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17. 騎士団長の娘

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ニーフェ公領に行くのはおよそ半年後に決まった。公爵家側の受け入れ準備もさることながら、王都でテオドールの後任も育てなければならないからだ。

テオドールは自分の通常の仕事に加えて、引き継ぎと異動先の仕事の準備でものすごく忙しそうだけれど、なぜか以前よりも早く帰宅することが増えた。
食事をしてから城に戻ることもあって、不便だと思う。城でのことがあったから私に気を遣って一人にならないようにしてくれているようだ。そんな気遣いはいらないと伝えたけれど、本人は帰りたいから帰っているだけだと言って取り合ってくれない。

アーノルドの手助けで、私にお茶を淹れてくれたメイドの特定はできた。しかし、彼女は人に頼まれてお茶を運んだだけだった。それを依頼した人間を辿っても辿っても、人に言われただけ、という答えが出てきて、結局私を気絶させた目的も犯人も分からなかったらしい。

(コーネリアスが来てくれなかったらどうなっていたんだろう)

コーネリアス本人のことは怖いし受け入れられないけれど、この件に関してはお礼を言わなければと思った。

「エリーナ」
「はい」

夕飯を食べながら、テオドールが1通の手紙を出した。

「ギルベルト様から手紙が来た。今度別の孤児院に行くから一緒にどうかって」
「……!」

毎日庭仕事のちょっとしたお手伝いと魔法の練習くらいしかやることのない私にとっては、嬉しいニュースだ。ただ、今のテオドールを自分の興味で連れ回すのは気が引けた。そして、今一人で出かける勇気もない。

「申し訳ないけど、今回は遠慮させて欲しいと返事を出してくれる?」
「いいのか?」
「うん」
「俺に遠慮してるだろ。たまにはちゃんと休みくらい取れるよ」

たまのちゃんとした休みこそ自分のために使って欲しい。私は首を横に振った。

「また頑固になってる。……そうだ、なぁエリーナ、この前のこともあるし、あんたに一人ちゃんとした侍女を雇おうと思ってるんだ」
「侍女?」

エリーナの侍女と言えば、外聞のために名前を借りている貴族の娘が三人くらいいるはずだ。一度も顔を見たことがない。
今まで貴族の娘は何人もエリーナに仕えているけれど、全員嫌がらせをされて城を追い出されている。もはや候補者はいないはずだ。

「それは、誰を?」

テオドールが必要だと言ってくれるなら話は聞こうと思って続きを促す。

「マリア・サンドラ前子爵夫人だ。アーノルド騎士団長の娘だよ」
「え?」
「子爵領はニーフェ公領内にあるから土地勘もあるし、本人は快く受けると言ってるらしい。あんたがマリアに慣れるように、まずは先に王都に来てくれる」
「ご結婚されてるのに、そんなに遠くからこっちに来てもらうの?」
「子爵は高齢で数年前に亡くなってるんだ。領地は前妻の子が……ちなみに騎士団長より年上だ……とにかくその息子たちが見てるから、マリアは手が空いてるらしい。騎士団長のところにおもしろい仕事がないか相談が来てたから、オファーしてみたって、事後報告された。だからあんたにも事後報告だ。悪いな」
「ううん」

自分の父親よりも高齢の息子がいる、遠い領地の主のところに嫁いでいた公爵家の女性。いったいどんな人なのだろうかとエリーナの記憶を辿ってみるけれど、名前も顔も覚えがない。エリーナは人の顔と名前を全然覚えてない。

「あの、私にはすごくありがたいお話だけど、私に仕えるのはその方の名誉が傷つかない?根も葉もある噂が色々あるし……過去に勤めていた方は全員私がいじめて追い出してるんだよ」

エリーナは、わがままで身持ちが悪く、侍女やメイドをいじめ倒して退職に追い込む王女だった。今や侍女を務めてくれる女性が見つからない状態なのに、そんなところに公爵家に関係する娘を送り込んでいいのだろうか。

「マリアはそういうの気にしないから大丈夫だ。あんたのその性格じゃ侍女をいびって追い出すなんて無理だろ。どうやるんだよ」
「……もうしてません」
「知ってる。記憶喪失になる前だろ?別人みたいなものなんだからいちいち気にするな」

全員がテオドールのように過去の私と今の私を切り離して考えてくれるわけではないだろう。エリーナが行ったことも、それで誰かを傷つけてきたことも、全てが現実だ。

「でも……」
「正式な返事は本人に会ってからエリーナが決めるって言った。勝手にこんな話を進められても困るよな、ほんと。マリアも騎士団長に似てるから……まぁ、よっぽど相性が悪くなければ受けてやってくれ。多分本人はもうその気でいるから」
「分かった。そしたら、孤児院に行く日に一緒に着いてきてもらうことはできるかな。早めに私と一緒にいても面白いことはないって知ってもらった方がいいかも……」
「知らない人間と一緒で大丈夫か?」
「騎士団長の娘さんなら」
「……分かった」

テオドールは頷いた。不安がないわけではないけれど、孤児院には興味があるし、これならテオドールに迷惑をかけずに済む。

「騎士団長には会ったばっかりだろ。なんでそんなに信頼できるんだ」
「え?」

そんなの、テオドールが信頼しているから、というのが答えだ。

「お話ししてみて、良い人だったから……」
「ふぅん」

正直に言いづらくて誤魔化すと、テオドールはあまり面白くなさそうだった。もしかして、アーノルドが私に手をかけていることを妬いているのだろうか。

長年の二人の信頼関係と、私とアーノルドの関係なんて比べる価値もないのに。

(本当に騎士団長のこと慕ってるんだな)

アーノルドのことになると、とたんに少し幼くなるのが可愛いと思う。

「騎士団長はテオの心配事を減らすために考えてくれたんじゃないかな」
「……は?あんた、あの人のことを良く評価しすぎだよ。絶対そこまで考えてない。いつも適当で直感で動くんだ」

テオドールは過去の話を持ち出してアーノルドについて文句を言い始めた。文句は言うけど、一緒に働くことを誇りに思っていることが伝わってくる。

(きっとすごく寂しいよね。半年なんてあっという間だよ)

親子として絆が深くなっても、物理的に離れることは変わらない。騎士団長に似ているという娘が一緒にニーフェ公領に来てくれるなら、少しはその寂しさが紛れるかもしれない。

(どんな方か分からないけど、一緒に来てもらえるといいな)

子爵領から王都までは急いでも10日ほどかかると言う。ただ、マリアは実はもう出発していて5日後には王都に到着することが判明し、ギルベルトには5日後以降で約束したいと返事を出してもらった。



テオドールの出仕は朝が早いため、それに合わせてマリアと顔を合わせるのも朝になった。
エリーナの記憶にある侍女は、メイドよりは華やかで、エリーナよりは控えめなドレスに身を包み、エリーナの話し相手になる女性たちだった。
その大人しそうな女性たちと、アーノルドに似ているという女性の姿があまり一致せず、どんな方なのだろうかと想像もできないまま本人を待った。

到着は、馬車ではなく馬一頭のみだった。自分で騎乗している上、ドレスではなく乗馬服のような、ブーツに細身のパンツと、白いシャツ、黒いロングコートを着ている。
アーノルドと似ていると思ったのは真っ赤な髪の色だけだ。それを後ろでポニーテールにまとめている。
軽やかな動作で馬を降り、美しい所作でお辞儀をした。

「マリア・サンドラでございます」

私は慌ててカーテシーで答えた。エリーナはあまり公式なパーティに出ないので、正式なお辞儀をすることは国王や王妃の前に出るときだけだ。なんとか反射でできる程度に身体が覚えていてくれて助かった。

「エリーナです」

マリアが微笑む。笑い方は、失礼だけれどアーノルドより上品で、やはりそんなに似ていると思わなかった。

「兄様も久しぶりですね」
「まだ手続きが終わってない。からかうなよ」
「もう終わったも同然でしょ。なんでそんなに頭が固いんです?」
「うるさいな。朝から悪いが、俺は仕事だからエリーナのこと頼んだ。今日は王弟のギルベルト様とシュンベル孤児院に行く約束だ」
「ギルベルト様と?それは名誉なことだ。承知しました」

テオドールは頷くと、私に視線を向けた。

「マリアは騎士として叙勲もされてて腕も立つ。王都での佩刀許可もあるから、護衛として連れて行ってくれ。じゃあ、気を付けて」
「うん。テオも気を付けて、いってらっしゃい」

テオドールは私に微笑みかけ、髪を一房掬ってそれにキスをした。

「行ってきます」
「……!」
「仲がよろしいですね」
「いつもはこんなことしない!」

戸惑いながら髪を握りしめて、テオドールを見送る。

「じゃあ私を牽制したんだ。全く心が狭いなぁ」

マリアはふっと笑い声を上げた。顔つきも身体も間違いなく女性なのだけど、なぜかそばに居ると黄色い声を上げたくなってしまうようなかっこよさがある。

マリアは私の視線に気付いて顔を上げた。

「ドレスの方がよろしいですか?貴婦人としての教育も受けておりますからご安心ください。今日は城下町と聞いて牽制のために佩刀しておりますが、ドレス姿でも護衛は務まります」
「ううん、好きな格好で大丈夫です。とても似合っているし」

前世でファンタジーの小説や漫画に親しんできた私にとって、女騎士というのは、その肩書きだけでなんだか憧れてしまう存在だ。

「恐縮です。この後はどうします?まだ孤児院に行くのは早そうですね」
「そうですね。ええと、少し座ってお話を聞いてもいいですか?」
「もちろんです。ニーフェ公領についてお話ししましょうか」
「それも聞きたいけれど、貴女のことも知りたくて」

マリアはにこにこしたまま頷いた。

「かしこまりました。何に興味がありますか?私がどうして親より高齢の夫に嫁いだのか、とか、女なのに騎士を目指した理由とかですか。隠し事はないのでなんでもお話しできますよ」

柔らかい口調だけれど、拒絶を感じた。少し怖いと思ってしまったくらいだ。マリアは自分の話をするのがあまり好きではないのかもしれない。

「ええと……貴女の話したいことで構いません。好きな食べ物とか、好きな……なんでしょう、花とか」
「……好きな食べ物は、梨です。花はあまり興味がありません。殿下は?貴女のことも聞かせていただけますか?」
「はい」
「あそこは使っても良い場所ですか」

マリアは庭にあるガーデンテーブルを指差した。セアラにお茶を頼み、二人でそこに腰掛けることにする。

結局孤児院に出発するまでずっと話し通すことになり、私は久しぶりに声を上げて笑うことができた。マリアは話し上手で、聞き上手でもある。

ニーフェ公領についても、政治や経済の固い話から、料理、建築、伝統的な衣装や祭などの風俗のことまで、満遍なく教えてくれた。
私が子どもたちの教育に興味があることをぽろりと漏らすと、この国全体の教育制度や、子どもたちの間で流行っている童歌も紹介してくれた。

城下町に出た時にはギルベルトに礼儀正しく挨拶し、孤児院にいる間はできるだけ静かに邪魔をしないようにいてくれたようだ。子どもたちに誘われると一緒に遊んでくれて、その間にも私と目が合うとにこりと綺麗に笑ってくれる。

今日1日でマリアが賢く、頼り甲斐があり、魅力的な人であることはよく分かった。けれど、結局私が彼女自身について知ったのは、梨が好きで花には興味がないということだけだった。
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