースカイ」
Prologue「麗」
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「未確認の反現実性生物反応を察知! 排除に向かうね!」
およそ人間とは思えない、常人離れした速度で夜の住宅街を駆ける少女が一人。
『データ更新したで。そいつは――レベル3の反現実や! くれぐれも先走らんで――』
随時通信を行っている、それ。裏世界と現実を繋いでくれるその機械は、すっぽりと耳に収まって情報を共有する。
耳を抑える少女。
情報を得た彼女は仲間の注意も問わず、勇ましく笑って。
「Verstanden――理解したわ。つまり雑魚ってことね!」
月明かりに照らされた両の拳が、激しく衝突した。
◇
「はあっ、はあっ、はあっ、はっ!」
真冬の真夜中を、僕は走った。
心臓が高鳴って、耳が赤く凍えて、汗が吹き出す。
それでも僕は、永遠とも思える夜を駆けた。
こんなにも必死になって走るのは、すぐ背後にまで迫ってきているそれが原因だった。
その女を見たまんまに言うならば、全長3メートルをゆうに超えた、全裸で四足歩行の変態女。
「貴女、綺レイ!」
おぞましく、それでいて美しい、女の声が僕を讃える。
「綺レイ! 美レイ! 端レイ!」
お洒落した洋服を穴だらけにしながら路地を抜けるも、どうやってか大女は僕の背後から離れてくれない。
服はボロボロ、汗と涙と鼻水でメイクもぐちゃぐちゃ。
人生最悪の気分。
「はあっ、はあっ!」
「艶レイ! 瑰レイ! 華レイ!」
「そりゃっ、はっ、どーっ、もっ!」
この大女は何者なのか、大女が僕を襲う理由はなんなのか。何もかもが意味不明だ。
これが現実であること。それとあと一つ。僕が彼女に捕まれば、間違いなくただじゃ済まないだろう、ということだけは明白だけどね。
だから僕は逃げて逃げて逃げ続けた!
「貴女ノ顔、欲シイ! 私ガ貴女ニ、ナルノ! ネエ! オ顔、頂戴!」
こんなところで、わけもわからず死んでたまるものか!
「嫌にっ! 決まってっ! んっ! だろっ!」
「何デ! 何デ? 何デ!?」
「変態女にっ! 顔やるやつなんかっ! いねえっ!」
「ナァァァアアンンンンンデェェェエエ!」
「ぶべ!」
狂気で塗れた大女が、ひときわ激しく叫んだ。
その瞬間、僕はコケた。
じわりじわりと足が熱くなっていくのを感じる。
足を見ると――いや、足なんて無かった。
足が、千切れて、遠くの宙に浮かんでいくのが見えた。
そこでようやく、あの大女に足をふっ飛ばされたんだと気付く。
「私ノ! 私ノ! 顔!」
大女が、太く長い、まるで一本の木のような腕を顔目掛けて伸ばしてくる。
僕はぎゅっと目を瞑った。
(もう駄目……死ぬ!)
お洒落が好きだった。
お出掛けが好きだった。
今日は母さんが居なかったから、隠していたバイト代を持って、隠していた洋服を着て、隠していたメイク道具でお洒落して!
やっと、やっと! 普通の男の子みたいに空の下を歩けたんだ! 母さんの支配から抜け出せたんだ!
どこまでも青く晴れ渡った空が、まるで宝石みたいに輝いて見えたのに!
こんなクソみたいな展開で、わけが分からないまま、クソみたいに死ぬなんて!
そんなの絶対に嫌だ! 嫌すぎる!
「イイ加減、ソノ顔――」
だから、死ぬまで足掻くし、死んでなんかやらないし、顔だってあげない!
勇気を拾い上げ、僕は瞼を開いた。
「――寄越セ!」
長い首を近付けて、大女の顔が迫る。
キスでもしようかという寸前、両手で精一杯に押し返してやる。
視界を埋め付くす大女の顔面は、白く、恐ろしく、哀れなほどに醜かった。
「コノ手ヲ、退ケロ!」
大女は剥き出した歯をガチガチと鳴らし、防御する僕の腕を、指先から齧っていく。
足が千切られた時の比じゃないくらいの痛みが、噛まれる毎に伝わる。
「ああぁぁぁぁぁぁああッ!」
「寄越セ寄越セ寄越セ! 頂戴頂戴頂戴!」
ガチン。
ガチン。
ガチン!
ひと噛みするごとに、指が、手が、腕が、短くなっていく。
それでもまだ、死にたくない! その一心で、耐え抜かんとする。
腕が無くなったなら、脚で。
足が無くなったなら、腰で。
腰が無くなったなら、胴で。
大女がひと噛みひと噛みするたびに、僕の体が短く小さくなっていく。
遂には血も吐けなくなった頃。
このままじゃ、僕はもう助からないと嘆く。
だが全てを察しても尚、僕は諦められないでいた。
腕も脚も、お洒落した洋服だって、何一つ残ってない。
頭と胸が辛うじて存在しているが、原型はない。
生きているのが不思議な状況で、ただひたすらに生き続けた。
「容姿端レイ、眉目秀レイ――嗚呼! 綺レイデ美シイ、私ノ顔……!」
「お、前の……顔、じゃ、ない……」
「私ノ顔、守ッテクレテ、有難ウ!」
「お前の顔じゃない! 僕のッ! 僕の顔――」
「私ノ! 顔ッテ! 言ッテルデショ!!!」
大女がその大顔に似合う大口を開けて、怒りのままに僕を飲もうと、迫る。
口内の生温かい空気が嫌と言うほど僕を覆って、いざ丸呑み――
遂に死を覚悟した。
――その瞬間だった。声が聞こえたのは。
大女ほど恐ろしくなく、僕ほど低くない女声。
女子って感じの高音で、誰よりも勇ましく高らかだった。
「パンツァー――」
弾けるような爆風が、頬を滑って。
「――フィストォォォオッ!!!」
何かもを飲み込んでしまいそうな轟音が、ワンテンポ遅れて夜の住宅街に轟いた。
ビリビリと鼓膜が震える。というか破れる。もはや声で大地を揺るがす勢いだ。
思わず、失いかけた意識が戻ってしまうくらい、激しい衝撃に身を包まれる。
徹頭徹尾わけのわからない夜だったけど、間違いなく今この瞬間がピークだ。
「少年! 対象は5秒前に排除した、一撃パンチでね! 3秒後に私が君を助けるまで、精一杯生きて! ガンバ! ファイト! kämpfen!」
助けが来たんだ!
僕は助かるんだ!
彼女の言葉で、溜め込んでいた不安と恐怖が胸からぐっと押し寄せてくる。
胸、半分くらい食べられちゃったけど。
もはや涙を流せるほどの気力すら残っていなかった僕は、疲労感と安心感と、その他もろもろに埋もれるように、3秒すら保たず、ぱたりと意識を失った。
およそ人間とは思えない、常人離れした速度で夜の住宅街を駆ける少女が一人。
『データ更新したで。そいつは――レベル3の反現実や! くれぐれも先走らんで――』
随時通信を行っている、それ。裏世界と現実を繋いでくれるその機械は、すっぽりと耳に収まって情報を共有する。
耳を抑える少女。
情報を得た彼女は仲間の注意も問わず、勇ましく笑って。
「Verstanden――理解したわ。つまり雑魚ってことね!」
月明かりに照らされた両の拳が、激しく衝突した。
◇
「はあっ、はあっ、はあっ、はっ!」
真冬の真夜中を、僕は走った。
心臓が高鳴って、耳が赤く凍えて、汗が吹き出す。
それでも僕は、永遠とも思える夜を駆けた。
こんなにも必死になって走るのは、すぐ背後にまで迫ってきているそれが原因だった。
その女を見たまんまに言うならば、全長3メートルをゆうに超えた、全裸で四足歩行の変態女。
「貴女、綺レイ!」
おぞましく、それでいて美しい、女の声が僕を讃える。
「綺レイ! 美レイ! 端レイ!」
お洒落した洋服を穴だらけにしながら路地を抜けるも、どうやってか大女は僕の背後から離れてくれない。
服はボロボロ、汗と涙と鼻水でメイクもぐちゃぐちゃ。
人生最悪の気分。
「はあっ、はあっ!」
「艶レイ! 瑰レイ! 華レイ!」
「そりゃっ、はっ、どーっ、もっ!」
この大女は何者なのか、大女が僕を襲う理由はなんなのか。何もかもが意味不明だ。
これが現実であること。それとあと一つ。僕が彼女に捕まれば、間違いなくただじゃ済まないだろう、ということだけは明白だけどね。
だから僕は逃げて逃げて逃げ続けた!
「貴女ノ顔、欲シイ! 私ガ貴女ニ、ナルノ! ネエ! オ顔、頂戴!」
こんなところで、わけもわからず死んでたまるものか!
「嫌にっ! 決まってっ! んっ! だろっ!」
「何デ! 何デ? 何デ!?」
「変態女にっ! 顔やるやつなんかっ! いねえっ!」
「ナァァァアアンンンンンデェェェエエ!」
「ぶべ!」
狂気で塗れた大女が、ひときわ激しく叫んだ。
その瞬間、僕はコケた。
じわりじわりと足が熱くなっていくのを感じる。
足を見ると――いや、足なんて無かった。
足が、千切れて、遠くの宙に浮かんでいくのが見えた。
そこでようやく、あの大女に足をふっ飛ばされたんだと気付く。
「私ノ! 私ノ! 顔!」
大女が、太く長い、まるで一本の木のような腕を顔目掛けて伸ばしてくる。
僕はぎゅっと目を瞑った。
(もう駄目……死ぬ!)
お洒落が好きだった。
お出掛けが好きだった。
今日は母さんが居なかったから、隠していたバイト代を持って、隠していた洋服を着て、隠していたメイク道具でお洒落して!
やっと、やっと! 普通の男の子みたいに空の下を歩けたんだ! 母さんの支配から抜け出せたんだ!
どこまでも青く晴れ渡った空が、まるで宝石みたいに輝いて見えたのに!
こんなクソみたいな展開で、わけが分からないまま、クソみたいに死ぬなんて!
そんなの絶対に嫌だ! 嫌すぎる!
「イイ加減、ソノ顔――」
だから、死ぬまで足掻くし、死んでなんかやらないし、顔だってあげない!
勇気を拾い上げ、僕は瞼を開いた。
「――寄越セ!」
長い首を近付けて、大女の顔が迫る。
キスでもしようかという寸前、両手で精一杯に押し返してやる。
視界を埋め付くす大女の顔面は、白く、恐ろしく、哀れなほどに醜かった。
「コノ手ヲ、退ケロ!」
大女は剥き出した歯をガチガチと鳴らし、防御する僕の腕を、指先から齧っていく。
足が千切られた時の比じゃないくらいの痛みが、噛まれる毎に伝わる。
「ああぁぁぁぁぁぁああッ!」
「寄越セ寄越セ寄越セ! 頂戴頂戴頂戴!」
ガチン。
ガチン。
ガチン!
ひと噛みするごとに、指が、手が、腕が、短くなっていく。
それでもまだ、死にたくない! その一心で、耐え抜かんとする。
腕が無くなったなら、脚で。
足が無くなったなら、腰で。
腰が無くなったなら、胴で。
大女がひと噛みひと噛みするたびに、僕の体が短く小さくなっていく。
遂には血も吐けなくなった頃。
このままじゃ、僕はもう助からないと嘆く。
だが全てを察しても尚、僕は諦められないでいた。
腕も脚も、お洒落した洋服だって、何一つ残ってない。
頭と胸が辛うじて存在しているが、原型はない。
生きているのが不思議な状況で、ただひたすらに生き続けた。
「容姿端レイ、眉目秀レイ――嗚呼! 綺レイデ美シイ、私ノ顔……!」
「お、前の……顔、じゃ、ない……」
「私ノ顔、守ッテクレテ、有難ウ!」
「お前の顔じゃない! 僕のッ! 僕の顔――」
「私ノ! 顔ッテ! 言ッテルデショ!!!」
大女がその大顔に似合う大口を開けて、怒りのままに僕を飲もうと、迫る。
口内の生温かい空気が嫌と言うほど僕を覆って、いざ丸呑み――
遂に死を覚悟した。
――その瞬間だった。声が聞こえたのは。
大女ほど恐ろしくなく、僕ほど低くない女声。
女子って感じの高音で、誰よりも勇ましく高らかだった。
「パンツァー――」
弾けるような爆風が、頬を滑って。
「――フィストォォォオッ!!!」
何かもを飲み込んでしまいそうな轟音が、ワンテンポ遅れて夜の住宅街に轟いた。
ビリビリと鼓膜が震える。というか破れる。もはや声で大地を揺るがす勢いだ。
思わず、失いかけた意識が戻ってしまうくらい、激しい衝撃に身を包まれる。
徹頭徹尾わけのわからない夜だったけど、間違いなく今この瞬間がピークだ。
「少年! 対象は5秒前に排除した、一撃パンチでね! 3秒後に私が君を助けるまで、精一杯生きて! ガンバ! ファイト! kämpfen!」
助けが来たんだ!
僕は助かるんだ!
彼女の言葉で、溜め込んでいた不安と恐怖が胸からぐっと押し寄せてくる。
胸、半分くらい食べられちゃったけど。
もはや涙を流せるほどの気力すら残っていなかった僕は、疲労感と安心感と、その他もろもろに埋もれるように、3秒すら保たず、ぱたりと意識を失った。
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