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4. 叶わぬ恋

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勢いで部屋を飛び出し、そのまま庭を駆け抜けて外に出た。
しばらく夢中になって走っていると、足が痛くて動けなくなった。城からほとんど出なかったエリーナの靴は長く歩けるように出来ていない。

近くにあった花壇の縁に座り込む。目の前の景色に全く見覚えがなくて、帰り道が分からない。エリーナの世界はお城と屋敷の中が全てだから、城下町であっても全く知らない場所だ。

(どうやって家に帰れば……ああ、もう、本当に何もかもどうでも良くなってきた。このまま私がのたれ死んだらそれもテオドール様のせいになるのかな)

私の身に起きていることは全て私の責任です、と一筆書いて国王宛に送ろうかと思い、国王にとって真実などどうでも良かったことを思い出した。

装飾がたくさんついて歩きにくい靴を脱いで、地面に直接足をつける。地面から伝わってくる冷たさが心地よい。靴を地面に置いたら、遠くから走ってきた子どもに取られてしまった。

「あっ……」

彼らは呼び止める間も無く走り去ってしまった。これではどんくさいと言われても反論の余地がない。
本当にどうしようもなく、途方に暮れて上を見る。帰り道は分からなくて、靴はなく、知り合いもいなくて連絡手段もない。絶望的な状態なのに、なぜかあの豪華な屋敷にいる時よりも呼吸がしやすい気がした。

目を瞑って深呼吸して、気持ちが落ち着いてきた頃に通行人にじろじろ足元を見られていることに気付いた。

(しまった)

この国では、寝る時くらいしか靴を脱がない。外で裸足を晒すのは裸で歩き回るのと同じくらい恥ずべきことだ。そんなことはすっかり頭から抜け落ちていた。
いくらエリーナの身持ちが悪くても、さすがに城下町を裸足で歩いたことなどなかった。

(お父様に殺される……!)

慌ててドレスの裾を引っ張って足を隠し、何事もないように振る舞った。足を隠したことであからさまに見られることは無くなったけれど、まだちらちらとこちらを見ている人がいる。エリーナの顔が知れ渡っているせいか、若い貴族女性が一人で外にいるのが珍しいからか、理由はどちらかわからないけれど、このまま静かにここに座り続けることは出来なさそうだった。

困ったことになった。ツケ払いのような形で馬車が呼べるのか思案しはじめたころ、一人の男性が話しかけてきた。

「エリーナ……?」

はっと顔を上げると、エリーナのよく知る人物だった。たくさんの荷物をかかえた、40歳前後の男性だ。

「おじさま……!」

現王の腹違いの弟であるギルベルトは、王室では少し変わり者として扱われている。領土を部下に渡してしまい、自分は城下町にある屋敷で庶民と同じように暮らしているという。商売上手で実は国王よりも財政が豊かなどという噂も立っているくらいだけれど、その暮らしぶりは慎ましやかなものらしい。
全てが伝聞なのは、領地を返還した時点でギルベルトは王城に出入りしなくなってしまい、逆に城から出ないエリーナとは顔を合わせる機会がないからだ。

「本当にエリーナかい?驚いた!どうしたんだ」

ギルベルトは、エリーナの父とそこまで歳が変わらないとは信じられないほど溌剌としている。生まれた時から銀色の髪に、琥珀のような温かな茶色い目をしている。その瞳が親しげな光を帯び、優しく細まった。

どきり、と胸が高鳴るのはエリーナの身体だ。私はギルベルトの名前と顔が情報として分かるだけでなんの感情も抱いていないけれど、エリーナは違う。

(エリーナは、実のおじさんが好きだったの……?)

叶わない恋の逃げ道として、たくさんの男の人と関係を持つことを選んだのだろうか。そこに関しては記憶を探っても自覚がないようで、エリーナも無意識だったのかもしれない。顔を合わせるだけでこんなに胸がときめくのに、エリーナの記憶に、ギルベルトが好きだと言う言葉は残っていない。

「あの、私……その……家に、帰れなくなってしまって」
「なんだって?!どうして……そういえば、あのテオドールと結婚したんだったな。彼は人格者と聞いていたが……噂は当てにならないな。酷い扱いを受けているんだね。心配するな。私がなんとかしよう」
「え?!いいえ!違います。テオドール様は親切にしてくださってます。ただ、その、私が……」
「エリーナ、大丈夫だ。ここにはテオドールはいないよ。まるで別人みたいになってしまって可哀想に。家に帰るのは怖いだろう。城まで送ろうか、それとも、どこか別の場所に保護した方がいい?」
「いえ、あの!本当に違くて!」

このままではテオドールが悪役にされてしまう。必死になって否定し、つい裸足だったことを忘れて立ち上がると、ドレスの裾を踏んで倒れそうになった。

あ、と思った瞬間、後ろから腕を引かれ、私はギルベルトではなく別の男性の腕の中にいた。

「この人に何をしてる。第二王女だぞ、知らないの、か……?」

私の腕を引いたのはテオドールだった。ギルベルトの顔を見て目を見開き、そのまま正式な挨拶のお辞儀をする。

「ギルベルト様、大変申し訳ございません。王弟の貴方様にこのようなところで相見えるとは予想だにしておらず、大変なご無礼をいたしました。どうか私の無知をお許しください。私はテオドール・グレイソンと申します。所属は第三特別魔法騎士団、階級は団長補佐を務めております」

テオドールがすらすらと謝罪と挨拶を述べると、ギルベルトは華やかに笑った。

「知ってるよ。先の戦争で国を救ってくれた英雄だろう?私は血が尊いだけで城下町で暮らしてるただのおじさんだ。そう畏まらなくてもいいよ」
「とんでもございません。ギルベルト様の人徳は広く民衆に知れ渡るところでございます」
「いやほんとうに……参ったな。君、そんな畏まった性格じゃないだろ。結構な悪童だってアーノルドに聞いてるよ。普通に話してくれ」
「……は?騎士団長とお知り合いなのですか」
「もちろん。城にいたなら各騎士団の長とは見知った仲になるさ。入団した時はまともに丁寧語も使えないし文字も読めなかったと聞いたけれど、すごいな。アーノルドが教育したのか?」
「ええ、まぁ……あの人、俺のことなんて言い回ってるんです?流石に値札くらいは最初から読めました」
「それは結構だ。ところで、君の妻が靴を奪われて裸足なのは知ってる?」
「え?!」

すっかり蚊帳の外になり、ぼんやりと突っ立っていた私に急にスポットライトが当たる。

「あんた何してんだ!ほんとにどんくさいな……」
「ご、ごめんなさい」
「テオ、あまりエリーナ王女を責めないでくれ。陛下のご意向で中々城の外にも出られなかったんだ。時には羽を伸ばしたくもなるよ」

テオドールは頷いた。

「……エリーナ王女、ガラスで足を切ったりしてないか?色んなものが落ちてるから気をつけてくれ」
「大丈夫です。ここに座っていただけだから」
「ならいいけど。そのままじゃ帰れないな。馬車を呼ぶ手段もないし……抱き上げて帰るからつかまって」
「えっ」
「足が見えたら良くない。これをかけて隠せばいいか」

テオドールは自分の上着を脱いだ。

「あの、その、結構です。裸足で歩くから……!」
「は?!裸足の妻を隣で歩かせる男なんかいない」
「じゃあ、一人で、歩きます……」
「そういうことを言ってるんじゃない。喧嘩を売ってるのか?」
「違……だって、迷惑なので……」
「今更迷惑もなにもないよ。迷惑かけてると思うなら二度と靴を盗まれないでくれ」

テオドールの苛立ちが伝わってきて、焦ってしまう。迎えになんか来なくていいし早くこの場から立ち去ってほしいと思う。

気まずさと情けなさで私が下を向くと、ギルベルトの笑い声が聞こえた。

「あっはっはっは」

私とテオドールは二人揃ってギルベルトの顔を見た。ギルベルトはしばらく一人で声を出して笑い、私とテオドールの呆気に取られた顔を見てさらに笑った。

「なんだ、君たち2人は、そんな可愛いやり取りをして……ああ、久しぶりに笑いすぎて腹が痛い。未熟な若い夫婦二人に、私が馬車を呼んであげるよ。少し待っていなさい」

ギルベルトは懐から小さな紙切れを取り出して、魔力を込めてふっと息を吐いた。

「これで迎えが来るよ。迎えが来るまで待っていよう」

ギルベルトは私の手を取り花壇の縁に座らせた。そしてテオドールの手から彼の上着を受け取り、それを私の足にかける。

「久しぶりに会ったらエリーナが別人みたいになっているから驚いたよ。テオドールに恋をしたから変わったのか」
「へ?!いえ、……その……」

記憶喪失、という設定についてどこまで説明するべきか分からない。

「時間が経てば誰でも変わりますよ。田舎の悪童が騎士団の副団長になったみたいに」
「君の例は少々特別だが……。まぁそうだね。確かに、変わらぬものなど存在しないか」
「ええ。ところで、ギルベルト様はこれからどちらにいらっしゃるんですか。馬車が来るなら王女様だけ先に帰ってもらって、俺はその荷物を運ぶのを手伝いますよ。こう親切にしてもらったのに、手ぶらで帰すわけにもいかない。もちろん失礼でなければ正式なお礼は後日させていただきます」

テオドールは短い間にすっかり砕けた口調になっていた。本来がこの性格ならば先ほどの挨拶はよっぽど努力して身に付けたのではないだろうか。

「ああ……これは、たいした重さじゃないからいいんだ。ちょっと孤児院に食品や古い服を届けに行くだけだ」
「孤児院?」

つい興味を引かれて私が顔を上げると、二人が同時に私を見た。

「あんたが想像してるほど綺麗なところじゃないと思うよ。王族が訪問するのは寄付金で財政状態が良い一部の施設だけで、ほとんどは城の家畜小屋より衛生状態が悪い」
「まあ、そうだね。私がこれから訪問する場所は、かなりマシな方だが……」
「そう、なんですか」

この国の教育制度に関して、エリーナには全くと言っていいほど知識がない。孤児院は教育施設ではないものの、この国の子どもたちの境遇に興味を引かれたのだけれど、気軽に訪問して良い雰囲気ではなさそうだ。

「興味があるのか?」
「えっ……あ、……はい」

テオドールの問いかけに対して小さく頷くと、ギルベルトはうーん、と少し考え込んだ。

「一緒に訪問するのは構わないのだけど……エリーナ、ごめんね、厳しいことを言うよ。もし王女として歓迎されると思っているなら、その期待には応えられない。子どもたちは私たちと同じように見知らぬ人間を警戒するし、初対面で慕って寄ってきてくれるほど純粋じゃないよ」
「それは、全然……大丈夫です。この国の子どもたちが、どんな教育を受けているのか少し気になってて……」
「子どもたちが?それはまた、なぜ……?君には関係ないことだろう」

関係ない、と言われて、私は口を噤むしかなかった。親との関係が悪かった私にとって、学校は唯一の居場所であり、それが私が教師を目指した理由だ。
エリーナになっても、唯一私らしさといえるそこにしがみつこうとしてしまった。

「……ギルベルト様、今日のこの人の格好じゃとても孤児院に行けない。靴もないし、服が華美すぎる。また後日、俺も一緒に連れて行ってもらえませんか」
「二人を?構わないが、別に面白いことは何もない普通の孤児院だ。いいのかい?普通に子どもたちが暮らしているだけだよ」
「構いません。それが見たいんだろ?」

私が頷くと、テオドールが小さい子どもに向けるような顔で笑った。

「じゃあ決まり。次の早番か非番の日を言うので、ギルベルト様の都合が合う日を教えてください」
「あ、ああ。いいよ。先程は厳しいことを言ったけど、実は彼らも刺激に飢えてるんだ。王女と英雄が来てくれたら、きっと喜んでくれる」

ギルベルト様が優しく笑った。エリーナの胸は小さく痛んだけれど、それはもう恋のときめきではないようだった。

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