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第二話:贈り物 - ①

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 一週間後、クララはイヴァンの寝室の前を行ったり来たりしていた。

「ここで寝るのがさも当然という顔をして入るのよ……夫婦なんだから、そういうものだっていう顔をしていれば……」

 ここ数日一緒に過ごしている間、イヴァンは今までのようにクララを避けずに、きちんと目を合わせて会話をしてくれている。向かい合って食事をするのも当たり前になった。

 記憶を失ってからの会話量は、ここ半年での会話の総量を超えている。しかしクララは今までも二人はこうして一緒に過ごしてきたし、特別なことはしていないという態度を装っている。

 過去何度無視されようと、夫を観察し、集めた情報を駆使して、自分たちはずっと仲の良い夫婦だったと思い込ませようと試みているところだ。
 彼は随分気を許してくれているように見える。

 今こそ、父の期待に応え、屋敷内での地位を回復するために動くときだと思えた。

「仲良し夫婦でも、さすがにノックくらいはするわよね」

 クララの両親も寝室が別なので、クララは夫婦がどのようにして同じベッドで眠り、責任を果たすのか分からない。

(大丈夫、大丈夫。半年間ずっと無視されてきたんだから、今より悪くなりようがないわよ)

 クララが意を決して扉に手を伸ばすと、ノックの音がする前に扉が開いた。

「きゃっ! こ、こんばんは、イヴァン様」
「君か……何か?」

 イヴァンの顔には戸惑いが滲んでいる。

――用事がないと夫の寝室を訪れたらいけませんか。

 クララの口からは言葉が出なかった。それよりも真っ暗な部屋の向こうに広がる星空のような風景に釘付けになる。

「これはなんですか?!」
「暇つぶしだ」
「暇つぶし?」
「空気中の魔法粒子を分離させて、別のものとくっつけると、発光する組み合わせがあるんだ。分離させて、くっつけることを繰り返して暇を潰してる」
「そんなことできるんですか? 中に入って見てもいいですか?」
「……ああ」

 クララが足を踏み入れると、浮遊する魔法粒子がクララの魔力で揺れ、近づいてきたり離れたりする。クララはイヴァンの様子を見ながら、彼のベッドに腰掛けた。顔はよく見えないが拒否する雰囲気はない。

「綺麗です」

 手を伸ばして光に触れると、分散して消えてしまった。

「あら」

 イヴァンが指先を動かすと、クララの周りに、また光の粒が集まった。

「よく見ると色が違うのね」
「そうだな。組み合わせる魔法粒子によってわずかに色が変わる。人間が識別できるほどの色の違いが発生するのは魔法粒子のaa1からb32まで。それ以降は色としては白に見える。色は光の通しやすさを反映するが、それが魔力の影響度と相関しているのがa0からc2までで、この関連は魔法の視認しやすさにも影響している」
「それは学校で習ったかもしれません」
「アカデミーでは魔法の視認性について魔法陣展開時の魔法粒子の集合密度として説明しているが、最近の発見では少し違う」
「そうなんですか?」
「ああ、密度ではなく……」

 クララが相槌を打つと、イヴァンの講義が続く。
 暗がりで淡々とした低い声を聞いていると、ここへ入るときの緊張していた気持ちが和らいでくる。

 イヴァンの講義の声が止んだ。
 彼が静かな青い瞳をクララに向けると、ベッドサイドに近づいた。

「……!」

 思わずクララが身構えると、イヴァンはそのままクララの横を通り過ぎて、ベッドサイドの魔導ランプをつけた。
 そして部屋の反対側にある本棚から数冊の本を取ってきて、サイドテーブルに置いた。

「魔法粒子学に興味があるならまずこの三冊を読むといい。もう少し詳しく知りたければ、分野を教えてくれれば書籍や論文を用意する」
「……ありがとうございます。勉強させていただきますわ。でも、わたしには少し難しすぎるのでは」
「読んでみて不明な点があれば、私に聞けばいい」
「イヴァン様の講義を独り占めできるなんて贅沢していいのかしら! ありがとうございます」

 クララは作り笑いを浮かべてベッドから立ち上がり、本を手に取った。

(ネグリジェで寝室に来たのに、勉強って……! 失礼だわ!)

 むすっとした顔をイヴァンに見せないよう、目を合わせずにそのまま部屋を出ることにした。

 扉を出た先にいるメイド2名と目が合った。夫の寝室から、本を手にしてすぐ出てきたクララを見て、気の毒そうな顔をして立ち去る。

(またお父様に報告が入りそうね)

 クララの口からは思わずため息が漏れた。

 イヴァンとの結婚は研究所との関係作りも目的だが、父は本気でクララの”幸せ”を願ってこの結婚を実現させてくれたことを知っている。社会的な地位のある男性と結婚し、子供を産んで、クララの母のようにいい母親になることを願っている。

 手元にある本を開いて、パラパラとめくる。分厚くはないが、専門用語が並んだとっつきにくい本だ。

「もう! どうせ暇だし、読んでやるわよ」

 クララは本を閉じて、自分の部屋に早足で戻った。
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