アンビバレンス

小谷杏子

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第13話 その笑顔に妬いている

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「それで、話は進んでるんですか?」
 気を抜いて、しばらく黙り込んでいたら羽崎さんがテーブルにばらまいていた資料を手にとって訊いた。
「うーん……まぁ、まぁ、かなぁ」
「進んでないんですね」
「はい」
 潔く白状しよう。主任がこだわるおかげで、まったく進んでいません。
「要は、野菜を使った立食形式の料理なんですよね」
「そうそう。前菜からメインまでは決まってるんだけど、デザートがねぇ、決まらないのよね」
 イベントの企画書には、当日のイメージ図が描かれている。食べ歩きできるフルコースというコンセプトだけど、気軽に自由に好きなものから食べてもらっても構わない。だから、ヘルシーで親しみやすい料理がいい。オードブルにサンドイッチ、スープはポタージュ、魚料理には海鮮と温野菜のソテー、肉料理には牛と根菜の煮込み。決まってないのはデザートだけで、使う食材にかぶりがなく、かつフルコースのラストを飾る華やかさが欲しいとのこと。
「注文が多いですね……」
 羽崎さんは眉をひそめて私を見る。
「これ、数時間で思いつくものなんですか」
「全然! こういうのは、やっぱり開発部とか普段、料理に携わる人しかできないよ。趣味程度で食材に触れるだけじゃダメ。斬新なアイデアを、って口で言うのは簡単だけど、実現可能か、コストはどうかまで考えると余計に難しい……」
 まぁ、私がやらかしたせいでこうなったわけだけど。
「ふうん。やっぱり大変なんですね」
 彼はサラリと、そんなことを言った。思わぬ感想に呆れてしまう。
「他人事みたいに言うなぁ……羽崎さんだって、今後はそういう仕事を任されるかもしれないんだよ」
 あまりにも仕事への考え方が淡白だと思う。
 羽崎さんは「うーん」と、投げやりに資料をテーブルに放った。
「仕事に対してそこまでやりがいを感じることがないんですよね……これといって趣味もないし。やりたいこととか、あんまり考えたことないなぁ」
「そっかぁ……」
 まぁ、それは私も同じなんだけど。ただ、後輩がいるというだけで責任感が芽生えいるようなもので。人と接する仕事は嫌いじゃないし、むしろ向いてると思う。でも、のめり込むほどじゃない。
 私も彼も齢が近いから考え方は似通っているようだ。そんな無気力さを見せながら、羽崎さんはさらに続けた。
「その点、渚さんはやりたいこととか、先のプランとかきちんと立てて、羨ましいなぁって思いますね。料理も好きだし、食べるのも好きだし、企画とか、そういうのも好きだし」
「うん」
「趣味が多いのかな。人と仲良くするのが得意だから、いつも楽しそうだし」
「うん……なんか、よく見てるね、主任のこと」
「よく見てるっていうか……目につくからね」
「そんなに好きなんだ」
 これには少し、悪意を含めた。思わず。言ってから、余計なことを口にしたと焦ったけど、でも、気持ちは少しだけチカチカと熱く点滅するように、いている。その笑顔と、その言葉と、その気持ちに妬いている。
 私のこの心情を知る由もない羽崎さんは、目を丸くして、そして目を伏せた。
「……それ、わざと言ってます?」
 触れられたくないと言うような声が、厳しく私を責める。でも、やきもちは怯まない。
「わざと言ってる」
「……はぁ」
 彼は鬱屈の溜息を吐き出した。
 その息をかき分けて、私は前のめりに言う。小さな声で。
「て言うかね、ものすごく滲み出てるんだもん。主任のことめちゃくちゃ好きなんだなぁって」
「分かりやすい?」
「ものすごく」
「……はぁ」
 落胆する羽崎さんの顔は見えない。テーブルに突っ伏してしまう。
 私はそれを細目でじぃっと見つめる。まったく、つくづく素直じゃない、私も。嫉妬しちゃうからやめてよ、って言いたいのに、言えない。
 意地悪だった。そう思っても、やっぱり素直になれない。一度抱いた嫉妬は、しつこく残る。 
「――っしゃあああああ!」
 唐突に、窓が割れそうな気合の声が響き渡った。気まずい私たちに喝を入れるような、相田主任の声が部署に戻ってきた。
「おらぁ! やるぞ!」
「うるさ……」
「主任、そういうのほんとやめてくださいよ。鼓膜破れたらどーしてくれるんですか」
「なんだよ、そんなんで破れるくらいヤワなのかよ」
 文句を言うも、主任はケラケラ笑う。そして、何やら顔をほころばせていた。得意げな顔でテーブルにつく。
「はい、決めました。ピーンとひらめいちゃいました」
「え、ほんとですか」
「ほんとです。まぁ、出海から連絡きたんだよねー……って、おい、その目をやめなさい」
 じっとりとした目は、羽崎さんも同じくで、それまで気まずかったのに顔を見合わせて笑う。主任はわけが分からず、首を傾げる。それから気を取り直して、散らばった資料をまとめた。
「野菜って言えば、彩りが豊富だろ。だからここはもう色を最大限に使ったものにしようって。そんなわけで、無理のない手間がそこまでかからない、彩りの良いものにしようと思います」
 その雑なプレゼンに私は「はぁ」と気のない返事。羽崎さんは腕を組んだ。
「後半は渚さんの意見ですよね……」
「ホント簡単に言いますよね。それでずっと悩んでるんじゃないですか」
「おい、お前ら、俺には何言ってもいいけど出海の案をけなしたら怒るからな」
 それを言われたら黙るしかない。
 主任は咳払いして、笑顔をつくった。
「とにかく、片っ端からお前らの好きなデザートを言って。そっから決めよう」
「そんなのでいいんですか?」
 つい一時間前までは「ありきたりなものじゃダメだ」とか言ってたくせに。
 出海さんからどんなアドバイスをもらったのか知らないけど、あっさりと方向転換してしまった意味が分からない。
 戸惑う私の横で、羽崎さんは物分りよくすぐに挙げた。
「アイスとケーキ。バニラとか、イチゴとか。ケーキは生クリームのやつ」
「お前、ほんと好きだよなぁ、昔から」
「あとはパフェ」
「それも好きだよなぁ。他には? 山藤もなんか言って」
 サラサラと走り書きしていく主任。
 私も負けじと思い浮かべた。
「チョコ!」
「あぁ、好きだよね。いつも食べてるよなぁ」
「主任がよく買ってくるやつが好きですね。いつも美味しいのを見つけてくれるから」
「まぁねー、その日の気分で選んでるけど。他には?」
「他……」
 すぐには思いつかない。羽崎さんももう出てこないのか、考えるように宙を見上げる。
「渚さんはないんですか」
 話を全部振ってしまった。
 主任の笑顔がピタリと止まる。思案めいた顔に変わった。
「俺は……うーん? てか、あんまり甘いもの食わないからなぁ……うーん」
「モンブラン、好きですよね」
「あぁ、そうそう。モンブラン、好き」
 羽崎さんの言葉をそのまま拾う主任。メモに加える。そして、付け加えるように言った。
「あ、あと、プリン」
「プリン? そうでしたっけ」
 羽崎さんが組んでいた腕を解く。それまでずっと、主任に関しては分かりきっていたのに、知らないような素振り。
「うん。出海が作るプリン。あと、ガトーショコラ。あれも美味かったなぁ」
「なんか、頻繁に食べてる口ぶりですね」
 動きを止めた羽崎さんに代わって私が言う。すると、主任は「うん」と優しく笑った。その声は、私たちが挙げたお菓子のどれよりも甘く。
「出海が作るものって、本当に美味いんだよ。そんなに甘い物食べるほうじゃなかったけど、あいつが作ったのを食べたらさ、なんか、好きになった」
 語る主任の口調は本当に優しい。
 一方で、私は「しまった」と焦りを覚える。羽崎さんの顔が見られない。
 目のやり場に困っていると、羽崎さんがようやく動いた。
「へぇぇ。そんなに美味しいんですか。あ、でも、確かにプリンは美味しかったなぁ」
 羽崎さんは至って平静で、笑いながら言う。その声音にほっと安堵すると、彼は続けて言った。
「大好きなんですね、出海さんのこと」
 あぁ……。
 私は頭を抱えたくなった。
 羽崎さん、それ、墓穴だから。さっきの私と同じことしてるから。
 主任の返事は決まりきっている。彼は「そうだねぇ」と照れくさそうに笑うから、羽崎さんは素っ気なく「ふうん」と返した。
 居たたまれない私。思わず口を開く。
「……プリンかぁ。あ、そうだ。彩菜館のプリンって、何種類あるんでしたっけ」
「プレーン、ミルク、チョコ、抹茶、いちご、ごま、紅茶、コーヒー、豆乳。全部で八種類だな」
 すぐに答えが出てくる。さすがレストラン担当の相田主任。
「種類も彩りも豊富ですよね。これ、どうにか取り入れられませんか」
 当てずっぽうで言ってみると、主任は意外にも同意の声をあげてくれた。
「なるほどねぇ……いやさ、出海が、あんまり小洒落たものよりも一般的でシンプルなものを題材に考えてみようって言ったんだ。それで二人に好きなものを聞いたわけなんだけど」
 そして、主任は少し考える。
「……プリンなら抵抗なく、誰でも手に取れるし、カラフルにできて見た目もいいし、なおかつシンプル。いいんじゃないか? 可能な限り、色もバリエーション増やしてさ。プリンがダメなら、それに代わるものでもいいし。ムースとかババロアとか。小さく手頃で誰でも食べやすい。それでいこう」
 テキパキと話を進めていく。異論はない。羽崎さんも「そうですねー」と他人事に賛成する。
 急に決まってしまい、呆気にとられるけど時計を見れば、もう二十一時だった。
「うわ、もうこんな時間だ。帰ろっかー」
 決まれば早く、主任は自分のデスクへ行ってノートパソコンを開いた。
「俺、資料作るから、そのへん片付けといて」
「はーい」
 仕事モードの主任は行動が早い。
 超高速のタイピング音を聴きながら、私は羽崎さんの顔を窺った。彼は「ん?」と、さも何事もなさそうな表情を返してくる。
 そして、すぐに逸らして主任を見た。
「渚さん」
 彼はこの時間、ずっと主任のことを「渚さん」と呼ぶ。親しげに。それがどうにも、私を近づけさせない空気を醸している、ように思える。
「んー?」
 主任も別に訂正を促したりしない。業務外だからかな。そうやって仲がいいところを見せつけられるのは、こちらとしてはきついものがある。
「家に帰ったら、出海さんが待ってたりするんですか?」
 私の嫉妬と同じくらいに、羽崎さんも嫉妬している。それがよく分かる。呆れるくらいに。
「うん。たまにだけど。あいつが休みの日はうちに来てるから……って、あんまそういう話するの嫌なんだけど!」
「何を今さら。本当は聞いてほしいくせに」
「……そりゃあね! 酒が入れば自慢はしたくなるんじゃないかな!」
 主任はタイピングを止めて、むくれた。童顔だから子供っぽく見える。
「じゃあ、今度はこの三人で飲みにでも行きます? 話はそこで聞きますし」
 どういうつもりで言っているのかは分からないけど、羽崎さんの提案は案外軽くて、こちらが拍子抜けしてしまいそう。
 自暴自棄になるのはまだ早いよ、と言いたくなる。
 あれ、おかしいな。私はどうして羽崎さんの味方をしているんだろう。いやいや、好きな人こそ守らないと……うーん、でもなぁ、なんか変な気分。すごくもやもやする。
 一方の主任は「そうだなぁ」と、ゆっくり答えた。
「うーん。でも、出海が待ってるかもしれないし。お礼も言いたいしねー」
 小さく笑いを飛ばしながら、申し訳なさそうな目をこちらに向けてくる。
 この温度差が正直、しんどい。得体の知れない煩わしさに耐えられない。
「あーあ!」
 突然叫んだのは私だった。
「え、何? 山藤、どうした」
「主任ったら、彼女ができた途端すーぐそっちにいっちゃうんだからー。もうおごってもらえないなんて、寂しすぎますよぅ」
「んだよ、びっくりさせんなよ……つーか、おごってもらう前提なのな!」
「当たり前じゃないですか! でなきゃ主任を誘ったりしませんしぃ」
 私は、変だ。
 どうして、気を使ってるんだろう。
 私が耐えられないからか。羽崎さんをこれ以上、苦しませたくないからか。
 ……どっちも、かも、しれない。
「そうですねー、渚さんがおごってくれないなら意味がないなぁ」
 羽崎さんが便乗した。その顔色は、少しだけ晴れている。
「嘘だろ、壱夜まで。なんだよ、お前ら。酷いなー、俺、今すごく傷ついた」
「まぁまぁ、そう拗ねないで」
「誰のせいだよぉー」
 まぁ、これくらいの軽口は許してもらわないとね。割に合わない。
 まだむくれている主任は、鈍感に「うーん」と不満あらわな音を出した。
「俺のことはいいからさ、お前らだけで行ってくりゃいいじゃん」
 そんなことを平然と言う。本当、人の気も知らないで。
 羽崎さんを見てみると、彼も気まずそうで、顔を引きつらせて笑っていた。
 あぁ、ほら。また空気がぶれていく。
 私が何も言わなくなったからか、それとも羽崎さんがぎこちなく笑うからか、それとも主任が鈍感だからか……。
「じゃあ……行く?」
 ようやく言ったのは羽崎さんだった。
「え?」
「いや、ほら、」
 彼は目で何かを訴えていた。真意は分からない。けど、私は「あ、うん……」と思わず返事。
 そんな私たちに、鈍感な主任はニヤリと笑う。
「夜更かしすんなよー」
 パソコンを閉じ、彼はすくっと元気に立ち上がった。ジャケットを取って、カバンを持つ。
「んじゃ、帰るね。お先ー」
 まるで退散するかのように、小走りに出ていく。そんな主任の背中を、呆然と眺めるしかなく……私は恐る恐る羽崎さんを見上げた。
「山藤さん」
 目が合ってすぐに呼ばれる。
「はい……」
「どこに行きたい?」
「えっ」
「えっ、て……嫌?」
 そんな、へこんだ声で言わないでよ。
「ううん。嫌じゃない」
「じゃあ、行こう。ちゃんとご飯も食べてないし、山藤さんの好きなとこでいいから」
 そんな風に言われたら、迷いなく頷いてしまう。
 羽崎さんは「よし」と、安堵の声を漏らした。


 ***


 探るように見上げれば、彼は口の端を伸ばして笑う。
 夜空の下、私たちの距離はあのバーへ行ったときよりもぎこちない。
「なんか……突然誘ってすみません」
「や、いやいや、そんな、私は別に」
 むしろありがたいほどなんですが。
 ただ、経緯がちょっと複雑なので、ぎくしゃくしてしまう。
 私は彼を連れて、馴染みの居酒屋へ向かった。今からの時間、営業していて入りやすいのは居酒屋だ。ご飯も食べたいし。
「ここでいいの?」
 店の前で立ち止まると、羽崎さんが訊く。
「うん。賑やかなお店の方が話しやすいでしょ」
 引き戸に手をかけると、後ろで羽崎さんは「じゃあ」と了承した。



 座敷に通されて生ビールとおつまみがテーブルに並んで、おしぼりで手を拭く。その作業は淡々としていて味気ない。
 この間のしっとりとしたバーではなく、サラリーマンや大学生が賑やかしく語らう安い居酒屋だからだろう。
 羽崎さんは口をまごつかせながら、何から話せばいいか探すようだった。私も同じだけど。
「とりあえず、はい、お疲れ様でした!」
 ビールのジョッキを一方的にカチンと合わせて、一口飲む。
 彼も私に合わせて一口。それを見届けてから、私はおずおずと切り出した。
「――ねぇ、羽崎さん」
「はい」
「出海さんの話出したのって、やっぱり嫉妬?」
 訊くと彼はまた顔を伏せた。落ち込むように。ゴトン、とジョッキの底がテーブルにぶつかる。
「……そうですが、何か」
「いやぁ……まぁ、分かりやすかったから」
「じゃあ訊かないで……自分で言ってへこんでるから」
 それは見たら分かる。苦笑をしておくと、彼は逃げるようにメニューを開いた。私も薄いラミネート加工されたオススメメニューを手に取り、文字を眺める。
 トマトスライスと焼きししゃも、枝豆、唐揚げ、チーズフライを頼んで、メニューを閉じて、黙り込んだまま。
 お通しのほうれん草の煮浸しを箸でつついて、ビールをまた一口。
 一方、彼はペースが早く、ジョッキの半分まで飲んでいた。そして、唇についた泡を舐めて、ため息を吐いて、「まぁ、実のところ」とノロノロ話し始めた。
「いいかげん、諦めないとなぁって思ってるよ。でもさ、ほら、あんな感じだから、渚さんって。あのお人好しな感じがもう……」
 その先を続けない。躊躇っている。
 焦れる私は言葉を奪った。
「好きなんだよね」
 彼は私をチラッと見、前髪で目元を隠した。項垂れて、やがて「うん」と小さく呟く。その声は、憂いと甘さがあった。
 それを聞けば、私の喉はビールを欲した。嫉妬のかたまりを飲み込んで、落ち着く。
 私も彼も、今日は調子が悪い。勝手に墓穴を掘って自滅している。
 トマトと枝豆がテーブルに運ばれるまで、私たちは黙り込んだままだった。
「……ちなみに、私と主任が仲良しなのも嫌だったりするの?」
 おずおず訊くと彼は伏せたままで首を横に振る。同時に笑いがこぼれてきた。
「そこまでの独占欲は……ない、と思う。でも出海さんは……ほら、渚さんの彼女だから」
「そっか……」
「でも、最初の頃は誰があの人の彼女なのか、知らなかったから疑ってた」
「あぁ……」
 バーで、彼は私に「彼氏、いるの?」と訊いてきた。あれは、そういうことだった。多分、花島さんにも探りを入れていたに違いない。
「あれ、ね。本当に失礼だし、探りを入れるにしても下手だよ。勘違いしちゃう」
 不満に言ってみると、彼は顔をしかめた。
「すみませんでした」
「本当だよ、もう……」
 あっさり認められて、あっさり謝られる。
 気づいてくれない。私があの日、動揺したことも、今、私があなたを想っていることも。
 枝豆をつまんで、さやからみずみずしい豆を出す。パクパク口に放り込んで、噛めば塩辛かった。
 羽崎さんも枝豆を取って、指でつぶしている。
「はぁ……なんか、変な話してるよね。山藤さんってお人好しだよ、本当に。俺のこんな話も笑わず聞いてくれるし」
 空気を変えようとしているのか、彼は努めて明るげに言う。でも、それは私に落胆を突きつけているのと同じで、褒められている気がしない。
 お人好しか……。
「山藤さんって、本当に不思議な人なんだよね。話しやすくて。全然怖くないし。なんでだろ」
「女性に慣れたから、じゃないの?」
「うーん……どうなんだろうね」
 その口ぶりには、他人事なフシがある。
「多分、山藤さんを信用してるからかも。安心して信じられるからだよ。なんか、そんな感じ」
 信用があるのはすごく嬉しいこと。でも、物足りない。悔しい。妬ける。
「人柄に惹かれるっていうのかな……こんな風になって、一方的に女性を毛嫌いしてたんだけど、まぁ、時間が経てば考え方も変わるし、今は人間性を見るようにはしてる」
「そうなんだ……」
 彼は彼なりに頑張っている。それは分かる。でも、私はあんまり嬉しくない。それって、つまり、私はやっぱり意識されない対象ってことで、脈なし……。
「羽崎さんってさ、」
 つい、口調が厳しくなる。でも、彼は私の感情を読み取らない。「ん?」ととぼけた声を返す。
「羽崎さんって、ずっとこのままでいいって思ってるの?」
 彼も分かっているはずだ。いいかげん諦めないととさっきも言っていた。
 私の質問に、羽崎さんは「うーん」とごまかしの音を出す。ビールを飲めば、ジョッキがもう空だ。
「意地悪な質問だね」
 やがて、彼はうやむやにした。
「そう?」
 一方で私はしつこい。
「うん。困るよ、それは」
「私のこと、信用してるんじゃないの?」
「してるけど……うーん……」
 彼の中で、私への信用はどのぐらいの数値なんだろう。
 ふと過ぎった、主任の「信用」についての話。
 こうして濁されているところ、私はまだまだ彼に信用されていないんじゃないか。百あるうちの百じゃない。
「羽崎さんがそんなに主任のことを好きなんだってことは分かるよ。でもさ、脈なしなんだよ」
 あぁ、きついな、私。酷いことを言ってる。分かってるのに、口は言うことをきかない。ビールに頼って、気持ちを飲み込む。
 羽崎さんは小さく苦笑して、「そうだね」と呟いた。
「このままじゃよくない。でも、気持ちは止められないんだ。好きな人とは例え叶わなくても一緒にいたいとか、山藤さんは思ったりしないの?」
 つい、息を飲んだ。
 それを言われたら、何も言えない。
「あぁ、でも恋愛感情なんて個人差あるし、性愛も多種多様だし、明確に分かりきったものじゃないね」
 彼は素っ気なく言った。少しの自嘲を混ぜて。
 不機嫌なのはどっちだろう。私か、彼か。多分、どっちも。
 私が探りすぎたのがいけないのか、彼の自己肯定感が低いのが原因か……これも多分、どっちも。
 そして、私の言葉はダイレクトに私へと刺さっていく。伝えるつもりがないくせに一緒にいたいと思うなんて、私だってそうだ。
「ごめんなさい……」
 それだけしか言えない自分が憎たらしい。
「いや、謝らないで……えーっと、何か、頼もうか」
 彼を見てみると不機嫌さはなく、目元を笑わせていた。
 ビールの追加と串を注文し、会話に間が開いていく。
 枝豆がなくなる頃、唐揚げとチーズフライがテーブルに並んだ。
 口数が減れば、食べ物もよく減る。ビールも。
 おにぎりを食べているからお腹は減ってないのに、何故か箸が進む。
 でも、食べ物がなくなれば沈黙が痛い。
 追加注文したものがまだこないもどかしさを感じながら、繕いの言葉を考えた。
「ゆっくり諦めていくしか、ない、か……私もそうだったよ」
 自分できつく言っておいて、今度はフォローに回る。
 あぁ、私は本当に意気地なしだ。
「山藤さんも?」
 幸い、彼も空気を変えようと話に乗ってくれた。
「うん。実は私もね、主任に憧れてたことがあったの。だから、羽崎さんが主任のこと好きなのはなんか、分かる」
 それはもう憎たらしいほどにね。いくら嫉妬しても、気持ちを否定する気はないから。
「私もね、主任に助けてもらったんだよね」
「いつも、そうじゃない?」
「あ、あー……まぁ、そうだけど。ちがくて」
 いつものとは違う。それは、初めて主任に会った日のことだから。
「私もね、就職浪人してるんだー。あまりにも受からないから彼氏にふられちゃって。嫌になって、しばらくバイトだけしてて、何もしたくなくて、家族にも迷惑かけて、まぁ、不幸のどん底で」
 本当は身の上話なんて、別に今しなくてもいいのに。こんな重たい話、どうでもいいのに。
 聞いて欲しいと、無性に思った。
 彼に。
「もうダメだなぁって時に、先に就職した聖から『うちの会社受けてみたら?』って誘われてね。で、一か八かで面接に行ったんだよ。その時の担当が相田主任」
「へぇぇ」
 彼は少し顔を綻ばせた。それだけでちょっと安心する。現金だな、私。
「『働きたいならおいでよ』って。なんかもう、野良犬拾うような面接でね。志望動機すら聞かないの。どうせ志望理由を聞いても練習した通りの答えしか返ってこないから面白くない、って」
 そして、主任は「うちは大企業じゃないし、給料も高くないし、残業も休日出勤もあるし。それでもいいの?」と逆に遠慮するような言い方をした。採用する気があったのか疑わしい発言だけど、私がワラをもつかむ勢いでお願いしたら、受け入れてもらえた。
「あれには本当に救われたんだ。おかげで元気になったし、それで憧れもあるし。主任って、本当にカッコイイんだよね」
 羽崎さんは息を吐くように相槌を打つ。嬉しそうな柔らかい表情だった。
「渚さんって、そういうとこあるよね」
「あるよね」
 もしかすると、羽崎さんも助けてもらったんだろう。主任は昔からそういう人なんだろう。
 やっぱり私は敵わない。悔しいほどに敵わない。
「あの、山藤さん……」
「ん?」
「いや、あの……まぁ、俺も似たようなことがあったから、それでこうなったわけで」
「だろうねぇ。そんな気がするもん」
 軽く返すけど、彼は顔を曇らせている。目の周りが少し赤い。酔いが回ってきているのかもしれない。
「……俺、その、前に付き合ってた女の人がひどくて。別れたあとも、なんかいろいろどうでもよくなって、死にたくなって、その時に、渚さんが」
 彼は突然に言葉を切った。だから、私も同じように息が詰まった。
「……渚さんが『しっかりしろ』って毎日言ってくれないと、ここまで立ち直ることはできなかった」
 吐き出すように言う彼の目は泳いでいた。
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