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第七話:くるま交差点(中の中)
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(前回までのあらすじ)
南南西に位置する月は、今日は半月。
まるで椀のようで、右に少し傾き中から何かがあふれてきそうな面白さがある。
その月の前をとてつもない速さで影が斜め上に過ぎ去って行った。
***
姉古川町上空。
当たり前のことだが二輪の駆動はリアでフロントは制動のためにある。フロントに駆動が来たら、『お前に行先を決める権利はない』と言われているようなものだ。
ジェイミーの駆るマウンテンバイクはぬいぐるみアシスト機能により超変形をしていた。フロンフォークに取りついた4本のマフラー型ニトロ省エンジンの超火力で一気に空へとぶっ飛び、30メートルの高度の位置を時速300キロ近くで飛んでいた。
カゴに乗っているトイプードル型ぬいぐるみライジャとデズルは、ないはずの自分たちの金玉を縮みあがらせている。
みんな声にならない悲鳴を上げて気流の中にいた。
「ぶるうううううううううううううううう」
秋口の生ぬるい空気も、この速度では強烈な暴風となりジェイミーの毛という毛のダニを引きはがした。
すでにスロットルは緩めている。しかしニトロエンジンはピーキーすぎる。減速に時間がかかった。
速度が100キロ前後におさまってきたところ、高度も下がり眼前の景色が何とかとらえられるようになった。
「車のお医者さんでしゅ!」ライジャが肉球を指した先に『SUM』の文字のポール看板が見えた。
間違いなくスモーマフラー姉古川店のものだ。コアラーの走った道や方向から考えて、どう考えても目的地はここしかない。仮にあてが外れていたらハルオのところにいったん戻ることにしようと、ジェイミーは先のことまでざっと考えた。
スロットルをさらに緩めた。
途端にニトロエンジンが駆動を止めた。マウンテンバイクが落ち始める。
「あああああああああああああ」
「おおおおおおおおおおおおおん」
「ちょめええええええええええええ」
慌ててスロットルを戻した。
エンジンは非常に元気だった。燃料切れではなくあくまでピーキーで調整が難しいだけだ。
ただ、タイミングが良くない。
また上空にぶっ飛ぶと、ジェイミーはカラスと衝突した。
***
目を覚ましたジェイミーの前にノブ子の顔が映った。まだ目の前は歪んでいるが何とか体は起こせそうだ。
「あれ、ここは?」意識がはっきりすると自分が車内にいることに気付いた。
「ソクオリ~☆」メルザがドアを開けて車内から降りた。それに双子も続く。
「ジェイミー、落ちそうになったから、慌ててみんなで助けたのよ」
「そっか……。ありがと……」ジェイミー自身、自分が直前まで何をしていたか思い出してきた。
「けど、その後自転車を動かすのに大変で……」
ノブ子は落ちたとは言わなかった。何とかなったのだろうか。太一郎の自転車がどうなったのか聞くのが怖い。
「ねえ、何で僕たち車の中なの?」
ジェイミー自身ドライブに行ったことは数えるほどしかない。だがこのシートの座り心地と周りの光景には覚えがある。
「私たちが落ちたところにこの子がたまたまいたの」
ノブ子に促されてジェイミーは車から降りた。
やはり、自分が乗っていたのはハルオのコアラーだ。ヘッドライトが自動シャッターの開き始めたピットの方向を照らしている。シャッターの隙間から灯りが漏れた。
ここはスモーマフラー姉古川店だ。間違いなかろう。
断続的だったコアラーのエンジンの音が、断続的に聞こえてきた。
低くうなったと思ったら、小さく小刻みに連続した音をオンオンと出す。喉の調子が悪いときに連続して咳をしたときのテンポに近い。
意図が完全に読み取れないわけではない。自分が車の立場だったら感じるのは期待と不安だ。ジェイミーはそう察することにした。
それはそうと、まだおいそれと動ける状況ではない。何者かが動かしたシャッターを注意深く眺めることになる。
ジェイミーが逡巡していると、半分以上開いたシャッターの先には白色で艶のある車体とフロントガラスにコアラーの姿を映すゲリウスの姿があった。
コアラーのエンジン音がさらに荒れた。この感情の揺らぎは果たして各ECU(電子制御のためのマイクロコンピュータ)によりもたらされるのだろうか。それとも各所の計器の異常から起こるものなのだろうか。ともかく今、確かに人知の及びそうで及ばない不思議が起こり続けている。
対してゲリウスはただ平坦に電子音を出している。ハイブリッド車にとっては当然の静けさではあるが、あまりにそれは無機質に聞こえた。
二台は向かい合ってそれ以上距離を詰めない。ジェイミーは隣のノブ子とメルザを見る。
ノブ子は困ったように様子を見ている。メルザはスマホでムービー撮影をしていた。二匹とも、コアラーのエンジン音の乱れにどうもじれったい感情を抱いているようだった。
突如、コアラーに高圧の水が横なぐりにかかった。水の出所をたどると、デズルがどこからか高圧洗浄機を持ち出してコアラーに噴射し続けている。ライジャはというと、水を供給しているホースを持って、デズルの後ろについてた。
「コアラーしゃん、頑張るでしゅー」
「デズ、上に向けるでしゅー!」
ライジャの指示通りデズルが高圧洗浄機を威力弱めで上に向ける。
降りてきた水が雨に変わり、コアラーに降り注いでるように見えた。
「思いを伝えるでしゅ!」
「僕らが付いてるでしゅ!」
双子のやりたいことがジェイミーにやっと伝わった。雨の中の想いの告白。双子は演出をしたかったらしい。
そんな努力も空しくか、ゲリウスはピットの中へバックしていくと、転身してコアラーに背を向けそのまま奥に引っ込んでいった。
「ああ……」ノブ子が落胆の声を漏らした。
「走るでしゅうーー」
「追い続けるでしゅー」
双子が声援を送ってもコアラーは動く気配を見せない。
「ねえ、ノブ子さん」
「うん?」
「二人は何て。いや、どういうやり取りをしてたの」
「ええとね。ジェイミー。私も全部分かったわけじゃないの……。ただ、コアラーは力になりたいと……。それをゲリウスは、きっぱり拒絶してるのよ」
「力になりたい? コアラーは一体何の力になりたいって言うんだ」
「それは私にもわからないわ。どうにかして聞くことができればいいけど」
「TBSなん?」
メルザが急に言葉を発した。ジェイミー達にではなくコアラーに対して。
ブ、ウウン……。
コアラーからわずかに反応を示すような唸りが聞こえた。
メルザは何とも言えない気だるそうな表情でジェイミーとノブ子を見た。何と指摘しようのない言動に声をかけ辛い。
「聞こえない。ねえ、コアラっち、TBS? T・B・S」
ウウン、ウウン、パパッー。
唸りのエンジン音とその後でクラクションが鳴った。メルザは意思のやり取りができるのか?
「ねえ。TBSってなに?」
「TBSはTBSよ。テンションバリさがり~」
ジェイミーは無言でノブ子の方を見た。
「……。はっきり答えたわ。ジェイミー」
「なんて!?」
「あったりまえでぃ! 死ぬほど萎えてらあって……」
「てやんでいな人でしゅ。ボク初めて会ったでしゅ」
「コアラーしゃん、かっこいいでしゅ」
双子は無邪気にきゃっきゃと喜んでいた。
ああ、とも、ほう、とも聞き取れる小さな感嘆をジェイミーは発した。また少し逡巡する。
「……。メルザ。他にも何かそういうのないの?」
「回りくどいこと考えなくていいし。これと話したいんでしょ、ベアホールちゃんにピンクちゃん☆彡」メルザはそう答えるとギャル語でコアラーに再び話しかけ始めた。
「コッちー、OBFしてんじゃなくてゲリ子にNHKすべきじゃんw.」
ピッ、ウオオン、ピッ。
メルザはコアラーの返事までは分からない。ノブ子に向かって、なんて言ってんの、と言わんばかりの表情を向けるだけだ。
「わからぁ。コインランドリーから出て来た人間はみんな静電気だらけで苦手だって……」
「はあ?」ジェイミーは目を細めた。
「ゲリ子にMMなん、パオンなん☆? てかゲリ子って最近NKA? 病みなん☆? 巻き込まれ系? マジNKA?」
ウオオン、オオオン、オオン! パパッー!
メルザはコアラーの荒い返事に驚きながら、再度ノブ子の方を向いた。
「……。ぴちぴちギャルがそんなことを聞くもんじゃなねえぜ! 確かにおれっちは、外車の排気の香りが好きだ。高速の渋滞で、オルセデスのケツについたときなんざ、もうたまんねえ! ……、って……」ノブ子はオブラートに包む余裕もなくそのままの訳を半ば呆れながら言った。
「なんじゃそりゃ!」ジェイミーはずっこけた。真似して双子もずっこけた。メルザとノブ子はというと、二匹とも汚い風呂場の排水溝を見た時の、現実を受け入れがたい顔をしていた。
「メルザ。ちゃんと聞いてる?」ジェイミーは本気で疑りの様子をメルザに見せた。
「真面目に聞いてるし!」
ウォン、ウォン、ウォォォォォン。
「じゃあどうしたもんか。これだけあてにならないと、どう試しても不毛だしなあ」
「は、ちょっとディスってきてない? マジMM」
ウォォォォォン、ウォン、ウォン、ウォン。
「ああ、ごめんごめん。もういいよ、メルザ。あとは僕が、調べながら聞くから」
「イミフなんだけど! マジこのベアホール、デリカなさすぎ!」
「行くわよ。二人とも!」ノブ子がそう言ってピットに向かい始めていた。
言い合いを始めていたジェイミーとメルザは、えっ、と言い、慌ててノブ子を向いた。
「どうしたの?」
「話はゲリウスと会ってから。私たちとんでもないことに足つっこでるわよ!」
***
スモーマフラー本社地下会議室。
ペキッ、ペキッ、暗い会議室には指を鳴らす音が静かに響いていた。
合計十回、全指分鳴らした後、姉古川店営業主任十条は歯を軋ませた。机においた両腕が震えている。
「居眠りでもしてるのか、十条よ」
部屋の電気が点いた。リアルサイズのナマケモノ型ぬいぐるみは会議室に入るなり十条の背にまとう所労を感じ取った。
会議室の机は円卓だ。彼は風を切って歩きながら、奥に回り込み、十条に向かい合う位置に腰を下ろす。ドカッ、という音と共に椅子が揺れた。
「いいえ。多少くたびれることがあっただけです……」
「ふん。見ればわかる」
十条の特徴である目の周りのくまは深く、どす黒くなり、蛍光灯に照らされた顔色は青白い。
「……。手に余るようだな。あの娘は」
「……! アルベさん」
「聞いているよ。私は別に間違った判断とは思わん」
十条の左眉が吊り上がった。対してナマケモノ型ぬいぐるみは三白眼を細めながら手に持った葉巻を机に、コツッコツッ、と当てる。
「フフフ。お前はかつて最年少で十俊英に選ばれた男。そしてあれも小娘。……、どうも、若い才同士はぶつかり合う宿命らしい」
「アルベさん。今回の任務はどう考えても、我々で処理ができた……。ヘレナは不要です」
アルベ(有辺)と十条から呼ばれたナマケモノは左手を開きゆっくりと上にあげた。そのまま空をつかんだかと思ったが、彼の手が向けた先の火災警報器が突然バチッ、と音を立ててぺしゃんこになっっていく。
ゲームや漫画で出てくる空掌のようだ。何らかの方法で触れることなく離れたものに強力な圧をかけた。その結果が天井に埋まった火災報知器だ。中の細かい素子やダイオードすらも形が歪んでいる。
悠々と有辺は葉巻の先端をちぎり、火をつけた。
「己惚れるなよ。あれを使うのは反隋の判断だが、そのつまらん意見を会議でも持ち出すようなら私が先に相手になる」
「わ、私は、そのつもりはありません」十条の眼が横に大きくぶれた。
「クク、アルベ。あまり、若者をいじめるでないぞ。ト、年寄り臭くてかなわんわ」
会議室に入ってきたのは瓦鷺と非津だった。口ぶりからすると、ある程度有辺と十条とのやり取りを聞いていたらしい。
「フフ、ヒッツにカワラサギご老体。久しぶりだな」鼻から煙を出しながら有辺はじっくりと味わうように返事をする。
この男は口から紫煙を出すことを好まない。ゆっくり味わい、少しずつ出すことが嗜みなのだ。
「グッ、なんだ。セルバもユウキもレツドもまだ帰らんか。手こずりよるらしいの」
「ご老体よ。隙が見えるぞ。相手は砂漠の黒河馬だ。奴らが慎重になるのも当然」有辺が多少の侮蔑を込めて瓦鷺を一睨みした。だが、このジジイ、口さがないわけではない。
「何を、ウップッ、だーれも侮ってなどおらんよ。わしゃたのしみなんだ。グッ、ケケ。早く、早くこの手に欲しい。ウケケッ、待ちきれんのよお」
「アルベさん。気を悪くしないでくれ。爺さんさっきから、ずっとこの調子なんだ」非津は肩をすくめて困った笑いを見せた。だが彼の意識は有辺よりも十条の方に向いていた。
「あら、これだけ? ずいぶんと仰々しい部屋を使ってるのね」
全員の視線がたった今忍び込んできた女に向いた。
底片ヘレナを名乗る女は立ったままの瓦鷺、非津をよそにスタスタと歩いて皆と距離を置いた位置に悠々と座った。
会議室には今までよりもさらに澱んだ空気があふれた。
「イワンの顔を見た……」十条は頭に拳を当てて、静かにつぶやき歯をかみしめた。
「あらそう。奇麗なもんだったでしょ。……、プっ。ほほ、ひょっとして死体を見るのは初めてだった? 十俊英ともあろう者が?」笑いをこらえながら、拳を震わせる十条を下目に見た。
「ヘレナァァ。いい加減にしろよ」十条は怨嗟の顔を向けた。慌ててそれを制したのは非津だった。
「ヘレナ。いくら何でも、あれは早すぎだ。説得の余地は十分にあったはずだ!」非津もさすがに語気に力を入れずにはいられない。
「それが無理だったから早々に始末したのよ。あなた達の心配の種を除いたのに。心外よ」
「お前、この任務を何だと思っている」十条は一旦殺意を飲み込んだ。
「あなたも、ヒッツさんも分からない人ね。あれが私の役割。だからここにいるのよ」女は足を組み、自分のネイルを撫でながら謎めいたことを口にした。
「ん? んグッ、アルベ。お前さんか、こいつを呼んだのは」
「知らんな」答えながら有辺はドアの方を向いた。開きっパなしのドアの先は暗闇の廊下、そこをゆっくり進んでくる昔馴染みの存在をいち早く察していたのだった。
バン!
クローザーにより開閉速度が調整されているはずだが、勢いよくドアが閉まった。
会議室の奥で一つだけ背を向けていた椅子がある。それが突然180度回転して五人の方を向いた。
座っていた底片と十条が立ち上がった。
椅子には首のない木製の人型模型に白のスーツが着せられていた。それがゆっくりと立ち上がる。
そして天井から粘液が滴るように何かが、ぬるっと、人体模型に向けて下りてきた。首に乗る。
イトマキエイ型のぬいぐるみだ。影にまぎれる黒色だが、たった今、スーツ同じ白色に変色した。
上手い形で人体模型の首の部分を担っており、そのひし形の体を折りたたんで横に出っ張ってはいるが体表でフラットな頭部を再現する。イトマキエイの尾は鈴緒状になっていて髪を後ろに束ねているように見える。
正面を向いた体表には目の紋様が浮き出て見る人間を威嚇した。
恐ろしく、不気味な、まさに異様だった。木でできたその腕は自然に動いて机の上に置かれた。
「揃っていますね。選ばれし子たちよ……。全てはグレートラハトハ様の意のままに」
老いた女性の声だ。高い声。しかし、低く響き人を震わせるものがあり一言、言葉を発すると異様でしかない見た目の中から威厳が現れる。
有辺含めて全員が立ち上がり、今イトマキエイが口にした文句を復唱した。
全てはグレートラハトハ様の意のままに。
会議室内の澱んだ空気がこの時だけはまっすぐに引き締まっていた。
イトマキエイの乗る人体模型が座るのを待ち、全員が席についた。
そして再び会議室には老いた女性の声が響く。
「サリィは私が呼びました」
ふ、と底片がその言葉に安心して息を吐き出した。イトマキエイが来るまで組んでいた足は解いている。
大半のものはそこで一つの疑問が出てくる。
「サリィ?」非津が訳も分からずつぶやいた。
「身内びいきかな。反隋よ……」有辺は葉巻の先を赤く光らせる。
「アルベ、あなたから説明してはくれませんか?」目の模様はどういう仕組みか有辺に向いて動いた。やはり向けられるだけで威圧感がある。
「……。ふん、いいだろう」有辺は目を閉じて、煙を吐き出した。
「まず、こいつは底片経麗奈で戸籍を偽装しているが本当のところは違う。そこの反隋の養娘で、反隋砂理という」
「なっ!」
「……」
非津と十条は驚き戸惑ったが瓦鷺のほうはどうでもよさそうに成り行きを見守っていた。
「先日グレートラハトハ様に認められ、土岐を引き継いだ。よって、これからは内部監視の砂里となり、我ら、スモーマフラー十俊英に名を連ねる」
有辺が話した後、誰も言葉を発してはいない。しかし、会議室は様々な感情で沸き立ち、にわかに騒がしくなった。
……。スモーマフラー十俊英は謎のトップ、グレートラハトハに認められた十人から成る。
役職とは別の独自行動と判断、莫大な報酬が約束される特殊任務への参加という、大きな権限が付与されるトップ集団である。
呼び名の先頭にはそれぞれの得意技が冠せられている。何の得意技かは言わずもがな。
威力BtoBの有辺
車検水増し請求の暫穴
創作演出の非津
闇産業医の瓦鷺
保険請求の十条
下請け恐喝の競場
板金の結鬼(最近ではゴルフボールの結鬼とも呼ばれている)
除草剤の烈弩
そしてそれらを束ねる、闇特選中古車の反隋。
そのうち、競場、結鬼、烈弩は特殊任務でサハラに赴き不在。暫穴は本日インフルエンザで欠席。
十人目であった土岐が高齢で引退したため、後釜を全国のスペシャリストたちが争っていた状況であった。それが今終結したわけである。
「……。内部のスペシャリストおよび十俊英ですらも監視対象。必要であれば粛清を行う……。それがこれからの私の役目です。内部監視のサリィ。どうぞよしなに、皆さま」目を閉じて砂里は微笑んだ。
「フン、グッ、ワシらとしてもいいんじゃあないか。反隋の秘蔵っ子ということなら。今までの、ん、実績もあることだし」瓦鷺はそう言った。つまらなそうな態度は変えずに通り一遍な意見を言うから周りは反応に困る。
「しかし、納得しかねることもある……」言いながら非津は十条の方を気にした。十条は大いに砂里をにらんでいた。
「殺しだけが取り柄のお前が、あの土岐さんの後を継ぐだと……」やはりというか、十条は非津の言葉に割って入り、砂里につっかかった。
「ふふ。否定はしないわ。あなたの見立てではそうなのでしょうね」
「諍いは結構」十条と砂理にぴしゃりと割って入ったのは反隋だった。声色は穏やかであるのに誰の主張も遮る勢いがある。
「ですが、グレートラハトハの意志は絶対であり、事実は変わりません。十条、ヒッツ、反論が出る余地のないことは、十俊英であるあなた達が良く分かっているはずですよ」
十条、非津ともに反隋の言葉を聞くや否や黙って頭を下げた。しかし……。
「一度お聞きしておきたかった……」冷や汗を浮かべながら非津は反隋の眼にむかって言った。
「発言を許します」
有辺が察して動きかけたが先に反隋の言葉が走る。
「グレートラハトハ様は息災で、いらっしゃいましたか?」
「無論……」
「い……、いつ、会われましたかな。……、どのような、姿だったか?」
「ヒッツ、踏み込みすぎだ」有辺が警告を発する。
若い、と非津の発言を聞いて瓦鷺はほくそ笑んだ。だが、一番興味があるのは瓦鷺自身なのだ。わざと止めるべきか、泳がせるべきかと周りの顔色を見ながら花占いの様に出方をうかがっていた。
「ヒッツ、十俊英の身でその疑問を口にできると本当に思っていますか」反隋の言葉は重かった。比喩ではなく非津の肩には反隋から発せられる一種の圧のようなものが乗っかっていた。
「ラハトハ様への気持ちに変わりは、ありません……。ですが……、……。少々自分が信じられなくなっているのかもしれません」頭を下げながら懺悔に近い文句を発した。すでに降格も放逐も覚悟をしている。
だが非津自身の予想に反して反隋からくる圧が解けた……。
「……。あの方は、正体がばれることを好まない。ですが申しておきましょう。……、先月です、あの方は青年の姿でした。そしてとあるピット内で会ってお言葉を賜りました」
「……。そうでしたか。慶賀の至り。この非津。未だ弱輩の身なれど、それを聞き、ラハトハ様のため末期まで身を粉にして尽くす所存です」
誰しも冷や汗をかいていた。そして誰しも二人の間に口を挟まない。
各人思惑はあれど、会議室内は一旦静かになった。
「ヒッツ。お前の気持ち、いずれラハトハ様に伝わります。され、十条。状況を簡潔に教えてください」あくまで静かに反隋は話をふる。
「はい、順調です。無事、保険請求と示談金の回収にこぎつけそうです」
「回収できる見込み額は」
「一億です」
反隋の背に浮かぶ紋様に変化はない。大きく見開いた目の紋様は十条の方を向いていた。
「最高のモデルケースになりそうです」非津は額の汗を拭きノートパソコンで自分の資料を確認し始めた。
「今季、来季の見込みは出ていますか」反隋の目の紋様が今度は非津を向いた。
「各支店に横展開が終わり今期は50億、来年度は200億の見込みです」ほくそ笑みながら非津はそう言い放った。
「結構……」
「十条よ。向こうがあまりにも渋るようなら俺を呼べ。一分でカタをつける」有辺は鼻から紫煙を出しながら不敵に笑った。
「ング、相変わらず荒っぽいのお」
「ふん。目込みがその通りになることなどそうそうないから毎度出張る羽目になる。なにせ見通しの甘い連中ばかりだからな」
「それは、恐縮ではあります。ですが有辺さんに助力を乞うことになリませんよ」
「ん。そうじゃな十条。グッ、細工は流々、仕上げを御覧じろというやつじゃ」
有辺は瓦鷺の飄々とした言葉を流石に聞き流せなかった。葉巻の先が赤熱する。
「流々では困る。その細工の肝心の部分……。貴公の仕事だろう」
***
スモーマフラー姉古川店、深夜のピット内……。
「瓦鷺……」ノブ子はゲリウスから聞いた名前をジェイミーに告げた。
「それが、ゲリウスを強制的に妊娠させた犯人なんだね」ジェイミーは身震いしたくなる気持ちを抑えて言葉を落ち着けた。
「あの車のお医者さんでしゅ」
「悪の医者だったでしゅ」
コアラーは意外と江戸っ子で、おしゃべりで、ギャル語がちょっと通じた。そしてメルザがいちいち聞く必要なく、堰を切ったように、自分がピット内で体験したこと、ゲリウスに起こった悲劇について語ってくれた。
そしてゲリウスについてはメルザはじめ、ジェイミーとノブ子の尽力が功を奏した。
ギャル語は車と正確なコミュニケーションが取れるわけではないが、動物の鳴き声よりはメッセージとしての質は担保されていた。
特にアルファベットで構成された用語、MM(マジムカツク)やTBS(テンションバリサガリ)はある程度そのままに意味が通じて他も別の意味で通じているようだった。そして肯定の意を伝える音はパかピのクラクション音だった。それは双子がホースよろし、どこからか見つけてきたエアホーンで伝えることができた。
適当にだがやり取りをしているうちに、ゲリウスの方が、ぬいぐるみたちが何を必死に知りたがっているかを察するに至る。
そして恐る恐るとピットに入ってきたコアラーに最初は強い拒絶の言葉を投げながらも、次第に泣き崩れるように、夫や子がいるということは事実があるにかかわらず、実験と称して体を瓦鷺にいじられ、チャイルドを仕込まれたことを語った。もちろん十条、非津、底片、瓦鷺、全員がグルであることもだ。
コアラーとの関係は、ピット内で隣通しになることが多く、お話をする程度の仲だという。ただ、コアラーの態度から、とてもではないが何もないとも言い切れないとジェイミーは疑った。まあ、その辺はノブ子やメルザの方が、カンが働くのだろうがあえて今は無視だ。
ジェイミーの後ろで断続的に震える低いエンジン音が聞こえた。
振り向くとコアラーが静かな怒りを燃やしていた……。
***
再びここはスモーマフラー本社地下会議室。
当の瓦鷺は有辺の小言を意にも介さずつまらなさそうにふんぞり返っていた。
「ング、しかし、年間200億程度か。わしまで出張ったんじゃよ。十俊英が一つの任務で四人動いた。ツッ、釣り合いが取れとるとはおもわんのお」
「それだけじゃないでしょ。車の妊娠について保険整備はどんどん進んでる。他の会社も巻き込めれば200億といわず倍以上見込めるわよ」砂理は瓦鷺にそう指摘をした。
「確かにな。ガッ、だが、規模を大きくするのであれば診断をする車医学に精通した人間を増やせよ。ク、わしは黒河馬の解体で今後手いっぱいになるからな」
「それはあんたが用意しなさいよ」
「何じゃ、言うようになったの」
「よろしい。次回までに4人は10年単位で計画を練りなさい。アルベ、黒河馬は?」反隋は淡々と進める。
「セルバから報告は得ている。サハラで新たな傭兵団を組織したそうだ。今、連中の隠れ家を突き止めている最中だ」
「引き続きザンケツをバックアップに待機させなさい。定時連絡が来なくなった時点で……」
「分かっている。証拠隠滅に俺が動く」有辺の眼が鈍く光った。
そのまま大きな口論などもなく、会議は終了した。
……。
会議後残っていたのは十条と非津だった。
「肝が冷えたな」立ちすくみながら非津がつぶやく。
「肝が冷えたどころではない! お前、何をそこまで必死になっている?」語気の強さは十条の今出せるありったけの怒りと安堵だった。
「ならお前は今まで何の疑いもなくラハトハ様のことを信じて手を汚してきたのか?」
問いに十条は目を泳がせた。椅子から立ち上がり帰る準備をしていたのだが、再び観念したように座った。
「……。……」
「……。……」
二人は黙りこくりながらお互いに初めてラハトハに会った時のことを思い出した。
「ヒッツ、お前がかつて会ったラハトハ様は少年の姿だったのだな」
「精悍な少年だったよ、日本人ではない。おそらくロシア系……。目は青、いや、海の色だった」
十条は思い出すも反吐の出る己の過去の、唯一とも言うべき明るい部分で立ち止まった。
幼くして身寄りの無くなった十条は、児童養護施設の中でもなかなか友達ができなかった。
中学生になり施設内でも年長に位置する立場になった時に一人の男児に出会った。3歳か4歳か……、年齢はよく覚えていない。
男の子はコバルトブルーの目で十条をじっと見つめていた。声も欲求も何も発さないその子に十条は何故か全てを話した。
両親の離婚、保険外交員だった母親の自殺。小学校時代のいじめ体験。顔を見るのも嫌な施設の女性職員。河原で殺してしまった老犬の話。
すべて掘り返して十条はその年にして自分の経験してきたことが悪夢として連なるごとに一種の清爽を帯びてくることに気付いた。
己への憐みからは決して生まれない感覚。
瞬きのない幼子の瞳が十条の存在をただ肯定していた。
男の子は一週間で里親に引き取られていった。タクシーに乗るその子を十条は手すらもふらずに無言で見送った。
神託は十五年後に訪れた。突然、その男の子の靄のかかる顔が、当時の思い出が、度々ちらつくようになった。それが一週間続き、十条は自死にすら至りかねない強烈な寂寥の感に襲われた。
そして意識の朦朧とした中での、この地下室への招聘。
反隋から十俊英への選出とラハトハ様の存在を知らされた時に、心の覚醒を感じすぐにその存在を肯定した。すでに過去に出会っていたこと、見続けていてくれたことを悟ったのだ。
十条はそれを思い出したうえで、今まで言うにはばかっていた自分の妄想を口にすることを決めた。
「……。俺は実は、イワンの奴がラハトハ様ではないかと思っていた。ありえなかったがな……」たまっていた息とともに十条は吐き出した。事前に盗聴器も監視カメラもないことを確認しているあたり、多少は用心深い。
「根拠は?」
「ない……。いや……、似ていたのだ。俺がかつて会ったラハトハ様、と……」
「くく、ヘレ……、サリィは恋人であり我らの主を自ら葬ったことになるが? とんでもない話だ」
「だからありえないといっただろう」
「まあ、完全にゼロではない話だ。反隋様のお子とはいえ、新顔のサリィが十俊英に急に選ばれたことは異例中の異例だからな」
「もういい。止めてくれ。それより今は俺たちだけで任務を完遂する方が先だ」
「俺たち……。サリィはどうする気だ」
「どのみち奴の仕事はもうない。あいつに連絡することはないさ」
「十条。お前らしくないぞ。だいたい、あの晴御とかいうやつが誰かに相談して探偵とかを雇う可能性もある。確実性を考えるなら……」
「確実性を考えるならサリィにケツをもってもらえと?! どう考えてもその必要はない」
拳を額に当てる十条をみながら非津は深く息を吐き出した。
「ふう。ひとまず外の空気を吸おう。何だったらお前少し寝た方がいい」
深夜に関わらず十条の電話の着信音が聞こえてきて非津は落胆した。この男には休むことすら許されそうにないのか。
「ああ、何だ。……、……。待て、落ち着け。どういうことなんだそれは!? ……、保管していたのだろう! ああ、間違いだろうそれは! ……、……。分かった、すぐ向かおう……、そのまま待っていろ!」
電話を切った後、十条は脱力して宙を見上げていた。
「どうした?」
非津が問うと、十条は急に笑い出した後、歯を鳴らして顔を青ざめた。
「おい、どうしたんだ! 十条」
「はは、イワンの遺体が消えただとよ。何を言っているんだか……」
今にも気を失いそうな十条の顔を見ながら非津は、どこか自分にこの事態を安心するところがあることに気付いた。
***
そして話は再びジェイミー達が忍び込んでいるスモーマフラー姉古川点ピット内に戻る。
「恐ろしいでしゅ」
「ここは悪の組織だったでしゅ」
全ては仕組まれたことだった。ゲリウスの話からスモーマフラーの幹部連中が企む車両の強制妊娠計画を知り、双子はお互い身を寄せ合って泣き出した。
「二人とも落ち着いて。怖いけど頑張ろう!これは、もう引けないところまで来てる」
「そうね。どうせこの様子はカメラに撮られてる。一か八かよ」ノブ子もジェイミーも顔色を悪くしながらも目に力
を入れた。
「うん。巨悪を暴こう! 証拠を集める。まずはこのピットからだ」
「HSI、HSI? H。S。I」
メルザはゲリウスに触れながら突然真剣な顔でつぶやき続けた。
イィィィィィン、イィィ、コオオォォォー!
ウォン、オン! オォォォォォォン!
突然二台が錯乱しだした。コアラーに至ってはピット内にタイヤ痕を残して後ずさりをしだした。
「メルザさん? 一体……?」
ジェイミーの問いにメルザの眼はすわっていた。
「巨悪を暴く? メルザはそんなんどうでもいいし」
(次回に続く……)
南南西に位置する月は、今日は半月。
まるで椀のようで、右に少し傾き中から何かがあふれてきそうな面白さがある。
その月の前をとてつもない速さで影が斜め上に過ぎ去って行った。
***
姉古川町上空。
当たり前のことだが二輪の駆動はリアでフロントは制動のためにある。フロントに駆動が来たら、『お前に行先を決める権利はない』と言われているようなものだ。
ジェイミーの駆るマウンテンバイクはぬいぐるみアシスト機能により超変形をしていた。フロンフォークに取りついた4本のマフラー型ニトロ省エンジンの超火力で一気に空へとぶっ飛び、30メートルの高度の位置を時速300キロ近くで飛んでいた。
カゴに乗っているトイプードル型ぬいぐるみライジャとデズルは、ないはずの自分たちの金玉を縮みあがらせている。
みんな声にならない悲鳴を上げて気流の中にいた。
「ぶるうううううううううううううううう」
秋口の生ぬるい空気も、この速度では強烈な暴風となりジェイミーの毛という毛のダニを引きはがした。
すでにスロットルは緩めている。しかしニトロエンジンはピーキーすぎる。減速に時間がかかった。
速度が100キロ前後におさまってきたところ、高度も下がり眼前の景色が何とかとらえられるようになった。
「車のお医者さんでしゅ!」ライジャが肉球を指した先に『SUM』の文字のポール看板が見えた。
間違いなくスモーマフラー姉古川店のものだ。コアラーの走った道や方向から考えて、どう考えても目的地はここしかない。仮にあてが外れていたらハルオのところにいったん戻ることにしようと、ジェイミーは先のことまでざっと考えた。
スロットルをさらに緩めた。
途端にニトロエンジンが駆動を止めた。マウンテンバイクが落ち始める。
「あああああああああああああ」
「おおおおおおおおおおおおおん」
「ちょめええええええええええええ」
慌ててスロットルを戻した。
エンジンは非常に元気だった。燃料切れではなくあくまでピーキーで調整が難しいだけだ。
ただ、タイミングが良くない。
また上空にぶっ飛ぶと、ジェイミーはカラスと衝突した。
***
目を覚ましたジェイミーの前にノブ子の顔が映った。まだ目の前は歪んでいるが何とか体は起こせそうだ。
「あれ、ここは?」意識がはっきりすると自分が車内にいることに気付いた。
「ソクオリ~☆」メルザがドアを開けて車内から降りた。それに双子も続く。
「ジェイミー、落ちそうになったから、慌ててみんなで助けたのよ」
「そっか……。ありがと……」ジェイミー自身、自分が直前まで何をしていたか思い出してきた。
「けど、その後自転車を動かすのに大変で……」
ノブ子は落ちたとは言わなかった。何とかなったのだろうか。太一郎の自転車がどうなったのか聞くのが怖い。
「ねえ、何で僕たち車の中なの?」
ジェイミー自身ドライブに行ったことは数えるほどしかない。だがこのシートの座り心地と周りの光景には覚えがある。
「私たちが落ちたところにこの子がたまたまいたの」
ノブ子に促されてジェイミーは車から降りた。
やはり、自分が乗っていたのはハルオのコアラーだ。ヘッドライトが自動シャッターの開き始めたピットの方向を照らしている。シャッターの隙間から灯りが漏れた。
ここはスモーマフラー姉古川店だ。間違いなかろう。
断続的だったコアラーのエンジンの音が、断続的に聞こえてきた。
低くうなったと思ったら、小さく小刻みに連続した音をオンオンと出す。喉の調子が悪いときに連続して咳をしたときのテンポに近い。
意図が完全に読み取れないわけではない。自分が車の立場だったら感じるのは期待と不安だ。ジェイミーはそう察することにした。
それはそうと、まだおいそれと動ける状況ではない。何者かが動かしたシャッターを注意深く眺めることになる。
ジェイミーが逡巡していると、半分以上開いたシャッターの先には白色で艶のある車体とフロントガラスにコアラーの姿を映すゲリウスの姿があった。
コアラーのエンジン音がさらに荒れた。この感情の揺らぎは果たして各ECU(電子制御のためのマイクロコンピュータ)によりもたらされるのだろうか。それとも各所の計器の異常から起こるものなのだろうか。ともかく今、確かに人知の及びそうで及ばない不思議が起こり続けている。
対してゲリウスはただ平坦に電子音を出している。ハイブリッド車にとっては当然の静けさではあるが、あまりにそれは無機質に聞こえた。
二台は向かい合ってそれ以上距離を詰めない。ジェイミーは隣のノブ子とメルザを見る。
ノブ子は困ったように様子を見ている。メルザはスマホでムービー撮影をしていた。二匹とも、コアラーのエンジン音の乱れにどうもじれったい感情を抱いているようだった。
突如、コアラーに高圧の水が横なぐりにかかった。水の出所をたどると、デズルがどこからか高圧洗浄機を持ち出してコアラーに噴射し続けている。ライジャはというと、水を供給しているホースを持って、デズルの後ろについてた。
「コアラーしゃん、頑張るでしゅー」
「デズ、上に向けるでしゅー!」
ライジャの指示通りデズルが高圧洗浄機を威力弱めで上に向ける。
降りてきた水が雨に変わり、コアラーに降り注いでるように見えた。
「思いを伝えるでしゅ!」
「僕らが付いてるでしゅ!」
双子のやりたいことがジェイミーにやっと伝わった。雨の中の想いの告白。双子は演出をしたかったらしい。
そんな努力も空しくか、ゲリウスはピットの中へバックしていくと、転身してコアラーに背を向けそのまま奥に引っ込んでいった。
「ああ……」ノブ子が落胆の声を漏らした。
「走るでしゅうーー」
「追い続けるでしゅー」
双子が声援を送ってもコアラーは動く気配を見せない。
「ねえ、ノブ子さん」
「うん?」
「二人は何て。いや、どういうやり取りをしてたの」
「ええとね。ジェイミー。私も全部分かったわけじゃないの……。ただ、コアラーは力になりたいと……。それをゲリウスは、きっぱり拒絶してるのよ」
「力になりたい? コアラーは一体何の力になりたいって言うんだ」
「それは私にもわからないわ。どうにかして聞くことができればいいけど」
「TBSなん?」
メルザが急に言葉を発した。ジェイミー達にではなくコアラーに対して。
ブ、ウウン……。
コアラーからわずかに反応を示すような唸りが聞こえた。
メルザは何とも言えない気だるそうな表情でジェイミーとノブ子を見た。何と指摘しようのない言動に声をかけ辛い。
「聞こえない。ねえ、コアラっち、TBS? T・B・S」
ウウン、ウウン、パパッー。
唸りのエンジン音とその後でクラクションが鳴った。メルザは意思のやり取りができるのか?
「ねえ。TBSってなに?」
「TBSはTBSよ。テンションバリさがり~」
ジェイミーは無言でノブ子の方を見た。
「……。はっきり答えたわ。ジェイミー」
「なんて!?」
「あったりまえでぃ! 死ぬほど萎えてらあって……」
「てやんでいな人でしゅ。ボク初めて会ったでしゅ」
「コアラーしゃん、かっこいいでしゅ」
双子は無邪気にきゃっきゃと喜んでいた。
ああ、とも、ほう、とも聞き取れる小さな感嘆をジェイミーは発した。また少し逡巡する。
「……。メルザ。他にも何かそういうのないの?」
「回りくどいこと考えなくていいし。これと話したいんでしょ、ベアホールちゃんにピンクちゃん☆彡」メルザはそう答えるとギャル語でコアラーに再び話しかけ始めた。
「コッちー、OBFしてんじゃなくてゲリ子にNHKすべきじゃんw.」
ピッ、ウオオン、ピッ。
メルザはコアラーの返事までは分からない。ノブ子に向かって、なんて言ってんの、と言わんばかりの表情を向けるだけだ。
「わからぁ。コインランドリーから出て来た人間はみんな静電気だらけで苦手だって……」
「はあ?」ジェイミーは目を細めた。
「ゲリ子にMMなん、パオンなん☆? てかゲリ子って最近NKA? 病みなん☆? 巻き込まれ系? マジNKA?」
ウオオン、オオオン、オオン! パパッー!
メルザはコアラーの荒い返事に驚きながら、再度ノブ子の方を向いた。
「……。ぴちぴちギャルがそんなことを聞くもんじゃなねえぜ! 確かにおれっちは、外車の排気の香りが好きだ。高速の渋滞で、オルセデスのケツについたときなんざ、もうたまんねえ! ……、って……」ノブ子はオブラートに包む余裕もなくそのままの訳を半ば呆れながら言った。
「なんじゃそりゃ!」ジェイミーはずっこけた。真似して双子もずっこけた。メルザとノブ子はというと、二匹とも汚い風呂場の排水溝を見た時の、現実を受け入れがたい顔をしていた。
「メルザ。ちゃんと聞いてる?」ジェイミーは本気で疑りの様子をメルザに見せた。
「真面目に聞いてるし!」
ウォン、ウォン、ウォォォォォン。
「じゃあどうしたもんか。これだけあてにならないと、どう試しても不毛だしなあ」
「は、ちょっとディスってきてない? マジMM」
ウォォォォォン、ウォン、ウォン、ウォン。
「ああ、ごめんごめん。もういいよ、メルザ。あとは僕が、調べながら聞くから」
「イミフなんだけど! マジこのベアホール、デリカなさすぎ!」
「行くわよ。二人とも!」ノブ子がそう言ってピットに向かい始めていた。
言い合いを始めていたジェイミーとメルザは、えっ、と言い、慌ててノブ子を向いた。
「どうしたの?」
「話はゲリウスと会ってから。私たちとんでもないことに足つっこでるわよ!」
***
スモーマフラー本社地下会議室。
ペキッ、ペキッ、暗い会議室には指を鳴らす音が静かに響いていた。
合計十回、全指分鳴らした後、姉古川店営業主任十条は歯を軋ませた。机においた両腕が震えている。
「居眠りでもしてるのか、十条よ」
部屋の電気が点いた。リアルサイズのナマケモノ型ぬいぐるみは会議室に入るなり十条の背にまとう所労を感じ取った。
会議室の机は円卓だ。彼は風を切って歩きながら、奥に回り込み、十条に向かい合う位置に腰を下ろす。ドカッ、という音と共に椅子が揺れた。
「いいえ。多少くたびれることがあっただけです……」
「ふん。見ればわかる」
十条の特徴である目の周りのくまは深く、どす黒くなり、蛍光灯に照らされた顔色は青白い。
「……。手に余るようだな。あの娘は」
「……! アルベさん」
「聞いているよ。私は別に間違った判断とは思わん」
十条の左眉が吊り上がった。対してナマケモノ型ぬいぐるみは三白眼を細めながら手に持った葉巻を机に、コツッコツッ、と当てる。
「フフフ。お前はかつて最年少で十俊英に選ばれた男。そしてあれも小娘。……、どうも、若い才同士はぶつかり合う宿命らしい」
「アルベさん。今回の任務はどう考えても、我々で処理ができた……。ヘレナは不要です」
アルベ(有辺)と十条から呼ばれたナマケモノは左手を開きゆっくりと上にあげた。そのまま空をつかんだかと思ったが、彼の手が向けた先の火災警報器が突然バチッ、と音を立ててぺしゃんこになっっていく。
ゲームや漫画で出てくる空掌のようだ。何らかの方法で触れることなく離れたものに強力な圧をかけた。その結果が天井に埋まった火災報知器だ。中の細かい素子やダイオードすらも形が歪んでいる。
悠々と有辺は葉巻の先端をちぎり、火をつけた。
「己惚れるなよ。あれを使うのは反隋の判断だが、そのつまらん意見を会議でも持ち出すようなら私が先に相手になる」
「わ、私は、そのつもりはありません」十条の眼が横に大きくぶれた。
「クク、アルベ。あまり、若者をいじめるでないぞ。ト、年寄り臭くてかなわんわ」
会議室に入ってきたのは瓦鷺と非津だった。口ぶりからすると、ある程度有辺と十条とのやり取りを聞いていたらしい。
「フフ、ヒッツにカワラサギご老体。久しぶりだな」鼻から煙を出しながら有辺はじっくりと味わうように返事をする。
この男は口から紫煙を出すことを好まない。ゆっくり味わい、少しずつ出すことが嗜みなのだ。
「グッ、なんだ。セルバもユウキもレツドもまだ帰らんか。手こずりよるらしいの」
「ご老体よ。隙が見えるぞ。相手は砂漠の黒河馬だ。奴らが慎重になるのも当然」有辺が多少の侮蔑を込めて瓦鷺を一睨みした。だが、このジジイ、口さがないわけではない。
「何を、ウップッ、だーれも侮ってなどおらんよ。わしゃたのしみなんだ。グッ、ケケ。早く、早くこの手に欲しい。ウケケッ、待ちきれんのよお」
「アルベさん。気を悪くしないでくれ。爺さんさっきから、ずっとこの調子なんだ」非津は肩をすくめて困った笑いを見せた。だが彼の意識は有辺よりも十条の方に向いていた。
「あら、これだけ? ずいぶんと仰々しい部屋を使ってるのね」
全員の視線がたった今忍び込んできた女に向いた。
底片ヘレナを名乗る女は立ったままの瓦鷺、非津をよそにスタスタと歩いて皆と距離を置いた位置に悠々と座った。
会議室には今までよりもさらに澱んだ空気があふれた。
「イワンの顔を見た……」十条は頭に拳を当てて、静かにつぶやき歯をかみしめた。
「あらそう。奇麗なもんだったでしょ。……、プっ。ほほ、ひょっとして死体を見るのは初めてだった? 十俊英ともあろう者が?」笑いをこらえながら、拳を震わせる十条を下目に見た。
「ヘレナァァ。いい加減にしろよ」十条は怨嗟の顔を向けた。慌ててそれを制したのは非津だった。
「ヘレナ。いくら何でも、あれは早すぎだ。説得の余地は十分にあったはずだ!」非津もさすがに語気に力を入れずにはいられない。
「それが無理だったから早々に始末したのよ。あなた達の心配の種を除いたのに。心外よ」
「お前、この任務を何だと思っている」十条は一旦殺意を飲み込んだ。
「あなたも、ヒッツさんも分からない人ね。あれが私の役割。だからここにいるのよ」女は足を組み、自分のネイルを撫でながら謎めいたことを口にした。
「ん? んグッ、アルベ。お前さんか、こいつを呼んだのは」
「知らんな」答えながら有辺はドアの方を向いた。開きっパなしのドアの先は暗闇の廊下、そこをゆっくり進んでくる昔馴染みの存在をいち早く察していたのだった。
バン!
クローザーにより開閉速度が調整されているはずだが、勢いよくドアが閉まった。
会議室の奥で一つだけ背を向けていた椅子がある。それが突然180度回転して五人の方を向いた。
座っていた底片と十条が立ち上がった。
椅子には首のない木製の人型模型に白のスーツが着せられていた。それがゆっくりと立ち上がる。
そして天井から粘液が滴るように何かが、ぬるっと、人体模型に向けて下りてきた。首に乗る。
イトマキエイ型のぬいぐるみだ。影にまぎれる黒色だが、たった今、スーツ同じ白色に変色した。
上手い形で人体模型の首の部分を担っており、そのひし形の体を折りたたんで横に出っ張ってはいるが体表でフラットな頭部を再現する。イトマキエイの尾は鈴緒状になっていて髪を後ろに束ねているように見える。
正面を向いた体表には目の紋様が浮き出て見る人間を威嚇した。
恐ろしく、不気味な、まさに異様だった。木でできたその腕は自然に動いて机の上に置かれた。
「揃っていますね。選ばれし子たちよ……。全てはグレートラハトハ様の意のままに」
老いた女性の声だ。高い声。しかし、低く響き人を震わせるものがあり一言、言葉を発すると異様でしかない見た目の中から威厳が現れる。
有辺含めて全員が立ち上がり、今イトマキエイが口にした文句を復唱した。
全てはグレートラハトハ様の意のままに。
会議室内の澱んだ空気がこの時だけはまっすぐに引き締まっていた。
イトマキエイの乗る人体模型が座るのを待ち、全員が席についた。
そして再び会議室には老いた女性の声が響く。
「サリィは私が呼びました」
ふ、と底片がその言葉に安心して息を吐き出した。イトマキエイが来るまで組んでいた足は解いている。
大半のものはそこで一つの疑問が出てくる。
「サリィ?」非津が訳も分からずつぶやいた。
「身内びいきかな。反隋よ……」有辺は葉巻の先を赤く光らせる。
「アルベ、あなたから説明してはくれませんか?」目の模様はどういう仕組みか有辺に向いて動いた。やはり向けられるだけで威圧感がある。
「……。ふん、いいだろう」有辺は目を閉じて、煙を吐き出した。
「まず、こいつは底片経麗奈で戸籍を偽装しているが本当のところは違う。そこの反隋の養娘で、反隋砂理という」
「なっ!」
「……」
非津と十条は驚き戸惑ったが瓦鷺のほうはどうでもよさそうに成り行きを見守っていた。
「先日グレートラハトハ様に認められ、土岐を引き継いだ。よって、これからは内部監視の砂里となり、我ら、スモーマフラー十俊英に名を連ねる」
有辺が話した後、誰も言葉を発してはいない。しかし、会議室は様々な感情で沸き立ち、にわかに騒がしくなった。
……。スモーマフラー十俊英は謎のトップ、グレートラハトハに認められた十人から成る。
役職とは別の独自行動と判断、莫大な報酬が約束される特殊任務への参加という、大きな権限が付与されるトップ集団である。
呼び名の先頭にはそれぞれの得意技が冠せられている。何の得意技かは言わずもがな。
威力BtoBの有辺
車検水増し請求の暫穴
創作演出の非津
闇産業医の瓦鷺
保険請求の十条
下請け恐喝の競場
板金の結鬼(最近ではゴルフボールの結鬼とも呼ばれている)
除草剤の烈弩
そしてそれらを束ねる、闇特選中古車の反隋。
そのうち、競場、結鬼、烈弩は特殊任務でサハラに赴き不在。暫穴は本日インフルエンザで欠席。
十人目であった土岐が高齢で引退したため、後釜を全国のスペシャリストたちが争っていた状況であった。それが今終結したわけである。
「……。内部のスペシャリストおよび十俊英ですらも監視対象。必要であれば粛清を行う……。それがこれからの私の役目です。内部監視のサリィ。どうぞよしなに、皆さま」目を閉じて砂里は微笑んだ。
「フン、グッ、ワシらとしてもいいんじゃあないか。反隋の秘蔵っ子ということなら。今までの、ん、実績もあることだし」瓦鷺はそう言った。つまらなそうな態度は変えずに通り一遍な意見を言うから周りは反応に困る。
「しかし、納得しかねることもある……」言いながら非津は十条の方を気にした。十条は大いに砂里をにらんでいた。
「殺しだけが取り柄のお前が、あの土岐さんの後を継ぐだと……」やはりというか、十条は非津の言葉に割って入り、砂里につっかかった。
「ふふ。否定はしないわ。あなたの見立てではそうなのでしょうね」
「諍いは結構」十条と砂理にぴしゃりと割って入ったのは反隋だった。声色は穏やかであるのに誰の主張も遮る勢いがある。
「ですが、グレートラハトハの意志は絶対であり、事実は変わりません。十条、ヒッツ、反論が出る余地のないことは、十俊英であるあなた達が良く分かっているはずですよ」
十条、非津ともに反隋の言葉を聞くや否や黙って頭を下げた。しかし……。
「一度お聞きしておきたかった……」冷や汗を浮かべながら非津は反隋の眼にむかって言った。
「発言を許します」
有辺が察して動きかけたが先に反隋の言葉が走る。
「グレートラハトハ様は息災で、いらっしゃいましたか?」
「無論……」
「い……、いつ、会われましたかな。……、どのような、姿だったか?」
「ヒッツ、踏み込みすぎだ」有辺が警告を発する。
若い、と非津の発言を聞いて瓦鷺はほくそ笑んだ。だが、一番興味があるのは瓦鷺自身なのだ。わざと止めるべきか、泳がせるべきかと周りの顔色を見ながら花占いの様に出方をうかがっていた。
「ヒッツ、十俊英の身でその疑問を口にできると本当に思っていますか」反隋の言葉は重かった。比喩ではなく非津の肩には反隋から発せられる一種の圧のようなものが乗っかっていた。
「ラハトハ様への気持ちに変わりは、ありません……。ですが……、……。少々自分が信じられなくなっているのかもしれません」頭を下げながら懺悔に近い文句を発した。すでに降格も放逐も覚悟をしている。
だが非津自身の予想に反して反隋からくる圧が解けた……。
「……。あの方は、正体がばれることを好まない。ですが申しておきましょう。……、先月です、あの方は青年の姿でした。そしてとあるピット内で会ってお言葉を賜りました」
「……。そうでしたか。慶賀の至り。この非津。未だ弱輩の身なれど、それを聞き、ラハトハ様のため末期まで身を粉にして尽くす所存です」
誰しも冷や汗をかいていた。そして誰しも二人の間に口を挟まない。
各人思惑はあれど、会議室内は一旦静かになった。
「ヒッツ。お前の気持ち、いずれラハトハ様に伝わります。され、十条。状況を簡潔に教えてください」あくまで静かに反隋は話をふる。
「はい、順調です。無事、保険請求と示談金の回収にこぎつけそうです」
「回収できる見込み額は」
「一億です」
反隋の背に浮かぶ紋様に変化はない。大きく見開いた目の紋様は十条の方を向いていた。
「最高のモデルケースになりそうです」非津は額の汗を拭きノートパソコンで自分の資料を確認し始めた。
「今季、来季の見込みは出ていますか」反隋の目の紋様が今度は非津を向いた。
「各支店に横展開が終わり今期は50億、来年度は200億の見込みです」ほくそ笑みながら非津はそう言い放った。
「結構……」
「十条よ。向こうがあまりにも渋るようなら俺を呼べ。一分でカタをつける」有辺は鼻から紫煙を出しながら不敵に笑った。
「ング、相変わらず荒っぽいのお」
「ふん。目込みがその通りになることなどそうそうないから毎度出張る羽目になる。なにせ見通しの甘い連中ばかりだからな」
「それは、恐縮ではあります。ですが有辺さんに助力を乞うことになリませんよ」
「ん。そうじゃな十条。グッ、細工は流々、仕上げを御覧じろというやつじゃ」
有辺は瓦鷺の飄々とした言葉を流石に聞き流せなかった。葉巻の先が赤熱する。
「流々では困る。その細工の肝心の部分……。貴公の仕事だろう」
***
スモーマフラー姉古川店、深夜のピット内……。
「瓦鷺……」ノブ子はゲリウスから聞いた名前をジェイミーに告げた。
「それが、ゲリウスを強制的に妊娠させた犯人なんだね」ジェイミーは身震いしたくなる気持ちを抑えて言葉を落ち着けた。
「あの車のお医者さんでしゅ」
「悪の医者だったでしゅ」
コアラーは意外と江戸っ子で、おしゃべりで、ギャル語がちょっと通じた。そしてメルザがいちいち聞く必要なく、堰を切ったように、自分がピット内で体験したこと、ゲリウスに起こった悲劇について語ってくれた。
そしてゲリウスについてはメルザはじめ、ジェイミーとノブ子の尽力が功を奏した。
ギャル語は車と正確なコミュニケーションが取れるわけではないが、動物の鳴き声よりはメッセージとしての質は担保されていた。
特にアルファベットで構成された用語、MM(マジムカツク)やTBS(テンションバリサガリ)はある程度そのままに意味が通じて他も別の意味で通じているようだった。そして肯定の意を伝える音はパかピのクラクション音だった。それは双子がホースよろし、どこからか見つけてきたエアホーンで伝えることができた。
適当にだがやり取りをしているうちに、ゲリウスの方が、ぬいぐるみたちが何を必死に知りたがっているかを察するに至る。
そして恐る恐るとピットに入ってきたコアラーに最初は強い拒絶の言葉を投げながらも、次第に泣き崩れるように、夫や子がいるということは事実があるにかかわらず、実験と称して体を瓦鷺にいじられ、チャイルドを仕込まれたことを語った。もちろん十条、非津、底片、瓦鷺、全員がグルであることもだ。
コアラーとの関係は、ピット内で隣通しになることが多く、お話をする程度の仲だという。ただ、コアラーの態度から、とてもではないが何もないとも言い切れないとジェイミーは疑った。まあ、その辺はノブ子やメルザの方が、カンが働くのだろうがあえて今は無視だ。
ジェイミーの後ろで断続的に震える低いエンジン音が聞こえた。
振り向くとコアラーが静かな怒りを燃やしていた……。
***
再びここはスモーマフラー本社地下会議室。
当の瓦鷺は有辺の小言を意にも介さずつまらなさそうにふんぞり返っていた。
「ング、しかし、年間200億程度か。わしまで出張ったんじゃよ。十俊英が一つの任務で四人動いた。ツッ、釣り合いが取れとるとはおもわんのお」
「それだけじゃないでしょ。車の妊娠について保険整備はどんどん進んでる。他の会社も巻き込めれば200億といわず倍以上見込めるわよ」砂理は瓦鷺にそう指摘をした。
「確かにな。ガッ、だが、規模を大きくするのであれば診断をする車医学に精通した人間を増やせよ。ク、わしは黒河馬の解体で今後手いっぱいになるからな」
「それはあんたが用意しなさいよ」
「何じゃ、言うようになったの」
「よろしい。次回までに4人は10年単位で計画を練りなさい。アルベ、黒河馬は?」反隋は淡々と進める。
「セルバから報告は得ている。サハラで新たな傭兵団を組織したそうだ。今、連中の隠れ家を突き止めている最中だ」
「引き続きザンケツをバックアップに待機させなさい。定時連絡が来なくなった時点で……」
「分かっている。証拠隠滅に俺が動く」有辺の眼が鈍く光った。
そのまま大きな口論などもなく、会議は終了した。
……。
会議後残っていたのは十条と非津だった。
「肝が冷えたな」立ちすくみながら非津がつぶやく。
「肝が冷えたどころではない! お前、何をそこまで必死になっている?」語気の強さは十条の今出せるありったけの怒りと安堵だった。
「ならお前は今まで何の疑いもなくラハトハ様のことを信じて手を汚してきたのか?」
問いに十条は目を泳がせた。椅子から立ち上がり帰る準備をしていたのだが、再び観念したように座った。
「……。……」
「……。……」
二人は黙りこくりながらお互いに初めてラハトハに会った時のことを思い出した。
「ヒッツ、お前がかつて会ったラハトハ様は少年の姿だったのだな」
「精悍な少年だったよ、日本人ではない。おそらくロシア系……。目は青、いや、海の色だった」
十条は思い出すも反吐の出る己の過去の、唯一とも言うべき明るい部分で立ち止まった。
幼くして身寄りの無くなった十条は、児童養護施設の中でもなかなか友達ができなかった。
中学生になり施設内でも年長に位置する立場になった時に一人の男児に出会った。3歳か4歳か……、年齢はよく覚えていない。
男の子はコバルトブルーの目で十条をじっと見つめていた。声も欲求も何も発さないその子に十条は何故か全てを話した。
両親の離婚、保険外交員だった母親の自殺。小学校時代のいじめ体験。顔を見るのも嫌な施設の女性職員。河原で殺してしまった老犬の話。
すべて掘り返して十条はその年にして自分の経験してきたことが悪夢として連なるごとに一種の清爽を帯びてくることに気付いた。
己への憐みからは決して生まれない感覚。
瞬きのない幼子の瞳が十条の存在をただ肯定していた。
男の子は一週間で里親に引き取られていった。タクシーに乗るその子を十条は手すらもふらずに無言で見送った。
神託は十五年後に訪れた。突然、その男の子の靄のかかる顔が、当時の思い出が、度々ちらつくようになった。それが一週間続き、十条は自死にすら至りかねない強烈な寂寥の感に襲われた。
そして意識の朦朧とした中での、この地下室への招聘。
反隋から十俊英への選出とラハトハ様の存在を知らされた時に、心の覚醒を感じすぐにその存在を肯定した。すでに過去に出会っていたこと、見続けていてくれたことを悟ったのだ。
十条はそれを思い出したうえで、今まで言うにはばかっていた自分の妄想を口にすることを決めた。
「……。俺は実は、イワンの奴がラハトハ様ではないかと思っていた。ありえなかったがな……」たまっていた息とともに十条は吐き出した。事前に盗聴器も監視カメラもないことを確認しているあたり、多少は用心深い。
「根拠は?」
「ない……。いや……、似ていたのだ。俺がかつて会ったラハトハ様、と……」
「くく、ヘレ……、サリィは恋人であり我らの主を自ら葬ったことになるが? とんでもない話だ」
「だからありえないといっただろう」
「まあ、完全にゼロではない話だ。反隋様のお子とはいえ、新顔のサリィが十俊英に急に選ばれたことは異例中の異例だからな」
「もういい。止めてくれ。それより今は俺たちだけで任務を完遂する方が先だ」
「俺たち……。サリィはどうする気だ」
「どのみち奴の仕事はもうない。あいつに連絡することはないさ」
「十条。お前らしくないぞ。だいたい、あの晴御とかいうやつが誰かに相談して探偵とかを雇う可能性もある。確実性を考えるなら……」
「確実性を考えるならサリィにケツをもってもらえと?! どう考えてもその必要はない」
拳を額に当てる十条をみながら非津は深く息を吐き出した。
「ふう。ひとまず外の空気を吸おう。何だったらお前少し寝た方がいい」
深夜に関わらず十条の電話の着信音が聞こえてきて非津は落胆した。この男には休むことすら許されそうにないのか。
「ああ、何だ。……、……。待て、落ち着け。どういうことなんだそれは!? ……、保管していたのだろう! ああ、間違いだろうそれは! ……、……。分かった、すぐ向かおう……、そのまま待っていろ!」
電話を切った後、十条は脱力して宙を見上げていた。
「どうした?」
非津が問うと、十条は急に笑い出した後、歯を鳴らして顔を青ざめた。
「おい、どうしたんだ! 十条」
「はは、イワンの遺体が消えただとよ。何を言っているんだか……」
今にも気を失いそうな十条の顔を見ながら非津は、どこか自分にこの事態を安心するところがあることに気付いた。
***
そして話は再びジェイミー達が忍び込んでいるスモーマフラー姉古川点ピット内に戻る。
「恐ろしいでしゅ」
「ここは悪の組織だったでしゅ」
全ては仕組まれたことだった。ゲリウスの話からスモーマフラーの幹部連中が企む車両の強制妊娠計画を知り、双子はお互い身を寄せ合って泣き出した。
「二人とも落ち着いて。怖いけど頑張ろう!これは、もう引けないところまで来てる」
「そうね。どうせこの様子はカメラに撮られてる。一か八かよ」ノブ子もジェイミーも顔色を悪くしながらも目に力
を入れた。
「うん。巨悪を暴こう! 証拠を集める。まずはこのピットからだ」
「HSI、HSI? H。S。I」
メルザはゲリウスに触れながら突然真剣な顔でつぶやき続けた。
イィィィィィン、イィィ、コオオォォォー!
ウォン、オン! オォォォォォォン!
突然二台が錯乱しだした。コアラーに至ってはピット内にタイヤ痕を残して後ずさりをしだした。
「メルザさん? 一体……?」
ジェイミーの問いにメルザの眼はすわっていた。
「巨悪を暴く? メルザはそんなんどうでもいいし」
(次回に続く……)
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