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悪女

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 ──イリーティア・ロン・ティンゼルには持論がある。

(貧乏になるくらいなら死んだ方がマシ)

 貧乏。
 それは、イリーティアが最も嫌いな言葉である。

 ティンゼル家は、とても裕福とは言い難い家柄だった。
 
 貧乏は何もかも我慢しなければならない。
 貧乏というだけで嘲笑の的にされる。

 とりわけイリーティアの性格を捻じ曲げる要因となったのは、両親の存在だ。
 
 イリーティアの母はもともと聡明な女性だった。だがイリーティアの父が投資話に失敗し、目に見えて財政難になったところでヒステリーを起こすようになってしまった。だが父は、そんな母のヒステリーに見てみぬフリを決め込み、酒と賭博と風俗にのめり込むようになった。

 借金まみれになり風俗に行けなくなった父は、今度は物心つくようになったイリーティアに目をつけた。

 イリーティアはどんどん美しくなっていった。
 やや吊り目がちではあるものの、真紅スカーレットカラーの瞳は大きく、長い金髪を艶やかなお人形さんのようだともっぱらの評判。

 父から性的な視線を感じるようになったイリーティアは、内心で毒舌を吐きながらも我慢していた。うんざりだった。父もそうだし、母もそう。とにかく『ティンゼル』という名前を捨てて、一刻も早く家から抜け出したかった。

 だが十二歳を超えたあたりで体を触られるようになり、父の顔に平手打ちをお見舞いした。
 殴られるなどの暴行を受けたが、騒ぎを聞きつけた大人達が父を取り押さえ、イリーティアは父と離れて暮らすようになった。

 父と離婚して母のヒステリーは収まったが、イリーティアのモヤモヤ感は収まらなかった。

(貧乏になったからよ。貧乏でさえなければ、すべて上手くいく……)

 母がヒステリーを起こしたのも、父が酒と風俗にのめり込んだのも。

 すべて貧乏のせい。

 イリーティアの悲願は、その瞬間に決まった。

 ──人格的に優れた高位貴族の男性のもとへ嫁ぎ、最高の貴族生活を謳歌すること。

(目指すはヴィニリアント魔法学園への編入。あそこは精霊王の血族も通う全寮制の超名門学園。格式高い貴族たちが教養を高める場所……わたくしの殿方を見つけるにはうってつけの場所よ)

 ヒトはそもそも、精霊王から魔法を教わったとされている。
 魔法を極めた者は魔法使いと呼ばれ、崇められる。魔法の才能があるほど精霊に愛されているといわれ、どの時代でも特別視されてきた。

 ヴィニリアント魔法学園は、魔法使いを一箇所に集め、守り、育成する教育機関だ。下級貴族から王族まで通う、唯一の王立学園。

 イリーティアには学問の才能があった。
 家庭教師などつけなくとも、独学で受験問題をマスターできるほど地頭がよかった。

 だが。

(なんで……どうして……どうしてどうしてどうして!! どうしてわたくしには魔法が使えないの!?)

 魔法の才能は露ほどにもなかった。
 たとえば魔法学園に通う初等部の入学試験に課される火属性の魔法。
 こぶし大ほどの火の玉でも出せれば合格なのに、高等部に編入予定のイリーティアはこぶしサイズどころか火すら出す事ができない。

 いいや、火属性だけではない。

 水、風、火、土の基本四属性のどれも扱うことができなかった。どれだけ練習しでも、どれだけ魔法書を読み込んでも、才能開花を謳う怪しげな占い師のもとへ通い詰めても、全く、これっぽっちも、魔法が使えない。

 独学を諦め、魔法の先生に教えを請っても、失笑されてしまう始末。

(精霊に愛されてないってこと? 魔法が使えないってだけで、どうしてそんな目で見てくるのよ……!)

 イリーティアは考え方を変えた。
 大事なのは編入試験を合格し、誉れある魔法学園の生徒になり、優れた男に寵愛を受けることだ。
 立派な魔法使いを目指しているわけではない。

 そこでイリーティアは、替え玉を用意した。
 魔法の才能がなくても、知識と材料があれば作成できる魔法薬を使い、替え玉には自分そっくりな姿に化けてもらった。結果は大成功。イリーティアは無事に編入試験に合格し、晴れて魔法学園の生徒となった。

 イリーティアは、己の容姿が周りの生徒に比べても優れている事に気付いていた。
 編入してすぐ、美しい容姿でころっと騙されてくれる都合のいい取り巻きを集め、「編入直後」というハンデを乗り越えた。

 だが、それでもなかなか、イリーティアのお眼鏡にかなう男は現れなかった。

(同級生はダメね……)

 誰も彼も下流貴族。大した実力もないくせに、こちらが下級貴族出身と知った途端に偉ぶる男ばかり。一度伯爵家の嫡男にアプローチされたこともあったが「貴女は美しいから俺の愛人にしてやってもいい」と言われたので、笑顔でお断りした。

 安い女だと思われるのが一番頭にクる。

 容姿を磨く事にも時間と金と努力を惜しんだつもりはない。魔法の才能はないが、頭の良さと容姿端麗さは天からの賜物だ。それを「愛人」などという代替可能な低価格品と同じ扱いされたのだから、むしろ殴らなかった事を褒めてほしいくらいだ。

 そこで、 ターゲットを侯爵家以上の男にしぼった。数ある爵位のなかでも侯爵以上ならば教育も行き届いており、金持ちで人格者だろうと踏んでの事だ。

(年下は論外だし……、年上を狙うべきだわ)

 その日、学園で月に一度行われる社交パーティが開かれた。
 学年の隔たりを越えて交流を深め合うことが目的で、学園の生徒なら誰でも参加可能。婚約者が決まっていない貴族令嬢令息は、よりよい相手と出会うためにパーティに参加する。上級生と接する絶好の機会なので、当然のようにイリーティアも参加していた。

(……どいつもこいつも下心見え見え。顔もぱっとしないし、下品な男ばっかり……)

 今日はもう収穫はなさそうだと思って、会場を去ろうと思った時だった。
 割れんばかりの拍手と歓声が響き渡り、螺旋階段から悠然とした足取りで男が降りてきたのだ。

「王太子殿下よ……!」
「なんて美しい人なの……!」

 この世界では、人間に魔法を授けたといわれるのが精霊王で、その子孫たちが国家を築いている。ルキアルゼン王太子は精霊王の直系子孫で、学園に通う生徒の一人。

 イリーティアにとっては一学年上の先輩だ。
 王太子として隣国との外交や多忙ゆえにほとんどの授業を欠席していて、滅多に姿を現さないというレアな人物。

 学術試験では満点以外取ったことがないという。魔法実技の成績も学年トップの座をキープして、まさに隙のない『王子様』だった。

(あれが、王族。……王位継承権第一位、誰もが魅了されるルキアルゼン第一王子……)

 彼をひとめ見て。
 電撃が走ったような感覚が、背中をビリビリと這っていた。

 自分がいるべき場所はあの美しい男の隣だと。あの男こそ、生涯をかけて自分が尽くすのに相応しいと、そう直感して。

(あれが欲しい)

 悪女《イリーティア》は、王太子に一目惚れした。



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